**  a bat in pieces **



                       #1. ニコールはタマゴを隠した



あぁもう、あっちにいってちょうだい、愛してるなんて言わないでちょうだい、愛さないでちょうだい、あたしに触れないでちょうだい、そして、あたしを一人にしてちょうだい、
そしたらあたしは、バスルームでブロバリンを飲むわ。


磨かれたフローリングに、落書きタマゴが三つ。 ヤッホウ!人生上々かい? 下手糞で偽悪的なフィリックスベイビイが中指を立て舌を出す。 上々なもんか、オレは金輪際卵なんか食べるものか。 ガシャン、グシャン、そして、啜り泣き。 ニコールはバスルームで癇癪を起す。 飾りチェストは斜めに傾ぎ、行儀の良い子供みたいだった写真立ての整列は、薙ぎ倒され、したたか踏まれ、15時47分の西日に硝子の欠片がキラキラ光る。 

通りで歓声が上がり、中空に飛散するのはパレードの喧騒。 迷子の子供を怒鳴る声、78歳になるムッシュ・ワニノフ改心のトランペットは調子はずれに、 さぁ寄っといで!マッフィン売りがやって来た!! マザーグースの切れ端は、素っ頓狂なFの音。 ニコールの号泣がバスルームで激しさを増す。 二コールの甲高く細い、♭のA。 忌々しい二重奏にもう、我慢がならない。 何故、自分では駄目なのだ? カイルは決意し、不穏なドアの向こうに踏み出した。 どこかで、仔牛肉の焦げる匂い。 吐き気がしそうだ。



『ウロウロしないでちょうだい、ウサギは耳が良いのだから!』

まだ寒い春の夜、越して来たばかりの隣家を窺うカイルは、イチイの葉陰、佇む天使に出逢う。 ゼニアオイの蒼、ミルクに浸した薔薇、朝露に濡れる水蜜、そんなもので出来てるニコールの小さな顔は、絵本の天使に良く似ていた。 夢見がちな少年だった13歳のカイルは、更に夢見がちな11歳のニコールに心奪われる。 天使は、イースターサタデイのウサギを捕まえたいと話す。 ならば、僕に任せてよ! カイルは天使ニコールの為、庭先、プリムラローズの繁みでの野営を買って出る。 

翌日、高熱に伏せるカイルの枕元、褒美の落書きタマゴを持参したニコールは、そんなじゃ、怪物狩りには行けッこないわ! と、口を尖らすのだった。 タマゴに彩色された赤と緑と金と、耳の尖った薄笑いのゴブリン。


―― ねぇニコール、
    それなのに、自分から怪物に攫われるなんて、君、ホントにどうかしてる


バスルームに突っ伏す、モップみたいな娘。 手入れの悪い色褪せたブロンド。 あの日のそれは、光り輝き、緩い三つ編みは流れ落ちる蜂蜜みたいだったのに。



『ダメよ! だってあたし、王子様と結婚するの。 それに、まず、大きなサファイアをあたしにくれなきゃね!』

三つ編みの天使は、プロ―ポーズを試みた14歳のカイルにそう告知する。 差し出した、とっておきの骸骨人形は、プロポーズには不向きと知った。 いずれにせよ、白馬に乗れないカイルは、王子失格だった。 ならば、家来でもかまやしない、僕はずっと君を守ってあげたいんだ。 その申し出は容易に受け入れられ、以来7年、カイルは影のようにニコールの傍ら寄り添う。 それはそれで、十分に満足できる任務であったのだが、しかし、19になった天使は、呆気なく、予想外な王子に攫われる。 

王子は馬には乗っていない。 王子は、盗んだバイクに乗り、両肩に天使の刺青を入れている。 評判の悪い王子は、天使を荒々しく抱きすくめ、いかがわしい店に出入りさせ、粗悪で悪趣味な衣装を与え、すっかり、似合いの妃にした。 二コールがサファイアの代わりに受取ったのは、忌わしい錠剤と、青黒い痣。 天使の胸元には、やたらと扇情的な天使のタトゥが見え隠れする。 薔薇色の頬は、色を失い、その代わりに水蜜の肌は人工色で塗り固められた。



『ねぇ、酷いでしょ? こんなになったあたしは、あの人に捨てられるの?』

天使は、最早失墜し、ロクデナシに気を揉む憐れな女、憐れで綺麗な馬鹿な女。 カイルはロクデナシ王子に、歯軋りしそうな嫉妬を堪え、家来ゆえ、ニコールを励ます。 馬鹿言うものじゃないよ、こんな美女を差し置いて、奴の心に、誰が入り込めるもんか?! 励ましに、ちっぽけな活路を見出し、にっこり笑うニコールの瞳、ゼニアオイの蒼は、けれど、次第に潤みがちになる。 御覧、あの首を、白鳥みたいに細く儚い。 


『ねぇ、カイル、お前は俺のものだってあの人は言うんだけれど。 あたしはあの人のものよ、でも、あの人はあたしのじゃないの、もう、キスしてもくれない、ねぇ、犬みたいなアレをするのって、あなたは好き? やりながら、おっぱいを抓ったりするの?』

そりゃ、君の王子はそうだろうけど・・・ こけた頬、しきりに鼻を啜る天使は、薬なしではいられない。 あぁニコール、君にどうしたら伝わるんだろう? 僕は、僕ならば、ずっと君を抱き締め、沢山のキスをあげられるのに! けれど仕方ない。 ニコールは、それでもあの、淫蕩な目をしたロクデナシに、まだ搾取され、辱められる事を良しとする。 


―― もう充分じゃないか、
    ね、ニコール、聴いて、落ち着いて、僕はここに居るしずっと君を見てるから・・・


『・・・駄目よ、
   きっとあなただって、あたしを置いて行ってしまう、そして素敵な恋人とキスをする。

土色の肌、化粧気の無い天使は、老女のような有り様だ。 
カイルに出来る事といえば、ただ、傍に居る事、励ます事、歯軋りして嫉妬に耐える事。



グッド・フライデー、地中の神はまだ目覚めぬ、聖なる金曜、カイルの望みは微妙な叶い方をする。 ニコールの王子は、シンプソンの店を襲い、アルバイトの留学生を刺殺した。 逃げた王子とその仲間は12ヤードを疾走し、見事警官を振り切った矢先、歩道に突っ込んできた居眠り運転のホットドック屋に、撥ねられて死ぬ。 

父イエスキリストよ、私はあなたの復活を心から歓喜します。 私は是を、あなたがなさった奇跡と感謝します。 カイルは、ようやくこの手に戻ったニコールの、骨浮く身体を抱き起こさんと、小物が散乱する浴室に屈む。 顔を上げるブロンドの隙間、乾いた唇に滲む血。 そこに白くこびり付く、タブレットの残骸。 


さぁ、あたしを一人にして、あたしを眠らせてちょうだい!

―― ニコール、君を一人になんて出来ないよ。


抱き起こさんと伸ばした手は撥ね退けられ、カイルは突き飛ばされ、尻餅をつく。 反動で、自分ももんどりうつ二コールは、鈍い音をたてバスタブの縁に頭蓋をぶつけ、小さく獣みたいに呻いた。

あっちにいってちょうだい、あたしはこんなに醜くなってしまったのに、あの人は勝手に死んで、あなたはこれから綺麗な女の子と恋をするなんて! 嫌い嫌い、あたしをこんなにした男なんて嫌い嫌い!あたしより綺麗な女も嫌い、あたしより醜い女なんて、惨めで物欲しげであたしみたいで、大嫌い!!


毛束になったブロンド。 埋められた小枝みたいな指。 
張りの無い剥き出しの腕に青黒い痣。


神様、天使を僕に、戻して下さい。 ここに蹲る、哀れで、惨めな半キチガイを、元通りの天使ニコールに戻してあげて下さい。 ですから僕が嘘を吐く事を、どうぞ許して欲しいのです。


あぁ、こないで、もういいの、もう結構! あの人もあなたも、男の人はあたしの上澄みだけ掬って、こんなにして、出汁の抜けた骨みたいに、あたしを犬に放るのだわ! いらない、欲しくない、愛はうんざり、こんなにして! こんなにして! こんなにして!


恨みの言葉はとめどなく、呪詛のよう。


―― 聴いて、ニコール、僕は君に何も要求しないし、君とずっと友達で居られる。 君が願うなら指先にキスしてあげる。 まして、僕は君にアレをしゃぶれなんて事言わない。 聴いて、僕は君以外の女の子に現抜かすなんて事、絶対有り得ないんだ。

教えてあげる、僕はね、ゲイなんだ。



ニコールの啜り泣きと合間の罵声が止まった。 



調子はずれのラッパの音は、もう、遥か遠い。 

ひき寄せ、そのまま抱き上げれば、小さく身動ぎ、病気の小鳥のように力無く震える。 その身体の余りの軽さに、スカスカした痩せ衰えぶりに、カイルは胸が抉られそうだ。 だからわかったろ? ずっと君は僕のたった一人の姫君なのだから、だから、ね、一緒に暮らそう。 君を一人になんて、出来るものか!


覗き込む二つの蒼は、微妙に焦点を結ばず。


『ねぇ、約束して、愛さないで、求めないで、だけども、ずっと、ずっと一番の友達で居て! 
 そしたらあたし、あなたの王子をきっと、探してあげれるわ・・・』

 

踏み出したカイルの足の裏、クシャリと潰れる感触がした。 

ふと過ぎる記憶、叔父の店の厨房で、うっかり踏みつけた逃亡エスカルゴのあの、感触。 
死して失い、再び復活して授かる奇跡。 



砕けた殻を破り、復活したのは何? 





      **  A bat in pieces  こなごなコウモリ  
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     January 14, 2003