(3)

「ほほほほ。相変わらず、お上手ですこと。ゲラン伯。女性を褒める事に関しては、社交界随一と言われただけありますわね」
「バルドー公。私は本気で言っておりますぞ。相変わらず貴女は本当にお美しい……」
晩餐の食事後に設けられたの歓談の席で、B.B.とゲラン伯爵の会話をふと耳にした、ミシェルはとても複雑な気分になった。晩餐の前の夕暮れ時に、あれほど熱く自分を見つめ、求愛していたはずの伯爵がB.B.と和やかに会話している。ミシェルはなぜか、その光景がとても腹立たしく思えた。
なぜ、そう思うのだろう?と、考えていたら、兄のことを思い出した。
同じような、晩餐の席。舞踏会。兄に話しかける夫人や令嬢。にこやかに応じる兄。そんな兄を見るのがとてもいやだった事。兄に近づく女たちが嫌いだった事。「兄と最後に踊るのは私」といつも言い張っていた事。
兄を独り占めしたいが為に行った数々行為は、今考えれば、大人気ない事だと気づく。
ミシェルは昔感じた、あのいやな感情を思い出し、大きくため息をついた。

「随分と、お疲れのようですのぉ」
ミシェルが立ち止まったままついた大きなため息を、すぐ傍の長椅子に腰掛けていた、ローラン侯爵が気付いた。
「まぁまぁ。お座りなされ」
侯爵の頭頂部は禿げ上がり、頭の両側に残された白髪も僅かなもので、それとともに顔中に深い皺が刻み込まれた風貌から、かなりの老齢であることが伺える。だがその黒い瞳の眼光は鋭く、今日の調印後に交わした握手は力強かった。この皺だらけの細い手のどこにそんな力があるのかと、ミシェルはその時驚いたことを思い出した。

「恥ずかしいところを見られてしまったようで……」
今日一日、ミシェルにとって、予想もしなかった色々な出来事が起った。
そのせいか、晩餐の席で気もそぞろになり、諸侯との会話で気の利いたことひとつ言うことが出来なかった。最後の最後でとうとう失態を演じてしまった。そう思っていたところに、昔の良くない感情を思い出してしまったのは追い討ちであった。
ミシェルは少し落ち込んで、人の話を真剣に聞く気分にはなれなかったが、これも勤めだと言わんばかりに、懸命に侯爵の話に耳を傾けようとした。
「いやいや。お気になさらんな。恥ずかしいのは儂の方じゃ。旧王家、コルベーユ王に忠誠を誓い仕えながら、王家滅亡の際に我が身かわいさに辺境まで逃げてしまった、領主のひとりじゃからな」
「そのお陰で閣下は生き延び、今こうして我が人民軍にお力を貸してくださる。我々にとっては、過去はどうであれ、今の侯爵閣下がいてくださること自体がありがたいのです」
「ふぉふぉふぉ。こんな老いぼれを必要とされるとは。御世辞とはいえ、気持ちのいいものじゃのぉ」
侯爵のくだけた物言いに、ミシェルは安堵した。かなりプライドが高く、交渉も難航するとばかり思っていた相手が、意外にもあっさりと味方になってくれた。これで旧王家の側近の生き残りの貴族たちが、こぞって手を組んでくれるのではないかとの期待も出来る。
わざわざ「王家の血を引く」クレオを引き合いに出さなくても済む……。
「ときに、ミシェル殿。ちと、お願いしたいことがあるのじゃが……」
また、ふとクレオのことを考え、焦ってしまったミシェルに、侯爵が急に改まったように言った。
「なんでしょうか?」
「あの、ガラスの戦艦の艦長、クレオとかいったかのぉ……彼を紹介して下さらんか?」



宴の終わった深夜のバルドー城の中は、一見ひっそりと静まり返っているように思える。
たが、実際は皇帝軍との闘いに備え、城の地下の動力部では、連結した領土艦とのソレイユの供給を互いに安定させる為の作業。通信室はでは暗号通信の傍受。戦艦格納庫では戦艦や武器類の整備が、深夜であっても人員を交代しながら休むことなく続けられている。

ミシェルは一度床についたものの、妙に神経が昂ぶり、寝付かれず、寝間着の上にガウンを肩にかけただけの姿で、城の廊下を歩いていた。
その足は昨日の昼下がりの時と同じく、クレオの部屋へと向っている。
もし、部屋にいなければ、どこかの戦艦の整備を手伝っていたり、もしかしたらアイオロスにいるのかもしれない。ノックをしても返事がなければ、すぐ部屋に帰ろう。昼間のように、いつまでも待つのは……。ミシェルは俯き加減でそんなことを考えながら、歩いていると、やがで、ふと感じた人のけはいで顔をあげた。

「よぉ。こんな夜更けにこんなところで、どうした?」
目の前に立つクレオの瞳は心成しか力がない。
「その台詞。そのまま返させて貰おう」
そう言うミシェルに、クレオはやられたと言わんばかりに苦笑した。
そんなクレオを見たミシェルは今まで抱えていた不安な想いの塊が、一気に溶け出したような気がした。
「クレオ」
「ん?」
「実は、お前に会いたいという方がいる。旧王家の側近だったお方だ」
「そうか」
「明日……いやもう今日だな。今日の昼、時間あるか?」
「ああ。俺は構わないぜ」
えらく素直に応じるクレオにミシェルは少し途惑う。
「どうした?えらく素直じゃないか」
クレオは少し押し黙った後、ぽつりと呟いた。
「……昼間はすまなかった。お前の立場も考えず……つい」
「お前らしくない事をいうな」
目を閉じて俯いたクレオは、なぜか急に弱々しく、儚げに見えた。
心の中で何か抑えきれない感情が溢れ出したミシェルは、思わずクレオの首に腕をまわし、俯いたままの唇に、下からそっと唇を重ねる。肩に引っ掛けただけのガウンが、するりと床へと滑り落ち、ミシェルは薄い寝間着だけになった。
クレオは驚き、一瞬目を見開く。が、やがて答えるように、ミシェルの腰に手をまわした。
ミシェルが唇を離すと、クレオが唇の端で僅かに微笑み呟く。
「で、どうするんだ?」
「私の部屋のほうが近い」
「……あのとき、お前『今だけ』と言っただろう」
「そうだな。さっきまで、そう思っていた」
「本当かよ?そんな格好で、もう『女』じゃねぇと言われても、納得できねぇな」
クレオはミシェルの寝間着の襟から覗く、晒の外された乳房の膨らみを見つめ、厭味ぽく微笑む。
その濃紺の瞳が、いつものような強さを取り戻してく様子をミシェルは見つめていた。


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