色の無い虹と握手



薄紅をさした少女のような肌ではなく
溢れんばかりの生気を漲らせているわけでもなく
磨かれた陶器色の皮膚に日差しを受けた印象のない、お世辞にも健康的だとは言えない顔色。
感情を表に出すことが少なく、冷たいとは違うが抑揚の乏しい表情は僅かにあたたかさが欠ける所為か、傍聴席から彼の仕事ぶりを見る限りその隙のない細部まで凝らしたロジックと端的でいてそれすら計算しつくされたかのような言動についつい同じ人間だということを忘れてしまいそうになる。
精密機械だ…そこまで露骨ではないにしろ、ヒューマノイドかと目を凝らしてしまう。
多少なり彼と親交を交えれば変化に乏しいながらも彼にも人並みの感情は存在し、それによって微妙に顔色が変わることも分かってくる。存外、第一印象などというものはあてにならないと言ういい例だけど…。
「あのさ、前から思っていたことだけど御剣って根詰めすぎなんじゃない?」
でも、二日ぶりに対面した瞬間、彼の体調を案じることができるくらいになるまでには、普通以上の親交を深めなきゃできないことで、変わらぬ表情の端に疑問のかけらを読み取れるくらい密な付き合いをしている証拠で
「…君は、法廷以外でも趣旨を欠いた発言が得意なのだな」
逢瀬というには仰々しい、現場封鎖のために張られたKEEP OUTの黄色いテープを挟んで二人は二日ぶりに顔を付き合わせた。
「あれっ、現場検証はもういいの?」
KEEP OUTの向こう側では私服警察官の姿がちらほら見え隠れしていたが、それを背にして境界線テープをくぐる御剣に成歩堂はきょとんとした声を上げる。
御剣は監視に立つ制服警官の敬礼に軽く頷き外したばかりの手袋を上着のポケットにたたんで入れながら
「うム、証拠に成り得る事柄は把握した。結論を急ぐわけではないが、現状を覆すほどの証拠品がでない限り問題なく即日結審となるだろう」
静かに、淡々と勝利宣言をした。
刑事裁判に関わるたび、ピアノ線並みの細さの綱を目隠しで渡るくらいギリギリ状態の自分には逆立ちしたって真似できない自信と確信に満ちた言動に、強い憧れを抱きつつ
「これから局に戻って残業コース?」
おおよそ間違いないであろう推測を口にする。
「抱えているのは件の事件だけではないからな」
「…そう‥」
多忙を極める職務だけならば、こんなに心配したりしない。天職とは言わないまでも、そこに遣り甲斐を感じているのならば身を削る日々でも幸せだと思うから案じたりなんかしない。
「担当弁護士は君ではないと聞いているが‥遠路遙々散歩に来たのかね?」
短く頷いたまま言葉を途切れさせた見物人に御剣は水を向けた。
「ははっ、そうだね‥ぼくは散歩がてら民事の実態調査。今依頼されてる二件がたまたま近場に重なってたからね」
「民事‥そうか‥」
「今回も、お前と法廷で語らうのは見送りだね。事件は休む間のなく起こるのに中々君の扱う件と重ならないから不思議というか‥残念というか‥」
「依頼主が聞いたら不謹慎だと叱責されそうな私情だな」
「オフレコだけどね」
互いに苦笑を交え法曹界の現実をなぞらえる。
刑事裁判と言うのは言葉は悪いけど扱う件とすれば花形だけど、依頼主あっての弁護士家業は一般市民の立場に立った活動の方が中心的だ。人生相談のような法律相談や、法の仲裁によって穏便に解決したい事柄など細々とした草の根運動的な仕事が多い。
だから常に刑事事件を扱う御剣とまともに法廷で顔を付き合わせることは少なく
「‥これもオフレコだけど、御剣と会えなくて寂しかった」
ぽろっと、本音が口を吐いてしまう。
「会えたら会えたで顔色悪いし‥もうちょっと自分を労わったら?」
「ム‥私が自己管理を怠っているとでも言いたいのか?生憎だが、体調はいつもどおり万全だ」
更に、愚痴ともいえないようなことまで追加して、和やかムードに暗雲が立ち込めた。
「違うよ、そーゆーことじゃなくて‥ごめん、没頭できる仕事があった方が君にはいいってのは分かってるんだけどね‥‥それだけじゃない気がしただけだよ」
ごめん、立ち入りすぎた。
吐き出せない言葉を強引に飲み込んで、成歩堂は薄く笑う。
深まった親交の中でのみ解ることがある。一度は叩き壊した心の殻でも、自己を守る為にそれは容易に再生し以前とは違う意味での檻となる。
全部曝け出して‥そう望むのはエゴだ。
自分には全てを知る権利がある‥そう主張するのは傲慢だ。
生きてゆく為に再生したかさぶたのような檻を抉り、掻き毟るのは解っていると言い張りたいだけの‥有りもしない権利の行使だ。
ただ、顔色が悪いねって‥忙しいのは解ってるけどちゃんと寝なきゃ‥そう言いたかっただけなのに。
それですら過去の傷を抉ることになるのかもと‥下手な勘繰りをしてしまう。親密であるが故の躊躇いは些細な場面にいつも何気なく潜んでいて言葉を詰まらせる。
「君は‥心配が過ぎる」
なのに当の本人はいつだって何食わぬ顔をして強さを装うから
「っ、それは‥そのくらいはぼくに許されたささやかな特権だって思ってくれてもいいじゃん!恋人同士なんだから心配ぐらいさせてよ」
大人気ない意地を張って弁解する自分が情けないやら必死だなぁと呆れるけれど。
「そ、そういうものなのか?その…君の言うアレならば心配させないようするのが礼儀なのではないのか?」
「そんなヒドイ顔色しててよく言うよ。ご飯ちゃんと食べてる?ベッドで寝てる?ソファーや書斎の椅子でうたた寝したまんま出勤なんてしてない?こんな風に君のこと知ってるからこそ言えるぼくの幸せを君は誤解してる。だから恋愛反射神経が鈍いって思われるんだよ」
「ム、滑稽なほど顔色がビリジアンになる君に言われたくない。それに、ニブイだと?いったいどこの誰がそんな失敬なことを考えているのだ」
「ああ、どうせぼくは失敬さっ…でも、訂正はしないからな。君が鈍いのは真実なんだから」
そして、大人気なくも張らなくてもいい意地を張り、しなくてもいい口論をしてしまう。
誰だい?恋は蜜のように甘いって言ったのは。
それが本心からの言葉なら自分は恋をしていないことになるし、皮肉を篭めての言葉ならもっともだと頷くしかない。だって、糖度が過ぎると舌が痺れて辛いもんなんだと聞いたことがあるし…それこそ知覚神経が麻痺して味盲になるらしい。
それともこの恋が他とは異なるものだとか?
押すことはあっても引くことのない恋愛とは中々どうして、挑発的だ。ほぼ、同じ目線で睨み合う二人は傍から見れば険悪な状態らしく、制服の警官が事情がわからないなりにも居心地悪そうで、コホンと一つ咳払いをした。
自分の感情に正直な子供の喧嘩は微笑ましいで済むけれど、余裕がありそうでない大人の言い争いは見苦しい。
「……まいったなぁ‥二日ぶりの会話がこれって‥」
「関係が終盤の夫婦みたいだな」
我に返って唖然とする。
「よしてよ、縁起でもない。どうせならお互いの距離を探り合ってる最中の、出来立てほやほやカップルって言って」
「そ、そのようにアレな関係だと公言するのは‥イササカ勇気がいる」
くっ、とほのかに微笑んだのは肩を竦ませた青い背広の弁護士の方で‥。
「明日‥ぼくんちおいでよ。お互い持ちかえる仕事はナシにして一緒に過ごそう」
「関係が終盤の夫婦みたいにか?」
「お互いをもっと深く知りたがってる出来立てほやほやカップルみたいなのがいいなぁ」
青白かった頬に薄く朱が浮かぶ御剣に打診してみる。
「‥‥でも御剣、疲れてるだろうからぼくがご飯作ってあげる。マッサージもするし君がぐっすり眠れるように添い寝して、子守唄を歌う‥それだけで充分かな?」
「それは…一向に構わないが‥」
枯れかけた老夫婦‥もしくは母子の関係‥多分、下心がないわけではないのだろうが成歩堂の提案は御剣にとって都合良すぎる。
勘ぐる根拠は不明確なれど不可解なのは変わりがない。
「ご飯、何食べたい?一応リクエスト訊いとく」
「ム‥少し時間をくれたまえ。あとでメールをしよう」
「あはは、横文字がずらっと並ぶような難しそうなのは勘弁ね」
「心得た」
頷きあい、上着の袖をめくり時計の文字盤を確認して私的な時間は終わりを告げる。
「では、私は局に戻る」
「うん、ぼくももうちょっと聞き込みしてみようかな」
では、明日‥そつなく交わされた約束を胸にお互いは別の方角へと足を向け…不意に呼び止めたのは新しく追加された事柄を伝える為。
「あ、そういえば‥駐車場借りたんだ。うちから西へ三軒隣の月極‥えーと、15番だから使ってよ」
「了解した、また連絡する」
離れ行く背中はいつも通り淡々として何かを語ることはなかったけれど、振り返った一瞬の微笑をそこに携え住宅街の向こう側に消えた。
彼を良く知らない人は仕草行動全般を精巧にできたヒューマノイドとの印象を持つらしいが、そうではないと知っている自分がいる。硬く壊れない檻にこもった心は驚くほど繊細で、不用意に触れれば脆く砕けてしまいそうだと知っている。
直接訊くことはできなかったけれど、睡眠時間が不足した原因が激務なだけでないと‥むしろ過酷な労働を進んで受けようとする姿勢が問題なのだと、わかってしまう自分がいた。
滅多に使われることのないベッドはいつもキレイにメイキングされていてその広さが虚しく、寝入った痕跡のないことが切ない。
我が家ですら安らぎの空間としない彼に、誰がそれを与えることができるのかと言えば‥。
程なくして着信音が鳴った。
胸のポケットから使い込んで一部塗装の剥がれかけた携帯を取り出し、表示される内容に視線を落とし
「…そうだと思ったよ」
可笑しそうにくつくつと喉を鳴らす成歩堂は短く呟く。
拠り所のない孤独な心が少しづつ距離を縮め、安全であると認識し一歩また一歩とにじり寄ってくる様は嬉しくて、嬉しくて。
ただの古ぼけた携帯電話を成歩堂はしっかりと懐に抱いた。





  




2007/09/17
mahiro