唐突に好きだと告白され
性的欲求を抱いていると聞き
迷惑極まりない現物での証明もなされ
不可解な状況からか結論を据え置きにしたまま

いつまでも答えを出せないでいる自分がいた。



Audentem Forsque Venusque iuvat.
(運も愛も大胆に振る舞う者の味方をする)



硬いノック二回の後
「御剣、いる?」
返答も待たずして執務室のドアは開いた。
山積した書類を越し視線だけを向ければ、入室許可を出す前に後ろ手で閉まるドア。そして、緊張感も無く締まりの無い笑顔で
「相変わらず忙しそうだなぁ」
口にせずとも一見して理解できるであろう状況をわざわざ言葉で表現してくれたから
「…何か用か」
気の無い素振りで訪問理由を尋ねた。
「用‥、ってまあ特に無いんだけど、近くに寄ったから顔を出してみた」
だろうな。へらり、締まりの無い笑顔を崩し指先で頬を掻く仕草を見れば事件性の無いことぐらい直ぐに分かる。自分はイワユル公務員だから黙っていても職務を遂行する義務はあったし、検事という職業柄犯罪件数と比例し仕事量も軒並み鰻上り。ある程度能力別に仕事は振り分けられ、よほどの事がない限り暇な勤務時間は無い。
だが彼は時間と規律に縛られた公務員ではなかったし、検事でもない。そして自分は経験職種が検事以外無く、研修と言えど経験の浅い弁護士が切り盛りする事務所に通ったことも無い為、どの程度時間にゆとりを持たせることができるか正確な数字を把握できない。が、青い背広を着た彼の日頃の言動から用も無いのに人の仕事場に顔を出すくらいの時間があることくらい推測可能だった。
そして‥アポナシで勤務時間中、検事の執務室にノック一つで入ってくる配慮の無さ‥と言うか、局内の警備体制はどうなっているのかと眉を顰めたくなる。
「そうか、顔を出すのが目的ならば達成したな。では、ごきげんよう‥ドアは静かに閉めていってくれたまえ」
だから用も無い相手に貴重な時間を割いてまで付き合う義理は無い。視線を書類に戻し別れの挨拶をするもの当然な筈。
「え、それちょっとつれないんじゃない?」
想像していた歓迎の仕方と異なっていたとしても責められるのは心外だ。
君がどのような期待を抱いていたのかは知らないが、生憎仕事の手を止めてまで構う事柄ではない。胸の内でそのような反論が浮かんだが口にするのも無駄な労力かと思い直し書類をめくることで浮かんだ言葉を呑み込む。来訪の意味も無いと言った相手にかまけるゆとりは無いからと寡黙を貫く。
「目的が無きゃ居さしてもらえないんじゃあ作るしかないよな‥ん〜、お茶、御剣とお茶しに来た」
それでどうだと言わんばかりに胸を張っているようだがそれこそ場所を選ぶべきだ。
「茶が飲みたいなら喫茶店か局内の休憩室に行けばいい」
何を履き違えているかは知らないがここは公務の場だ。日々山積する仕事を迅速に正確に処理する場で、憩いを求めるに相応しくない所だと説明しなくても一般常識として理解すべきだ。
「じゃあ、行こうよ‥喫茶店でも休憩室でもいいから」
「ム‥気の所為か、私も誘われているように聞こえたのだが」
「誘ってるよ?だって僕は御剣とお茶しに来たって言っただろ。だから行こう」
相変わらず忙しそうと今の状況を語った舌の根も乾かないうちからそのようなことをさらりと言えたものだ。この男の社会人としての自覚や状況理解能力に障害でも見られるのではないか、疑いたくなる。
「折角だが遠慮する。私は庁舎を離れる気もないし、執務室も同じだ。今日中に済ませなければならない案件など山済みなのでな‥分かったなら退出を願おう」
「……そっか、しようがないよなぁ」
ここまで言われようやく諦めるのかと、呟いた台詞にこっそりと安堵の息を漏らすが
「ここでお茶しような。あ、御剣はそのままでいいよ‥僕が淹れるから食器だけ借りるよ」
どうあっても退かない青い弁護士は我が家のように勝手知った素振りで茶器が納められている窓際の棚に足を運ぶ。
「な、成歩堂!君は遠慮と言う言葉を知らないのかね?!」
「ねえ、茶葉って僕あんまり知らないから一番手前の茶缶ので良い?えーっと、カップにソーサー‥ポットのお湯は、うん、足りてるな」
「おい!聞こえているか?!私は仕事中だといっているのだ!」
「このお湯使っていいんだよね?」
「いや、待て!適当に茶葉を入れるな‥計量のスプーンがあるだろう!それにポットの湯を使うな!面倒臭がらず汲みたての湯で淹れねば空気量が少なくまろやかな味わいにはならないっ」
「えーっ、使っちゃダメなのになんでポットなんか置いてあるんだよ!」
「万が一の備えだ。かせ!どれだけ葉を入れたのだ‥何、分からないだと?!ふざけるな!」
「そんなに言うなら御剣が淹れてよ。その方が確実に美味しい紅茶が飲めるんだろ?」
「‥ム、結局はそれか。この横着者」
呪うべきは己の性分。
ズカズカと無遠慮に踏み込まれるのが嫌ならば摘み出せば良かったし、退かないのであれば関わりを持たねば良い。
黙々と自分が成すべき事だけに集中していればそのうち飽きて離れて行ったかも知れないのに口だけでなく手をを出してしまうからのさばらせる事になる。
いつだって、いつの時だって気がつけば自分からその関係に足を突っ込んでいる現実。
「んじゃ僕は水を汲んでくるから‥給湯室はどっち?」
居る事を、休憩を共にすることを許可した覚えは無いのにそうせざるを得ない状況になっている不思議。備え付けで置いてある琺瑯のポット片手に給湯室に向かう成歩堂が一時的に執務室を出て行き、不可解な静寂を窓際に佇みながら感じる。座っているはずの椅子や向かっているはずの書類。空っぽのデスクと今いる場所との距離に不可解の意味を知る。
はぁ、と脱力感から吐く溜め息。
何故いつも容易く踏み込まれるのだろうか。
拒んだはずなのに共有することになるのだろうか。
決して自分は意思を主張しないわけではない。NOを言える人間だと思っているし、正当性が認められるなら意見を曲げたりはしない。最終的に譲らなければいけないと分かっていることでも食い下がるぐらいの意地はある。不甲斐なさや無力感に唇を噛むプライドもあった。
それらが通用しない数少ない人間の一人に成歩堂が居て、対人に関して言うならば短期間に何度も押し切られてしまう相手は彼だったことが他を抜いてだんとつに多い。
何故、と自問しても答えが出ない‥否、検討するだけの題材が無いのかもしれない。
旧友ではあったが離れていた時間は長く、繋がりも行きかうことの無い手紙だけの細いもの。
再開は突然。対峙する環境の中だったしその後友情を深める親交も希薄なまま拠ん所無い事情から過去を晒された。
信頼はしている。救い出してくれた恩も感じている。得難い友人だと思い始めた矢先、あのことがあった。
自分にとっては友人‥社会的関係を無視して肩を並べることの出来る知己。気恥ずかしさと誇らしさ、多少比率は異なるがそれなりに心を砕くことの出来るそんな相手だったのに。
嫌悪とか侮蔑とか差別的感情や生理的な拒絶は不思議と無かったけれど、自分と認識を同じくしていなかったのだと少なからず落胆したあの日から答えを導き出すことを恐れているもう一人の自分が居る。心の奥底で戸惑い続けながら平常心を失わないよう繕う自分が居た。
呪うべきは己の曖昧さ。
曖昧さを最も嫌う厳正でいて公正な行政に籍を置いているのに結論を据え置きにしたまま‥目を逸らした状態で安穏としている己の脆弱さ。
忌むべきはソコ。誰でもない、自分自身。
『僕は君に恋してる。だから付き合って‥それの答えは?』
「私に‥どうしろというのだ‥」
こうして唐突に、何の前触れも無く姿を見せるくせに答えを訊き出そうとしない男にどんな接し方がちょうど良いのか‥。
再び訊ねられた時、逃げもせず真正面から相手が納得する答えを叩きだせるか‥。
もう直ぐ開くであろうドアと、そこに現れる男の締まりの無い笑顔を思い描き短く唸るとますます苛立ちが強くなるのを感じた。





  



2008/1/12
mahiro