鋼鉄の処女



御剣がえっちを断らない日がある。
……いや、厳密に言うと「しようっ」て口にしなくても何となくそーゆー空気を理解してくれて態勢を整えてくれるというか、態度が軟化するというか、トニカク今日はそーゆー事をしても大丈夫って決めている風な日がある。
食事に誘ってもよほどのことがない限り了解してくれたし、お泊りに誘っても逃げられない。
夜道、ぼくのコートのポケットの中でなら手を繋いでくれたし、何となくいつもより話が弾む気がした。多少、ぼくが色を含んだジョークを言ったって冷ややかな眼差しを向けることなく、仕様がないと呆れた風であっても浅い微笑を見せてくれる寛容さはある。
隙を突いたキスにも握り拳は飛んでこない。普段なら肩を組もうとして伸ばした手も糸クズを払うみたいに跳ね除けられるんだけど硬くなりながら耐えてくれ、五回に一度くらい伸ばした手が肩じゃなく腰でも見逃してくれる。
あ、今言ったのはあくまで人目が無いという前提でだけど。
外では鋼鉄の処女並みの貞操を持つ御剣もこの日ばかりは少しだけガードが下がる。
ってかさ、携帯のスピーカーを通してでも声に艶がある気がするし、物陰から姿を確認すれば御剣からとんでもないくらい大量のフェロモンが放出されてるのが見て取れる。ホントだって!贔屓目無しでスゴイの。
それが二人っきりの空間になるともう……。
瞬きするたび睫毛からキラキラ光りの微粒子が弾ける。揺れる髪は水鳥の羽毛よりも柔らかそうで指を差し入れたくなるし、魅せる表情の全てがぼくを誘ってる。肌を覆う衣服類は早く脱がしてって急かしてるみたい。話す言葉、呼吸、吐息、例え唸り声だってぼくを強請る官能の調べ。
クリアガラスの瞳は甘く絡み合うことを望み、柔らかそうな唇はキスを求めてる。
‥痛々しいものを見る目をやめてくんないかなぁ。ホントウだって!ぼくの欲望が見せる都合のいい幻想でも妄想でも願望でもなく、ホントウに!ホントウにその日の御剣は‥‥‥エロいんだよ!
月一の排卵日じゃなくて、年二回の発情期じゃなくて、特別な記念日でもなく、ありきたりなんだけど
土曜日、の話。
モチロン、全ての土曜日がそうじゃない。
ぼくはともかく御剣は仕事の鬼だから春夏秋冬、満遍なく忙しい。世間一般的な休日だったり、その前日だったりで浮かれ騒ぐほどの状態じゃないことぐらい分かってるけどぼくの思い過ごしじゃなければ少しだけ…少しだけ、隙ができる気がする。
これを愛すべき助手に話したらきっと「なるほどくんの御剣検事特性フィルターは偏ってるからね!」って鼻で笑われちゃうんだろう。でも、古くからの友人に話せば「おうよ!恋に妄想は付き物だぜ!」って案外分かってくれそうなんだよね。
だからその日はいいんだ。
多少ぼくが羽目を外しても大目に見てもらえるし、御剣も多少でも懐が深くなる。
お互い外互いに甘え、強請り、肌をすり寄せ合って情欲に溶けてゆく。素晴らしきかな、この世の春。

でもね、でもさ、それで満足できないのが恋心ってもので
心構えだけでは成り立たないのが恋心ってもので
ぶっちゃけ、好きな人のことは何時どんな状況下であっても考えちゃうし、強く想えば近くに在りたいと願ってしまうもの。コレ幸い、傍に居ようものなら絡みたいじゃん?ちょっとした事でも些細なきっかけでもご大層な理由になっちゃって、添いたい、触れたい、交わりたいって欲が顔を出す。想うほどに心も身体もその人一色に染まるような感覚…熱に浮かされた状態に陥り欲求に支配されて逆らうことなんてできない。先ず、本意ありき。
恋は病と言うけれど、その病に処方される薬が思い人との交流。それはすごく良く効く薬なれど強欲になるのが悲しいかな、薬の副作用。
ぼくは恋する男ですから?
長年の恋煩いに骨の髄まで侵されてる重篤患者ですから?
うっかり?やっぱり?欲しくなっちゃうわけですよ…その日が待てなかったりするわけですよ…。
鋼鉄の処女に挑みたくなるぼくは覇王な気分。
難攻不落の城を落としたくなるぼくは勇猛なる武将。
いやいや、勘違いしちゃいけない。勇者になるつもりはないし、なれるはずがない。どんな虚勢を張ったって所詮ぼくは腑抜けた男。キュートでチャーミングなティンカー・ベルに恋した心弱い男に過ぎない。
いつも君に触れたがる恋の重篤患者だ。


週の半ば。昨日も今日も、明日も仕事。
当たり前に働き詰めのぼくたち。
有無も言わさず舞い込む仕事に忙殺されかかりながらも何とか都合をつけ夕食がてら酒を酌み交わす。
会えない時間を思えば、ほんの一時でも同じ空間に居れる事は至福だったし、近況を報告し互いの知らない空白の時間を埋れば寂しさなんてあっという間に消える。
満足できると思ってたし、それだけでも充分だった。
「ふーん、今日は珍しく持ち帰りの仕事ないんだ…」
遅い夕食は終わり心持和んだ雰囲気の中アルコールで口を湿らす。
他愛の無い会話と砕けた笑い声。ちょっとの間だって話の延長みたいですごく幸せ。今日は土曜じゃないから色っぽい展開を期待していたわけじゃないけれど、知ってしまったら見過ごせない。
そっと足音を忍ばせ距離を詰めたくなる。だって、君のことが好きなんだもん。
「じゃあ、この後は帰って寝るだけ?」
傾けたジョッキ半分に揺蕩う薄い蜂蜜色の液体。その向こう側でグラスの氷を鳴らす男を透かして眺め自分で口にした言葉に、トキン、胸の鼓動が変化するのを感じる。
信じてとは言わないけどさぁ…ホントウに、今の今まで御剣と一緒にいるだけで…こうしてグラスを合わせるだけで満足していたんだよ?幸せだって心から思ってた。
「そういうことになるな」
でも、諦めていたことに希望の光りが見えちゃうともしかしてってなっちゃうでしょ?終わるはずの夜に先が有るかもってなったら噛り付きたくなるでしょ?だって、ぼくは御剣が好きなんだもん。
思考をくもらせていたアルコールが御剣の相槌一つでサーッと音を立て抜け、頭が冴えてくる。
アルコールのフェインダー越しに淡く輝いていた御剣が澄んだ光りに輝き眩しいくらい。もう、君の一挙手一投足が切り取られた写真のように目に焼きついてドキドキする。君から目を逸らせないぼくの目の前で薄く笑うその口に琥珀色の液体が流し込まれ、上下する喉。伏せた目元はほんのり色付き、カラン、と氷が傾く音だけがやけに大きく聞こえた。
無意識に目が行くシルバーのアタッシュケース。その中身は無条件の先約がいつも入ってて、しょうがないといつも身を引く理由にもなってるんだけど、ソレがないと分かってしまえば欲も出るわけで‥。
「偶然だね。ぼくも今日の夜は暇してるんだ…」
高鳴る鼓動を悟られないようサラリ、笑って答えたけど、偶然も何もまったくの嘘。事務所からここに直行してきたぼくの3WAYビジネスバックには未処理の書類がたんまり入ったファイルケースが押し込められている。今週末の予定はこの書類の減り具合にかかってて、前出の愛すべき助手に「頼んだよ、なるほどくん!」と念押しされてもいた。見ないフリなんかしたら自分の首を絞めることになると分かってて、分かっててもそうしてしまうのはもっと長い時間好きな人と居れるまたとないチャンスを逃したくなかったから必死だよ?
もう一度訊くけど今日って土曜じゃなかったよね?そうだよねぇ?
「折角の偶然、暇な者同士ご一緒しませんか?ぼくの部屋で」
だったら余計、逃しちゃいけないチャンスでしょ?
「君も明日仕事だろう?」
「まあね。でも問題ないでしょ?」
はじめはダメもとでの誘い。
「そう、だが…」
「身構えるなよ。単に寝る場所が変わるだけ、それだけじゃん」
一つの掛け合いごとに高まる想い。
「そう、だろうが…」
「替えのシャツや下着はぼくんちに置いてあるでしょ?今着てるのは洗濯して次の時に回せばいいんだし」
傍に居たい、長く、少しでも長く。
「いや、それは別に構わない、だが…」
「分かってるって。アイロンかける時ノリは効かせ過ぎるなってことだろ?ふんわり柔らか仕上げを心がけますよ?」
「ム…ムム‥」
鋼鉄の処女を開く鍵をあちこち探し回り
「ぼくんちにおいでよ」
改めて言う頃にはダメもとの誘いなんかじゃなく、何が何でも連れて行く決意に変わってた。
あれこれしがみ付くぼくに御剣は呆れたように溜め息一つ零す。テーブルに叩きつけたグラスにはまあるくなった氷が踊り、やおら握り締めたアタッシュケースのもち手。ヒラヒラはためかせるのは純白のタイと長い前髪。腰を上げながら掬い取る伝票。
仕草一つ一つがキマッテルよね……じゃなくて!
「え、あ、帰っちゃうの?!」
あんまりしつこかったから見切りをつけられちゃったのかと焦るぼくに
「帰るのだろう?早くしたまえ」
済ました顔で促す君。
これは…どっちだ?一瞬迷ったけど、アレだよね?そーゆーことだよね?
私を家まで連れてって!甘く、しなだれかかってとは言わないけれどもうちょっとそれらしい仕草をしてくれればいいのに‥土曜日の君とは違うんだよねぇ、なんて、当たり前なことを思うけどさ。仕様がないから行くことにする!的、承諾ってことで…まあいいかぁ。素直じゃないからこそ可愛いんだもんね。わかってる。
閉じた口から零れる笑いを拳で隠し「部屋、散らかってるけどカンベンな」飲み残しのビールに未練無くぼくは席を立った。

ここで間違えちゃいけないのは目的だ。
確かに御剣をお持ち帰りすることはできた、けど、お泊り=セックスではないってこと。
これが土曜日だったらそれなりの心構えはできてたと思う。あ、御剣がね。行動に移すかどうかは別として(っていってもまあ、移しちゃうんだけど)冒頭で言ったようにフェロモンはたっぷり、雰囲気もバッチリ、恋の波動がビンビン伝わってきて、働き蜂のぼくは女王様のためにせっせとご奉仕するんだ。
クドイようだけど、土曜日ならね!
そうじゃないって証拠に
「御剣、車は?」
「酒も入るから局に置いてきた」
「ふーん、じゃあ明日は交通機関を使っての出勤かぁ…お前、電車の切符の買い方とかバスの乗り方とか知ってる?」
「失敬な。一般庶民の足をなんだと心得ている」
「え、一般庶民?誰が?」
「イチ公務員を庶民と言わずしてなんと言うのだ」
「あー‥まぁ‥お前がそう思ってんならいいんだけど」
会話に色気が無いんだよね。
いや、これはこういう話題を振ったぼくが悪いのかな?じゃあこれは?
「なんならぼくが局まで送って行こうか?」
「同じ通勤方をとるのは送って行くとは言わないが」
「違う違う、一応ぼくにもマイカーがあるんだけど」
「それは二輪足踏み式自転車のことかね?」
「足踏み式って‥まあ、そうだね。それなら朝の清々しい空気を吸いながら一緒に通勤できるでしょ?」
「成歩堂龍一、君は法律を学んだ弁護士だったな。その法律家たる君が同じ法律を生業とする私に自転車の二人乗りを提案しているように思えるのだが気のせいだろうか。自転車の定員は道路交通法によれば通常一人だ。それを越える乗員は定員外乗車となり、同法第55条の規定に違反し5万円以下の罰金となるのはモチロン知っているだろう。にも拘らずそのようなことを口にするのは‥‥‥」
‥‥‥スミマセンデシタ。分かっていながら違法行為を勧めたぼくが悪かったです。だから懇々と法律家としての心得を叩き込んでくれなくていいです。
ってか、冗談だって!薮蛇だって分かってるのに口にしたお茶目を分かってくんないかなぁ!
ううぅ‥やっぱり土曜日の君じゃない。
だって、土曜日の君なら「何を馬鹿なことを‥」みたいに諌めるだけで眉間にヒビなんか入んないもん。子供の他愛も無い悪戯をたしなめるように薄い笑顔ぐらい浮かべてくれるはずでしょ?その表情、ぼく、結構好きなのに‥‥。
耳にタコを作りながらションボリ俯くぼくの目にはまた一つリアルな現実。
大したことじゃない、大したことじゃない、けど、ぼくと御剣の間にシルバーのアタッシュケースがあるのって軽くへこむ。こっち側に持ったら手が繋げないじゃんか!
欲ってのはホント際限無い。
約束を取り付けるまでは会えれば良いって思ってた。
食事をしてる時は邪魔が入りませんようにで、終わる頃にはこの時が長く続きますようにだった。
その願いも叶い夜を過ごせる。そこで満足すればいいのにその先を期待してるぼくがいて‥イチャイチャしたいとかセックスできたらいいのにとか、どんどん欲張りになって、取るに足らないことにも過敏に反応しちゃう。
浅ましく期待し、何となく探り、勝手に落胆し、それでも諦めてない。
良く効く薬の副作用はこんなにも強烈。
君が好きなだけでこんなにもぼくは欲張りになる。
そんでも、欲求を匂わせすぎると警戒されちゃうし次からの誘いに乗ってくれなくなっちゃう。誘ってOKをもらっても「なにもしないなら」ってご無体な約束させられちゃったら泣くに泣けない。鋼鉄の処女どころかダイアモンド級の硬さを持った処女なんてどうこう略していいのか考えちゃう。
我慢できるところまでしますよ?
目の前にぶら下がる美味しい餌を涎を垂らしながら我慢して朝を迎える覚悟もありますよ?
一夜限りの恋じゃないもん。永遠に続く恋だもん。土曜日だって廻ってくるわけだから勇み足は禁物。ぼくって中々紳士でしょ?なんて。





  



2008/12/15〜
mahiro