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『Burnin'X'mas』

「……ら、夢もいいけど、私も見て欲しいの。だって、いくらなんでも……。
 ねえ? ねえってばー! 聞いてる?」
 早智子の左手が勢いよくテーブルを叩いた。テーブルに軽く触れていた右膝に振動が伝わり、ボクは小さくソファーから浮き上がった。着地した尻から頭の天辺に衝撃が駆け抜けて、直前の会話の記憶がクラッシュする。
「え?」
「やっぱり聞いてない! ショウってば、もう酔っぱらってんじゃないのーっ?」
 そんなことはないと思う。
 さっきからシャンペンをぐびぐびと――喉をお行儀悪く鳴らしながら――呷っているのは早智子の方で、ボクのグラスの中には乾杯のときに注いだ液体がまだ三分の二も残っている。
 それに、ボクは酒が回ってくると頭皮が放熱するような感覚に襲われるので、ちゃんと「酔っている自分」を自覚できるんだ。
「なぁ、今何時かわかってる?」
 早智子が叩いたせいで歪んだテーブルの向きを直しながら尋ねる。できるだけ不機嫌そうな声を作ったつもりだけど、酔っぱらっている早智子がボクの意図を察してくれるかは微妙だ。
「えー? んーと、私の腕時計では午前零時十三分……うわ、縁起わるっ! で、秒は……五十……二、三、……十四分!」
 やっぱり、察してくれなかった。
「で、今日は何の日だ?」
 今度の声の不機嫌さは、演技じゃない。
「十二月二十四日、あ、もう二十五日か……。メリー・クリスマース! どんどんぱふぱふ〜〜!!」
「そのクリスマス、時刻は夜更けに、僕(ひと)ん家でなにやってんの?」
 不機嫌さがついに顔に出てしまったのが自分でもわかる。
 新年を気持ち良く迎えるべく禁煙中だったけど、猛烈に煙草が欲しくなった。
「冷たいなー、ショウくん。キミと私の仲じゃないの!
 小・中・高とずーっと一緒に過ごした思い出に免じて、多少の無礼は許してよ。ね? ね?」
 屈託のない早智子の笑顔。これで赤ら顔じゃなければ、どんな無礼も許せるんだけど。
「学生時代は、こんな悪酔いする奴じゃなかったよ」
「だって、未成年だからお酒なんて飲まなかったもーん。真面目ちゃんだったしぃー」
「……」
 色んなことを諦めて、ボクは灰皿を手元に引き寄せた。
「サチ、煙草持ってる?」
「うん。ライターもいるでしょ? へへ……、超カッチョイイよ。ジッポーでーす」
 早智子は鞄から煙草とライターを取り出し、次々とこちらに放り投げた。
「うわっ、手渡ししてよ!」
 煙草は難なくキャッチしたが、重たいオイルライターは手の中で弾み――忍者ハットリくんの友達にそんな名前の怪獣がいたよなぁ、なんて余計なことを考えてしまったためか――フローリングの床に落下した。
「あっちゃー」
 小さく跳ねて転がったライターを追って、ボクはテーブルの下に潜り込む。
 そして、見た。
 向かい側のソファーに座っている早智子の足。ミニスカートからにょきっと突き出した、白い足。ストッキングを履いていなくて、今日はロングブーツなのに蒸れないのかなぁ……なんて余計な心配をしてしまう、眩しい生足。
 ラッキーだと思ってしまう自分が嫌だ。思わず生唾を飲み込んでいる、親父臭い自分が嫌だ。そして……、このままテーブルの下を潜り抜けて早智子を押し倒す度胸のない、臆病な自分がなによりも嫌だ。
「あれ? 見つからないの?」
「う、ううん、あったよ」
 テーブルの下でにやけた顔をどうにか引き締めてから、のろのろと外に這い出る。徐々に遠くなる生足に、心の中で手を振った。
 ボクはソファーに深く腰を下ろし、煙草を銜えた。まずは火を点けずに吸い、口の中に広がる久方振りの味を確かめる。
「火ぃ点けたら、ちゃんと返してよ」
「バーカ、こんな高そうなの盗らないってば。
 なに? カレシからのプレゼントとか?」
「……」
 今まで饒舌だった早智子が突然押し黙ってしまった。グラスに残っていたシャンペンを一気に飲み干すと、無言でおかわりをなみなみと注ぐ。
「……図星、か」
 彼氏持ちの人間がクリスマスに友人の家に押し掛けてきたのは、その彼氏との仲がこじれたからに決まっている。もう少し早く気付くべきだった。
「ショウこそ、彼女と約束してないの?」
「なにを今更……」
「えへへ、もしそうなら、晩までには帰らないとな〜って」
 まだ今夜も明けていないのに、次の夜まで居座るつもりらしい。
「残念なことに、今はフリーだよ。でも、だからって居座るな」
「えっ、そうなの? 新しい彼女が出来たって教えてくれたのって、確か――」
「二週間前」
 アルコール漬けの脳じゃ、すぐに記憶を引っ張り出せないだろうから、先回りして教えてやる。
「そうそう! この前の学科の飲み会のときに聞いたんだったね。
 で、いつ別れたの?」
「三日前」
「なにそれぇ? 普通、クリスマスが終わるまでは持たせない?」
 イブに彼氏と喧嘩してボクの家に上がりこんでいる奴にだけは言われたくない。
「うーん、なんかさぁ、合わなかったんだよ。年上だったから、なにかとお姉さん風を吹かす人でさ……。ボクも主導権握りたい方だから、こりゃ長く続けるのは無理だなって」
 なにからなにまで意見がぶつかり合い、まるで喧嘩するために付き合ってるんじゃないかと錯覚してしまうほど酷い十日間だった。唯一あっさり決まったのがクリスマス前に別れることだというのが、この交際の不毛さのなによりの象徴で泣けてくる。
「ボクには、年上よりも年下の方が合ってるのかな」
「そう言えば、高校んとき、ショウが初めて付き合ったのも後輩だったねー。清楚なお嬢様タイプの子」
 ああ、そうだ。

    ――あの、先輩……。私、クッキー作ってきたんです。お口に合うかわかりませんが……。

 高校時代のボクは後輩にけっこうモテた。バスケ部のレギュラーとして、そこそこ活躍していたからだろう。
 そして、彼女も取り巻きの一人だった。

    ――先輩、この後予定はありますか? よかったら……、一緒に帰りませんか?

 髪が綺麗だった。だから、魅かれた。
 当時の早智子が腰まである超ロングヘアーで、手入れの行き届いたその艶やかな漆黒がとてもとても綺麗だったから……、だから、早智子の次ぐらいに綺麗な髪をしていた彼女と付き合った。

    ――先輩、せんぱいっ♡

「あのコ、私を敵視してたのよ。放課後に私のトコに来てさー、目にいっぱい涙を溜めて、私の相川先輩を盗らないでください!、って――なにを勘違いしたんだか」
 早智子は火照った頬に手を当て、苦笑いを浮かべる。
 勘違いじゃなかった。
 ボクがずっと見ていたのは、本当に求めていたのは、早智子だったから。

    ――私は代わりですか?

 そう、代わりでしかなかった。
 ボクは、泣きじゃくる彼女に何もできなかった。彼女が望む優しい言葉を、一言も掛けてあげられなかった。
「……ボクの恋って長続きしないんだよね。最後はどちらかが傷付いてジ・エンド。おかげで、今年もロンリークリスマス、ってか」
 溜め息を吐いて、わざとらしく頭を振る。
「えー? 今年は私がいるじゃない。このベリーベリーキュートな早智子ちゃんが!」
「自分で言うな。とっとと帰れ」
「いーじゃん。どーせ寂しい独り身でしょ? 二十六日になるまで居座ってア・ゲ・ル♡」
 それは、すごく嬉しい。
 でも、一緒の時間を過ごせば過ごすほど、早智子にとってボクは親友でしかなく、恋愛対象にはなりえないということを痛感させられるから……、すごく惨めにもなる。
 早智子が好きで、どうしようもなく好きで。「友達」から抜け出したいのに、拒絶されて今の関係が壊れてしまうことも怖くて。どこか雰囲気の似ている女の子たちと付き合うことで気持ちを誤魔化して。
 今、早智子を抱き締めることができたら、今までの関係から変われるのか? その柔らかな唇を吸い、首筋に舌を這わせ、控え目な胸を揉みしだくことができたら――いや、そんなこと、できるはずがない。
「本当に帰れよ。こんなとこで飲んだくれてるヒマがあったら、カレシと仲直りしろって」
 今日もまた、ボクは親友の仮面を被る。
「……」
「大丈夫。サチが、このまま終わりたくないって思ってるうちは。
 ベリーベリーキュートな笑顔を見せれば、多少のことは許してもらえるよ、絶対」
「……どうして?」
「え?」
 さっきから、早智子のグラスは空のままだ。底にわずかに残っていた液体も、とっくの昔に蒸発してしまっている。言動こそメチャメチャだったが、徐々に酔いが覚め始めていたのかもしれない。
「どうして、ケンカの原因が私だってわかるの?」
 今にも泣き出しそうな声だった。
「ボクは、サチの親友だから」
 静かに、宥めるように、それだけ言う。
 ボクは、早智子が大好きだから。今の彼氏と付き合い始めた頃のフワフワした笑顔を覚えているから。だから、気付いてしまったんだ。早智子の中のキラキラしたものが、今では輝きをなくしてしまったって。
 彼の夢を自分のことのように語っていた――毎日のようにノロケ話を聞かされるこちらはたまったものじゃなかったけど――あの頃と、夢を追い続ける彼に愚痴をこぼす今。変わってしまったのは誰か?――そんなことは、わかりきっている。
 このまま二人の仲がこじれたら――
「今は、ヒデくんの嫌な部分ばっかり見えてくるの。いいところもたくさんあるはずなのに、それを私は好きになったはずなのに、見つからないの」
 破局したら――
「わかんない。どんな顔して会ったらいいのか、わかんないよ……」
 早智子がボクのものに――
「好きなのに! まだ、ヒデくんのこと大好きなのに!!」
 ――なるわけじゃない。
「ここでボクに愚痴ってても、状況は変わらないよ」
 想いを胸に秘めたまま親友を演じ続ける。ボクが変わろうとしない限り、この生き地獄は終わらないのだとわかっていても。
 この聖なる夜、救世主が聖母の胸で安らかに眠ろうが、諸人がこぞって歌おうが、ママがサンタ――実はパパ――にキッスしようが、ボクには関係ない。奇跡なんて起きるはずがない。
「サチ、今何時かわかる?」
「えっと、午前一時四十……一分ぐらいかな。もう、こんな時間なんだ」
 ああ、まったくだ。
「で、どうすんの? まだ居座る気?」
「……」
 すっかり酔いの覚めた早智子は、親の機嫌を伺う子どもみたいな目でボクを見つめていたから……、これ以上突き放すことはできなかった。それが彼女のためにならないとわかっていても。
「飲み直す?」
「……うん」


 二口目までは大丈夫だった。
 三口目を口に含んだ瞬間、全身が震え、毛穴から一気に熱が放出されたのを感じた。しかし、体温の上昇は止まらない。頭皮が火照っているのがわかる。
 一寸の虫にも五分の魂。すっかり気の抜けたシャンペンにもそれなりのアルコール、ってか? ペースを考えないと、酔っ払ってしまいそうだ。
「顔が赤いよ?」
 グラスを回しながら、早智子が笑う。そう言う早智子も再び酔いが回ったらしく、傾けすぎたグラスの端から飛沫が飛び散った。その仕草に色気を感じてしまい、ボクの体温はさらに上昇する。少し頭を冷やさないと危険だ。
「温いな、これ。別の酒取ってくる」
 溶けかけた脳味噌でどうにか席を外す理由を搾り出し、ボクは腰を上げた。今までに酔って足元がふらついた経験はない――それが自慢だったりする――けれど、念のため、できるだけゆっくりと動く。
 なんとか今回も大丈夫だった。
「ついでだから、空いた瓶も持って行くよ。こっちに寄せてくれる?」
 ボクは、散らかったテーブルの上に手をのばした。
「あ、私がやるわ。ほとんど一人で飲んだんだし……」
 早智子もソファーから腰を上げる。
 手始めに、倒れている瓶から――二人とも、同じことを考えていた。
 触れ合った。
 ボクの右手中指の先端と、早智子の左手の甲が。
 一瞬だけ――その一秒の何分の一かが、ボクにはひどく長く感じられた――確かに触れ合ったのだ。その微かな温もりが大きな勇気に変わるまでには、それと同じぐらいの時間しか必要なかった。
「……サチ」
 ボクは、そのまま早智子の手を掴んだ。テーブルに右膝をつき、身を乗り出す。
「ショウ……」
 早智子は――
「……翔、子……」
 ――拒まなかった。


 相川翔子と鈴本早智子。
 私立張左女子学園の初等部・中等部・高等部で共に学んだ幼馴染――それが、さっきまでの関係。
 この後、それがどう変化するのか……、ボクにも、早智子にも、奇跡を起こした天使にも、まだわからない。

                                    fin?

 (2004/1/5 up)
 (2009/12/10 旧サイト版から少し修正)

あとがき
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