Verso il gladiolo**La passeggiata del cowboy imbrogio
    
               〜  グラジオラスに向かって ** いかさまカウボーイのドライブ 




         #1.Un dolciumi col bastone.  棒付きキャンディー



レスカ・フェルナンドは、意気揚揚と水色のコンバーティブルを、西へ向かって走らせていた。 12も年下のアイスクリーム屋の伊達男と、伯母が駆け落ちしたのは2年前だが、未練たっぷりに酒浸る当の伯父は先月風呂場で溺死した。


『酔っ払って、「愛しのアイリス」でも歌って寝ちまったんだろうよ』

二日半、じっくり煮込まれた伯父は、二人の甥にタモ網で掬われ、以来、夕飯にポトフは見ない。 掬い損ねた伯父は、今頃下水の鼠を太らせている事だろう。そして、伯父の悲劇を待ち構えていたように、駆け落ちしたアイリス伯母が、愛人と泥酔した挙句運河に落ちて死んだとの情報を、二週間前の昼下がり、テラスで一杯飲んでいたフェルナンドは、青臭いにきび面の新米警官から伝え聞く。


『最後ばかりは、似合いの夫婦だったな』

あとは、好都合の連続であった。 
吝嗇家の伯父は、鹿肉の如く死んで旨みを遺して行った。
丘の外れまで続く農場を売り捌き、主すら忘れていた金貨を銀行から開放し、それぞれが有り難く受け取って、伯父は死して初めて身内で最も感謝された男となった。 
かくして、レスカ・フェルナンドはピカピカのコンバーティブルを走らせ、上等の襟飾りを買いに行く。 隣町のその店へ、女房の為に、フェルナンドはかれこれ1時間はこの荒地を走っている。 どこまでも、赤茶けて、惨めな潅木の茂みと、死にかけのハイエナしか居ないこの景色は、素敵なドライブには似つかわしくないが。 
舌打ちをした矢先、遥か前方の路肩に、人影を見た。 
人影は二つ。


『あぁ、停まって頂けて有り難い。どうなる事かと思っていましたから。』

滑り落ちた窓の向こう、男が愛嬌のある笑顔で言った。 
耳障りの良い柔らかな声、さぞや歯の浮く言葉が似合うだろう。しなやかな長身に、パンと払ったら終いだと思わせる小さな頭。 薄茶の巻き毛に、零れ落ちそうな蒼い物憂い眼。 翳した手は、男にしちゃ繊細だ。 娘らが、しきりに騒いでいる、件の映画俳優に、似ていなくも無いが、最もああした連中は、どれも似たように小奇麗なもんだ。 考えつつ、見遣ると男の横には黒いショールを被った女。 男は続ける。


『友達の車で来たのですけれど、トラブルがありまして、
                          それで、此処で降ろして貰ったのです。』

そりゃ、随分気の利かない友達だ、とフェルナンドは思う。 

「こんな所、日に数台しか車は通りゃしない。 
                  俺に逢わなきゃ、あんたらは此処で神様に会うだろうよ。」


フェルナンドは、顎をしゃくり、男は小さな旅行鞄を二つ、そして連れの女を伴い後部座席に落ち着いた。
「あぁ、見ろよ、こりゃ驚いた!」 
黒いショールを跳ね除けた女に、フェルナンドは驚嘆する。
「こりゃ、極上の中国人形じゃあないか。」
漆黒の髪を緩く束ね、弓なりの蛾眉の下で、夜の水底のように切れ長の目が瞬く。 
チャイナボーンの小作りな顔。そこだけ艶かしく赤い唇が、ついと開く。 


『助かりました、親切な方。』

訛りの無い、やや低い声。伏せた目元に、長い睫毛が淫蕩な影を落とす。フェルナンドの背骨がぞくりとした。慌てて視線を下に向けて気付くのは男も女も、薄い風除けコートの下は、正装といって良い出で立ちで、フェルナンドは、格好の話題とばかりに、その事を問う。


『結婚式を挙げたばかりのその足なのです』

男が応えた。 結婚のパーテイを先刻終えたばかりであり、新婚旅行がてら、遠方の伯母を訪ねるのだと言う。

「この色男は、この別嬪を女房にしたかね?」
フェルナンドは、少々がっかりした気持ちにはなったが、すっかりくつろいでいる男に、どこまで行くつもりかと問うた。


『グラジオラスまで』

女が、ミラー越しに、微笑む。 
「なんて、笑い方だろう!女房のタルラみたいな日向臭い笑いじゃぁないし、マシュウの所の女みたいな下品な笑いでもない、なのに、ありゃ、男を手玉に獲る笑いだ!」 
フェルナンドはミラーに映る女から目が離せなくなった。 女を眺めつつ、グラジオラスまでは町を七つ越えなきゃならないし、自分は隣町までしか乗せられない旨を、フェルナンドはやや上擦った声で話した。 男はそれで一向に構わないと言い、女は例の魅惑的な声で、それは、運転するフェルナンドの首筋を擽るような按配で、 助かるわ 、と囁いた。 


女は、男に軽くしな垂れて、赤みの無い頬には疲労の色が出ていたが、ちらちらミラーを盗み見るフェルナンドには、尽く、思わせぶりな笑みを返してきた。 あからさまでは無いが、酷く意味有り気なそれは、フェルナンドの心臓を跳ね上げ、あちらこちらを火照らせる。 そんな女の媚態を知らずか、男はぼんやりと窓の景色を眺めている。 
「おいおい、色男、この女房は、お前じゃ梃子摺るだろうよ」 
フェルナンドは心の中そう呟く。


タルラは、 かつて悪戯な妖精のようだと思った女房のタルラは、ここ数年で二倍に膨らんだ。 そう云う家系なのだと、タルラは言うが、フェルナンド自身は一ポンドも変わらず、禿もせず、まぁそこそことの自信もあった。
「俺だって、まだ、充分、この女と遣れる」 
マシュウの店での武勇談を思い出し、フェルナンドは、
「この女を連れて逃げるってのはどうか」  などと、幸せな想像を巡らせた。 


やがて、ウェルカムのアーチが見え、車は町へと滑り込む。 
バザールの喧騒も近づくその路肩に、フェルナンドは車を停めた。そして、ここで降りるよう声を掛けたその時、女の腕がするりと首に巻きついた。 思いのほかヒンヤリした、白い腕。ミラーには水底の微笑。


『感謝しているわ、優しいあなた。』

耳元に囁かれ、耳朶にぴりりと歯の感触を感じ、背筋を震わせたフェルナンドのシャツが、あっという間に捲り上げられ、頭の真上で腕ごと一纏めに括られる。わき腹を滑る指に小さな悲鳴をあげた。


『本当に感謝しているの』
『不躾を、お許し下さいますね』

途端に、フェルナンドは再び声を上げる。 
スラックスのベルトが外され、小さな音を立ててファスナーが降り、取り出されたそれに細い指が巻きついた。巻きついた感触をフェルナンドが察知するより早く、それは暖かい湿り気に包まれる。

生暖かい泡に翻弄される、淵の際の水藻草。
砂埃とバザールの、客寄せラッパと、水蜜売りの諳んじる嘆願。

もはやフェルナンドは声も発せず、恐怖と快楽と、その狭間で、こんなのはマシュウの所の女でも遣れやしない、と思った。 臆病な子蜘蛛のように、背に、腹に、胸に、密やかで忙しない愛撫が施されて行く。むず痒いような興奮に息を詰め、あの女がこうしてるのかと思うと、悪くないとすら思うその時、女が言う。


『さあ、好い加減にして頂戴』

確かに女の声がした、が、フェルナンドのそれはまだ翻弄されている。フェルナンドの快楽が、引き潮のように遠のいて行く。


『続きは、どっかで拾って頂戴』

そして、可愛らしい子猫のような淫靡な破水音と共に、揺れるそれを、ひやりと空気が撫ぜた。   ベルベットのテノールが囁く。


『名残惜しいけれど、御元気で、セニョール』


ドアが開けられたのを、風と音の流れで感じた。
フェルナンドは、放り出され、剥き出しの尻と背に、路上の焼け付く熱さを知り、慌てて芋虫のように身を起こす。 背後で車の走り出す音がして、あっという間に遠ざかる。

ノスタルジックな排気臭。 
甘ったるい香料、小麦と糖蜜の焦げる香りと、乳児のぐずる声。 

それはすぐそこで、あまりに遠い。 両腕が使えず、前も見えず、ずり下がるスラックスが腿の辺りでひっかかるので、フェルナンドはヨチヨチと粗相をした子供のように歩を進める。 雑多とした喧騒は間近だが、地鳴りのように、頭蓋の内を忌々しい羽虫が充たしている。



『おい! 誰か! 誰か! 盗人だ! おい! 悪党め!』



奇怪な棒キャンディーのような男の行進を、バザールの客達は、遠巻きに眺め、笑った。 
尻と腹を泥だらけにし、ぬらぬら濡れて光る逸物をぶら下げて、奇妙な男が喚いて歩く。



牧師の妻、厳格で知られるマダム・ファシオが、象牙細工の杖でそれを打ち、激しく叱責するその時まで、レスカ・フェルナンドの行進は続くのだった。








『この、恥知らず!』











July 18, 2002