:: 欠けた左手 前編 ::


     ――― 美しいと思わないか?
     在るべき筈が無い。 しかし、それは在り得ない空間に必ずや存在する。


                             ***


    そこは、ほぼ円に近い12角形の部屋だった。 

渦を巻くように配置された人垣の中央に、一体の彫像が置かれる。 それは風を正面に受け若木のように撓る、どこか懐かしい顔立ちのアジア系の少女。 まだ未成熟な身体は曖昧な性を持ち、襞を寄せたローブの隙間、膨らみかけた乳房が囁く秘密のように覗く。 潔く晒された背中、頼りなく細い腰。 突き出した腰骨の少し上、螺旋に編んだ飾り紐が風を孕むローブを緩やかに少女の胴中に括り、踏み出す華奢な大腿の意外な力強さは、膝を打ち垂れ下がるフリンジをせっかちな振り子のように揺らした。 さながら、少女神の散策。 初々しく、しかし誘惑的で危うい異端のヴィーナスは語りかける瞬間に時を止め、ここに存在しない何者かに向かい柊を一枝、差し伸べる。 

徹底したリアリズムと根底に潜む歪な官能。 
歪さとは、明らかで唐突な欠落に在った。 

少女の左胸に乳房は無い。 無いのだ。 男はその欠落を慈しみ、愛し、およそ生の痕跡を残さぬ無残な断端部にそっと、指を滑らせた。 それが酷くセンシュアルであったのを、クガノは今も思い出す事が出来る。 

男の名はサカキ。 昨今注目を集める造形家であった。 かつてサカキはここで教鞭をとっていたが8年前に大学を離れ、まもなく発表した「欠落の美シリーズ」で世界的にも高い評価を受ける。 そんな知る人ぞ知る鬼才サカキによる特別授業が企画されたのは、半年前の事だった。 なにせマニアックな作風であるし、学内だけでは人数が寂しいのではと公募をしたところ、蓋を開ければ受講者は殺到し、結果、抽選により約半分が落とされる。 だからクガノは、幸運な二分の一だった。 この日、間近に見るサカキは想像以上に上背があり、蜘蛛のような四肢と肉の薄い白皙は、まさに彼の作風そのものだとクガノは思う。 

「さぁ、そこに命を吹き込むのが君たちの役目だ。」

サカキがぐるりと教室を見渡す。 一同手にしているのは、素朴な紙粘土。 
これより学生達は血肉たる粘土を、各自持参した骨組みに貼り付けて行く。 

     【偏愛する人体のパーツを創る】 

それが、本日サカキが提案した特別授業であった。 パーツはどこでも良いらしい。 目でも、鼻でも、手でも、足でも、自分がとりわけ愛しいと思えるその部分を切り取り、ここに再現してみようとサカキは授業の最初に言った。 そしてサカキ自身の作によるヴィーナス像を前に、こう、続ける。

「間違ってはいけない。 私は最も美しいパーツを、愛しさゆえに破棄した。 そう、この胸は無かったのではない。 在ったものが、無くなった。 だから失って尚、こうして鮮烈な美を主張する。」


クガノがこれから作るのは、耳だ。 コンと広げ、机の端に立てた鏡には、見慣れて見慣れぬ己の左耳が映る。 耳朶の薄い耳は財に縁が無いと言うけれど、クガノはその造形が好きだった。 うねり縮み広がり、どこにも属さず頭蓋に貼り付くそれは突然変異の茸に似ている。 鏡を覗きつつ、湿らせた指先で粘土を少しずつ千切った。 ぼんやりしている時間は無い。 テグスを張巡らせた土台に、クガノは慎重に粘土片を擦る。 天窓の逆光を受け、耳介のへこみがオレンジに染まった。 輪郭を縁取る、植物のような細かい産毛。 

それを、長い指がなぞる。

「・・・・・・ひゃッ・・・」

広げた指が飛び上がる肩を抑え、背後から伸ばされた腕が弾みで倒れた鏡を起こすのをクガノは見た。 耳の代わりに写るのは、愉快そうに口元を緩めたサカキの左半分の表情。

「申し訳ない、実に素晴らしい耳だったのでね、」
「や、あの、」
「しかしね・・・・これじゃ再現は難しい。」

サカキはクガノが手にする小さな土台を指すと、テグスの何本かを緩め、何本かを強く曳くように言った。 覗き込むサカキを鏡面に認めつつ、クガノは指示された通りの修正を行う。 結果、ほんの僅かな修正でちっぽけなワイヤーには命が吹き込まれ、微妙な曲線によるフォルムは艶かしくもあり、正にクガノ好みの耳、即ちクガノ自身の耳。 銀の輪郭を、サカキの指先が名残惜しそうにゆっくりと辿った。 その様は先刻、ヴィーナスの欠落を愛でたサカキのそれと重なって、俄かに生じた動揺によりクガノは咄嗟にサカキから目を反らす。 

自分の耳は、今、きっと赤い。

「あとは・・・・・・根気と才能。」

そう言葉を落とし、中腰のサカキが背を伸ばした気配をシャツ越しに感じた。 途端に解ける緊張。 溜め込んだ息を吐きそうになり、堪える。 首筋がまだ強張ったままだった。 何にうろたえている? 

上の空で礼を言い、飄々とした後ろ姿をクガノはぼんやりと見送った。 学生の渦を巡回し、斜め後ろ、唇を作る女生徒に、屈み込み何事かを話し掛けているサカキ。 その袖口には、しがみつく手形がくっきりと残る。 思わず声を上げそうになった。 さっき驚いた時のものに違いない。 あれでは、知らん振りを決めるには無理がある。 咄嗟にそこを掴んだのは、間違いなくクガノ自身に他ならなかった。

黒というよりは墨色に近い微妙な色合いのそれが、クガノの常識では想像のつかぬ品物だと、その仕立ての良さからも容易に想像が出来る。 弁償など、まず不可能。 クリーニング代という手もあるが、普段せいぜいコートを出すくらいのクガノにしてみれば、それすらどの程度の金額なのか想像もつかない。 メンタルな動揺は今や物理的なそれに代わり、クガノは気が気でない残り時間を過ごす。 

そぞろな気持ちで再現した耳は、もはや美の片鱗すら無いお粗末な出来であった。 


「これはまた・・・・・随分律儀な、」

窓の外、木漏れ日を網の目に弾くのは農学部の果樹園。 しかし部屋はあらゆる物に溢れ、ガラクタ箱の様相を表す。 夥しい数の書籍と無造作にばらまかれた用途のわからぬ雑貨、それら雪崩を起こしかねない堆積群の狭間、唯一の空間たる古びたソファーにクガノは座り、見下ろす男にもう一度頭を下げる。 -- とにかく謝罪しておこう-- それがクガノの出した結論であり訪れた講師室、器用に爪先でガラクタをより分けるサカキは戸口にかしこまるクガノを手招きし、自ら入れたコーヒーをカオスの空間で勧めた。

「凄い部屋だろ? 昔から変わらないよ、ここは。 でも、コーヒーは美味い。」

机らしき出っ張りに腰を預け、サカキはゆっくりカップを傾けた。 鼻を擽る香りは、確かにそこらの店で飲む物よりも遥かに上等だった。 手の平に優しい肉厚のカップ、誰かの作品なのだろうか? 温みのある手捻りは、クガノの緊張をも和ませる。 

「それ、すみませんでした。」
「これ? 貰い物なんだよ、五年だか六年だか、そのくらい前に金持ちの知り合いがくれた・・・・見兼ねたんだろうね、石相手と人相手と分け前ろと言われたよ。 以来、こればかりの着たきり雀さ、もういい加減着倒した。」
「でも」
「こんなのはましな方だよ。 以前ドイツでビールを被った事があってね。 その時、今の色に染めたんだ。 はは、元は綺麗な繭色でねぇ。」

両手を広げて見せるサカキ。 微妙な色合いの意外な種明かしに、クガノの表情も緩む。 笑うクガノをサカキはしげしげと見つめた。 その視線が、己を解体し始めている事にクガノは気付かない。 面白がってはいるが、浮かれた調子は微塵も無い冷静な目。 興味深い対象を、ことこかまかに観察する科学者の目で、サカキはクガノを見つめた。 そして、一つの提案を持ち掛ける。

「まぁ、君がどうしてもと言うなら一つ、お詫びを頂きたいのだが、」
「え?」
「君の一日を提供して欲しい」
「あ、あの、」

強張るクガノにサカキは、近く自宅アトリエの改築工事が始まるのだと言った。 施工期間、仮のアトリエとして現在物置代わりの部屋を使う予定だが、それに際し各部屋溢れ返る品物を早急に片付ける必要が有ると。 

「とても一人じゃ、手に負えない。 かと云って不躾な業者に入られるのも、気が進まないしね。  君、頼まれてくれるかい?」

断る理由などある筈が無い。 そこには謝罪の気持ちもあったが、もう一つ、サカキへ個人への興味も少なからずあった。 単純に、鬼才のアトリエをこの目で見てみたいと、クガノは思った。 頷くクガノに、サカキは自宅までの地図を書いて手渡す。 凭れた一山の麓付近から千切ったその紙片には、どこかで見覚えのある文字がぎっしりと並んでいた。 じっと見るクガノに気付き、その文字を注視するサカキ。

「おや?・・・・・これは、M先生の・・・・そうか、彼はここのOBだったか、」

厳しい担当教諭の、いにしえの文字。 

週末、クガノはそれを手に、乗客もまばらな列車に揺られる。 


K県の西、切り通しの美しい古い住宅地の一角に、サカキの自宅はあった。 目印は鳥だと言われたが、なるほど、それはすぐに目に入る。 敷地を囲う生垣の、所々にブロンズの止まり木が立つ。 そこで永遠を囀るのは青銅の小鳥達。 

「全部で18羽でしたね」

クガノはサカキに伝えた。 すると、してやったりと云った顔のサカキが、すいとクガノの足元を指す。 玄関脇、何気なく置かれた植木鉢の陰、雀の子供がちらりと顔を覗かせる。

「それがね、19匹目」

笑うサカキは、歳よりずっと若く見えた。 それを意外だなと思う。 クガノの知るサカキとは、針のような鋭い感性を持余し、神経質な白皙に皮肉めいた笑みを浮かべるどこか退廃の似合う天才であった。 無作法をすれば、すぐさまぴしゃりと斬捨てられる、そんな剣呑さを孕む緊張が常にその周囲に在る筈であった。 しかしどうだろう、こうして接するサカキは一つも奢らず、茶目っ気さえある親しみ安さではないか? 

中庭沿いに走るコの字の廊下。 案内されたそこには、あの講師室よりはましかも知れないが、しかし一筋縄では行かぬ堆積群がクガノを待ち構えていた。 何しろ物の数が異様に多い。 雑誌、書籍、コピーしたらしい分厚い紙の束、車輪の抜けた自転車、巨大なブロンズのドア、元は何かわからぬ干乾びた果実、工具、バケツに一杯の螺子釘・・・。

けれど、サカキはそれら一つ一つを記憶し、全ての所在を正確に把握していた。

「そりゃそうだろう、散らかした訳じゃない。 必要だから、ここに置いて在るのさ、」
「でも、先生以外には散らかってるとしか思えないでしょうね」
「だから、人に任せたくないんだよ。」

サカキはアトリエの手前から奥へ、クガノに物の在処とその運び先を的確に指示した。 
クガノは指示通りの物をそこから運び出し、指定された部屋、或いは場所にそれを移動させた。

意外な事に、その他の室内は雑多としたアトリエからは想像のつかぬ、およそ人の気配の無い無機質な整頓振り。 物置と聞くその部屋に至っては、まるで一つのディスプレイの如く美しく大量の物が詰まっていた。 しかも、定期的な掃除を怠らないのだろう。 あれほど物に溢れたアトリエにすら埃は殆んど無く、念の為に嵌めた軍手の白は、作業が後半になっても今だ白を残していた。 

管理された混沌。 それを、サカキは愉しんでいるのだとクガノは思った。 
やがて、傾く太陽が室内を赤く染める頃、大きく伸びをしてサカキが言う。

「今日は、ここらでもう、無理だろうな、」

アトリエの余白はまだ、前方三分の二程度に留まる。 半分よりは少ないが、あと少しには遠い。

「明日・・・先生の御都合さえ宜しければ、続きに来ますけど、」

そう申し出たクガノに、サカキが安堵の表情を浮かべる。 ならばそう焦る事も無いと運びかけの柱時計を脇に寄せ、二人は作業の終了を決めた。 明日の打ち合わせを簡単に取り決め帰り支度をするクガノに、夕食を食べていかないかとサカキが勧める。 が、クガノはそれを丁寧に辞退した。 

「せっかくですけれど、これから叔父の転居祝いに呼ばれているんです。」
「ならば明日は是非、予定を空けて欲しい」 

ともすれば、命令に近いサカキの要望。 
曖昧に頷くクガノのこめかみに、ひょいと伸ばされた指先が触れる。

「耳が、」

指は生え際を滑り、伸び過ぎた髪を払う。

「隠れてしまう」

たかが耳なのに、

「出し惜しむのは、罪だろう?」

たかが耳なのに、酷く気恥ずかしかった。

もっと際どい何かを見つめるような、貼り付くサカキの視線に揺さぶられ、クガノは靴紐が結べない。 屈みこむ己の頭上、きっと注察しているだろうサカキを、今やクガノの全身が馬鹿馬鹿しいくらいに意識していた。 そして震える指をポケットに隠し、緩んだ靴紐をそのままに、クガノは屋敷を後にする。

さよならを言うサカキを、まともに見る事が出来なかった。

早足に、小走りに、やがて疾走する駅までの路地。 点滅する街灯の下、急停止のクガノは荒く息を吐き両手で顔を覆う。 芸術家とはそんななのだと言い聞かせても、自意識過剰だと戒めても、どこかで違うと声がした。 それは違う、それはきっと確かに違う。 何より恐ろしかったのは、それに飲まれてゆく自分。 飲み込まれても、それを良しとするだろう自分にクガノは震えた。


けれど翌日も、そこにクガノは向かう。


出掛け、祖母は庭の編み笠百合を二輪、クガノに持たせた。 繊細なそれを折らぬようクガノは慎重に電車を乗り継ぎ、静かな路地を抜ければ物言わぬ19羽の小鳥を数える。

「貝母じゃないか?」

花を受取ったサカキは途中台所で水差しを満たし、それを手に廊下の奥へと進む。 

コの字の廊下の中央、だだっ広い箱のような部屋、所々にステンレスのパーテーションが小さな行止まりを作り、それぞれに自身の作品が飾られている。 サカキはその一角に足を停め、パーテーションに括られた海老茶の硝子瓶に水を満たした。 そして漸く、潤いを得る花。 俯く花に看取られ、片足の老人が息を引き取る。 有り得ない形で捻じ曲がり、地に横たわる痩せこけた老人。 老人の手には、美しい花簪が握られている。 ポカンと開いたまま何も映さない洞穴のような目。

「綺麗だと思わないか? 」
「でも、死んでしまったら、」
「そこで、静止するだけさ。 死は我々に何の見返りも要求しない。 始まりでもなく終わりでもない、在るのは死の事実と残された者の主観のみ。 憎まれた者は憎しみを、愛された者は愛のみを唯携えて、永遠にそこで静止する。 僕はこれ以上の正しさを知らない。」

案外、脆いのかも知れないとクガノは思う。 

死への憧憬、欠落への執着、変化する何かを恐れ、研ぎ澄まされた五感は予兆を見逃すまいと常に張り詰めて余裕が無い。 クガノはサカキの根底にある不安と歪みを垣間見た気がした。 その一方で、この場所で時を止める幸いを空想し、享受したいと願う自分に怯えた。 


一杯のコーヒーの後、作業は再開する。 昨日ほど遮二無二ではなく、昼食と休憩を挟み余裕のペースで進む。 昼過ぎからは、より細かい作業へと移った。 そろそろ、終わりが近付いていた。 午後5時を前にして、クガノは最後の品物を裏庭の隅に運ぶ。 曲線が美しい、鳥の居ない鳥篭。 東屋に佇む青銅の子供に、サカキの指示通りそれを持たせた。 途端に子供は表情を変える。 霧雨に打たれ、逃げた小鳥を目で追う途方に暮れた子供。

クガノにとって、サカキと過ごす時間は満ち足りていた。 博識ゆえ話題には事欠かず、独自の考え方、言葉の選び方には虚を突かれる事が少なからずある。 クガノは既成概念を砕かれる容赦無い爽快さを、幾度かサカキによって味わう。 かつて経験の無い知的でスリリングな遣り取りに、クガノはすっかり魅せられていた。 例えばそこに、行き場の無い焦燥があったとしても。 

母屋に戻ると、アトリエにサカキの姿は無かった。 微かに聞える生活音を便りに、クガノは廊下を逆行する。 すると台所のドアが薄く開いており、シャツの袖を捲り上げ小さな脚立に立ち、天井近くの吊るし棚を危なっかしい様子で探るサカキ。

「何してるんです?」
「缶詰がね、ここらに、」
「あ、右奥、」

サカキの頭上、右奥の棚に赤いラベルの一列。 

今夜は魚を焼くのだとサカキは言った。 だからスープはここから選んでくれと、見上げるクガノに数種類を読み上げる。 クガノはシンプルなコンソメを選び、サカキはそれを二缶選り分けた。

「何か手伝う事ありませんか?」
「いや、御大層な事はしないよ」

構わず掛けててくれと、サカキは中央のテーブルを指す。 テーブルは真横にした洋梨の形。 途中、サカキは冷蔵庫から白ワインを出し、飲めるだろ? と並べたグラスに注いだ。 きりりとした咽喉越しは筋肉疲労に心地良く、気付けば二杯三杯と重ねるクガノだった。

間も無く運ばれたのは、丸々一匹グリルした鯛。 ほろ酔いのクガノは、わぁと子供の様に歓声を上げる。 腹に香草を詰め、塩を塗し焼いただけの鯛。 馳せた皮の裂け目に、白いふっくらした身が覗く。 そこにサカキがたっぷりのレモンを絞り、骨に沿ってナイフを押し当てれば、こんがりした皮がパチパチと小気味良い音で鳴った。 器用に身を外すサカキが、大皿の余白、こちらとあちらに取り分ける。 添えられたのはチーズとトマト。 洋梨のくびれを挟み、二人の晩餐が始まる。

「美味しい。」
「そりゃ素材が良いからね」

サカキが料理をするのは知っていた。 昨日の昼は、ここでトマトのパスタを食べた。 ニンニクと塩とオイルだけなのに、シンプルで美味いパスタだった。 今日の昼にはサンドイッチを食べた。 ステーキ用のヒレ肉を塩コショウでざっと焼く。 そうしてバターと粒マスタードを塗りつけた生地の荒いパンに、千切ったレタスと一緒にポンと挟んで皿に盛った。 どれもシンプルながら素材を堪能出来る、豪快で贅沢な料理。 美味い魚に舌鼓を打ち、ワインも二本目に入り、日頃無口なクガノもそれなりに饒舌になる。 

だから、そんな話題に抵抗無く入ったのかも知れない。

いつしか二人は、カニバリズムについて熱っぽく語る。 
クガノは「独占欲」と「征服」だと主張し、サカキは「同化」する事による何らかの「成就」だと主張した。

「勿論それもあるだろう。 強さを、美しさを、その才能を独占したいと願い喰らう。 征服したいが為に喰らう。 しかし、それでは捕食の域を出ない、奪うばかりでは何も生まれない。」

ワインを飲み干すサカキの、大きく上下する咽喉仏。 
優雅に上下する冷たいフォークの鋭利な切先。

「肝心なのは、与える側の意思だ。   ------ 君には出来るかい?」

解体する視線。

「・・・・僕は、」
「君は、与える事が出来るかい?」

視線はクガノを刻み、瞬く間に取り分け皿に盛る。 
トマトの赤が、艶かしく光る――― を、フォークの銀に突き刺す。

「持ち得る全てを与え、失う事よりも同化する幸福を選ぶ事が、君には出来るかい?」

洋梨のくびれ、魚の残骸、余白に縺れ合う赤と白。 
近付くサカキの視線を除けなかったのは、クガノの答えなどでは無い。 
フォークが皿の縁を滑り、不躾な音を立てる。

「・・・・・・わかりません、でも、」

でも、答えでは無いがそれを待ち詫びていたのは紛れもない事実だった。

引き寄せられ抱え込まれ、クガノの腕は更に行き場を無くし男の身体に巻き付く。
薄いシャツが、跳ね上がる鼓動をもどかしく伝えた。
女とは違う自分とも違う、骨ばった硬い身体を感じ、溢れるリアルな衝動にクガノは溺れる。

捕食されているのだろうか? 

「・・・・・ッ、・・・・」

唇は瞼を滑り、湿った感触が眼球を嬲り、鳥肌の立つ快感に小さく声が上がった。

ならば全部、奪ってくれと思う。 残さず喰らい、奪い、溶かし、触れ合う全てと同化させてくれと思う。 サカキの指、サカキの唇、サカキの腕、サカキの瞳、全部が欲しい、全部を奪ってしまいたい

   ――― さもなくば、求めるそれら全てになりたい。 

かりりと耳朶を噛まれて跳ねた。 

目を閉じて、サカキの全てを味わった。 

与えられ、貪り尽くすのは自分なのかも知れないと、クガノは思った。



                                              ⇒ ⇒ ⇒  続く 



         百のお題  077 欠け左手