Verso il gladiolo**La passeggiata del cowboy imbrogio
    
             〜  グラジオラスに向かって ** いかさまカウボーイのドライブ 



         #2.Il giocattolo costoso di un vecchio uomo.  老人の高価な玩具




Citta` di Primrose (プリムラ街)午前10時25分


アーサー・ホリデイの店にランチの予約を入れた、ジャイロ・カラッキは、若草色の麻のスーツをクローゼットから取り出した。

「なんだって、こう、女ってヤツは」
先月奮発したディナーの帰り、ようやく肌をあわせ、先週ようやく、咥えて貰うに漕ぎ付けたばかりの恋人は、すっかり大人になった証に、女の第六感をもってジャイロを窮地に立たせていた。赤毛で、泣いたみたいに潤んだ目をした、アルマ・テレーズ。まだ幼いアルマの、幼いが故の無垢で純な魅力はジャイロの理性と懐を心許無くさせるに充分ではあるが、しかし、ミセス・コンテリエのあれは、また別格だと言える。

金曜の朗読会のあと、後片付けをかって出たジャイロは「ここの細工が、素晴らしいの」と、例の大きく開いた胸元を覗き込むチャンスに恵まれる。そして、精密な宝石の細工よりももっと、有意義な見物をしているジャイロをミセス・コンテリエは猫みたいに眺め、「もっと、御覧なさい、坊や」といささか扇情的に抱擁し、色々世話を焼き、すっかり腑抜けたジャイロは二時間後に放り出される。

「アレは、別格だ」
全く、そう思うのだが、愛しいアルマには、理解出来ない事だろう。 そうして、ジャイロは、懐柔策として上等のランチを用意した。あと必要な物といえば、気の利いたプレゼントとよく廻る舌だろう。
そしてもう一つ。財布の中身を、数えた。


Citta` di Primrose (プリムラ街)午前10時35分

「まず、奴らに先手を打つ事だ」
紫檀の脚台に萎れた両足を預けて、ほんの少しの砂糖菓子を摘んだイップ大老は、目の前の寝台で絡み合う美しい女をぼんやりと眺めた。褐色の肌の豹みたいな少女と、陶器みたいな肌の妖艶な女が、切ない声を上げて互いの蜜を啜り合って、触れ合って、美しい斑を演じてもう、既に小一時間が過ぎている。二人の肌は汗ばみ、薄っすら紅潮し、練り絹のリネンに艶かしい皺を作っていた。

そんなファンタスティックな有り様を凌駕する悩みが、イップ大老にはあったのだが、それについてはたった今、半分は結論を出している。結論も何も、先祖代々そうして来た事を、当然の如く行使するまでだ。

「邪魔な、小石は退かせば良い」 
すぐ手元のグラスベルに手を伸ばし、2度鳴らす。

「シャン・ゴウ、用意なさい。ランチに行くよ」 
緩々身を起こしたチャイナボーンの女が、軽く目礼をした。切ない蜜蜂のようにくびれた身体。細い骨格にはアンバランスな、豊かな乳房。手早く漆黒の髪を芍薬の髪留めで纏め、投げ捨てられていたローブを羽織る女に、全く、情欲の名残は無い。部屋には、力無く浅い息をして横たわる、豹のような娘のみが残った。


Citta` di Primrose (プリムラ街)午前10時53分

薔薇と蔓と金と装飾過多のその部屋で、巻き毛の伊達男は器用に老女の足の爪にペディキュアを施していた。流木みたいに軽いその脚を、膝に乗せ、囁くような誉め言葉を途切れさせず、男は手先を動かしていた。老女は、その待遇にもかかわらず、先刻から渋い表情で宙を睨んでいる。

「あの、ゴウツクの中国人め!」 
狡猾な梟のような老女、マダム・ディシラはこれまであらゆるチャンスをあらゆる画策をもって物にし、今の地位を築いた。それは、移民としてこの地に遣って来た彼女の、戦いの歴史でもある訳だが、それを今頃になって一人の中国人によって脅かされるとは、全く、良しとは出来る筈も無く。 

部屋の隅、マントルピースの横、小振りのトランクが二つ置かれている。中には、みっしりと紙幣が詰まっている。店には12時で予約を入れ、そこで、あのトランクは件の中国人に渡る、が、それで済む筈が無いという確信がマダム・ディシラにはあった。

「ならば、排除してしまおう」
今迄も、そうして来たのだし、それはそう難しい事でもない、ましてや、こちらの兵隊の方が数は多いではないか。遣ってしまえば、案外それは、容易いのかも知れない。

「あぁ、ルチア、ルチア、私はもう、うんざりしてしまうよ!」
伊達男は、片眉をすいと上げて見せ、おやまァといった微笑を浮かべる。嘆く老女はその胸に乙女の如く抱き締められ、ゆっくり痩せた背中を摩られた。骨ばった感触を掌に、男は瑪瑙のカフスを一つ、紛失したのを思い出す。 
が、所詮、男には、どうでも良い事だった。 


Citta` di Primrose (プリムラ街)午前10時25分

黒味がかったオークのドアの前、先刻から、アルマ・ルイーズは檻の中の小熊の如く、行ったり来たりを繰り返す。 只でさえ潤んだ瞳が、今は零れそうに見開かれ、寝不足と流涙のあとが、痛々しい懊悩を幼い顔に刻んでいた。 

「嘘じゃないだの、絶対だの言う男は、大抵ホラ吹きなのよ」
訳知り顔の、従姉のテルマの小憎らしい物言いを想い出す。また、それをきっぱり否定出来ない惨めさに、アルマは新たな、涙を流した。 優しくてハンサムでスラリとしていて、何時もちやほやと褒めてくれて、素敵なデートと洒落たプレゼントを用意してくれるジャイロは御伽の王子様みたいだったから、アルマは御姫様宜しく王子の愛に応えた。

ジャイロのあれが、自分のあのささやかな場所に入り込むなんて、アルマには信じ難かったのだが、ソレは案ずるまでも無く数を重ね、馴れっこになった先週には、チョコバーみたいに扱う術すら寧ろ積極的に習得した。 些か、姫君のすべき事では無いように思えたが、王子の姫たる嗜みとして、アルマはそれを行なった。 それなのに何て事だろう、今、姫の座が、自分の母親ほどの年増女に脅かされている。 

「私は、どうなってしまうの?」
捨てないで、とブロンド娘が泣き崩れる、陳腐でお馴染みのソープの場面にアルマは、自分を重ねてぞっとした。 

「そんな事、させるものですか」
逡巡した末、アルマはドアを、そっと押す。 父の書斎の、デスクの中に、目当ての物は、眠ってる。


アーサー・ホリデイ 午後12時40分

ジャイロ・カラッキは、通りに面した窓際の席で、小さな前菜のアーティーチョークとニシンを摘み、王子の笑みを駆使して、仏頂面の姫君に、美辞麗句を並べる。 しかし、効果は芳しくない。


イップ大老は、埒の明かない化かし合いに張り付いた微笑で答え、そして内心の憤りをどうしてくれようと、苛々、蟹をしゃぶった。忌々しい魔女は、如何にもな男妾を同伴し、反対隣には、飛蝗みたいな気味の悪い側近を侍らせている。 「全く、どうしてくれよう」シャン・ゴウから立ち昇る芍薬の芳香も、老人の慰めにはならなかった。


「なんて厭な、死に損ないだよ」 
マダム・ディシラはルチアが取分ける魚介を、さして美味いとも思えぬまま口に運んだ。 土産物の御面みたいな薄笑いで、目の前の男はのらりくらり話をかわす。
「土産物といえば、あの、情婦の様は、何だろうね!」 小憎らしいくらい整った小さな顔と、豪奢な中国服の下の淫らな身体で、あの中国人形は随分取り入っているのだろうと、何から何まで腹立たしかった。その、贅沢に、自分のあの金が使われるなんて、更に腹立たしかった。
「もたもたして居られるものか、先手を打つのはこっちだよ」 そう思いつつ、向うの連れの、痩せた死神みたいな陰気な男がどう出るかが気になる。腕力ではたいした事も無さそうだが、何しろ得体が知れない。
「チャンスは、タイミング」 
マダム・ディシラはこれまでの教訓を繰り返し唱えた。


憐れな、アルマ・ルイーズは、空しさと絶望を高価なワインの味よりずっと、存分に味わっていた。 
「何で、こんなに嘘を言うのだろう」
「どうして嘘を言うのが、恥ずかしくないのだろう」
目の前の王子が、貧相でぺらぺらのチラシ人形に変わってゆく様を、アルマはぼんやりと眺めた。しかし、始末が悪いのは、このチラシ人形に、未だ自分は虜だという惨めな現実である。チラシ人形が語る。
「まぁ、そう、悲しまないで、嘘じゃない、本当だから、君が一番愛しいよ、」



『馬鹿言わないで頂戴!!』
食器がぶつかる、悲劇的な音と、若い娘の怒鳴り声が店内に響いた。当の娘は、すすり泣き、馬鹿呼ばわりの相手をを睨んでる。馬鹿は、薄ら笑いをしている。その椿事は、もう一組の客にも、ちょっとした幕間を与えた。それぞれの愛人が、タイミングとばかりに、化粧室へ席を立つ。
もはや、アーサー・ホリディの店に、タイミングが満ち満ちている。



ルチアは、化粧室のドアの前、凭れるシャン・ゴウに目配せをした。

『相変わらずなのねぇ』    『えぇ、お互い様』

二人は、かつて、同じ金持ち老人に囲われていた。老人の望むままに、愛し合う真似事なども幾度となく行なった二人だが、それに関しては
『弟のを咥えてる感じね』とシャン・ゴウは言う。 尤もシャン・ゴウに弟など居ない。 
ルチアは、その行為が満更でも無かったが、ママみたいだと、うっかりシャン・ゴウに洩らし、厭というほどそこに歯を立てられる。
そもそも、シャンゴウは美しい娘を好み、ルチアは強屈な男を好む。その辺りでは気の合う二人であろう。 そして、主が男になったり女になったりしたものの、所詮、二人の生活は変わらず、金持ち老人の贅沢な玩具であった。

それは二人にとって、苦ではない職業ではあったが、この所の退屈には絶え難いものがある。 チャンスがあれば、刺激が欲しい。 そう、チャンスがあれば。



怒号と銃声が、響く。食器の破壊音と悲鳴、警告の声とまた続く銃声。 


チャンスの到来を二人は知る。
化粧室から戻る二人はが見たのは、化かし合いと混乱と無軌道なパーティの跡、床を這う血溜りと、贅沢な食事の残骸に折り重なる五組の死体。
銃を手にした赤毛の娘が幽霊の如く立ち尽くし、こちらに虚ろな目を向ける。

「ねぇ、わたし、どうしたら良いの?!」

答えを待たず、娘はこめかみに銃を放った。娘の頭が、真夏のダリアのように砕け散るのを二人は認め、そして、チャンスを受け取った。 表通りで、サイレンの音、ルチアはトランクを両手で掴み、死体を踏みつけ走るシャン・ゴウを追う。厨房を抜け、裏口を出て、路地向いに停車し今正に走り出す、112匹の鵞鳥を積んだトラックの荷台に二人は飛び込んだ。


チャンスは此処に、刺激も此処に。



Strada. Sulla strada. (市街 路上にて) 午後1時50分


シャン・ゴウは、どうにも抑え難い殺意と戦っていた。
吹き曝しの赤土の荒れ野、潅木の茂み、怠惰な蛇の腹のように伸びる国道の先、何一つ物陰は無い。殺意の矛先たる巻き毛は、おどおどした子供の眼で、ちらちら此方を伺っているが、流石にこの状況で尚も、おべんちゃらを使う勇気は無いらしい。 


市街一時間を過ぎたとき、ルチアは、吐き気を訴えた。
確かに猛暑と鵞鳥の群れとで、胸糞の悪い旅路ではある。しかし、油断の無さには変わりない。なのに、この間抜けは今、この荷台から阿呆のように頭を突き出し、嘔吐したいと言い張っている。飲み込め、我慢しろ、とシャン・ゴウの叱責は続き、ルチアは蝋のように白くなり、ついに制止を試みるシャン・ゴウを引き摺り、荷台から頭を突き出した。 途端に、トラックは急停車する。


弾みで二人は路上にもんどりうち、ルチアは弱ったその身にシャン・ゴウと、抜かりなく掴んだ二つのトランクの墜落を受け、盛大に嘔吐した。鼻を突く刺激臭。生暖かいそれは烏賊だの蛸だのトマトだの、墜落時に外れたか、芍薬の花飾りがそこに惨めに埋もれてる。その向こう、トラックの四つのタイヤの向うに、湯気をたて赤土に吸い込まれる、運転手の小便を見た。そして、二つの汚物と二人を残し、トラックは走り出す。シャン・ゴウは蹲る巻き毛を掴み、こんもりした吐瀉の上に叩きつけた。

小さく唸り、二度目の嘔吐をルチアは放つ。




熱風と、砂埃。地平線まで、何一つ動かず。隣には上等のハンカチで顔を拭って、妙にすっきりしたルチアが上目でこちらを見て立っている。そのかたち良い鼻を捻り上げたい衝動を抑え、シャン・ゴウは黒いストールを頭に巻き付けた。




やがて、遥か向うに点。 


やがて、それは、水色。












July 19, 2002