** 続*星ヶ丘ビッグウェーブ   ますらお奮闘編    **




            #3. ハジメテのおつかい 或いは ロンリィ・マスゲーム



やがて紺碧の海は徐々に彩度を落とし、藍は空に混ざり、空は蕩ける夕日に溺れる。 
きらきらと硝子片の波光。 遥か地平線まで緩やかな三角に伸びるその先を、俺たちしばし、見つめていた。


 「空が、凄いな・・・」

魅入られたように動かない横顔。 夕暮れは容赦なく、その頬をも染める。 


 「やっぱさ・・・・来て、良かったな・・・・ 。」

言葉尻、薄い唇が微笑むのを俺は幸せだと思う。

昼間の海は賑やかで陽気だ。 
だが日暮れからの海は、静かで秘密の匂いがする。 
点々と、砂浜に散らばる恋人達のシルエット。 
それらが互いしか見ていないのを良い事に、俺は、寄り添う愛しい身体をそっと引き寄せるのだ。 


 「カ・・ノ?」

掌に感じる、心許無い腰の細さ。 
軽く羽織ったパーカーの下、腕の中の体温は俄かに上昇して行く。 


 「・・・・ハラダ、」

戸惑い、しかし訴え掛ける瞳に俺はその名を囁く。 一瞬見開いた目がまた細められ、そして唇が重なるまでの数秒、俺を写す瞳がうっとり閉じるのを息苦しい幸福の内に眺めた。


「・・ん・・・・・」

長めの前髪が、頬骨の上で揺れる。 そして、


「・・・た・・い・・」

「え?」

「・・・・・・今夜、カノと、したい・・・・」


           ヨッシャァ〜〜〜〜〜ッ!!

     硝子片の波。 
     遥か地平線の真下まで、煌めく波光は俺たちの花道。 

                      ―― 完 ――


                                  * *


    ・・・・・・ なんて行く訳ねぇよな、普通・・・


グアム二日目、朝っぱらからパラソルの下で薄らボンヤリ滝汗を掻く俺は、猛烈な敗北感を感じていた。 
負けだ。 負け犬。 ボロ負けの負け犬だ。


青い空ピーカンの空、青い海、常夏の海。 人人人だらけの島は黄昏る隙を俺に与えず こらエテ公ッ! と照り付ける太陽の柄の悪さ、およそタシナミに欠けるフリーダムな外人たち。 馬鹿野郎、そんなとこでサカれるか? サカれない俺はナーバスな日本人だった。 そしてサカろうにもその相手は居ないのだ。 居ない。 ハラダが居ない。 一緒に居る意味ねぇじゃん、くらいな感じで居ない。


 「居たッ!」

 「お?」

噂をすればハラダ。 海パンの上に派手な花柄のシャツを着て、両手に抱えるようにした水滴の浮く缶ビールが四本。 少し日に焼け赤らんだ頬を、額からの汗がタラタラと伝う。


 「あーもう部屋水浸しでさ、一応フロントに連絡して階下の水漏れを確認して貰ったんだけどだけど、」

おいよ、と手渡される二缶。 サンキュと起き上がり、早速、喉を鳴らす俺。


 「で、ヨネダさんは何だって?」

 「アッチは家に電話掛けたいッて、」

 「・・・・そんだけ?」

 「うん、そんだけ。」

本人、国際電話にパニクッちゃッたらしくて〜 と ハラダは倒れこむように、ボヨンとビーチチェアーに寝そべる。 そしてビールのプルトップを引き、乾杯と片手を上げた。 ハァと深い息を吐き、目を閉じ喉越しの涼を愉しむ。 


 「バカンスッて感じじゃねぇな、」

 「うーん・・・・」

ハラダは多忙を極めていた。


 「やっぱ鬼門なんじゃねぇの? どうもケメコ絡みの話に乗ると、」

 「ン〜・・・ま、そこはタダの弱みッて事で・・・・」

 「ッて、そこはもっと怒れよ、」

アハハとハラダは笑うが、ハラダがココに居る理由は今や観光ではない。 
労働。 ボランティア。 或いは簡単にパシリ。


何しろ日頃、道路をホジクリ下水に潜る選りすぐりの右脳集団なのだ。 そんな陽気で純でファンキーな連中が、16人揃って海外へ行くというのだ。 それで、何も無い筈があるまい。 

出発する前からその予兆はあった。 巨大なトランクで現れ即超過料金を取られる者、出国窓口で真っ白になり長蛇の列の先頭になるもの、緊張からの渋り腹で離陸時間を遅らせた者、機内サービスのワインに金を払おうとする者、窓際にしてくれとゴネ、やんわりスチュワーデスに諭される者。 矢継ぎ早に繰り出される攻撃は、やれ部屋に入れない、お湯が出ない、レストランの場所がわからない、と楽園到着後に更なる威力を増す。 皆、初めての外国に負けてた。 無論そこに俺も含まれるのだが、日頃考えない悩まない、健康第一ブイブイ言わせてる連中にとって、海外という壁は高い。 

ならば誰かに助っ人を頼もう、添乗員はドコ? と捜せばそれに該当するのはケメ子。 しかし、何分ボスの彼女たるケメ子には、おいそれと連中も頼み難いらしい。 そこで、素早く戦力となったのがハラダの語学力と腰の軽さだった。 ハラダさァんと呼ばれれば、ハァイと駆けつけるマメで気のつくハラダは、グアムで肉体派野郎にモテモテの大活躍。 説得し、交渉し、ザルで水を汲むような指導してまた呼ばれる。 休む間のない、グアムの休日。

そして戦力外の俺は、一人遣る事もなく浜辺で黄昏る訳で。


 「・・カノ、ゴメンな、」

 「あ?」

謝られる筋はない。 むしろ俺は、誘って悪かったとすら思ってる。 
だけどハラダはハの字の眉で薄く笑って、


 「せっかく来たのに、カノ、つまんないだろ?」

 「いや、まァ、」

つまらないというのとは違った。 というよりは所在無いのだ。 

言葉も勝手も違うところに来て、俺は、今まで考えた事もない 『一人じゃなんにも出来ないボク』 をジリジリ味わっていた。 何も出来ない俺はハラダが居ないと外歩くのもオッカナイし、ジュースを買う事も出来ない。 や、フロントには日本人が居たし、ここらは大体、ナイスミーチュー言う小学生レベルでの会話で何とか成るのだとハラダは言った。 子連れジャパニーズ御用達のホテルだとも、言っていた気がする。 

だが、俺はナンもしたくない気持ちに襲われ中であった。 テンパリそうな自分がどんなにカッチョ悪いか考えると、敢えてそんなのに挑戦したくない臆病な俺だった。 だって、そんなのハラダに見られたくない。 

ッて馬鹿か俺は、この場に及んで今更カッコつけすんのかよ?

でも、今更のようにハラダはスゴイ。 凄いハラダを見るのは複雑だ。 飄々としてエヘラと笑って、 プレッシャーとか気負いとかはないのだろうかとふと思い、ちょっと出来過ぎじゃんと意地悪く思った。 寝転ぶハラダは掌を目の上に翳し、胸のポケットから畳んだサングラスを取り出すとスイとこめかみに挿す。 ナチュラルに 『海外馴れっこです臭』 がする仕草。

出来過ぎだよ。

いつも俺ばかり馬鹿みたいに余裕ない、アー出来過ぎ。 
グイと伸びをして、二本目の缶に手を伸ばした。 と、ハラダがこちらに顔を向ける。 

サングラス越しの目は見えないが、何となく笑ってる気がした。


 「ちょっと、ぶらッとしない?」

 「どこを?」

 「そこら」

昨日、馬鹿でかいショッピングモールを軽く素通りしたが、それはここからかなり遠い。 しかも、ブランド云々に縁のない俺などにしたら、まるで場違いな場所でもあった。 だがハラダは、勢いよく残りのビールを飲み干すと、 な? と俺を促す。


 「また誰かに何か呼ばれる前に、行こうぜ?」

拒否する理由など、一つもなかった。 


オウ、と立ち上がる俺は意外に貝殻の多い海岸を、ヨタヨタとハラダの後に続いた。 

ママとおつかいか? ココロの声は俺を笑ったが、だから何だよと、もう、どうでもやっぱ良かった。 なんだかなァ・・・・ 飲みかけのビールを一口飲み込む。 なんとなく、腹がシクシクと痛んだ。



                                 * *


     「 *********?」

     「・・・ナンだッて?」

     「バス停はこの先ですかッて」



     「***************?」

     「な、ナニ?」

     「ロブスターが食べれる店があるか? って」


砂浜を抜け、一度フロントに顔を出し、ブラブラ歩くハラダに続き海岸通を歩く。 炎天下の昼前、ジリジリするアスファルトはサンダルの底を焦がしそうに熱い。 そうしてダラダラ二人で歩く道中、驚くべき高確率で迷い人&呼び込みを吸引するハラダ。 彼等は数多の観光客の中からハラダを選び、横に居る俺なんて見事なまでにスルーしてハラダだけに質問・もしくは耳寄り情報を囁いた。


 「やー俺、街で道訊かれる選手権、ぶッちぎり一位よ、きっと、」

というから、余程ハラダは人に警戒心を与えないんだろう。 

そう言えば俺も、酔い潰れた初対面のコイツを担ぎ、素性もわからないコイツを俺んちへ泊めた。 ケメ子と一緒だったとはいえ、随分無防備だったと思う。 そしてそこからはコレという訳でもなくハラダとつるみ、当たり前のように入り浸るハラダに、当たり前のように世話を焼かれる俺。 そして今や、微妙に停滞中だけど、恋愛なんかしちゃってるし、

そんな風に、ダラダラ俺らが向かったのは歩いて五分ほどにあるスーパーだった。 


 「あれだ、」

ハラダが指を差す。 

シンプルなロゴの看板。 思ったよりちゃんとした、スーパーというよりちょっとした量販店。 スタスタ自然と早足になり、店内に滑り込めばヒヤァッと心地良い冷房に 「生き返るぅ〜」 という気分になった。 棚を物色するハラダは勝手知ったる感じに、楽しげに店内を歩く。 そんなハラダに、遅れじと続く俺。 何故グアムでスーパーかと思うのだが、ハラダ曰く、コッチのは面白いらしい。 なので、そうですかと異論なく来たが、なるほど、見た事もない派手ななパッケージがズラリ並ぶ様は壮観だった。 得体の知れない飲み物群、いかにも身体に悪そうなピキッとした色の飴だとかガムだとか。 

なァコレなんだ? と謎のグミらしきをぶら下げ、顔を上げれば棚の端、ハラダが外人と話しているのが見える。 笑ってる。 赤毛のチョビ髭とメガネのと、どことなく親近感のある地味目の男二人と楽しげに話しているハラダが、こっちを向いて何か言った。

なに?

近付く俺を差しハラダがまた何か言う。 
するとそれを受け、男二人がこれまた嬉しそうに俺に ヘロウ! と言った。   


 「ヘロウ! ナイスミーチューカノォ〜!」

 「ヘ、ヘロォ〜・・ミートゥ〜・・・・」

それでイイのかと覚えの悪い犬のようにハラダの顔を窺えば、ベラベラ喋る二人連れにハラダはにこやかに答え、そしてバ〜イと立ち去る二人に、バ〜イと手を振るハラダ。 

会話終了?


 「また、道訊かれたのか?」

 「いや、飲みに行かないかって、」

 「ぁあ?」

な、ナンパかよ? 
という俺の疑問が顔に出たか、 「そういうンじゃなくて」 とハラダは言った。 


 「そう云うんじゃなくて、俺たちと飲みに行きたいって・・・・・」

 「なんだそりゃ?」

 「あの二人、カップルだよ。」

 「へぇ〜   ・・・・カップル?」


二人は、ゲイのカップルだった。 メガネは学校の先生で、赤毛はエンジニアだという。 
バカンスに来た二人は、同じくゲイカップルの俺らを見つけ、何となく飯でも喰いたくなったらしい。


 「・・・ッて何で俺らの事がわかるんだよ?」

まさかゲイにしかわからないホモ電波がが、ピピピピピと、


 「昨日見られたらしいよ。」

 「なにを?」

 「夜、レストランの帰り、」

 「・・・・・・ッ!!」

昨日、夕食に出たレストランの帰り、通り抜けした人気のない中庭で、俺とハラダはキスをした。 なんとなく。 俺にしてはなんとなく、人も居ないし、じゃぁしようかなと、別にそれ以上は考えずに 「疲れたァ〜」 と背中を伸ばすハラダの唇を、如何にも南国な木の下で塞いだ。 蒸し暑いねっとりした夜の空気。 喧しい虫の音が日本のそれと変わらないのだと、当たり前な事にシミジミしてた俺たちの、あの一コマを彼らはその後ろから見ていたらしい。


 「若いから大胆なんだねッて・・・アハハ、 ちょっと驚いた。」

驚いたと言いつつ、ハラダは気にしてない様子だった。


 「で、どうする?」

 「ん?」

 「飲みに行くっての、」

 「あぁ、あれはまァね。  カノ、低めだしさ、今一調子上がンなそうだから、」

そう言うハラダの手にしたカートの中、フルーツミックスのジュースと、パンと、クラッカーと、食べ切りサイズのジャムの壜。 


 「それ今喰うのか? 直に昼だろ?」

 「明日だよ。 明日の朝、」

朝はバイキングだった。 四泊五日、計四枚の食事券を俺らは最初に貰い、それを提示して朝飯を喰う。 だがハラダは、それを昼に使おうと言った。 


 「朝っぱらからアレはキツくねぇ? だったら寝起きは摘まむ程度にして、昼にチケット使やぁいいかな・・と。 バイキングは二時までだし、余裕だろ?」

アー恐ろしいほど冴えてる俺〜 と、変な節をつけるハラダだったが、多分ハラダは俺の為にそう言っている。 

なんだかスッキリしない俺は夜も早くから眠り、食欲も今一つ沸かなかった。 今朝のバイキングにしてものだ。 喰わなきゃ損だと思い、取り分けたものの、皿一枚を埋めるのに、随分四苦八苦した。 結果、大味なメロンと小さなパン、茹で野菜、ヨーグルト、およそ俺らしからぬ品揃え。 

ハラダはそれを見て、俺が不調なのを察したのだろう。 


 「・・・だから、道訊かれンだよな、」

 「ん? なんだ?」

 「いや、」

 「え?」

別に隠さなくて良いのに、独り言を聞かれた気まずさから、ポンと今しがた思った事を俺は口にした。


 「あぁ、うん・・・ 全然普通だと思って、」

 「・・・て、何が?」

 「え? あぁ、さっきの二人。」

咄嗟に言っただけだ。 別に他意なんてなかった。 
だが一瞬、ハラダの表情が曇ったのを俺は見逃さなかった。


 「・・・そりゃ、普通だろ? 別にコレといって可笑しな事をしてる訳じゃない、」

 「う、うん、そうだな、」

・・・・て、ヤッちゃったよ、と。 


他意がなかった。 つまり、俺は無意識にそういうイロモノとして彼等を見てた事になる。 ハラダの事も、ハラダに恋する俺自身の事も。 シドモドする俺は、まるで言い訳がましくみっともなかった。 

だがハラダは、俺にそれ以上のコメントを求めず 「なんか買っとくもんある?」 そう言ってハラダは、陳列棚に手を伸ばす。 ドギツイ色をしたマシュマロの大袋を手にし、 「腹ン中、色着きそう!」 と笑い、コッチにパッケージを向けた。 

かなわねぇよなァ。
ハラダには敵わない。 

そして、なんとなくだが、寸止めするハラダの真意とは、俺の中のそんな無意識の部分にあるんじゃないだろうかと金を払うハラダを眺めつつ思った。


ウワンと自動ドアが開き、店を出れば再び焼き尽す気満々の太陽。
待ってましたと噴出す汗。 


「昼、なんだろうな?」 「さあ」 「ケメ子たちと一緒だろ?」 「だな」 などと、どうでも良い話しをしながら俺たちは、今来た5分を折り返す。 しかし行き以上に、帰りの五分は非常に辛かった。 いや、俺は決してひ弱じゃない筈だが、ここ来てから異様に疲れる。 なんだか疲れる。 だるい。 お蔭で、イキナリ早寝してるし・・・。


不甲斐ない自分に反省しきりだったが、俺は、今日も早寝しちまいそうな予感がしていた。 だって今ですらダリィよ、畜生。 腹もシクリと痛むし。 体調も低め、そして心はと云えばあれほどジリジリムラムラしてたこだわりが、何故だかスポンと抜けたような脱力を俺は味わっていた。 と云って、別にハラダが好きじゃなくなった訳じゃない。 気持ちは変わらないけれど、も、どうでもイイよと。 どうでもイイよ、俺このままで十分だし、楽しいし。 うん、マジで。


 「カノ?」

ノロノロ歩く俺を、少し前のハラダが振り向く。

ヒョロリとしたハラダが逆光で、黒い影法師になった。


まァ、イイや。 もう、




影法師に続いた。








     
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