猜疑心と圧倒的な絶望感に震える悪夢は潔白を持って終わりを告げた。
永き‥もうそれは人生の半分以上、棘の鎖によって囚われ止め処なく流れる血に浸り続け纏わり付く痛みすら己が罪の贖罪なのだからと甘受していたのに、半ば強引に、揺るがぬ信頼によって開放され、悪夢はその存在を否定される。
贖罪に生きた歳月の名残で、未だ癒えぬ傷口を見せ付けるように、時折ソレは安穏を約束された褥のもぐりこんできたが徐々に回数を減らし暗き罪に覆われた影も薄まっていく。
潔白が証明されても愚かしき罪の全てがなくなった訳ではなく、良心を苛む過去の行いは消えぬ傷跡として生涯背負わねばならなかったが、それは別の話。
事実、悪夢は無根の悪夢として証明され、架空のものと断定され、安らかな眠りを約束された。
手に入れた安息の時間は無色。空間はどこまでも広がり奥行きもあったが虚しいばかりにがらんどう。
悪夢が支配していた潜在意識は開放され、生まれたての赤ん坊のそれに等しいほど何もなかった。
何もない空間に戸惑いもしたが、これから色付けされて行く、これから沢山の日常や夢がかたちどられて行くのだからと、真新しい感覚が妙にくすぐったく感じられる。
悪夢の代わりに見る夢を
悪夢の代わりに占める時を
変らぬ日常の中での楽しみとすればいい。
私の世界はどのような色に染まるのか…期待と不安に胸膨らませ、ゆっくり、気長に待てばいい。



期待せし飴蜜の色



じんわり汗ばんだ皮膚の発する熱がまどろみに揺蕩う意識を覚醒させた。
いや、正確な覚醒とは違う。
実世界を生きている感覚はおぼろげで実感に乏しく、目が塞がれているわけでもないのに視覚情報が殆どなく、五感のうちのいくつかは機能していないようで身体が重い。
なにより起きたという自覚がない。
ならばこの曖昧な覚醒感はどこで感じているのかと問えば、嗚呼、意識と無意識のハザマ。夢の中でだ。
「…は‥っ」
搾り出すように吐いた息は無色、色のない空間を薄い靄のように染めた。
吐いては吸い、繰り返す呼吸は少しだけ速く吸い込んだ空気が吐く息より冷えていると分かったら、身の内に篭る熱が平常時より高いと気づく。
眼底に口腔に内耳に温水‥それも熱めの温水をとくとくと流し込まれるように身体の芯に熱が溜まる。
それとも、身体の芯が発火しているから火群(ほむろ)立つ火柱に細部が煽られ熱いと感じるのか、一呼吸ごと吐く息に爆ぜた火の粉のかけらが散った。
ぞくり、ぞくり、競り上がってくる感覚を知らないと言い切れるほど幼くはなく、むしろ良く知っていると理解してしまうほど成熟した身体に諦めにも似た背徳が滲む。
皮膚を撫でる手の平の熱は、自分のものかそうでないのか分からないほど馴染み、同化し、互いを侵食しあって
「っ‥」
短い、声とはいえない声がかみ締めた奥歯を割り漏れた。
「御剣」
熱の篭った呼びかけに答えるでも頷くでもなく身を任せることで受け入れ、抵抗する意思を胸の内に押し込める。
「御剣」
平常時のそれとは違い、イワユルそういう営みの最中堪えきれなくなった感情を吐露する声の主など、現存する中で一人しか知らない。
冷たくあしらっても、必要以上に拒んでも、過剰なほど皮肉と嫌味をあびせ突き放しても、次の瞬間にはまるで何事もなかったかのように変らぬ笑顔と態度で擦り寄ってくる相手などこの男を置いて他にはいない。
ミツルギ、
熱にうかされカサついた声はこれから変化を遂げると期待した無色無音のまどろみの世界に至極当然と響いた。呼ばれることを望んだのか、無意識の中招き入れたのか、無自覚の欲求が幻想の世界を支配する。
子供が就寝時尿意を感じ、夢の中でトイレに行くという単純な繋がりと同じ、現実と非現実世界との境界線が曖昧な意識下で理性がナリを潜め、本能的な欲求が勝った結果の具現。
それを尿意と例えたのは安直なのかもしれないけれど、欲求と本能ともう一つ‥排泄という点では一致しているし、そこに至るまでの過程は大きく違ってはいても単純で直接的なモノに変りはない。
意識が正常に働かないなら最も有効な幻想を夢に投影し、結果を導く。
「ふ‥っ」
夢かウツツか、熱を孕んだ吐息が口を吐いた。
単純で、確実で、的確で、有効的に纏わりつく。絡めながらやわやわと弄ぶように焦らして啜る。
夢にまで再現できるほど確かな記憶。
いつだって、どれほど気持ちが急いていようと執拗なまでにそこに執心し、追い詰められただろう。
そこにかける時間があまりに長いからと抗議しても「一度出しておくくらいが丁度いいんだって」とか「舐められるの好きでしょ?」とか悪びれもせず言ってのける態度に唇を震わせるしかない。冷静になれば屈辱的でしかない煽り方に
「…っ、ぁ」
渦中、悶えるだけしかできないのが余計に悔しい。



孤独の色など、呆れるほど見てきた。
透明感が極限にまで抑えられた不透明な色
重々しく濁っていて、オドロオドロシイ得体の知れない色
己に贖罪を科す悪夢はそこに在る時も覚醒した後も排他的な色をして、背中に圧し掛かってくる。
常に一体化したそれを当然なものとして受け入れ、消え去った今、何を欲するか…
何を色と感じるか…



「‥‥あ、ぁ」
ブルリと震えた下腹部の振動は小波のように波紋を広げ声帯を震わせる。
いつもなら、塞き止める両の手の平も含め殺す枕の柔らかさも、声を噛み殺すだけの顎の力も自らの意志の力が働き難いこの時には求めるだけ無駄だ。
ぬるり、湿った肉質の蠢く様子を敏感になっている性器に感じるだけで、嗚呼、その感覚すら飽くなき妄想の見せる幻影。
窄めた唇で肉幹を扱かれ口裏にビラが引っかかり、引き攣るような痺れが芯に響く。含みながら咥内で蠢く舌がぐるり、亀頭を一周しひび割れた筋を先端までなぞれば押し出される体液がぷっくり先端に滲んだ。‥そう感じた。
「ん、んっ‥」
どのように扱かれ
「っ‥ん‥ぅん‥」
どのように舐られ
「ふ、ぁ‥」
丹念に
執拗に
弄り倒されるのか、身体が記憶していた。
「ぁ、ぁ‥んっ」
先を強請る欲望が腰を揺らし、もとより希薄な理性を甘く蝕んでゆく。
眼底がぼんやりと熱かった。身体の芯に燻る熱が肺に溜まり、呼吸の過程、気道から鼻腔を通過する熱で更に浮かされる。
少年なら誰しもが耽る夢想。対象は異なれどそれ自体異常視するなど無粋なのだと知っているから恥ずかしがることはない。
思い描く事柄に背徳こそあれど快楽に逆らえるわけがないのだからと
「あっ、あ、ぃ‥」
いつもより余計に‥いつもより素直に‥。

拓けた世界はいつか見た夕日の色。慕情を誘い郷愁を漂わせ心に溶ける飴蜜の色。
燃ゆる太陽の輪郭は陽炎の立つゆらゆらと、照り焦がされ蜜蝋に染まる情念の色。

つぷり、埋め込まれ
収縮する肉壁をあやすように捻り
無理の無い力加減で押し進み
ぐにぐにと掻き回して僅かな膨らみを撫で触る。
「っ‥アッ」
ズルズル前後する異物が刺激するのは喰まれた性器の下、体内、深くにある性感帯。それを有する本人ですら触れた事のない、紙上の知識でしか位置を把握していないソレ。ソレを迷うことなく探り当て優しく触る。
存外器用な指先が。そこそこ肉厚で節のしっかりした指先が快感を増徴する。
単に溜まった精液を吐き出すだけなら必要の無い手淫なのに、幻想はそれまでも望むのか。
「御剣」
そう呼ぶ声の主がセックスの過程で為す行為をそのまま再現してしまう自分の煩悩はどこまで強欲なのかと快感に震えながら思った。
夢想は心の奥に仕舞いこまれた欲望を正確に正直に再現するのであればペニスへの刺激だけでは物足りなくなってしまっているということで、あの男とのセックスが常套となっている証でもある。
夢にまで見るほど。
どうせ夢なのだからいつもより少しだけ素直になってみようと思ったのが仇になったのか。
相手不在の夢想だからと気を許したのがセックスを前提としたマスターベーションに切り替わってしまったのか。
欲求不満の成れの果てなのだけど。
抱かれたい想いの現われなのだけど。
あまりに浅ましくて目が覚めたら自己嫌悪で暫く放心してしまうだろう。
違うことなく再現できてしまう自分自身を恥じるのだろう。
夢にまで捨てきれない理性を引きずって熱に疼いた身体と残滓の残る下着を白日の下晒すのだ。
「‥アッ‥ぁ、ウ、ン‥」
グズリと内側を弄る指の数が増えた感覚に抑えきれない声が上がる。
出張った節が入り口に掛かる感触や異物がズルリ後退する爽快感。突き入れられる圧迫感に一瞬力が入るも前立腺を撫でられればペニスへの刺激に合わさり例えようも無い快感の波が押し寄せ蜜は溢れ零れる。
達しそうになれば弱められ焦れて腰を揺らせば深く咥え込まれ、あからさまに焦らされる中楽しそうな含み笑いすら聞こえてくるようで酷く恨めしい。垣間見るサディスティックな一面が嫌いかといえばそうではなく、ゾクゾクと甘い痺れが背筋を伝うのだから性質が悪い。
モトからそういう趣向があったとは思いたくはないが身体を重ねるほど気づかされるのは確かなことで
「も、ぃ‥あっ‥」
懇願は熱い雫となって目尻を濡らした。
期待と不安を入り混ぜ願った新しい世界は、大方の予想通りと言うべきかあの男に占められていた。
悪夢の代わりに見る飴色の夢は情けないほどに淫猥で恥じるほどに現実的で‥。
ああ、それでも後悔はしない。
どれほど恥辱にまみれようが、浅ましき身体に成り下がろうが、悲しみを凌駕するほどの恐ろしい悪夢に比べれば。隠匿の罪は消えはしないけれど生涯背負い続けなければいけなかったであろう最悪を浄化してくれた相手への思慕故なのだから。
夢にまで見るほど。
手練手管を克明に再現できるほど。
求めて已まない想いは恋と言うのだろう。
折り曲げられる膝の感覚。執着を解かれ火照ったペニスから零れる蜜が糸を引き下腹部に落ちる。
ソコに挟まった指が壁を伝いながら抜かれ、閉じかけた窄まりを抉じ開ける塊への期待。
指とは比べ物にならないほどの体積がそれこそ焦らすようにジリジリと抽入され
「楽にして‥そう、もっと悦くしてあげるから」
掛けられる言葉は耳に残る甘い囁き。
ワナワナと細かく震えているのは折られた膝か、期待に喜ぶ魂か、射精間近のペニスか閉じた瞳では確認できないけれど、括れが窄まりを通過し硬い肉幹の太さに引き攣る痛みを感じた瞬間‥


飴蜜に溶かされていた御剣の視界は薄暗い闇に染まった。




  



2008/4/29
mahiro