洗濯物日和 1.


               さようなら、さようなら、さようなら
               こんなに素敵な青空なのに、ほんのりと、淋しい。


                                      * *


 「よ! オハヨウさん、」


斜めに傾いだ卓袱台、正座で日焼けでランニングのマルサメは、ナチュラルにマッチョなオカマみたいだった。 

そしてそのすぐ後ろ、への字の唇の端に火の無い煙草を気だるそうに咥えるヒグラシときたら、

 「・・・どうでもいんだけど、冷蔵庫ン中アイスとビールとシーブリーズしか入ってねぇッてのはオトナ失格なんじゃねぇの?」

ッて言うかソレ、その状態にしたのはおまえだろうと。


夕辺、出勤前の貴重な時間を割き心優しい俺は、半病人ヒグラシに冷蔵庫内最後の生き残りだったハムと卵を大盤振る舞いで投入して焼き飯を作ってやった。 なのにこの恩知らずときたら人が好意で作ったそれを ナニこれオジヤ? だの 油ギッシュだの、不味いだの。 斯くも感謝の無い男=ヒグラシは奇天烈に跳ね上がる猫ッ毛を揺らし、流しに寄り掛かり、 


 「なァ、ボォッとしてねぇで上がれよ」

居候の癖に偉そうに言うのだ。

言われなくても入る。 入る権利がある、ここは俺んちだ、家賃3万6千円築11年の微妙なボロアパートは二年前の四月から苦楽を共にした俺の家なのだ。 が、躊躇う俺がココにいる。 肩幅+α に開いたドア。 扉の向こうは不機嫌なチンピラと御機嫌なマッチョ、捩れて丸まったフロアラグ、転げたゴミ箱は卓袱台の斜め下、無鉄砲に散乱するその中身、中折れの空き缶だとか弁当ガラだとか、要するに切羽詰ったヤクザ三人がガサ入れした直後といったような衝撃アフタ〜な惨状。

真面目な俺がファミレスの夜勤から戻ればこの有り様。 たった一晩のカタストロフィー、さながら悪夢のようだと玄関先に立ち尽くす俺。 そんな悪夢を絞り出した二人はといえば仕事帰りの家主にオツカレサマの労いもせず、荒らしてゴメンね〜の謝罪もせず、一人はなにやら傷だらけの癖に阿呆のようにニヤけ、一人はおおよそ不味そうにタバコを咥え、舌打ちするチンピラの骨骨しい指は、ポケットの中の小銭を苛々した様子でジャリジャリ落ち着き無く数える。 

財布を持たないのはヒグラシの癖。 指先だけで小銭を勘定出来るのはヒグラシの特技。 そしてニヤつくそこのマッチョはヒグラシのタマニキズで、付き合い出して8ヶ月チョイ、ここ13日間行方不明だったヒグラシの恋人なのであった。


     * * 恋人  →  恋しく思う人。 相思の間柄にある、相手方。


 「テヘヘ、俺達の門出を一緒に祝ってくれって、な?」

愛と勇気と無鉄砲さでこの度何やら勝ち取ったらしい、勝者マルサメは俺ンちのビールを勝手にカシュッとして我が世の春を満喫中。 そうして俺は居心地悪い我が家を恐る恐る見回し、その再奥、コレだけは見なきゃ良かったと後悔先に立たずなMY布団に遭遇。

     丸まってるよ、クシャクシャだよ、なんか湿ってるような、捩れてるような、勘弁してくれよ、激しく使用後だよッ!

そっぽを向くヒグラシの横顔を、斜め下からウットリ眺める馬鹿面のマルサメ。


       《意訳》   ・・・     ボクら、仲直りエッチなんてのヤッちゃいました☆


     ウワァ〜〜〜〜〜〜〜ッッ!!



                                      * *



         かのように恋する二人は元々、ジャンル別な俺の友達だった。 


予備校時代同じクラスでつるんでいたヒグラシと、警備のバイトで暫くコンビを組んでいたマルサメ。 およそ接点の無い二人を結びつけたのは他でもない俺自身であり、それは未だに後悔すべき事なのかイヤァ俺って恋のキュービッドですかァと照れて見せるべきなのか大いに迷うところである。

そもそも二人が顔を合わせたのは俺主催(頭数の足りない)ゼミのコンパ前日、もうこの際何でもイイヤと馬鹿だけど男前なマルサメとチンピラだけど如才ないヒグラシに召集をかけたとかそんなんで、欲望渦巻く一次会の居酒屋、マルサメの狙っていた仏文科の女をヒグラシがスルリと掻っ攫い、腹を立てたマルサメはスペシャルブレンドなサワーを 「ボンソワ〜ル」 とか言ってるヒグラシにまめまめしく勧め、勧め、勧め。 結果、小一時間もしない内に見事べろべろになったヒグラシだったが、それでマルサメにラッキィが訪れたかと云うと来たはキタがそりゃないだろう的な方向で遣って来て、それ、即ち全ての始まり。 


酔いの臨界を越えたヒグラシはめくるめく泣き上戸・怒鳴り上戸・甘え上戸に豹変。 それら大技は、飲ませる必然により真隣りにポジションを取ったマルサメをターゲットに惜しみなく発揮。 俺らが店で最後に見たのは泣きじゃくるヒグラシが、マルサメをポカスカ殴りながら無理やり野菜スティックを喰わせているところだったが。 無論、目的意識のある俺らはそんなファンキ―な奴等に構わずツメの二次会、カラオケBOXへと向かい、輸入雑貨屋の店員だとかいう女と振り付きでモー娘を歌いながら、そういやアイツらどうしたかなとチラリ過ぎる友情の欠片も有るには在り、けども、まさかソッチ方面で意気投合していたとは夢にも思わぬ展開で。


朝起きたら全裸だったらしい。 

ヒグラシはチョッと潔癖入った綺麗好きだったが、そのアイデンティティが崩壊を来たす程の汚らしい部屋で、全裸で、物凄いマッチョに抱き締められている自分と云うのが、その日のお目覚め最初の光景だったという。 真っ白になるヒグラシを余所に、抱き締めた旋毛を抱え込んで幸せそうにスリスリ頬擦りをするマッチョ(全裸)−−− の瞬間、フラッシュを焚くように甦るあられもない赤裸々な記憶。

逞しい背中におぶさり石頭を愉しく殴打しながら三回ほど盛大に吐いた自分、担ぎ込まれた部屋で服を脱がせろ! 風呂に入れろ! シャンプーは優しく二度洗いしやがれ! リンスは少な目で四回すすげ! 風呂上りの水はミネラルウォーターしか飲まねェんだよ俺は! ・・・ていうか動けない、やって・・・・・・・・  と、まるでダダッ子王様だった自分。 

がしかし、その後がどうにも思い出せなかった、思い出せない、思い出せないよ何したかな昨夜の自分。 

戦慄。

王様だった自分が何故、今は仔猫ちゃんになっているのか? 
そしてこの男、このマッチョ、薄っすら見覚えが在るような無いようなコイツッて誰? 
幸いケツに異常はないようだが、だが万が一このマッチョが脅威のテクニシャンだったらどうよ? 


スペクタクルな想像に胃液がせり上り、這い出そうとしたヒグラシをむにゃむにゃと羽交い絞めする丸太のような腕、押し付けられた腰骨に触れてるというか乗っかってる、硬くて熱ッつい感触がピクンッて。 

      ・・・ あぁ、神様ッ ・・・・!!


神頼みなんかしたのは、試験終了間際マークシートに空欄が一つ余った事に気付いた大学受験以来だったと、後にヒグラシは語ったが。 恐る恐る覗き込んだ推定半年干してない布団の中、ムゥンとした暗がりに聳え立つデンジャラスな巨砲。 ヒィッと声無き悲鳴を上げ渾身の一撃を食らわせた鳩尾、ぐはぁっと転がり卓袱台下でカッと目を見開いたマッチョはドカッと卓袱台ごと跳ね起き、図らずも横座りで後退るヒグラシの前に正座をして、

 「ホッ、惚れてしまいましたッ、付き合って下さいッ!!」

爆弾発言をした。

まァ、そこまでなら後々笑えるアンビリバボ体験として やぁ〜アン時ゃビビッたね! なんて身振り手振りで 『オイオイこの男殺しめ!』 と場を湧かし、老若男女を猛烈に盛り上げる実に美味しい飲み会での格好なネタ話となったのだろうが、しかし話はそういう無難さでは収まらず。 

幸いにして、守られていたらしいヒグラシの貞操。 だが、不本意ながらマッチョの据え膳、煩悩の源と化したヒグラシにとって、それは実に危機一髪な一夜ではあり。 男はイライラがムカムカになりヤレヤレからムラムラになる 『ココロの不思議と神秘』 を一晩で嫌というほど体験し、眺めて抜くだけならイイか? そっと触るだけならイイか? あーもー添い寝くらいはイイか?! と三段跳びで今朝のポジションを確保。 

衝撃の事実に声も出ないヒグラシを、マッチョは愛しそうに眺め

 「こんなに、人を好きなった事はない・・・」

背筋の凍るような台詞を微笑みと共に披露。


そんな直球男は至って前向きで、自分の欲望・願望を微塵も隠そうとはしなかった。 

 惚れた、好きだ、好きになってくれ、愛してる、命がけで幸せにするからギュウってシてもイイか? 
 匂い嗅いでもイイか? あ、手始めにホッペにチュウでも俺は・・・・・・ 。 

全裸の口説き大会は約一時間弱、エアコン効いてるとはいえ一月中旬の真冬、壁際に追い詰められたヒグラシが パンツくらい穿いとこうぜ と微かな理性を取り戻し、N*Kの集金が マルサメさぁ〜ん、居ますかァ〜? 呼び声軽やかにジャストタイミングに登場、咄嗟に居留守を使ったその時まで続き、 集金で〜す の声にシィッと口を塞がれ、騙まし討ちのように抱き竦められた数分。

 ―― アーそうだよ、こいつの名前はマルサメ ―― 

ヒグラシようやくマッチョの名前を思い出し、ついでに思い出すソレはさっき思い出した記憶の比ではなく破廉恥&アメージング。 馬乗りになって野菜喰わせた愉しいヒトトキとか、イイ加減にしろとボヤキながらもコマメに世話を焼き続けた男前なのに情けないトホホ顔だとか、極寒の一月、寝るなー起きろ−と揺すぶられつ全体重を預け負ぶさった背中、夢うつつで聞く声は耳障りが良くて、あーコンナンで ・・・愛してる・・・ 言われたらコリャ女はもうキュゥンだぜキュゥン・・・と自らキュゥンとなりそうだった帰り道だとか。 極めつけ、おまえの服なんかなんか着るもんかバ〜カと駄々をこね、マッパで潜り込んだ一組しかない布団の中 「なぁ、ココロして俺を暖めろよ」 自ら摺り寄せた肌にオズオズ触れてきた推定36℃5分後半の体温・・・・・。

カァ〜ッと茹で上がる脳味噌。 密着した分厚い胸板越しにドカドカ喧しい鼓動、遥か遠くに集金人の遠ざかる足音、未だ緩められない腕、ホウと息を吐いたヒグラシの視線は意図せず恋にメラメラな男を見上げ、同じく見下ろす視線は至近距離で鉢合い、絡まり、神妙な顔をしたマッチョ=マルサメはゆっくり噛み締めるような発音で 

 「どうしても、俺じゃぁ駄目か?」

と、言った。 

そして

 「・・・ッてわけでも・・・・」

と、答えてしまった自分を、ヒグラシは今も理解出来ないと溢す。 

そんな自分は間違いなのだ、出鱈目なのだと、直後テンパッたマルサメに唇を奪われ、すかさず裏拳を張った自分こそ真に人として正しいのだと、ほろ酔いのヒグラシが勝手に人ンんちに押しかけて愚痴ったのはとうにマッタリ出来上がったらしい二週間目の月曜深夜。 

こうして俺はイキナリ遣って来た傍迷惑なホモAの打ち明けバナシを聞きつ、もう一人のホモB=マルサメを思い、ダチ二人いきなりカミングアウトかよとチョッピリしょっぱい気持ちでぬるいチューハイを飲んだ。 そして 「やってらんねぇよなァ」 とぼやきながら眠るヒグラシを眺め、さながらこの世の不幸を背負ったような顔で眠るこんな奴に一体どんな顔をしてマルサメは触れるのか、慈しむのか、つまりヤツラはヤッてるのだと妙にリアルに生々しく思い、ギャ―言いそうになる半分どこか、つまらねぇなぁと置いてけぼりの仲間ハズレを感じた。 

羨ましかねぇけど、少々淋しい。 
言うなれば娘に彼氏が出来た父親の心境、ッて、あぁ息子に彼女の母親でも可だな、可だ、


兎にも角にも、そういう複雑な寂しさにその晩は明け方まで寝付けず、目が醒めた昼前、炊飯器のアマリリスのメロディーに起き上がれば 「どうもォ〜」 と片手を上げるマルサメがインスタントの味噌汁にお湯を注ぐまさにその瞬間だった。 どうやら、とっくにヒグラシは帰ってしまったらしい。 ほぼ入れ替われで訪れたマルサメは 「なんだよ来てたのかよ、帰っちゃったのかよ、」 と果たせなかった恋人との逢瀬を悔しがり、 「どうせ何時でも会えるんだろ?」 と言ってやればクシャッと顔を緩め 「まァ・・・ラブラブ?」 まるで隠そうともせず間抜けな笑顔でそう言ってのけた。

それだから、そんなあからさまなホモの惚気を、愚痴を、日々のホノボノ劇場を、以後引っ切り無しに数ヶ月俺は聞く。 でも、ヤツラの話を聞くのは厭ではなかった。 意外なくらいすんなり、俺は二人の関係を容認していた。 幸せなんだろうなぁと、ハッピィが止まらないんだろうなぁと、勝手に押しかけては垂れ流してゆく甘酸っぱい、気恥ずかしい幸福の切れ端を、俺は満更でもない気持ちでうんうんと聴いた。 難しい事はわからないが、このホモカップルの未来はわりに明るいんじゃないかと思った。 

だが、ある時気付く。 ある時期から変わる。


ヤツラの御付き合いが半年を過ぎた頃だろうか? 怠けたツケがまわり、夏休み直前だというのに徐々に学校が忙しくなり、俺は警備のバイトを辞めて幾分楽な深夜のファミレスへと移った。 相変わらず週に数回夜明かしするマルサメは、しばしば夜勤明けの足で俺のアパートを訪れ、やはり夜勤明けで飯を食おうとする俺に持参したコンビ二の袋を掲げ 「メシ、一緒に食おうぜ」 とノシノシ部屋に入り、喰って、喋って、風呂まで浴びて、俺んち遠いんだよねとクッションを枕に仮眠を取り、いつの間にか帰って行ったりそのまま夜までダラダラ飲んでたり。 そうしてどの場面でも必ず、マルサメはヒグラシの話をした。 もう結構と言うくらいマルサメはヒグラシの事を話した。 

マルサメの世界は、ヒグラシが回している。 それは間違いない事実だ。 
このデッカイ男の脳味噌は、ヒグラシの存在でギュウギュウに溢れ返りそうになっている。 
そら、今も零れ落ちそうになって、

俺はそんなマルサメを見てて、ぐりぐり撫で回したい衝動に駆られる。 黙ってりゃそこそこ男前なのに、結構モテるのに、こんなに開けっぴろげでコイツは男同士の恋に落ちた事を一つも後悔せず、寧ろ嬉々として駄々洩れの愛を持て余し、蚊帳の外のこの俺にまで盛大にぶっ掛けようとしている。 畜生、可愛過ぎるぞマルサメ!! 

だから、マルサメと居る俺は愉しかった。 よくわからない力技で、ぐいぐいハッピィに引っ張り込まれるような、そうした愛のお裾分けを存分に俺は楽しむ事が出来た。 なァんかイイなぁと羨む事すらあった。 

けれどヒグラシは違った。 いつからか、確実に違って行った。

ヒグラシとはたまにゼミで顔を合わせ、ちょこちょこ話し込み、時に不味い学食で定食を掻き込んだりしていた。 マァマァの仲良しとも言えた。 たが、ヒグラシが外でマルサメの話題を口にする事は無かった。 一度だってなかった。 ゼミの誰かのフラレ話、教授のいかがわしい噂、なかなか見つからない新しいバイト先、実家の家族の話し、話題が尽きる事はなかったが、そこにマルサメの匂いや気配は一切無い。 なんというかこう、見えない地雷がそこにあるような、ピンと張り詰めた緊張が饒舌なヒグラシのそこかしこにチラついて警告を発していて、ならば俺もそこに触れまい。 俺も、その話題は出さない。 出せなかった。 

だけどヒグラシが自分の中からマルサメを追い出したかというと、そうではない。 大間違いだ。 寧ろ逆。 

ひょいと俺ンちに転がり込むヒグラシは大抵酔っていて、困ったような泣く前のようなヨレヨレの顔をして、そうして堰を切ったようにマルサメの話をする。 どうしたのこうしたのああ言ったのこう言ったの、話尽きず、まさにマルサメ一色、呆れるほどのマルサメだらけ。 

なのにどうだろう? マルサメのソレと違い、ヒグラシのマルサメ話はどこか淋しい。 切ない。 きりきり締め付けられるように、薄皮一枚がヒリヒリ痛むように、あぁオマエらやっぱ目ェ醒ました方がイイ、イイよ、だってホモはやっぱ先暗いしな・・・・・。 そう思わず言いたくなるような遣り切れなさがヒグラシのマルサメ話にはあって、そんなメロウのお裾分けにあぁとかうぅとか言いながら、結局いつだってしんみり付き合っちゃっている俺はコイツらの何? 

わからない。

謎だらけだ。

こんだけ惚気てるのに、こんだけ垂れ流しに愛しちゃってるのに、何でおまえは何でこう不幸な匂いしてるんだよ? と。 最後は決まって叱られた子供みたいな顔をして酔いつぶれて眠るヒグラシを見つめ、俺は猛烈にギュウッと抱き締めたい衝動に駆られる。 もう悩むな、泣くな、おまえは死ぬほど愛されてるんだからもっと威張れ、勝ち誇れ、高笑いの一つもあげて俺をキィッと悔しがらせてみろと。

それだから、ヒグラシと居る俺は苦しい。 腹ン中に重いもんが入ったような鈍い苦しさが狭いワンルームを支配し、眠るヒグラシを眺める深夜、気付けば俺は長い長い溜息を吐く。 

そしてこんな風にヒグラシが俺ンちへ奇襲をかけるのは決まってマルサメが夜勤の日だった。 
マルサメが居なくて、俺が確実に居る日だった。 

なんなの? どうなってんのよ、オマエら。 
とてもじゃねぇけど同じ時間軸で同じ登場人物で語られる物語だとは思えねぇこの差って、なんなのよ? おい?


けれどまた、まだ、繰り返されるハイ アンド ロウな日常の延長。 こりゃぁずっとこのままかと思いきや、ずっとなんてのは世の中にはない。 世界は常に動く。 動いている。 俺も、ヤツラも、皆それぞれの流れに抗う事無く飲まれ、あるべきカタチへと方向へと変化する。 


先々週の火曜、スポーツバッグ一個を手にしたヒグラシが 「・・・居候させてくれ・・・・」 と明け方のドアを叩いた。 


 「・・・・・チョッとさチョットしばらく友達のシルシに俺ここに置いてよ、たまには親友の俺に日頃の恩返しするのも仏様に誉められそうでイイだろ? イイッて言えよ、悪かねぇよな? 二人の方が夜中オセロしたくなった時とか楽しいし、多少ズボラで小汚い部屋でも俺はこの際気にしねぇから、ほら俺ッて掃除洗濯得意だし、言ってみりゃ居候だから万が一おまえが野暮用で使う時は雨と夜中以外ならどっか行って時間潰すから、だから、」

いきなり遣って来たヒグラシはいつも通りの減らず口で、横柄に捲くし立てる。 が、斜め下に向けた表情はお面みたいに強張り、血の気がなく、カバンの取っ手を掴む指先は紙みたいに白くて微かに震えていた。

 「・・・なんか・・・あったのか?」

思わず、俯いたままの顔を覗き込んだが、


 「ねぇよ・・・・」

明らかな嘘を言ったヒグラシは、 「最初ッから何にもねぇよ」 と呟き、吐いた嘘を裏付けるように静かに声を上げずに泣いた。 眉根を寄せ、クニャリと捩れるように背中を半端にドアに押し付け、覆った掌の隙間から、尖った顎先を伝う涙が、ほたほたほたほた白ッ茶けた玄関のたたきに淋しい水玉をつくる。 

そんなの見てしまったら俺は、もう、どうしたら良いのか俺は。 


掛ける言葉も捜せない俺は冷蔵庫の上に置いた携帯を掴み、この場に相応しい言葉を持ってそうなマルサメの名をアドレスから捜す。 マルサメと最後に話したのは三日前の晩だった。 借りてきたビデオが大ハズレだったと言うような話を、いつも通りにヒグラシ三昧で語り、幸せ電波を撒き散らし、また今度飲もうな? と笑いの洩れるような口調で会話を括ったマルサメ。 何にも変わりはない。 何も変わらなかった、別段何も変化がない、毎日がハッピィなマルサメの話。

そのマルサメに、携帯は繋がらなかった。 
電波が繋がらないところに居ると、愛想の無い見知らぬ良く聞く女の声は答える。


 「アイツ、出てったから・・・」

ガサガサした声でヒグラシが言う。 

マルサメは、今朝出て行ったらしい。
 何で? と 何処へ? にヒグラシは答えず、ただ静かに涙を流し、けれどキッパリした口調でもう終ったのだと言った。


 「・・・・・土台、最初ッから出鱈目な話だろ? あぁ、俺もその出鱈目ン中にいたんだけど、なんかさ、はは、アイツと居るとそういうのもアリかなぁな気になって、なんか、なんか馬鹿みたいに好きだとか愛してるとかすっげぇ幸せで死にそうとかコッ恥ずかしい事言うし、するし、四六時中そんなんされてるとこう、暗示? 暗示だよ、うっかり、そうか・・・とか、だよな、幸せだなァ・・・とか・・・」

ヒュッと小さく息を吸い、ヒグラシが言葉を失う。 
硝子球みたいな目がツツツと俺に焦点を定め、


 「・・・・・・ けど、ンなワケねぇだろ? な、」

ヒンヤリした無表情に、何も、俺は言えない。


 「・・・・・・マジさ、幸せになれるわけねぇじゃん・・・コソコソ人目気にして、沢山の人に嘘吐いて、それでも笑ってるアイツが俺にはサッパリわかんねぇし、だって結婚とかどうすんの? 俺長男だぜ? かつ母子家庭じゃん、いずれ地元に戻る身だよ、夢見てずっと浮かれてるわけにゃいかねぇよ、なんも考えてねぇような振りして、でも愛だけが在る? 愛って何? 残る? 残ンねぇし、俺らじゃナンも残せねぇし、先なんかなぁんも見えねぇじゃん、将来とか、未来とか、俺らの先、何にも俺、見えねぇじゃん・・・・・」


見えねぇ見えねぇと声は呟きに、途切れ途切れに、消え入るような言葉は最後に吐息のように 

 「こんなに愛してるのに、なんでかな・・・・」

と漏らし、それきりへの字の唇が開かれる事はなかった。 

両腕で頭蓋骨を抱え、トスンとしゃがみ込んだままジィッと動かなくなったヒグラシは、決して小柄でも女っぽくもない筈なのに、余りにちっぽけで憐れで不安定で、ワァッと得体の知れないパニックに襲われた俺は縮こまるヒグラシの旋毛を、そっと掌でポンポンと押さえてやった。 瞬時ビクリと強張った身体は、徐々に掌の下で緩んでゆく。 押し殺したような浅い息が、やがてゆっくり、長く、静かになるまで、掛ける言葉もなく、ただ、何度も何度も俺はそうしてヒグラシの頭をポンポンとした。 


なんでかな? ホントなんでかな、なんで上手くいかねぇかな、はっきり言っておまえらベストカップルかも知れないと俺、密かに思ってたくらいなのに、なのにこれかよ、なんでそんな、こんな終わり方するかな? 


こうして、ヒグラシの居候は唐突に始まった。 


死に掛けヒグラシは死に掛けらしく、およそ影も存在も薄く、自分で言った通りまるで俺の生活の邪魔にはならず、寧ろそこに居るのに居ないかの如くで、ぼんやり飯を喰い、思いついたように学校へ行き、思い出したように捲くし立てる悪態もどこかキレが悪く力無く、眠る前とかテレビを付け忘れたメシ喰い中とかの微妙な隙が生まれた時、ヒグラシは何とも言えない情けない笑みを浮かべ 腹に力の入らない声で 「ごめんな、」 と言った。 

や、かまわねぇよ・・・       

俺はその都度答える。 

全然かまわねぇからのんびりしっかりしろと言う俺に、ヒグラシはまた、力無い薄い笑みを浮かべた。 


そんなヒグラシを見て、俺の腹の中、激しい憤りが泡のよう膨れてはち切れそうになる。

馬鹿野郎ッ、糞マルサメ! てめぇ何でココに居ない? どこフラついてんだよ? どこ行ったんだよ? おまえの愛ッてのはこの程度で終るのかよ? こんなに呆気なくハッピィ終了なのかよ? 

そら見ろ、おまえの愛してた、好きで堪らなかったコイツを見ろよ! 
どうすんだよ! どうしてくれるんだよッ?!


ここに居ないマルサメを殴り飛ばしてやりたい。 どやしつけ、蹴りつけ、コイツに謝れ、今すぐ謝ってコイツを死ぬ気で幸せにしろ!!  出来る事ならばそうして三日三晩体罰込みで説教して 『守れなかったら彼の為に腎臓売ります』 の一筆を書かせるまで、もう絶対許さない、許すまじマルサメッ! と、一人憤り、鼻息を荒くした俺。

それくらい、事態は深刻だった。 ヒグラシは再起不能だった。 幽霊みたいな顔色で、ソレでなくとも痩せ型の身体が更に更に薄く心許無くなっていった。 俺は不安でならない。 そして焦れッたくてならない。 いくら何でもありえないだろ? とは思うのだが、バイトで夜に家を開ける時、独りのヒグラシがうっかり首でも括ってたらどうしようとか、ついつい想像しては落ち着かず、ハラハラ不穏な夜勤明けの帰宅時、ままよ・・とガチャリとドアを開く瞬間の超スリル、そして無事に生きてる形跡を見つけた時の安堵。 

ここ数日で確実に、俺の寿命は2〜3年縮んだなと思う。 

だから居候13日目の月曜の晩、じゃァなとドアを閉める瞬間も、閉まるドアの向こう、雑に作った焼き飯をモソモソ口に運ぶヒグラシを見届けた時も、俺はいつものように不安で、落ち着かなくて。 まだたった13日間の話だ。 半月にも満たないそれだけの日々に参り、俺は、思い出したように ゴメン と言い続けるヒグラシに向かい、

 ―― いっそ居候なんかじゃなく落ち着くまでここで一緒に暮らさないか? 

と何度も言い出し掛け、その度に止め、また逡巡し、それは別にマルサメのような愛とか好きではないけれど、でも、これは俺なりの好きとか愛だったのだと今もハッキリと胸を張って言える。

そう、今も。


今は、それすらも良い想い出だ。 
愉しい、微笑ましい、当人にとっては気恥ずかしい素敵な想い出になるだろう。


14日目の火曜の朝、雨上り、突き抜ける青空。
夜勤明けの俺を待ち受けた驚くべき急展開。

件の恋人達はどこに向かおうとしているのか?
マルサメ、音信不通の13日の空白とは一体?