目の前の男が何を考えているのか知らない 
 
        


  2・


『次はどこの街に行こうか』
 これはココヤシ村を出てから、彼がアタシに言った言葉だ。


 何かに悩むと決まってこのミカン畑を背に海を眺めた。波は白い飛沫を上げ雲は風に流されアタシは完全に空白となる。
 『何か』はいつも漠然とした不安で具体的な事象ではなかったから大抵日が沈む頃には強い気持ちで仲間と向き合えたが、曖昧模糊な『何か』が消え失せることはなかった。

 仲間。こんなアタシが『仲間』だなんて。全く、笑い話にもなりゃしない。アタシという人間は、いつからそんな言葉を恥ずかしげもなく口にすることができるようになった?いつからそんなものを守ろうと思うようになった?いつからそんな弱い人間になった?問いかけはいつも笑い声を上げるアタシの耳の後ろから聞こえた。その度、一緒に笑っていた仲間一人一人を殴りたい衝動に駆られ、しかし実行されることなく、結果衝動はいつも胸に澱となって蓄積していった。それを何度か繰り返し、何もかもが悲しくなり泣きたくなり逃げたしたくなり死にたくなった。

 かつては『死ぬということ』に何の激情も感慨も抱かなかったアタシは、今となってはそれが酷く恐ろしいものに思えて仕方がない。同時に『生きるということ』にみっともないほど執着していることもわかっている。そしてアタシは恐怖、嫌悪、畏怖、忌避すべき対象である死に能動的に動こうとしている。

 手をかける、柵に。
 上を見る。強い光が網膜を焼く。
 下を見る。船が広大なうねりを白い飛沫とともに切り裂く。
 柵を越えた足はなぜか震える。恐いのか?そんな馬鹿なことがあるものか。かつてアタシは一人で海を渡り荒くれた男共から金品を奪った海賊よりも性質の悪い女で、強い女だったのだから。

 跳べ!跳べ!跳べ!
 耳の後ろの声が叫ぶ。
 跳べ跳んで何もかもから逃げ出せ過去を今をそして未来すべてを投げ打って確信を迫る人間が誰もいやしない海の底でゆらゆら漂いながら自分が本当に大切なものが何か(あるいは誰か)を考えろと。

「こんなところで何やってンだ」
 耳の後ろで絶叫を続ける耳障りな声に代わって聞こえたのは、耳に吸い付くようなそれでいてすぐ忘れてしまいそうな声。アタシがすごく泣きたくなる声だ。その声でアタシをあの島から解放したのだ。この手が―――アタシの手首を強く握る手が、雁字搦めだったアーロンとノジコとアタシの関係をぶち壊したのだ。

「…離してよ」
「やだよ。そしたらナミお前海に飛び込むつもりだろ?そんなことされたら俺、泳げねぇし。助けられねぇよ」
「別にほっといてくれていいよ」
「そしたらゾロかサンジ呼ぶしかねンだぞ。嫌なんだろ?アイツらに貸しつくンの。プライド高ェもンな、お前」
「やめて。何でも知ったような口利くの。アタシの何を知ってるって言うの?何もわかっちゃいないよ、最初っからずっと」
「わかってるよちゃんと」
「わかってない」
「それもわかってる」
「ふざけないで」
「ふざけてない」
「じゃあ何をわかってるか言ってみて」
「じゃあ何をわかってほしいか言ってみろ」
「ずるい」
「ずるくねぇ」
「もういい」
「そうか、じゃ教えてやるよ」

 そう言ってアタシの背中を押した。

 胃が迫り上がる感覚は一瞬で、頭のおかしい男によって投げ出された身体はすぐにまた同じ男によって掴まれた。

 結局ゆらゆら漂いながら自分が本当に大切なものが何か(あるいは誰か)を考えたのは海の底なんかではなく、伸びたゴムの腕に手首を掴まれた、海面に一番近い場所だった。
 アタシを突き落とし、引き上げた男は笑っていた。

「な?死にたくないって思っただろ?助けて、って思ったとき、ちゃんと助けられただろ?」
「………最低ェ」
「これからもちゃんと助けが欲しいとき側にいるし。こんなとこにいつまでも居ねぇで次の街探すぞ。行こう」

 頭のおかしい男、ルフィーは背を向けて仲間が揃うキッチンへと向かった。
 アタシはそして、彼の後ろをついていった。
 彼はやはりアタシのことを何もわかっちゃいない。アタシは本当はココヤシ村が大好きだったことやアーロンやノジコをやはりどうしようもなく愛していたこと、それから昔誰にでも股を開いたことを物凄く後悔していることや今セックスすることが恐くて仕方ないということ。

 彼はアタシのことを何もわかっちゃいないが、それでも彼の方向性は間違ってはいない。
 なぜなら彼は彼の預かり知らぬところでアタシを確実に導いているのだから。

 一瞬の墜落―――死への移動の中、思い浮かべたのは、アーロンでもノジコでもベルメールでもなく、まぎれもなく強い目をした彼だった。

 西日に染まるルフィーの手を握り、アタシはシチューの匂いに包まれたキッチンを目指した。 






2003年6月28日●●○終

           『ワンピースパロ 蜜柑の木・西日が目に沁みる午後・ルナミベース』
  
    

> ちなみにアーロン氏は『スッゲ半端なくかっこいい鬼畜な男性』として書いたの。
  だからそのつもりで読んでほスィ。

・・・・・・ とのこと。 DEEPな内容の筈だが、予想外に甘酸っぱい。 
     素敵だよ、えぬし様アリガトウ。