(2)

「貴女はラシーヌ様ですな」
「……いかにも」
改めて確かめる伯爵にミシェルは激しく動揺した。だが、なんとかそれを悟られまいと思い、毅然と応えようとした。
「伯爵。私が『ミシェル』でないとわかった今、条約を無効にでもするというお話でしょうか?ならば後日……」
だが、実際には動揺は増すばかりで、人民軍の代表として言ってはならい言葉が飛び出す。
「とんでもない!……そういうことでお話をしているのでは、ありませんぞ。あの……貴女が『ミシェル』だということは、やはり兄上の方が亡くなられた……というわけですな」
「……はい」
「失礼……。どうやら辛いことを思い出させてしまったようですな……」
「いえ……」
伯爵がミシェルにかけた言葉は意外なものであった。
ミシェルが現在置かれている状況をそれとなく察し、気遣いを見せてくれている。ミシェルは取り乱した自分を恥じた。
「あの……覚えておられますかな?私は一度貴女のダンスのお相手を……」
伯爵が続けて言った事にミシェルは途惑った。
人付き合いが苦手で引っ込み思案だった「ラシーヌ」の頃ミシェルは、積極的に社交の場に出掛けることはなかった。父の顔を立てる為にどうしても出なければならない場の他は、兄が誘って来なければ、人前に出るという事はめったになかったのである。
そうして出掛けた場でも、出来るだけ目立たない所にいる事が多く、誰かと話をしたり、ましてやダンスを申し込まれることは稀であった。
そんな頃の自分を覚えている人物がいる。ミシェルは伯爵のことを思い出そうと記憶の糸を手繰った。
やがてミシェルは穏やかに自分を見つめる伯爵の青い瞳に、はっとなった。
「確か、ラヴァンヌ子爵のサロンで……」
「そうです。思い出していただけましたか」

自分の兄に恋焦がれていた、あの頃のミシェルには、この世に兄以上に素晴らしい人物がいるとは思えず、どんな男性と出会っても全く興味を持つことはなかった。
たが、このゲラン伯爵にダンスを申し込まれたとき、宝石のような青い瞳とプラチナブロンドの美しさに息を呑み、思わず申し込みを受けてしまった事を思い出した。

「私はあの日の貴女が忘れられなかった。もう一度お会いすることが出来れば……と思っておりました。だが、あの後よりこの戦乱の世が続き、もうお会いすることは叶わないと思い諦め、戦火から領土を守るため、辺境の宙域へと逃れていたのです……。そのような中、バルドー公と人民軍の「ミシェル=ヴォルバン」の噂を聞きつけ、手を組むことを考えました。そのときにもしかして、貴女の消息も知ることが出来るのではと心の片隅で思いながら……ですが、まさかこんな形で貴女に会えるとは……」
伯爵が続けて言った突然の熱い語りをミシェルは、ただ、ぽかんとして聞いていた。

「おお。お時間があまりないと言われていたのに、こんな所で長話になってしまいましたな」
「いえ、禄にお相手出来ずに申し訳ございません」
ミシェルは出来るだけ事務的に答えた。だが伯爵は再び熱くミシェルに語り始めた。
「ラシーヌ殿。私達が銀河を統一し、黒十字の恐怖から逃れ、平和になった暁には、一人の男としての私と会って頂きたい」
「……もし平和を勝ち取ることが出来れば」
ミシェルはどう答えればいいかわからず、曖昧に返事をした。
「どうか、お手をお許しください」
伯爵の求愛に途惑いながらも、ミシェルは右手を差し出し接吻を受けた。
「それまでは「ミシェル=ヴォルバン」と共に銀河を統一し、人々を救うために、力を尽くしますぞ」
「ありがとうございます」
「……では後ほどの晩餐の席で」
ゲラン伯爵は満足げに微笑むと一礼して、ミシェルの前から立ち去った。

ミシェルは暫く頭の整理がつかなかった。この状況下で「ラシーヌ」を知っている人物に出会い、求愛されるとは想像もしなかったことである。
最後には「ミシェル」としての自分と共に力を尽くすと言ってくれた伯爵を非常に好ましい人物だと思った。そしてあの頃も、兄以外に興味を持った男性が彼ぐらいであったことを思い出した。

そんな過去の記憶に苦笑しながら、去ってゆく伯爵の背中を眺めていると、突然太腿あたりに、ぽん。と何かが触れた。
ミシェルは思わず剣に手をかけ振り向いた。
「よっ!大将!スミにおけねぇな」
「バダット!何をする!もう少しで抜くところだったぞ!」
「すまねぇ、すまねぇ。でもよ、大将。さっきの紳士じゃねぇけど、最近のお前さんを見ているとよぉ、つい、こう手が……」
にやにやと笑いながら、再び太腿を触ろうとするふりをする、バダットの手からミシェルは反射的に身体を逸らした。
「最近どんな感じだ?素人相手に戦艦の整備を教えるのは大変だと思うが……」
「おかげさんで、順調だぜ。最近連結した領土艦の中には軍や整備の経験者が多くて、色々助かっている。こんな人材が確保できたのも、きっと大将の人徳のおかげさぁ」
「それは、よかった」
ミシェルがなんとか真面目な話題に持っていったのもつかの間。バダットは再び、にやにやと笑いながら、ミシェルをしげしげと見つめた。
「……実はよ。最近、お前さんがやっぱり『女』じゃねぇかと聞いて来るヤツが、後をたたねぇんだな。これが」
「……え?」
「俺は敢えて何もいってねぇよ。でもよ。お前さん気ぃ付けたほうがいいぜ……ちと最近色っぽくなり過ぎだ」
「なっ!何を……」
バダットはそんなミシェルが好ましい。と言いたいのだが、ミシェルは、とてつもなく屈辱的に感じ、バダットを睨みつけた。
「まぁまぁ。そんなに怒りなさんな……」
ミシェルが胸元のポケットのあたりに手をやり、今にもハンカチを取り出して投げ出しそうだと感じたバダットは、さすがに言い過ぎたと慌て、話題を変えた。
「クレオなんだけど……あいつ、女の扱いはイマイチでな。お前さん、色々不満かもしれねぇが、あれで普通なんで、許してやってくれ」
あっ。とミシェルの頬が赤く染まる。
「でもお前さん、自信持ってもいいと思うぜ。俺は。別にあいつから聞いたわけじゃねぇが……まぁあれだ、長年のつきあいのカンてやつだ」
そう言われると、バダットを睨みつけていたミシェルの表情が柔らかく変化した。
バダットは自分が一番言いたかったことをミシェルに告げたようで、満足げにひらひらと手を振りながら飄々と立ち去った。

「よぉ。えらく、ご機嫌じゃねぇか」

入れ替わるように聞こえた、待ち望んでいた声に、ミシェルの胸は一気に高鳴った。

「……お前。あんなオヤジどもがいいのかよ?」
だが、クレオは不機嫌な様子で、ミシェルにとっては訳のわからない事を言う。
「どういう意味だ?バダットとはちょっと話をしていただけだ……」
「バダットだけじゃねぇだろ?」
「……まさか最初から見ていたのか?」
「そらぁ。俺の部屋の前でいつまでも突っ立って、ごちゃごちゃやっているからさ」
話の内容まで聞かれていたのだろうか……少なくとも、手に接吻された所や太腿を触られた所を見られたのか。と思ったミシェルは急に気恥ずかしくなり、クレオから視線を逸らした。
「来いよ」
クレオは唇の端で、ふっ。と僅かに微笑むと、ミシェルの手首を強く掴んだ。

「痛じゃないか!」
そのまま部屋の中へと引き込まれたミシェルが叫ぶ。クレオはもう片方の手でドアを乱暴に閉めると、ミシェルの身体をベッドの上へと投げ出した。
「何をする!」
「……今更何言ってんだよ。いいだろ?」
クレオはベッドに仰向けに倒れているミシェルに覆い被さると、唇を重ね、強く吸い上げながら執拗に舌を絡ませる。

確かに、もういちど抱かれたいとも考えながら、ここへ来た。今、されている事は、本当は望んでいた行為であるはずだ。でもなぜ、いきなりこんな乱暴な扱いを受けるのかと、ミシェルは理不尽に感じた。
「ん…ぁ……」
だが、そんなクレオであっても受け入れようと反応する己の身体にミシェルは混乱する。
混乱の中、クレオの執拗な接吻から、一瞬だけ思わず顔を背けると、チェストの上に載った時計が目に入った。
荒々しく呼吸をしながら、自分の軍服のホックを外し始めたクレオを他所に、ミシェルは妙に冷静な気持ちで時計の針を見つめた。

「……やめてくれ」
ミシェルの細々とした呟きを、無視するかのように、クレオは続けてミシェルの軍服の下のシャツのボタンを外していく。
「……ちっ。そうだった。面倒くせぇな」
ボタンを外しかけたクレオは、ミシェルの肌蹴た胸に固く巻かれた晒布を前に毒づいた。
そう言って、一旦身体を離したクレオの濃紺の瞳はまだ熱く、ぎらぎらとミシェルを見つめている。
だがミシェルの翠の瞳は極めて冷静で真剣だ。
「……お願いだ。本当にやめてくれ。この後すぐまた諸侯との晩餐がある。時間がない」
「なんだよ。久しぶりだというのに……冷めてぇな」
クレオの意外な反応に、ミシェルは思い出したように抗議をする。
「それは、お前だって……私をずっと無視していたじゃないか」
「そんな覚えはねぇよ」
「だったらどうして……たまには部屋を訪ねてくれても、いいじゃないか」
「その台詞。そのまま返させて貰うぜ」
「…………」
そこで、何も言えなくなったミシェルは暫くの間、クレオと互いに見つめ合ったままだった。
どうしようもなく、もどかしい思いが錯綜する。

「行けよ。時間がねぇんだろ?」

やがてクレオが重い口を開いた。あれだけ、ぎらぎらと熱く燃えていた瞳はすっかり醒めている。
ミシェルはクレオから視線を逸らすと、肌蹴た服の前を持ちながら、なにも言わず立ち去った。


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