検事局の高層階にある上級検事執務室はいつ来ても綺麗に整頓されていて、窓ガラスなんか当たり前にピカピカだ。綿埃が部屋の片隅に転がっていたり棚の僅かな隙間に塵が積もっていることもなく、掃除が得意じゃない僕なんかこんな室内を見ると羨ましさを通り越して別の世界だなんて考えてしまう。
お天道様に近い場所にある部屋だからかな‥それとも窓ガラスが水面みたいに磨かれてるから?
御剣の表情や仕草、服の細かな皺に髪の毛の一本一本まで克明に見ることができ、息遣いまで目で追うことができる気がした。
それだけじゃなくこんな明るい光の中だと僕の心の中にある暗い部分、御剣だけじゃなく僕自身でも見ることのできない‥堪らず目を逸らしちゃうような濃い影まで白日の下曝されてしまうようでなんだか居た堪れない。
ほら、僕の手が触れたそこ。
白い肌表面にそこそこ日に焼けた僕の手がツツツ‥と移動する。さらさらで何の抵抗もないと思っていた肌はワックスをかけたばかりの木材みたいに艶やかだけど細かなブレーキがかかる。緊張の汗?なだらかな肌表面で手が引っかかるのはほのかな湿り気がそこにあるから?
こんなに空調が利いている室内で汗を掻いてるのは御剣?それとも僕?
「御剣、緊張してる?」
「ム‥あ、当たり前だ」
「よかった、僕も緊張してるからさ」
普段お世辞にも表情豊かだと言えない君でも、変則的な出来事には滅法弱いって知ってるから。口にしてもらって硬くなってる僕の心も緩んでくる。
緊張してるくせに表情どころか口調もムッツリ不機嫌そうなのが可笑しい‥というか、可愛い。
「とって喰われそうとか思ってるでしょ」
「そんなことはない。ない‥が、君がなにを考えているのか分からなくて不愉快だ」
「ふぅん、あのさ‥もしかして御剣って恋したことない?」
「っ‥、その問いに答える義務はない」
「ま、ね‥そんなことどうでもいいんだけど‥うん、なんとなくそうかなって」
仮にも自分のことが好きと告白した相手が目の前で触れてるわけじゃん。こうして頬を何度も撫でたりしてるわけでしょ。首筋とかもちょいちょい触って、じっと見詰めちゃったりしてる。相手がなにを考えてるか分からないって‥お子様じゃないんだからわからない筈ないんだよ。
不愉快なのは同性がこんなことしてるから?それともなんだ‥僕を意識してるから?後者だといいなぁ‥不愉快だって何だって、意識されることは単純に嬉しいことだもん。
少しだけ前屈みになる僕。吐息がさらさらの髪にぶつかって、君は反射的に顎を引いた。
ひたり、唇を押し当てる。じんわりと熱が触れた場所に集まって、それを僕はすっと口に吸い込んだ。
鼻先を掠めるシトラス系の匂いは、愛用している整髪料の香りだろうか。
「な、成歩堂」
首筋から顎の付け根、耳朶を人差し指と中指で挟み、手の平を密着させる。隙間なく、その感触を取りこぼさないように、僕の手の平が君を包み込む。
体温て、無味じゃないんだ。口に含んで舌の上で転がせば、味を感知する。ほのかに甘くて、僅かに塩辛い。
甘いのはきっと僕の心がそう感じたから。塩辛いのは汗腺から滲み出た汗の味かな。
「成歩堂っ」
頬にかかる前髪を鼻先で押し退け額からこめかみ、こめかみから僅かに内側‥目尻へと僕は浅いキスを繰り返す。
無機質なイメージの君だけどちゃんと血は通っているし脈も打つ。鼓動が早くなれば体温は高くなり発汗もする。
くらくらするのは室内が明るいからじゃなくて僕が異常に興奮している要因もあるのだろうけど、君の発する甘い香りに酔いだしてるから。
甘い香り‥人工的な香料ではない甘い香り。
御剣がつけているパヒュームの匂いじゃないよ?近いけど市場に出回るほど馴染んだ香りじゃない。これはこの場‥君が居る場所でしか嗅げない香料。
生物には必ず備わっている繁殖のための武器‥またの名をフェロモン。
麝香鹿から取れるムスクなんかが有名。ものすごく高価で価値があり、だからこそ乱獲され絶滅の危機に危ぶまれ近年ワシントン条約で国際的保護の対象になった。世界が求める香料。
でもね僕自身の価値観でいうならば麝香なんかよりもずっと価値があって虜になる匂いは、御剣の醸し出すこの香り。
くらくらにもなるよ。酔いもするさ。
もっともっと堪能したいって本能が叫んでるよ。
触れるだけのキスじゃ物足りない。
ちゅぅ‥ほんの少しだけ。少しだけ‥御剣の薄い目尻の皮膚を啄ばめば身も心も溶けてしまう。
「成歩堂!」
「‥‥‥んだよ‥うるさいなぁ。ちょっと黙っててくんない?」
今いいところなんだよ。そんな風に舌打ちしちゃう僕ってサイテイですか?
「き、貴様‥どういうつもりだ!こんなこと‥納得できるわけがない」
え〜‥そうかなぁ。僕にしてみれば納得尽くしなことなんだけど。
あからさまに怒気を孕んだ声に渋々と唇を離し、覗き込むように表情を窺えば伏目がちで怒りに肩を震わせている御剣が居る。
あれれ?もー御剣ってば、顔が赤いよ?照れ隠しで怒鳴ったの?怒った顔も可愛いなぁ。
「はいはい、ごめんごめん‥調子に乗ってスミマセンでした」
言葉とは裏腹‥へらり、ふやけた顔で反省の色のない謝罪をしてみせる。ま、お堅い御剣だから‥こんな風に誤魔化すのもサイテイかなって思うんだけど。恋する男はうっかりすると暴走しちゃうんですってことで、許してよ。
グルグルと威嚇するみたいに肩を怒らせる御剣を前にして
「準備できたよ」
にっかり僕は笑ってみせる。
「‥‥なにがだ」
「なにがって、証拠が」
その為の時間だったんでしょ?危うく僕も忘れかけたけど、怒りの矛先を変えたくて強引に思い出したよ。
「う‥うム、そうか…それならば見せて…成、歩堂‥」
思考回路が停止したのは御剣もだったらしく、証拠、の言葉に再起動した回路を元の道順に戻すところで、いぶかしむ声を発した。
「ん?」
「なにをしている?」
ほんと、せっかちなやつだね君は。
カチカチと金属音を立てベルトを外す僕の行動を待つことができないなんて‥って、当たり前か。
ココが男子便所とか銭湯とかならあってもおかしくないことだけど、云わずと知れたココは御剣の職場。仕事中、昼の日中、燦々と窓から差し込む日の光を浴び、目の前でズボンの前を寛げる光景に待ったをかけたくなる気持ちは充分分かるつもりだよ。
「ちょっとお前、半分寝てたのか?会話の流れとか覚えてないの?」
わかっててこういうこと言っちゃう僕って結構、意地が悪い。
「いや、それは貴様もだろう。あの会話をどう解釈したらこういう行動にでられるのか‥コラ、聞いているのか?オイ、だすなよ」
後半、信じられないと戦慄く声が可笑しい。半信半疑で制止する声が可笑しい。
「んーと、ちょっとニブイ御剣検事にこういうことになった経緯とか意味とか差し出がましくも説明させていただきます。あ、でも掻い摘んでね‥時間をかけると萎んじゃうから。異議も突っ込みも後にして」
僕はベルトを外しズボンのチャックも全開にして、その下にある薄い布切れに親指をかけながらわざと恭しい態度で一礼をした。
「僕は御剣のこと好きって言った、これは恋だとも言った。そうしたら君はその証拠を見せろと言った。胸がドキドキしたり君のことを始終考えている‥そんな僕だけにしか分からないこと証明することはできない。いつも懐に忍ばせている君の写真の証拠効果も薄くて使えなかった。そこまでは分かるよね」
「う、うム」
「清水の舞台から飛び降りる覚悟で告白しに来た僕はこのまま引き下がるわけにはいかない。だって、今を逃すとこういう機会がいつ巡って来るのかわかんないだろ?それに証拠を見せないと答えがもらえないから。付き合って欲しいの答えをもらわないと今後、僕がどういった行動に出たらいいのかわかんないし‥」
Yesならラッキーで片付くけど、NoならYesをもらう作戦を考えなきゃいけないしね。
「ね、御剣‥人を好きになったら世界は変わるんだよ。今まで中心にあったものがその人に取って代わる。心が好きな人を求めるし、身体だってそうだろ?好きという想いには心が満たされたい欲求と身体も満たされたい欲求が当然生まれる。普通考えても見ろよ。男相手に欲情するか?セックスしたいって思う?オナニーの相手がそいつにになっちゃうってすっごい衝撃だよ。好きじゃなきゃ耐えられないね‥これが恋じゃなきゃ僕は自決を選ぶよ」
追い込みをかけるときのようにまくし立てる僕の言葉を聴き進むうちに、蒼白となって行く御剣の顔。
あからさまだもんね。でも、それが真実なんだからしょうがないじゃん。
「今、君にキスしたい‥そういったのは本心だよ。僕は君とキスしたいしセックスだってしたい。好きだもん、好きだもん‥一緒に居るだけでもいいなんて思えない。ちょっと君に触れただけで僕はこうなるんだよ?これが好きじゃなくて、恋じゃないっていうならなんていうんだい?」
台詞の端々に挟み込まれる御剣の「よせ」とか「待て」とか「落ち着け」や「冷静になれ」の言葉なんて耳に入んない。
証明しろっていったのは君だよ?僕は本当にいいのかってちゃんと確認したし。
後戻りができないのは僕も御剣も一緒なんだ。
僕は大きく息を吸い込むと力いっぱい僕を制止しようとする御剣を睨み付け
「僕は御剣が好き!これこそ紛れもない、決定的な証拠じゃないか!」
おもむろに下着をおろした。


検事局の上級検事執務室に響き渡る叫び声。

異常を感知した防犯センサーが警備員の待機する部屋に点り、緊急を要する非常ベルが耳を塞ぎたくなるほどの大音響で鳴った。

それからのことはちょっと僕の口で語るには問題あるので黙するけれど、結果だけ一応報告するね。
付き合ってください!のお願いにまだ御剣から正式な回答をもらってない。
聞きに行こうにもほとぼりが冷めるまで検事局には出入り禁止になっているから‥じりじりとした時間だけが無常にも過ぎてゆく。
たまに御剣とは法廷で会うこともあるけど親の敵みたいに激しく責められ、そのたび僕はかなり凹んでしまうんだけど、ほとぼりが冷めたころ菓子折りでも持って訊ねてみようかななんて懲りずに考えている。
イトノコ刑事が僕に冷たくて、こっそり情報を流してくれなくなったことが思ってもいなかった弊害。
それでも御剣のことが好きだという気持ちだけは変わることはないし、想いは増すばかり。
色々難航している僕の恋路だけど、いつか日の目を見ることができますようにって今でも懐に忍ばせている写真にお願いしてる。

ま、近況といえばそんなとこ。




おしまいv

  


2007/07/31
mahiro