目の前の男が何を考えているのか知らない 
 
        


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かつてアタシは一人で海を渡り荒くれた男共から金品を奪った。

 最初の目的は、奪われた、本来人が持つべきである自由と権利を取り返すためであったのだが、男の口に舌を突っ込みその隙に懐をまさぐっていた時や汚らしく伸び切った爪を持つ男の指がアタシの太腿を撫で下着の上から膣を擦っていた時などは別に大儀を思ってやっていたわけでもやらせていたわけでもなくただ金を盗るタイミングのみに神経を注いでいたというのがホントのところだ。それに関してアタシは別に自分を汚い人間だとか思ったことはなく、むしろ大儀の為の略奪行為は許されると本気で思っている人間こそ汚いと思うし何より薄気味悪くて仕方ない。

 それは自分が正しいと思っていればいるだけ、その正義を貫こうとすればするだけ視界が狭くなるもので、相反する事象に目を向けるどころか殺意にも似た怒りをぶつけることでしか外の世界と接することができなくなり、人間不信、対人関係の崩壊ひいては自己の崩壊をも招くことになるのだ。正義と悪(もうこの言葉自体が気持ち悪い)を併せ持つことが、破裂寸前の感情に風穴を開ける(つまり広い視野を手に入れ自己と非自己を隔離する)ことになるのだ。


 そもそもアタシは一人で生きていくことに何ら不安などなかったし、むしろ他人に依存して生きることに怒りにも似た嫌悪を持っていたわけだから奪われた自分の自由や権利をそのままになお搾取され続ける村の人間に侮蔑にも似た苛立ちを感じていたのだ。だから金を手にした時は村の人間の顔など一度も浮かんだことはないしむしろ下半身のだるさが嫌で仕様がなかった。

 何のために金を集めていたか、今となってはアタシ自身もわからない。ただアタシは金で村を買った後の生活は今よりはずっとマシになるだろうという漠然とした思いから続けた行動だったように思う。全くの他人である一人の女と同じ膣を通ってきた姉妹のように生きるという羊水のような生ぬるい環境に身を置くことが、なんだかとても素晴らしいことのように思えたのだ。



 ノジコという女は、全くアタシの姉に相応しかった。搾取され続ける日常の中、他の人間はわずかな希望を胸に隠し持っていたというのに彼女はまるで希望というものを持っていなかった。かといって絶望に沈んでいたわけでもない。彼女はただ能動的に流れていただけなのだ。だから魚人に対してこれといった反抗もしなかったし、村人とともに被害者としての連帯感を持とうともしなかった。彼女はただ一人、奪う側と奪われる側を客観的に見ることができる人間だった。それゆえノジコはアタシの欺瞞(奪われたものを奪うために奪っていたこと)を見破っていたし、しかしだからといって咎めたり嘆いたりはしなかった。ノジコはただ強かに流されていたのだ。

 アタシは確かにノジコを愛していたと思う。(アタシは普段『愛する』という言葉を薄気味悪いと思っている) アタシとノジコの距離(精神的意味)は、ノジコがアタシを拒否しない限りはいつだって一定だった。近寄れば離れれ、離れれば留まる。そうしてアタシが射程距離に帰ってくるのを待っているのだ。自発的行動の権利をアタシは持ってはいたが、アタシはいつだってノジコの精神的奴隷だった。優位に立っていたのはいつだってノジコだ。その度にアタシは「いつかこの女を縊り殺してやろう」と思うわけだが、絶対にそうしないことを知っている。ノジコよりも優位に立つことを望んでいながら、しかしもしそれが叶ってしまったら、アタシは間違いなくノジコの膣に指を突っ込み舌で舐り、果ては情けなく泣いてしまうだろうから。

 だからアタシは下半身のみを露出した男の上に跨りながらはいつとも知れない逆転の瞬間を恐れ待ち侘び快楽に声をあげて笑うのだ。


 そもそもアタシにとって重要な人間は2人しかいなかった。2人いれば十分だったのだ。幼い頃はノジコともう一人、ベルメールという女性がいた。アタシは確かに彼女に依存していた。彼女なしには生きられないくらい愛していたのだ。だから彼女という存在が消えた時はもうダメだと思ったし生きていく気力もなかったしならいっそこのまま後を追って死んでみようかとナイフを手に取ったわけだが結局死んだり若しくはそれに順ずる行為というものをアタシは一切しなかった。特に理由はない。拍動する心臓を自ずから止めることに躍起になるのも生命を持続させることに必死になるのもやめただけだ。アタシはもう何ものにも囚われない。もう何かに依存するのはやめたのだ。

 そして今もアタシにとって意味の在る人間は2人しかいない。ノジコともう一人、アーロンという名の男だ。ベルメールの命を奪った男だった。


 支配するため奪う男。能動的に流れる女。欺瞞を続ける自分。

 アタシ達は交わることも無くだからといって平行を辿るわけでもないねじれた関係で同じ世界を共有していた。そう、アタシ達は表面上は密接に繋がっているようでその実まるで無関係だった。本質的な部分においてお互い何の影響も及ぼさない(つまり依存とはかけはなれた)関係を、アタシはベルメールという女性を失ってから今までずっと、続けてきたのだ。

 だが綻びと言えるほど大袈裟ではないにしろ何かしらの確執が生まれ始めたのは確かだ。

 いつからか、アタシがノジコの視線に苛つき始めてから。

 いつからか、ノジコがアーロンの上で人形のように揺さ振られているアタシと目が合ってから。

 いつからか、アーロンがアタシの膣の中で射精した後生殖器官を出すことなくしかも後ろから抱きしめたまま眠るようになってから。


 ねじれた関係を誰かが作為的に交じらわせようとしているのは明白だった。どちらか一方が或いは二人両方が『変化』を望んでいたのかもしれない若しくは終焉を望んでいたのか。どちらにしろそれらはアタシにとって不快でしょうがなかった。

 変化は日を追うごとに侵食してった。

 ノジコのアタシを見る目が情欲に狂った女のソレに変わっていたし、アーロンはアタシが他の男と寝るのを偏執な凶暴さを持って阻止した。

 ルフィーという名の少年に出会ったのはアタシがこの関係に居心地の悪さを感じていた、まさにそんな時だった。


 ルフィーにはアタシがカモにしてきた愚かな男らの饐えたニオイも、アーロンのような歳を重ねた男特有のニオイも、その他どんなニオイもしなかった。いや違う。ルフィーはアタシに触れるどころか近づきさえしなかったのでアタシは彼のニオイや体温その他一切の情報を手に入れることができなかったのだ。だからといってどうということもないが、ただ彼の目が忘れられなかった。強く突き刺す視線はそのままアタシを殺してしまうような殺されるのも悪くないと思わせるような威力が在った。

 その日からアタシは想像する。
 ルフィーとセックスする自分を。

 乱暴に扱ったかと思うと次は気味が悪いくらい優しく触れるアーロンの指を口に含みながらルフィーの声や肌や体温を、そしてあの強い目で見られる不安と快感を思った。そうすることでかつてないほどの恍惚を味わった。アタシは深く深く感じ入り、アーロンもまた強く奥底まで貫いた。そしてノジコは快楽に溺れる2つの声を絶望の耳で聞いていたのだ。
 
 アタシ達はもうダメになっていた。
 絡まった糸はもうほどけないのだ。