洗濯物日和 2.
「・・・・・・コイツ、判断力とか常識とかカラシキねェ癖に行動力はあるじゃん?」
それはオマエも同じだよと言いかけた言葉を、俺は口の中で飲み込み空きっ腹にビールを流す。
コメント無しの俺に舌打ちし、溜息交じりにぼやいたヒグラシのおよそ日照時間の少なそうな顔色。 だけれど不機嫌そのものに見えるそこに、微かに色付き存在するこそばゆい艶。 綻び掛けた微笑みの欠片。 クイッと指差すその先、対照的に晴々したマルサメは噴出す汗を台布巾で拭い、チッと忌々しく舌打ちするヒグラシに構わず、恵比須顔のまま
「幸せは家族からスタート・・ッて話なんだよな、テヘヘ・・・・」
伸ばした指先で、ガキんちょみたいに鼻の下を擦った。
甘いおやつを腹一杯に喰った、幸せ一杯のガキの顔で。
**
泥沼の始まり、13日前の火曜日、幸せになれないヒグラシとの激しい口論(一方的な暴力もあり)の末、十数か所の擦過傷及び内出血を負った幸せを掴む男マルサメが向かったのはY県、県境、長閑でひなびた、ぶッちゃけ過疎化ドップリな山村。 こじんまりとさくらんぼ園を営む、恋人ヒグラシの実家。
どうすりゃインだよ? とヒグラシは言った。
家の事、将来の事、俺たちどうすりゃいいんだとヒグラシは言い、愛だけじゃ駄目だ、愛だけじゃ暮らせないだろとヒグラシは泣く。 泣いて泣いて泣いて、言葉に詰まり投げつけられた湯呑み茶碗。 同居記念に、感極まったマルサメが、バイト帰りにわざわざ駅前のデパートで買ってきた 『夫婦円満』 と毛筆書きされたお揃いの湯呑み。
お付き合い開始から一ヵ月半、渋るヒグラシを口説きに口説き漕ぎ着けた同居だった。 一緒に住んでくれなきゃ今から恥ずかしい事するぞ、おまえのアパートの前でおまえへの愛を叫び捲くるぞと、捨て身の強迫まで遣って退け手に入れた幸福だった。
マルサメは何時だってヒグラシには捨て身だったし、ヒグラシは何時も、そんなマルサメを馬鹿だ寒いキモイとなじる。 なじるけど最後には、 『ホントおまえ馬鹿野郎だな、』 と柔らかい顔で笑った。 柔らかい綺麗な笑顔を浮かべ、 『仕方ねぇよなァ』 と素直にマルサメの腕に抱かれた。 アツイ苦しい離せと言いながらもピッタリ身体を寄せて、 『善くなかったら二度としねぇ』 と念を押しつつヒグラシはマルサメのものになってくれた。 全部寄越してくれた。
そんなヒグラシとの毎日は、愛しくて切なくて満ち足りてて、要するに天国はこんなかなと思うほどにマルサメは幸せだった。
マルサメにとってヒグラシとは、気が触れそうに愛しい唯一の存在だった。
なのにヒグラシの幸福はそれでは足りなかったらしい。
そう云う類ではなかったのだ。
俺らに居場所なんか無い、俺らに未来なんか無いと拳固を振るったヒグラシは追い詰められたギリギリの顔をしていた。 絶望ばかり映す目は光のないガラス玉みたいだった。 そして自分で投げつけた癖に、湯呑みが割れた瞬間、悲鳴の形に凍りついた唇。 小さく鋭く吸い込んだ息、顔半分を覆った指、指の隙間から覗く何も見ていない瞳、今は暗い何かしか映さない瞳。
そんな顔、させるつもりなかったのに。 ましてや泣かすつもりなんかなかったのに。
マルサメは、ただ愛したかった。
全身全霊で愛して、甘やかして可愛がって、蕩けるほど幸せな顔をしたヒグラシに自分も愛されたかったのだ。
だけど、愛して甘やかして可愛がるだけのやり方では幸せになれないとヒグラシは言う。
それじゃぁ駄目なだのだと泣く。
ならばマルッと解決してやろうじゃないか?
大丈夫。
ナンもカンも何とかしてやるから、チャンとしてやるから。
二度とあんな顔させないように、憎まれ口叩いて笑ってられるように。
大丈夫。
おまえは何も心配する事は無い、おまえは笑って威張っててくれと、
−−−尤もそう伝える前に、マルサメは走り出してしまったのだが。
小技の効かないマルサメだから、そうと決めたら早い。 即決だった。 例えるならボールを追いかける犬のようなスタートダッシュでマルサメは走る。 走った。 『どちらまでですか?』 『エート何処だっけ・・・・』 緑の窓口では少々梃子摺ったが、ほぼ一目散にそこへ、ヒグラシの母が一人で畑を切り盛りするそこへと満身創痍で乗り込む無鉄砲な勇者マルサメ。
けれど唯一の手がかりは年賀状の住所のみだったから、はやる気持ちを余所に無謀なオリエンテーリングは暗中模索、散々迷った末のゴールは翌日水曜の早朝。
達成感に涙し、滲む朝日を見上げ
―― 俺はやったぜ・・・
呟いて武者震いするマルサメだったが。
「・・ったく馬鹿じゃねぇの? 普通するかよ・・・・」
人ンちのホームランアイスを勝手に不器用に食べるヒグラシは、そんな恋人の蛮行を吐き捨てるようにコメントする。
だがその目元が薄っすら赤いのに、俺は気付かぬ振りをしてやる。
何しろ、馬鹿の一念と云うのは凄いモンだと思った。 さすがは天下の単細胞、何事も直球のマルサメは朝っぱらからの珍客に警戒心も顕わなヒグラシ母に向かい 自分は息子さんと深く愛し合っている者なのだが と出会い頭のカウンターパンチを浴びせた。 勿論、物事そんなんで上手く行く筈が無く、ましてやその正直者戦略は実の母には逆効果だったらしく、
「寝惚けた事言ってんじゃないよッ! アンタ一体誰なんだい?!」
と凄むヒグラシ母。
が、そんな怒れる母を物ともせず 「愛してるんですッ! 息子さんを下さいッッ!」 叫ぶマルサメは
「願いしますッ!!」
右翼も真青な素晴らしいお辞儀を決めた。
「ヤァ〜お袋さん、ナンもカンもコイツそっくりでさ・・・いやチョビッとトキメイちゃったりして、テヘヘ・・・・・」
息子激似の母親は、なるほどこれが元祖というべき啖呵でマルサメを恫喝し、かつ喧嘩も上等。 「ボクらを認めてくれ!」 と諦めないマルサメに竹箒を振り上げ、逃げ惑う頑丈な身体をしたたか打ち据えれば 「とっとと出て行けッ!」 と怒鳴る姿はなまじ美人なだけに小学生ならチビリそうな迫力。 考えるに、息子激似の母はホダサレ易い所も激似かも知れない。 ならばもしもマルサメがそのまま黙って打ち据えられていたなら、もっと早く状況は改善されたかも知れない。
けれど、般若の母にビビッたマルサメは
「落ち着いて下さいッ! 落ち着いてボクらの未来を話し合いましょうッ、お母さん!」
と叫び、押しかけ男(自称息子の恋人)の 『お母さん』 呼ばわりには、どうにもヒグラシ母は我慢ならなかったらしく、
「誰がアンタの母なもんかッ! 帰れッ! もう警察呼ぶからねッ!!」
ついには最終手段を突きつけたという。
一日目、それはマルサメの完敗だった。
が、奴はそれで諦めるほど頭の良い男ではない。 すごすご逃げ帰ったサービス悪過ぎのビジネスホテルの一室、何が敗因だったのかを一晩考えたマルサメは翌日も麓の町から片道二時間半を歩き、再び訪れたヒグラシ家。 激しいピンポン連打に鬼のような形相で現れたヒグラシ母と満面の笑みで対峙し、
「先日は手ぶらで失礼しましたッ!」
地元名物 『ドキドキ*さくらんぼ饅頭』 の特大箱を差し出す。
深々頭を下げる玄関先、この勝負貰ったと確信したらしいが
「土地のモンに土地のモン寄越して感謝しろとかいうのかよッ?!」
当然の叱責を受ける。
けど懲りないマルサメときたら
「じゃ、そうだッ! 俺、肩揉みましょうか? え、あと、そ、そうッ! 風呂洗いなら結構得意ですよお母さんッ!」
実に頭の悪い提案をし、本気の鉄拳をテンプルに受け木の葉のように庭先を舞った。
そうしてまたもや 「出てけ、帰れ」 と箒で殴打されるも帰らず、怒鳴られても怯まず、頼まれもしない庭の草毟りをして必要な草を抜いて怒鳴られ、怯える飼い犬(雑種オス4歳)に下手糞な口笛を吹き、老朽化した犬小屋の修理を勝手におっぱじめた挙句、泣き喚く犬を無謀にも散歩させようとして案の定、恐怖臨界に達した犬は裏の雑木林に遁走。 マルサメの捜索活動は夕暮れの雑木林を四時間掛けて行われ、星ばかり煌く山の夜、綱が枝に絡まり動けなくなっている犬を羽交い絞めにして保護。
はぐはぐ泡吹く恐慌状態の犬を、無事ヒグラシ母に引き渡せば
「アンタ何企んでるか知らないけどココには売るモンも買う金も無いからねッ!」
凄まれ睨まれピシャンと引き戸を閉められて二日目が終了。
三日目、もう帰ってくれ、余計な事すんなと怒鳴られながらも、ノコノコ、朝のさくらんぼ園に同行するマルサメ。
「さぁ働きましょう! お母さん」
「ヤヤヤ? これはどうしましょうか? お母さん」
馴れ馴れしくもまめまめしく働き、その働き振りを隣家の老夫婦に誉められるや否や
「ジッちゃ〜ん、あとでソッチも手伝うからッ!」
すかさず御近所懐柔作戦を展開。
ジッちゃんバッちゃんとはしゃぐマルサメは、瞬く間に《ポジション孫》を確立。 昼にはちゃっかり、握り飯弁当を老夫婦に貰い、好々爺然とした老人に 良い若者だがアレはアンタの遠縁かなんかか? と耳打ちされたヒグラシ母が苦虫を潰した顔になったのにも 「テヘへ近々なるんですよ」 と笑顔を返し、その数分後 「アル事ナイ事言うンじゃないよッ!」 と耳を引っ張られ涙目になって終日。
徐々に調子が出てきた。
四日目、ヒグラシ母には無視されッぱなしだが隣家、そのまた隣家と交流の輪を広げ、マルちゃんマルちゃんと大人気で人生最高レベルでのモテモテ(高齢者限定)。 黒々と日焼けも逞しい、肉体労働バンザイ、働く我に幸あれ!
五日目、自腹を切った魚肉ソーセージでまんまと飼犬 『ノノジ』 の餌付けに成功。 ぶんぶん尻尾を振るポリシィの無い犬を連れ、道行く村民との立ち話も堂に入ったマルサメはすっかり土地の人間だったと云う。
「ノノジの奴、もーすっかり俺に懐いちゃってさァ」
「ひ、人ンちの犬、馴れ馴れしくノノジ言うなッ!」
六日目、その日、当たり前のように付いてくるマルサメを、ヒグラシ母はさくらんぼ園の隣り、小さな夏草だらけの畑に連れて行く。 そうして指し示すのは使い込んだ鍬と鎌。 ポカンとするマルサメに溜息を吐き、母自ら2メーターほどこざっぱり耕して見せた後、
「そら、これが今日の仕事だよ」
そこを耕すようにと命じた。
勿論マルサメに拒否権は無い。
寧ろ初めてヒグラシ母から仕事を命じられた事に有頂天となり、馴れない鎌を払い鍬を振り上げ、おおよそ不器用にへっぴり腰にマルサメは俄か百姓を満喫。 そして日も高い正午、「メシだよッ」 と雑に呼ばれたマルサメは昨日同様隣家の老夫婦と一緒に昼食をとろうとして、グイッと腕を引かれれば押し付けられるどでかい長方形。 ヒグラシ母は、マルサメの弁当を用意していたのだった。
「・・海苔敷いてあってタコウィンナ〜入ってたし・・・・」
「そんで塩鮭と卵焼きだろ? 俺んちの定番。 中・高六年間、俺ァ、ソレを食った。」
そして七日目、昨日の続きを耕し、昼にヒグラシ母の弁当を食べ、また働き、途中二つ隣の若夫婦に頼まれ泥濘に嵌ったトラクターを押し出し、食べてきなと塩羊羹を振舞われ。
日も傾く夕暮れ間近、犬の散歩から戻ったマルサメにヒグラシ母は
「風呂沸いてるから入ンなッ!」
母屋の奥から怒鳴った。
−−− こ、これは嬉しすぎる幻聴じゃぁないか?
モジモジ勝手口から中を覗くマルサメだが、小さな台所でダンと勢い良く白菜を叩き切る母は
「いいからとっととお入りッ! 風呂入ってないのもアンタ、一日二日じゃないんだろッ? 大の大人が犬ッコロみたいに小汚く臭くなって、あぁイヤンなるねぇッ!!」
驚いた事に、マルサメは野宿をしていた。 場所はさくらんぼ園の裏手にある雑木林の入り口、村の共同物置として使っている畳三畳ほどの掘っ立て小屋が、Y県滞在三日目からのマルサメの住処だった。
「・・・信じらンねぇだろ? この時期、野宿ッて獣だよ、獣・・・・」
「・・・だって金ねぇし・・・・」
残暑厳しい都心と違い、九月下旬のY県はそれなりのヒンヤリだったと思うのだが、燃え盛るマルサメの情熱は多少の寒さなど物ともしなかったのだろう。 勢いで旅立ったから、持ち合わせも既にメシ代ギリギリだった。 それなので壁など有って無きが如くの掘っ立て小屋、寝て、起きて、働いて、一日一回村唯一のよろず屋で菓子パンと飲み物を買って、小屋の脇の水道で 冷てぇッ! と身体を洗うワイルドライフ、究極のアウトドア。 そんな風にして、ソコまでしても諦めず、幸せ探しを続けていたマルサメ。
そして見よ! 艱難辛苦を乗り越え、いよいよ佳境を迎えた マルサメ・プロデュース 『ヒグラシ家進入*押しかけシロアリ大作戦』。 今やヒグラシ母と共に働き、近隣住民との交友を深め、飼い犬の世話をし、日暮れにはヒグラシ家で風呂を借り、母の手料理を喰い、地雷だらけのスリリングな会話を2〜3交わし、時折手加減ナシの鉄拳を喰らたその後は、
「喰ったらサッサと寝なッ! あの馬鹿の部屋は突き当たりの右ッ! 明日も早いンだから寝坊したら置いてくよッ!」
愛しい恋人の部屋で、湯上りで満腹で久々の布団に包まる心地良い睡眠をも確保。
何やら幸せ過ぎて怖いマルサメだった。
だが、そのようにヒグラシ母との関係は意外にも急速に軟化していったものの、その御子息=ヒグラシとの今後について母は一切ノーコメント、それでも負けじとマルサメが話題を持ち出した時は、多少の暴力をも厭わず妨害。 あと一歩の歯痒い膠着は八日、九日、・・・・・・ もはやココまでかと五ヵ年計画への変更をも覚悟し始めた焦りの十三日目。
すっかり寛ぎ切ってる夕食後の団欒、ズズズと焙じ茶を啜るマルサメに投下されたヒグラシ母の結論。
「・・・・・つまりアンタ、うちの婿になりたいッての?」
「ム、婿ッ!!」
サラリ発せられた無敵キーワードに思わず我を忘れるマルサメ。
「婿なんだろ? つまりそう言うんだろ? それともナニかい? アンタがあの馬鹿の嫁とでも言うのかい?」
「や、いや婿ですッ! 婿ッ!」
「だろッ?! うちの馬鹿にそんな気合い有るもんか、アンタもアタシの想像越える事言い出すんじゃないよッ!」
「い、言ってませんがあのあの・・・・・」
そうしてコンと湯飲みを置いたヒグラシ母は、冗談じゃないよねぇ・・・・と言った。
「冗談じゃぁ無いよねぇ、そらあの馬鹿はボンクラで根性無しで泣き虫でイイカッコしぃで、俺は都会の血が勝ってるから百姓は出来ないンだとか何言ってンだいバカタレが、二十二でここ来るまで東京生まれの東京育ちだったのはアタシで、おまえは生まれも育ちも百姓の家だろうッて何度ブン殴っても叩き込んでもどうしようもない馬鹿だから、やっぱり鳥頭だからかね? すぐに忘れンのかねッ! あんまり馬鹿だから中身入ってンのかよッて暇があれば揺すってやったもんだけど、どうなんだろうねッ? かえって馬鹿が進んだんだろうかねぇッ?!」
余程親子の確執があったらしいと垣間見る一幕に、タジタジのマルサメ。
が、しかし愛しい男へのあんまりな馬鹿連発に思わず、なけなしの勇気を奮い起こし
「ややあの・・・お母さん、チョッと馬鹿馬鹿言い過ぎでは、」
おずおず口を挟むも、息子そっくりの顔でギッと睨まれてしまえば呆気なく、もろもろ絆されてしまうのが恋する男のサダメ。
「ッたく馬鹿の癖に何学ぶ気なんだか、小生意気に大学だなんだってドブに捨てるようなお金使って、上京したきりパタリと滅多戻っても来ないし。 自分で腹痛めた我が子ながら、ツクヅク良い所探すのに苦労する成長振りだよ。 ウンザリするほど手間暇掛けやがって。 でも、だけどソンナンでもアレはアタシの子だ。 大事な子だよ。 その大事な馬鹿息子をアンタ、幸せにしてくれるって本気で言ってるんだね? 馬鹿に一生付き合うって覚悟を決めてるんだね? まぁ馬鹿さ加減じゃアンタも似たり寄ったりだから似た者同士で馬も合うのかもしれないけど、でもそうして馬鹿同士一生仲良く老後を迎えるって、アンタそう言うんだね? そうなんだね? 間違いないんだね?」
畳み掛けるヒグラシ母に、
「間違いないです! その通りですッ! 仰る通り、ボクらはシッカと幸せになるんです! なりますッ!」
猛烈に頷くマルサメ。
そんなマルサメの顔をじっとヒグラシ母は見つめ、テレビの横、飛ばないように洗濯バサミで留めたペラペラをツイッとマルサメの前に滑らす。
「覚悟が決まったんなら、うちの子になんな。」
差し出された紙切れには −− 養子縁組届書 −−
「・・・ふん、まさかこの年でデカイ息子が一人増えるとは思わなかったけど・・・しかも実は、息子の婿だなんて全く、でたらめだね、まともじゃない、正気の沙汰じゃぁないよ、」
その日、ヒグラシ母はさくらんぼの世話と畑をマルサメに任せ、半日ほど留守にしていた。
運転しないヒグラシ母にとって、麓までの交通手段は一時間に一本巡回する路線バスのみ。 楽じゃぁない道程を時間を掛け、ヒグラシ母はわざわざこれを取りに行っていたのだと思うと目玉の後ろががぁ―ッと熱くなり、
「絶対幸せにしますからッ、死ぬまで孝行しますからッ、お願いしますッ、俺をココンちの子にして下さいッ! 息子と呼んで下さいッ!老後はドンと任せて下さいッ!」
「アンタに一生楽はさせないからねッ!」
「ハイッ!!」
そうしてマルサメはヒグラシ母の手を握り、オイオイと男泣きに泣いた。
泣いて泣いて泣いて、ボーッと痺れたような虚脱感の中、まァ飲みなと茶を勧めたヒグラシ母が告げる。
「取り敢えず、うちの馬鹿を連れてもう一遍ココに来るといい。 アンタの覚悟はわかったけど、肝心のアレが実際どう思ってるのかアタシにはわかんないからね?」
ならばもう決まりだった。
ヒグラシが泣こうが喚こうが、マルサメはその意味を履き違える程ナマクラではない。
愛するものの真意は何時だって剛速球で感じている。
愛している、愛されている、そんなの解りきった事じゃぁないか? 今更だろう?
伊達に愛し、愛し、愛し捲くってるマルサメでは無いのだ。
非常に解り難いながら、愛され愛され愛され捲くってるマルサメでもあるのだから。
直情弾丸男は四時間後の深夜、下り夜行に飛び乗り、微笑むチンピラの夢を見る。
急げ急げ、誰が為に、彼の為に、愛の為に、掴んだ幸運の尻尾は振り回せ!
日の出より早く、大家のババアが激しく打ち水するそれよりも早く!!
*
*
「・・・・・でもよ、おまえンとこの親は大丈夫なのかよ?」
手柄話は終了。
してやったり得意満面のマルサメに、チョッと訊いて見る俺。
「ア? 俺? 俺んち? OK! OK! まるで問題ない、なんたって俺、野郎ばっか五人兄弟の四番目ってすげぇ微妙な位置だしカワイイ盛りも過ぎた今更一人欠けたって屁でもねぇよ、つーか、多少はカワイイ筈の昔っから家ン中じゃ影薄いし、ていうか忘れられてる率高くッて、そうだ、小六ン時ネズミの国で迷子になったとき、日暮れ間際までの四時間ちょっと、家族六人誰も気付かなかったって言うトラウマ的ハートブレイクメモリィもあるんだぜ? な、すげぇだろ?」
ソリャすげぇっていうかなんていうんだか。
すっきり笑うマルサメはスッキリしすぎて眩しい。 眩しくて少し遠い。
「・・・・・・で、 俺ンちに入るとコイツ、もれなく俺の弟になるんだぜ? 俺のが二ヶ月兄だからな・・・」
ダレた体育座りでつまらなそうに言うヒグラシのだらしなく羽織ったシャツの隙間、へこんだ腹の上にポトンととろけたアイスが落ちて、 あ、 というヒグラシの声より早くそこに伸びた無骨な指、グイッと雫を掬って当たり前のようにペロリと舐めるマルサメの舌。
あーわー ピッタリ納まりやがったよ・・・・・・
ピッタリ、隙間無く、在るべきカタチにコイツらは納まり、そしてその場所へと進む。 進むだろう。
ほう・・・と冷え過ぎた舌で唇を舐め、ヒグラシがマルサメに顎をしゃくった。 言葉の無いコンタクトにマルサメは応じ、ヨシヨシと言うようにヒグラシの脛に軽く触れ、口の中のスルメを激しくシャカリキに噛む。 コンビニ弁当と一緒に、俺が買ってきた俺のスルメだった。 弁当はヒグラシの分もあったが 「あんま喰いたくねぇ」 とホントに食欲無さそうな感じに言って、そんなら俺俺! とマルサメがガツガツと食べた。
クチャクチャ音をさせて喰うのはお行儀が悪いだろうと、散々に俺は注意したものだったが、粗野なマルサメは一向にその癖を改めず、噛み切れねぇなとクチャクチャしたスルメを力技で飲み込んでから、まるでそこらに煙草を買いに行く様な口調でサヨナラを言った。
「したら俺ら・・・・・・ アリガトな、ガッツリ幸せになるから、」
なるのか・・・ なるんだろうな、そうだろうな、そりゃ素晴らしい事だ、ホモだけど、
そんなすっかり固まったホモ二人の門出に俺は何言うか? どうすべきだったか?
おォ―い、戻ってこォーイ! とでも言えば良かったか?
目ェ醒ませバカヤロウ! と、男らしく殴りつけるべきだったのか?
ま、どれもしないだろう、却下だろう。
どれも、ヤツラの幸せには向かないだろう。
そんな小さな悪意が浮かぶのは、淋しいからなのだとわかっている。
俺は、今、ヒタヒタと淋しい。
散々ヤキモキさせられた手間の掛かかる娘(息子)は今、色々仕出かし巻き込み、泣いて笑ってようやっと落ち着き、自分の幸せに向かい親元を離れ、いよいよ愛する人と共に行くのだ。 自分らの場所を自分らで手に入れたのだ。
俺は、そんな嫁ぐ子を持つ親の心境をまんまと周到し、咽喉下まで飛び出しかかる 「辛くなったら帰って来い」 を言わずにいられるかどうかハナハダ自信が無いヨレヨレだ。
すかすかした貧弱なヒグラシの胸板、外れかかったやや腹よりの第4釦。
なんでそうなったかは訊かないでおいてやる。
訊かないでもおまえ等のことはお見通しだ、丸解りだ、甘く見るなよ保護者暦八ヶ月のこの俺を。
そんなヒグラシの薄っぺらな背をマルサメが押した。
分厚いマルサメの掌に、心持寄り掛かるヒグラシの背中、無意識に互いを捜す視線。
ヨーシ、ならば祝福してやろう、おまえらを
「ン・・・じゃ・・・・・ ご結婚オメデトウゴザイマス・・・・ お幸せに。・・・・・・」
俯いてた顔がパッと上げられ、大きく見開いて、揺らぎ、潤み、忙しく瞬いた瞳。
への字に下がってた唇が花のように綻ぶ瞬間を、俺はきっと、忘れないから。
アリガトな、おうおうアリガトな、と痛いくらいに俺の手を握ったグローブみたいな掌、やたら男臭い半ベソを、
馬鹿だけどポジティブなおまえを、俺は決して忘れたりはしないから。
さようなら、さようなら、さようなら、
出鱈目な君らと出鱈目な僕らの、
サテサテ、仲直りのシルシに人ンちでナニをしやがったかホモどもめ。
気付かぬ振りも限界、得体の知れない汚染だらけのシーツを剥し、肌掛けも丸め、強引に押し込んだ洗濯機のスウィッチを押せばベランダの外、公園通りに続くアスファルトに二つ並ぶ後ろ姿を発見。
サヨウナラ、サヨウナラ、サヨウナラ
今はもう昔、通り過ぎた素敵なあの日々に。
それはくっつきそうでくっつかず、ゆっくりゆっくり小さく影になり輪郭になり、そして洗剤を放り込んだ一瞬の余所見を境にシュンと、幻のように俺の視界から消えた。
あーあ・・・・・・
青空を覆い、パンと広げた真っ白なシーツ。
濡れて冷えた水の匂い、潔くフローラルな香りがツンと目に沁みて、沁みたなこの香り、畜生すこぶるの快晴だと目を細め、空を見上げ、空は、置いてけぼりの空はなんて青く、なんてこれまた、まことに深く美しくあっけらかんと、まるで誰かさん達みたく、いやもうそっくりに、
さようなら、さようなら、さようなら、忘れ得ぬ青空、
白いシーツはためく青空に、その青空の下、無鉄砲なキミらはきっと、
サヨウナラ、お元気で、
どうかすこぶる幸せになりやがれ、君ら。
June 21, 2005
BGMはモー娘のハッピーサマーウエディングで頼むよ。
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