日本一離婚率の低い地域で「夫婦円満の秘訣は?」というアンケートをとったところ「思いやり」や「感謝」「愛情」なんて優等生レベルのスバラシイ回答を押しのけて一位を飾ったのは「我慢」だったそうで…。
これがナントカ省やナントカ情報センターの調査報告だったらちょっとリアルに凄いけど、某バラエティー番組の調査報告結果だったから多少の脚色もあったりするのかなーとマユツバ気味でその時は流していたんだけど、意外に深くて核心をついた答えなんじゃないかと後日思い返し頷いた。



アイノフカサ



ぼくと御剣は恋人同士だ。
これはぼく個人の一方的な思い込みでなく近い将来そういった関係になるはずだから的先走った表明でもなく、双方合意、賛同した上での結論であり明確な事実でもある。モチロン既成事実だってしっかりあるわけで、これを恋人同士って言わなきゃなんて言うのさって得意気に胸を反らせる。
ぼくが御剣のことを好きで好きでしょうがないってことは「なるほどくんを見てれば直ぐに分かるよ…気持ち悪いくらいに」ってのが、近しい人の言うことで、それに関して反論するつもりはまったくない。
気持ち悪いってのはあんまりな言い方だけど恋してる者の行動や言動は程度の差こそあれ普通じゃないと思うし当人以外の目にも大概そんな風に映るもんじゃない?って思うから気にしない。好きなものは好きなんだし、それを隠すつもりもないしね。
そして御剣もぼくのことを好いてくれてる。それもちゃんと近しい人も認めてる。「最初なるほどくんが御剣検事に傷害容疑で訴えられるんじゃないかって思ってヒヤヒヤしてたんだけどそんな気配はないし、なんかだまされてる風だけど意外に丸く収まってるみたいだからまんざらでもないのかもね…意外なことに。それとも根負けしたのかなぁ…諦めたとか観念したとか変な悟りを啓くとか…あえて試練の道を行くとか…それでも好きでなきゃできないことだよね」……微妙に引っかかりを覚える証言だけど最重要点のみ要約すれば御剣もぼくを好きってことだからまあいいかと思う。
兎にも角にも、ぼくたちは互いに恋してて想いも通じ合ってる恋人同士。素敵な響きだ。

そんなぼくらだけどいつもがいつも順風満帆な関係ってわけじゃない。
いや、ぼく的にはどんなことがあってもこの関係を解消つもりはないし、世界が終わったって唯一終わることのない関係だと本気で思ってる。
でもね、そう…でも、なんだよ。なんというかちょっとした行き違いってのはあるわけで…ほら、雲ひとつない快晴、穏やかな航海だって多少の波は立つし気まぐれに吹く風が帆を揺らすこともある。航海自体は順調でも凪に船体が揺すられるって言うのかな?喧嘩って程大袈裟なもんじゃないケド、軽い言い合いなんてのが時々ね…時々ぼくらもしちゃったりするわけで…。


「あっ!なるほどくん凄い偶然!あそこにいるの御剣検事だよ!ね!御剣検事ぃ〜!」
今扱っている民事裁判に必要な訴訟記録を閲覧するため地方裁判所の閲覧室に来ていたぼくとぼくの助手、真宵ちゃんがエレベーターを降り玄関ロビーに立つと見慣れた色が視界に飛び込んできた。
つか、直感が膨大な視覚情報の中からその色とその色の持つ意味を厳選した。ぼくがそれを御剣だと瞬間的に認知し確実に照準を合わせた少し後、真宵ちゃんも御剣の存在に気づき駆け出す。声をかけるのが当然だと思っているのだろうその気安さはぼくたちと御剣の日頃の付き合いを表しているようで、いつもなら好ましく微笑ましいと思う。いつもなら。
ただ、ぼく自身この「凄い偶然」を単純素直に喜べなかったり、好きな人との邂逅に胸を高鳴らせながらも気後れしちゃってるのは「いつも」と「今」が違うからで駆け寄りたいけど逃げ出したい両極端な感情を歩みに込めゆっくりソコへ近づく。
表情からも手に取るように分かる真宵ちゃんと御剣の会話。今がいつもと違っていても見惚れちゃう御剣の柔らかな微笑み。彼らしい口調と耳に好く馴染む声のトーン、話すリズム。ちょっとした仕草、瞬間を移り変わる残像。百万回見聞きしたって飽きることなく悔しいくらいに大好きなソレらを足取りと同じく複雑で重軽い胸の内に沁み込ませぼくはその空間の端っこに加わった。
「あたしたちも今用事が済んだとこなんですよ。ねっ!なるほどくん!」
今といつもとが違うって話してないから当然いつもの調子でぼくに会話を振る真宵ちゃんの明るい声が、トスッと複雑さを抱える胸に突き刺さり「うっ」と鈍い痛みに息を呑んだ。
「う、うん、そう‥たった今ね」
それでもぼくはオトナデスカラ?ぎこちなくても笑顔は作りますよ。詰まりながらもちゃんと話の流れに乗りますよ。どんなに気まずくても和やかな空気を凍らせたりなんかしませんよ。オトナデスカラ?折角の雰囲気を壊さないよう冷戦状態の恋人に
「御剣は出廷してたの?ここにいるってことは判決も出て局に帰るところ?」
こんな風に人前ではソツなく会話だってしますよ?それがオトナの気遣いだから‥‥
‥‥ってのにこいつってば!
ぼくのそれなりに頑張った笑顔と無難な質問を冷ややかな目つきで遮り「フン」と鼻先で一蹴しやがった!
いくらぼくらが昨夜から冷戦状態だって今この場を繕うくらいできるはずで、例え内心大嵐が吹き荒れていても「まあな」の一言で何とかなるのにそれをしないってどういうことよ?!それができない君じゃないのにあえてそれをしないって何なんだよ!
ほら見ろ!お前んとこの事務官さんも真宵ちゃんも気づいちゃったよ!察しちゃったよ!それもぼく側に多大な非があるみたいに思ったっぽく、御剣よりもぼくに向ける笑顔に嫌〜な生暖かさを感じるよ!感じたくなくっても分かっちゃうよ!
「真宵君はこれから事務所に戻るのかね?」
「あ、はい!えっと、御剣検事も検事局に‥」
「うム、担当した法廷は判決をもらったからこれから局に戻るのだよ」
「そうなんですね!気をつけて戻ってくださいね!」
「真宵君も、道中気をつけて」
半ば放心しているぼくの目の前で何事もなかったみたいに真宵ちゃんと会話をし、爽やかに‥嫌味なくらい爽やかに真宵ちゃんにだけ別れの挨拶をし御剣はロビーを後にした。ぼくに一瞥をくれることもないまま。

ひらひら、ひらひら、風に吹かれひらひらフリルやジャケットの裾をはためかせガラスウインドウの向こうを颯爽と歩く君。視界から遠ざかる恋しい人の姿を甘塩っぱい気持ちで見送るぼくの横で
「なるほどくんたち…またケンカ、したしたんだね。まあ、ケンカするほど仲が良いって言うけどさ‥どん底になる前にさっさと謝っちゃった方がいいんじゃないかなぁ…」
同じようにひらひらを見送っていた真宵ちゃんが独り言を呟くみたいに零した。
「……ぼくもそう思うんだけどね‥なんかさぁ‥」
「多分ね、あたしの憶測だから多分なんだけどね、いつも、みたいなケンカなわけでしょ?」
「いつもって‥そんなしょっちゅうじゃないけど‥まあ、いつもみたいな感じかなぁ」
「これも多分なんだけど、あとで考えたらそう大したことじゃないんだよね‥ケンカのワケ」
「‥‥‥そう、だね。朝になったら後悔しちゃうくらい大したことじゃなかったんだよ‥」
「どっちもどっちなんだよね?」
「どっちも‥どっち、だよなぁ〜〜」
「でも御剣検事怒ってたよね。間違いなく怒ってたよね」
「…あれさぁ‥大人気なくない?なに、あの負けん気の強さ」
「うーん‥らしいっていえばらしいんじゃない?なるほどくん、御剣検事のあーゆーとこも好きなんでしょ?」
「‥‥‥‥よくわかってるじゃん。大好きだよ。カワイイなぁって思うよ‥悔しいけど」
ぼくたちは裁判所の玄関ロビーで立ち尽くし、ボソボソと話し続ける。お互い目を合わせず一点を見詰めながら‥そう、既に消えてしまったひらひらを残像としてガラスウインドウの向こう側に置きながら、反省会みたいな重苦しい空気を漂わせた。行きかう人々の好奇の目なんてお構い無しに。
「なるほどくんの方が分が悪そうだよね‥今回は」
ほんとにね、ぼくの助手はぼくと御剣の関係において特別な理解者だと思う。傍観者的な立ち居地を崩さずそれでも的確に、客観的に事態の枠組みや確信をついた助言(や意見)をしてくれる。辛辣な非難を(ぼくが)受けることもあるんだけど御剣に対して固着しすぎるが故行き過ぎた行動を取ることが多い(らしい)ぼくにとって偏りを均してくれる貴重な存在だ。
現に今も、こうなった原因やどんな言い争いをしたかなんて一言も言ってないのに諸々察してくれてる。
まあそれは過去、こんなような揉め事を彼女の前で幾度も繰広げてきてしまってるんだからなんだろうけどさ。
その理解者の口からぼくの方が分が悪いって出ると
「う〜〜〜ん‥それっぽいよなぁぁぁ」
激しく落ち込む。
頭を抱えしゃがみたくなるくらい困っちゃう。
「‥行っちゃう?それとも時間置く?」
「…………わ、かんない…ちょっと、考える時間が欲しい」
事務所に帰って仕事をする。単純だったぼくのこれからの予定に変更案を出されても決断する勇気が中々でなかったりして。我ながら意気地がないなぁって思う。
「あたしね、ココからの帰り道に前から一度行ってみたいって思ってたケーキ屋さんがあるんだ。そこってお持ち帰りもいいんだけどイートインした時のデコレーションがすっごくオシャレでゴウカでね、お店の前を通るたんびにいいなーって、ね‥。それでね、一人で帰る代わりに寄り道してもいいかな〜って所長さんにお願いしちゃっりなんかして」
じっとり重たい空気を吹き飛ばすようなさらっとした笑顔を真宵ちゃんが見せたから
「あ、うん、いいんじゃないかな」
軽く頷くと少しだけ肩の力が抜けた。ってことは気づかないうちにぼくってば緊張して力が入ってたんだ。
「急な用事とかできたら連絡するから携帯の電源は入れといてね」
閲覧室にいる間電源を落としていたことを思い出し、慌ててポケットの中に手を突っ込むぼくに真宵ちゃんは「じゃあ、お先っ」とことさら明るく言いひらひらと手を振る。黒髪を束ねたまあるい髪留めが弾み、着物の袖がふわりと舞い、翻る羽織の裾は束の間の別れを語り、それをただ見詰めるぼくの胸はきゅっと切なく鳴った。
考える時間が欲しいと煮え切らない態度をとったぼくを置いて行く…そうじゃなくて。真宵ちゃんの単独行動のわけはそういうことじゃなくて…マゴツクぼくの背中を押してくれてる。
「迷うくらいなら行っちゃえば?」小走りに駆けて行くその後ろ姿が表してる。
その証拠に
「そうだ、なるほどくん!」
正面玄関の自動ドアを抜けたところから忘れ物を届けるみたいに引き返して来て
「思うんだけど、本気で怒ってたらあんな態度とらないんじゃないかなぁ。なるほどくんが大人気ないって言ってたアレ‥あーゆー、いかにも見せ付けるような態度ってさ、構って欲しい気持ちの現われなんじゃない?相手の気を惹くって言うのかなぁ‥これだけ怒ってるから何とかしたまえみたいな?一種の愛情確認みたいなもん。だから、いつもなるほどくんがしてるみたいに御剣検事に暑苦しくちょっかい出せばそのうち許してくれるんじゃない?」
アドバイスしてくれ
「ほ、ほんとに?」
半信半疑で聞き返すと
「うん、だって御剣検事、なるほどくんのことなんだかんだ言っても好きだもん」
木星くらいまで飛んでいけちゃいそうなくらい嬉しいことを言ってくれる。からっとした笑顔で萎んだ勇気を奮い立たせてくれる。
真宵ちゃんがいてくれてよかったって本気で思うんだ。
「でも、なるほどくんがあーゆー態度をとったらダメだからね!そんなことをしたら御剣検事、少なくても一月は口利いてくれないうから‥最悪、数ヶ月海外出張しちゃうよ?気をつけてね!」
「…………は、はい…気をつけます」
舞い上がったところでちゃんと釘をさしてくれるとこなんか、アフターフォローも万全でありがたいって思うんだ。少し複雑な心境だけど。
だからアリガトウの代わりに
「ついでにお使い頼んでいい?そのケーキ屋さんで美味しそうなケーキをいくつか見繕ってきてよ」
財布から紙幣を数枚取り出し真宵ちゃんに渡す。イートインのお金もソコから出していいからのつもりで「お釣りは返さなくていいよ」と付け加え。
御剣を見送ったガラスウインドウの向こう側をスキップしながら通過する彼女を一人残されたぼくがまた見送る。
肩の力も完全に抜け表情だってさっきよりずっと余裕がでたぼくは「さて、と」軽く深呼吸をした。
行き先は検事局。12階の上級検事執務室、1202号。
目的は冷戦状態の解除…ぶっちゃけ仲直り、なんだけど正面から向かってってもまともに相手してもらえず叩き出されるだろうからどうしたもんか…
「……とりあえずトイレ、行っとこ」
攻略法を練るにしてもぶっつけ本番なるようになれってことにしても落ち着かなきゃね…ってことで地裁の正面玄関とは反対方向にぼくは歩き出した。






  



2009/2/25
mahiro