sacrifice
《一日目》
その熱帯雨は、4日と半日続いた。
体液のような生暖かい雨が、風に乗り、何処より、未知の何某をゴーイングメリィに運ぶ。 カゲロウの透けた羽を持つ鼠に似た動物の屍骸。 極彩色の巨大な金魚。 トパーズの輝きは拳骨ほどの果実。 口を開き、朽ちる果実の爛れた深紅の果肉は蕩け、腐肉に良く似た悪臭を放つ。
『なぁ、アンナンはやっぱ、喰ったらマジィんだろうなぁ!!』
『喰うとか思うのは、てめぇだけだと思うがな・・・・』
『あぁあああぁ!! お化け金魚があんなトコに穴開けやがったようッ!! また修理かようッ!! 』
『参ったわねぇ、マストも随分痛んできている・・・コレが通過したら、とりあえずどっかの島で、修理停泊をしないと不味いかも知れないわ。』
『ナイス提案! そうなんですよナミさん! 食料もここらで補充しねぇと、余裕は見てありますがこの熱気で・・・。 野菜や果実の類が予想外に痛んじまって、正直、ちょっと心細い感じで、』
『オ、オレ、あれに似たの見た事あるぞ・・・カゲロウの羽で交尾の相手を探すんだよ、あれ、浮遊鼠に似ている。』
『浮遊鼠? ・・・・・・ そうね、アレは確かにそうだわ。 でも、アレが生息するのはココよりかなり北。 まして、こんな熱風に運ばれる位置じゃない筈よ・・・・・・。』
暴力的な突風は肌を焦がす熱さで、船は滅多無い見張り無しの航海を余儀なくされた。 不安と、焦燥と、無責任な未来への不謹慎な高揚を乗せて、船は異界の海を行く。 ログホースは気紛れにクルクルと回転し、目隠しの航行は幻想の嵐の中。
そして五日目の朝、コックはヒタヒタした静寂に目を覚ます。
朝は、異常な静けさに包まれていた。
丸窓から覗く海は、鱗のように輝き、無風に近い空には力無い朝日。 雨は細く真っ直ぐに、音も無く世界を濡らす。 キッチンへ足を運べば、そこには先客が居た。 美しい学者は、幾分まなじりに疲労を残し、読み止しの分厚い書籍から目を上げる。
『風は止んだようね、徐々に気温も下がって来ている。』
『なにか、作りましょうか? パンが焼けるには、まだ少しかかるんですよ。』
『いいえ、飲み物だけで結構よ、有り難う。』
香ばしいパンの匂いに混じり、閉め切った戸の向こう、微かな腐臭が空気に漂う。
甲板に散乱する夥しい数の、嵐の置き土産。
『あぁ、クソッ、嵐の野郎、得体の知れねぇもんばっか残して行きやがったぜ。』
『そう、得体が知れないのよ。 運ばれてきたのは、場所も気候も全く共通項の無いものばかり。 しかも、見て、みんな内側がぐずぐず腐敗している。 外側だけなら、全く傷一つ無い物ばかりなのに、どうして?・・・・・・。 何があの嵐の中起こっていたのかしら? わからないわ。 似たような事例を探しているのだけど、ここにある文献じゃぁ充分ではなくて・・・・・・』
『てこたぁ、あの雨も、侮れない曲者かも知れねぇんだな。』
『えぇ。 だから、まだ外には出ないほうが良いわ。 そうね、せめて雨が止むまで、後片づけは様子を見て。』
まもなくして、一同は遅い朝食を摂った。 徐々に下がる気温は、ポタージュを啜る指先をかじかませるほどになっていた。
『なぁなぁ、コンだとよぉ、雪なんて降るんじゃねぇの!?』
船長は、無邪気に嬉々として航海士に問う。
不可思議を見てやろう触れてやろうと落ち着かない船長は、朝から幾度も甲板に飛び出し、その度、剣士に引き戻され航海士にたしなめられていた。 抑えの利かぬ好奇心は、危機の可能性よりも未知に魅力を感じる。 そんな無邪気さゆえの危うさを、航海士は時に疎ましく思った。 無心であるゆえの強さが本質ならば、なにか大きな一つに囚われたそれは、どんな崩れを起こすのだろう。 そして、きっと、ソコに自分は存在しない。
瞬間ゾッとした想像は曖昧なカタチであったが、それを睡眠不足の弱音と消し去り、いつもの屹然とした口調で航海士は説明をする。
『このまま気温はまだ下がるでしょうね。 雪だって降るかも知れないし、降ったら雪遊びどころじゃないかも知れないわ。 多分、ここは、ノースランドに近い海域。 だとすれば三日以内の北西の方向に、島が一つ在る筈なんだけど。』
質素だが、手の込んだ料理を振舞うコックは、貯蔵庫の心許無さを思い溜息を吐く。 三日なら大丈夫、しかしそれ以上だとどうしたら良い? 8日、そう、どうしたって8日より長くここはもたない。 食いモノが無くなる? その可能性は、背筋を凍らすものだった。 それだけは、ココで在ってはならない可能性だった。
同じく浮かない表情の狙撃手が、荒れ果てた船上を眺めつ口を開く。
『あのよぉ、とりあえず船の修理したいんだけど、出来れば風の無いうちに、傾いだマストと帆の修繕をしておきたいんだけど・・・・・・お前ら、手伝ってくれるよなぁ・・・なぁ? だってコエェよ、あれ見たかよ、なんかキミわりぃモンばっか飛ばされてきて、ヘンな匂いもするし、うわぁ〜〜。』
『雨が上がったら皆でやりましょう、でも、素手や素足で触れるのは避けた方が良いわね。』
『うん、あの腐敗の仕方はなんか気になるよね・・・・・・。』
小さな船医は、いつになく厳しい表情で、異変についての議論を学者と交わす。
剣士は、ただ、目を伏せ何か考え込んでいる。
或いは何も考えてはいない。
そして船は、雑多とした漂着物を乗せて雨上がりを待つ。
ぼんやりした光の中、異形で埋め尽くされた甲板は、醜悪で、そして何故だか美しかった。
見えざる物の不吉さは、もしかすると平等で美しいのかも知れなかった。
つづく
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