Verso il gladiolo**La passeggiata del cowboy imbrogio 
                              〜  グラジオラスに向かって ** いかさまカウボーイのドライブ 〜 
       
       
       
               #3.Trama ed amore  ** たくらみ と 恋 
       
       
       
      その客については、様々な噂が、まことしやかに囁かれていた。  
       
       
      ロマンティック絵画を彷彿とさせる佇まいは、実際目の当たりにした者に、感嘆の溜息を洩らさせていたし、ベルボーイは、意味も無く、頼まれもしない御用聞きにその部屋を訪れ、ドアの隙間から眺める素晴らしき眺めに心を躍らせる。  
       
      二つのカフェテリアとメインレストランでは、開店以来最多に、高価な皿やコップが、上の空の給仕達の手を擦り抜け、床で砕けて悲鳴を上げた。 孫が生まれたその時さえも、顰め面した、喰えない、曰くの、コンシェルジェでさえ、お帰りなさいませ、御二人様、と歯を見せて笑う歓待ぶりに、ホテルは、俄かに椿事に涌いた。 
       
      いずれにせよ、citta di corvo(カラス街)最高をうたうこのホテルでは、此処数日、話題には事欠かさず、その当の二人は先刻より、昼下がりのレモネードを、物憂げに、窓辺のカフェで、傾けている。  
       
       
       
      マリオ・ヴェルッシとミランダ・ファース、この麗しいカップルを、紹介せねばなるまい。 
       
      二人は、このホテル一、若しくはncitta di corvo(カラス街)随一を誇る、美男と美女を、 
      自他共に認め、誇りとし、己を殊更飾り立てるのに、互いに寄り添い効果を上げた。 
       
       
       
      『だから、あんなの、珍しさだけよ。』 
       
      ミランダ・ファースは、午後の休みに、零れ落ちそうな青硝子の目を、殊更大きく、見せんとばかりに、半眼で屈んでコンパクトを手に、こってりとした、マスカラを塗る。 自慢のプラチナブロンドが、ランチの湯気と、油で臭うか、気懸かりだったが、ふわふわの其れは、まだ大丈夫なよう。  
       
      砂糖細工のブロンド人形、ミランダを見れば、そう、思い浮ぶ。 舌っ足らずな、甘ったれ声も、華奢な手足も、薔薇色の頬も、パン生地みたいな、真っ白な胸も、男達の夢、心騒がす、魅惑の人形。 
       
      勿論、ミランダ自身も十分其れを承知しており、寧ろ、其れ故、充分過ぎる、好待遇と,身分を持ち得た。 素敵な、自分が大好きだったし、素敵な自分を殊更飾り、更に更にと光らせるのは、チョコファッジよりも、もっと好き。  
       
      だから、素敵な、アクセサリーは、いつもキラキラしていなければ。  
      だから素敵なアクセサリーが、パートナーならもっと良さそう。 
       
       
       
      『刺激が無ければ、恋なんて、昼寝の前の欠伸みたいじゃないか?』 
       
      マリオは、闇夜の帳の如く、艶やかな髪を、丹念に、しかも、何気無い風に撫で付けて、其の出来栄えに満足した。 情熱溢れん、祖国の血筋は、祖母より正しく譲り受け、野趣溢れる艶、何処とは無しに、淫蕩漂う風情は如何にも、『スリリングな恋』には、似合いであった。 
       
      髪と同じく漆黒の眼は、娘の心を意のままにし、すらりと鞭の如くの姿は、密かに鍛えた筋肉が包み、寝室での其の、荒々しさは、おおむね歓喜の悲鳴と対をなす。 小器用で洒落た、ホテル仕込の洗練振りは、驕慢ささえも、魅力の一つ。 
       
      そうして、己の容姿を誇り、見せびらかしも、此れまた格別、優越感にギャラリーを睥睨する。 並々ならぬ、自惚れ、自己愛、世界で一番愛しい我が身、其の御披露目には最適な女、パートナーとし、アクセサリーとし、浴びる、衆目、賞賛、感嘆、それだから彼は彼女を選び、同じ理由でで彼女もそうした。 
       
       
       
      自己愛 故の、マリオとミランダ。 相乗効果に、いたく満足、輝く二人は、まぁ、良いカップル。 しかし、二人に、変化が生じる。 互いの魅力に、疑問が生じた。 其の発端は、件の佳人。 欲を斯いては、仕損じる事を、自惚れ鏡は教えやしない。 
       
       
       
      窓辺に、寛ぐ、薄茶の巻き毛、マリオとは違う、繊細な所作、貴族的でも在る其の物腰に、隣に寄り添う自分を思う。  
       
      『あの人と、あたし、きっと似合いよ。  
             だって、そうでしょ? あの人だって、あたしのブロンド気に入る筈よ!』 
       
       
      二日ほど前、優雅な男は、一人物憂く、カフェに現る。 注文伺うミランダを見つめ、蕩ける微笑を浮かべた男は、テーブルに生けた、松虫草を、一輪摘んで、ついと乗り出し、ミランダの髪にそっと押した。  
       
      『貴女の、瞳と、蒼が同じ。』 
       
      そうして再び優雅な微笑、そして、些か、呆気ない程、流れる仕草は、常の平静。  
      口説かぬ、男にミランダは焦れる。 此れまで接した男とは違う、違いが一層執着させる。  
      以来、眼にするささやかな、サイン。 擦れ違いざま、ふと合わす視線、男の発する密やかなサイン。  
       
      『えぇ、間違い無く、あたしには解る。 あの人、あたしに、気が有るんだわ!』 
       
       
       
      マリオは、激しく己に絡まる、件の美女の、媚態を想う。 危うい美貌の女と自分、何て似合いのカップルだろう。 
       
      『退屈、其れは、醒めた恋。 あぁ、俺ならば、きっと彼女を満足させて、刺激たっぷり 
      愛し合えるさ。 彼女にしたって、あの優男じゃぁ、御飾り程度の役しか立たない。』 
       
       
      怠惰で、優美な女が一人、スウベニィルの絵葉書に魅入る。 手入れを施された細い指が、ノスタルジックなそれらを辿る。 視線に気付いた女は幽かに、小首を傾げて瞬きをする。 
      漆黒の瞳、物言いたげに、瞬く睫毛の危うい翳り。  
      何か、用事はないか? とマリオ。 女は、小さく溜息を吐き、囁くように、言葉を発す。 
       
      『いいえ、用事は、一つも無いの。 ただね、退屈、えぇ、それだけよ』 
       
       
      後に残るは、幽かな芳香、異国の花の誘惑の香り。 そしてマリオの耳朶を掠めた、擦れ違いざまの、あの、火の囁き。 マリオは暫し、茫然とする、火を点けるのは常に、自分であるのを。 今や、ちりちり身を焦がす想い、初めて求める、追いかける者の、捕まらぬ故の、甘美な執着。 
       
      『 誘っているのが、俺にはわかる。  
             彼女は、俺と、恋をすべきだ。 退屈なんて、微塵も無くなる。』 
       
       
       
       
      citta di corvo(カラス街)18時40分  マリオ・ヴェルッシとミランダ・ファースは、それぞれ、その日の、仕事を撥ねて、リコラ・バールで、軽い食事と、手頃な値段のワインを愉しむ。  
      ほろ酔いの帰路に、カシスのジェラートを1パイン買い、些か手狭なマリオの部屋で、蕩ける濃紫を数口味わい、いつもの如くに、二人は縺れる。 いつもの如く、極、ありきたりの、恋人の如く。 しかし、二人の、企みは胸に、恋は密かにスリルを求める。 
       
       
      『マリオなんかじゃ、ねぇ、あたしには、幾分、役不足じゃぁなくて?』 
      『ミランダね、アレも、悪くは無いけど、俗っぽさが、ちょっとね、』 
       
       
      思惑は、秘して、語らずのが、常。  
      秘する、仇花、恋の花胸に、二人は微笑み、虚言の睦言。 
       
       
      『貴方が、一番素敵だわ!』       『君の、魅力に勝るものがある?』 
       
       
       
       
      木曜日の朝、マリオ・ヴェルッシは、鶏みたいなかしましい客に、仔牛程ある荷物を托され、三往復目のエレベーターを、うんざりしながら待ち侘びた。  
      そうしてようやく、ケチなチップを、受け取り舌打ち、戻りすがら、不意に開いたドアより出でる、結い上げた髪に、タイトなドレス。 軽く羽織ったショールはシフォン。 薫る芳香、歩みが止まる。  
       
       
      『お出かけですか? 美しいマダム』 
      『えぇ、下までね、退屈なのよ』 
      『御一人ですか? あの、御連れの方は?』 
       
       
      女は、答えず、マリオを見つめ、胸騒ぎするよな微笑を寄越し、ひょいとマリオの御仕着せを引き、その耳元で、魔法をかけた。 
       
       
      『**********』 
       
      最早、マリオは魔法の虜。  
      魔法の時間は、あまりに長く、心既に、其処に、在らず。 
       
       
       
      木曜の昼、ミランダ・ファースは、窓辺のテラスで注文を聞く。 男は、優雅に、グラスを傾け、ライムの欠片を所望する。 所望するのはライムのみならず、瞳は雄弁。 乱れる心を抑えきれずに、立ち去り難く、ミランダは問う。 
       
       
      『御美しい、あの、御連れ様は?』 
       
      男は、それに、僅かに眉上げ、苦笑を返し、其れは貴族の嗜みの様で、何故だか酷く、上品であり、見惚れ、動けぬミランダの指が、そっと、男の手に包まれて、寄せられた口は素早く囁く。 
       
       
      『**********』 
       
      最早、ミランダは魔法の虜。  
      魔法の時間は、あまりに長く、心既に、其処に、在らず。 
       
       
       
       
      21時50分 入念に、磨き、整えた姿、ミランダ・ファースは其のドアを叩く。 
       
      指定された、瀟洒なホテル、町の外れに浮かれて向かう。 開かれたドア、伸ばされた腕、 
      抱き締められれば、もう夢心地、薄茶の巻き毛指先に絡め、ミランダは甘い、溜息を吐く。そして、男が、見かけに反し、ベッドの中では、優雅な獣。 飴玉みたいに、蕩かす様を、 
      ミランダ自身は、もうすぐ悟る。 
       
       
      甘露な秘密は、始まったばかり。 
       
       
       
      22時を待ちに待って、マリオ・ヴェルッシはそのドアを叩く。  
       
      出しなに幾度も、確認はした、あぁ、完璧だとも、この出で立ちは。 ノック三回、ドアは開く。 差し伸ばされたは、細く撓る腕。 白い蛇のように、マリオを絡める。 シルクのローブが冷やりと触れて、群青色した其処から覗く、白磁の艶めく、誘惑の柔肌。 そして程無く、マリオは知った。 追い上げられれば、己も発する、甘い声を。 
       
       
      甘露な秘密は、始まったばかり。 
       
       
       
      数回果てて、好いようにされ、其れは初めて味わうもので、すっかり身を投げ、吐く息は浅く、恍惚の侭に、目で追う麗人。 練り絹の、細いローブの紐が、その美しい手で、己に巻かれる。 逆らう筈無く、只期待のみ。 微笑みに見惚れ、両の手は最早、豪奢なベッドの支柱に繋がる。  モット、ヒミツヲ、シリタイデショウ? 
       
       
      そして暫し、麗人は消え、再び現る、其処より始まる、更なる秘密の甘美な快楽。 
       
       
       
      ミランダ・ファースは、青い目を開き、其の瞳よりも、蒼褪める。  
      漆黒の瞳、射竦められて、言葉も発せず、縛められて、するりと首筋、辿る口唇、 
      胸の果実を摘まれ、跳ねる。アルトの声が、ゾクリと囁く。 
       
       
      『夜は、長いわ、楽しまなくちゃ』 
       
       
       
      マリオ・ヴェルッシは言葉を失い、事態の異常に反応できず。 ましてや、己が、信じ難い。 
      しどけなく羽織る、ローブの男に、幽かな欲情感じているとは。 マリオは男の優雅で淫靡な、流れる仕草に、視線外せず。 巻き毛に半分隠された瞳、潤んだ其れには確かな欲望。  
      怠惰な物腰、其れさえも煽り、滑り込む指と、暖かい舌に、溺れ逝く夜を、甘受した。 
       
       
      『長い、夜には、愉しまなくちゃ』 
       
       
       
       
      朝の光が、レースを揺らし、二人はぼんやり記憶を辿る。 ミランダの指に、豪奢な指輪。 
      マリオの腕には、金無垢の時計。 そして二人の身体に残る、夢などでは無い、情交の後。 
       
      件の、二人は既に遠く、早朝ホテルを後にする。 
       
       
       
       
       
      ルート・グラジオラス目指して走る、深い緑のコンバーティブル。  
       
      助手席に、愁う、巻き毛の男、優雅な仕草で、煙草を燻らし、もう一本を、ハンドルを握る女に勧める。 女は、グラスで目許を覆うが、しかし、その美は隠し切れず。 
       
       
      『案外、綺麗に仕上がったわね、急がせた割りに、色味もまぁまぁ。』 
      『そりゃぁ、それなり、色をつけたし』 
       
       
      『アレは、良かった? 昨夜の、黒髪。 』 
      『そっちの、ブロンド、あれ、好みでしょ?』 
       
       
      『まぁまぁ、ってとこね、退屈だったし。 えぇ、あれであの子、愉しんでたわ。』 
      『僕は、とっても、楽しかったよ、出来れば一緒に連れて来たいほど』 
       
       
      『ところで、夕べは、あんたがやったの?』 
      『うん、どっちもね。 かわりばんこ。 彼、良かったよ。』 
       
       
       
      恋は たくらみ。 たくらみは 恋。  刺激があるほど、其れは甘美。  
       
       
      退屈しのぎの、罠に嵌るは、哀れな二人。 
       
       
      新たな世界を知るのは、果たして、 
       
      幸福であるか不幸であるか。 
       
       
       
       
       
       
      August 15, 2002 
                
       
                
           
            
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