究極のエゴイスト



師も走るほど慌しい師走。
各業界本格的なクリスマス商戦に突入し街角はどこか活気付いている。
もっさり重たそうな街路樹のイルミネーションはこの時期当たり前だし、わざわざそれ専用のアーチを設けたりピルの壁面を飾ったりなど普段エコや地球温暖化を叫んでいる人々のやることじゃないってくらいの力の入れよう。
その勢いは一般家庭なんかにも入り込みイルミネーターなんて言葉も誕生し、趣味の域を超えた電飾合戦が繰り広げられてる。
各所色んな意見もあるけど単純に綺麗だし、光の効果であたたかい気もするし、暗い夜道も照らされ安全且つ楽しいからこの時期くらいは良いんじゃないかなぁって寛容な気持ちでいられちゃう。
お歳暮、ボーナス、通知表、冬休み、クリスマス、忘年会、大掃除、仕事納め、年の瀬、そしてお正月。一ヶ月の間にこんだけいろんなことがあるんだから忙しくって師も走るよね。全力疾走だよ、なんて思う。
忙しさからくるものか、新しい年を迎える危機感からか、隙をつくって常套手段からか犯罪件数も軒並みうなぎ上りで、些細ないざこざなんかも増えちゃって法曹界は良いのか悪いのか活気付く。成歩堂事務所の所長でただ一人の弁護士で稼ぎ頭のなるほどくんも朝早くから夜遅くまで事務所に詰めたり現場等まわったりで相当忙しい。
あたしも事務所の副所長兼助手として出来る限りのことはしてるし、はみちゃんも12月になって短縮授業が増えた所為か早い時間帯から手伝いにも来てくれてほんと、助かっちゃう。
経費節約、と言うか人を雇う余裕のない個人事務所を影で支えてるのはか弱い女の子と年端も行かない少女なんだから経営責任者はちょっとぐらい感謝してくれても良いんじゃないかな。
ってことでクリスマスプレゼントやお年玉には期待してるよ!なるほどくん!ダメもとで叫んでみるよ。

そんなこんなで事務所の稼ぎ頭は外回りの最中。
がらんとした所内で資料整理とそれに関連した掃除とに精を出しながらあたしはお留守番。依頼主が飛び込んでくるのをハンディワイパー片手に待ち構えてるとこで。うっかり塵や埃との戦いに熱中しすぎて固めのノック音を聞き逃したみたい。
「随分と熱心だな」
軽い笑いを含んだ声にヒャッと驚き踏み台にしていた椅子から転げ落ちそうになる。
「み、御剣検事っ!もー、驚かさないでくださいよぉ」
あたしの反応に赤くてひらひらの来訪者はクツリと喉を鳴らし「すまいない、驚かすつもりはなかったのだが」少しだけ眉尻を下げたから
「うちの所長は綿埃の収集癖があるんで、整理整頓してるつもりがいつの間にか掃除に方に力が入っちゃうんです」
ほんと、どうにかなんないのかな、この収集癖。皮肉を込めた愚痴を当人のいない場でこぼしても意味ないんだけど。あたしは脚立代わりにしていた椅子から降りて肩を竦ませた。
「それはきっと真宵君に甘えているのだよ。で、その困った収集癖のある所長は外出中かね?」
きっと慰めてくれてるんだろうケド、いい年したなるほどくんのそんな甘え、いらないなぁ。甘えるのは御剣検事だけにして欲しい…なんて口にはできないから
「はい、依頼を受けている案件の実態調査にでてますけど、もう直ぐ戻ってくると思いますよ?あ、今お茶淹れますからソファーで待っててくださいね」
年中忙しい御剣検事がこんな時間事務所に来るなんてちょっと珍しい。犯罪件数最多な月は相対的に人数の少ない検事は弁護士よりも忙しいはずだ。特に仕事熱心で妥協を許さない御剣検事は山積する案件書類を生真面目に且つ迅速に処理しつつ、時間を見つけては実地検証もこなしてて、なるほどくんの何倍も密度の濃い毎日を送ってるだろう。
不平不満も弱音も吐かず実直な法曹人としての息精は、まだまだ社会に疎いあたしの目から見ても凄いし尊敬する。その仕事姿勢をなるほどくんは見習うべきだと思う反面、過労でいつか倒れちゃうんじゃないかって心配にもなる。
実際そんな恋人を持っちゃうと気苦労が絶えないのかなぁ。
でも、現実そんな恋人を持っちゃってるなるほどくんは気苦労も絶えないんだろうけど、なんだろう…御剣検事を気遣う様子は嬉々としてるっていうか、天錫として受け入れてるっていうか、この上なく生き生きしてるからいいんじゃないかな。

「イヤ、そう長居は出来ないからケッコウだよ」
給湯室に行こうとすると御剣検事は慌てた風にあたしを制して言葉を切る。
「そうなんですか?」
「うム、……陣中見舞いも兼ねて立ち寄ったのだ。これは、後で皆で食べてくれたまえ」
思い出したかのように茶色のリボンのかかった黄色の箱を差し出しやっぱり言葉を切った。
「わっ!いいんですか?!ありがとうございます、御剣検事!きゃーっ!!ミラベルのマカロンだぁ!すごーい、あたし一度食べてみたかったんです!!」
凄いよ!デパ地下一押しスイーツの陣中見舞いだよ?このちっちゃいマカロン一粒が日常のささやかな楽しみである三個100円(+α)のプリンよりも高くてそれがこんなに!600円しか入ってないあたしの財布が三つあっても買えない焼き菓子をちょっと寄った程度で出しちゃうなんてっ。それがまた見た目も可愛くて食べても美味しくて女の子が好きそうなチョイスをフツウに出来ちゃう御剣検事って、やっぱり凄い!
あーっ、はみちゃん早く学校から帰っておいで。今日のお茶菓子は豪華だよ!
今すぐにでも飛びつきたい衝動を必死な思いで跳ね除け、正直に緩んだ顔で御剣検事に目を向ければ、僅かに弧を描いた口元と事務所内を狭く見渡す視線にちょっと立ち寄っただけで済まない思惑のようなものが見えてあたしは首を傾げた。
静かな呼吸にほんの少し溜め息が混じった気もするし‥。
前にも後ろにも動かない、ん〜‥感じからして動けない戸惑いって言うのかなぁ。
なるほどくんは御剣検事に対してのみそういう勘は異常に冴えていて、崖っぷちどころか半身くらい落ちている状態での法廷で発揮される火事場のばか力、じゃなかった逆転劇に繋がる閃きはこれまた異常なくらいで、そういう場面に何度も立ち会ってるあたしもなるほどくんほどじゃないけど多少は鋭くなってると思うんだ、勘がね。
ヤマカン、直感、女の勘?それともなるほどくん直伝御剣検事限定、直感センサーがピピっときちゃうわけ。これはなんかあるぞって。
涙ぐましい事案材料収集と肉眼で100メートル先から針の穴ぐらいの相違点を瞬間的に見つけられちゃう観察眼と対人関係で要する集中力や注意力を御剣検事一点に凝縮した昨今の科学的見地からでは理解不能な能力を元にし、統計や平均値や解析、分析、予想、未来予知なんてのもなるほどくんには遥かに及ばないながらも少しは可能になったかな。対象が御剣検事限定で。
それが良いとか悪いとか、生きて行く上でどう役に立つかや人としてしてどうなのかって懸念は置いといて…法廷では優雅でいながら鬼神、闘神、八百万の神(?)的立ち居振る舞いの上級検事とは思えないほど心許無い様子を目の当たりにしちゃうと、放ってはおけないよ。
「あの、あたし、やっぱりお茶淹れてきます!御剣検事は座っててください!」
マカロン入りの箱を小脇に抱え、小走りで給湯室に向かうあたしの背後で御剣検事がむにゃむにゃ何か言ってるようだけど、それに耳を傾けちゃうと堂々巡りだもんね。聞こえないフリ。
なるほどくんほどじゃないけどこういう時の御剣検事の扱い方も感覚でわかってる。強引なくらい押してみて、気持ちを解すために紅茶を淹れて、心を決める時間的余裕を与えて
「御剣検事、なるほどくんと何かあったんですか?あんまりにも気持ちが重いから本気で別れようってことならあたし、協力しますよ?」
ティーポットの底に沈んだ茶葉みたいに不安定な重さの沈黙の中、ズバッと直球勝負。それがストライクゾーンに入るかどうかは別として、呼び水ぐらいにはなるわけでしょ?
「ム…い、いや‥そういったアレなことではないのだが」
だが‥ときたよ?ほらね、言いだし難い何かがあるんだよ。なるほどくん絡みで。
「それじゃあ、なるほどくんの御剣検事へのストーカー行為の数々が怖くなって、やっと別れる決心がついたんですか?その決意、あたし間違ってないと思いますよ。異常ですよね、恐怖ですよね、傍から見てて全身鳥肌‥架空世界を実体験しちゃったくらいの気持ちの悪さがありますよね!わかりますから!」
「いや、そういうことでもなく‥」
「じゃあ、実際別れを切り出しても本気にしてもらえないからどうすればいいんだろうってのですか?なるほどくんの御剣検事への思い込みは訴訟を起こすくらいじゃ伝わらないですよね。夜逃げしても転居先ですでに寛いでちゃってそうな周到さがありますもんね。あたしでよければ説得しますよ、全力で!」
「いやいや、真宵君の気持ちはありがたいのだがそれはまたの機会にしていただこう‥」
なるほどくん絡みで思い当たることなんてそれぐらいしか‥‥。
ティーカップの縁を親指の腹で撫で口篭る御剣検事の考えてること?言い出し辛くて思い悩んじゃうようなことって‥。頭の中にクエスチョンマークがいくつも浮かぶ。法廷で行き詰った時のなるほどくんの心境ってこんな感じだよね、きっと。
「ま、まさか、なるほどくんをヤっちゃおうかなんて考えてないですよね?!」
「?!ま、真宵君、何を言って‥?!」
これは口に出すのも怖いことだけど、行き着くところまで行っちゃった人の最終選択で‥そんなことはないだろうと思いつつも否定できない選択でもあって…。あたしの台詞に驚いたのか、御剣検事は手にしていたカップを取り落としそうになり慌てていた。
なに?なに?その動揺は図星ってこと?
「た、確かになるほどくんの御剣検事に対しての行動や執着は異常ですけど!どこまでも追い縋ってくるなるほどくんを、逃亡中の飛行機から振りほどいて突き落としたくなる気持ちはすごくよくわかるんですけど!御剣検事のことを想えばこその奇行で、本人は至って普通の感覚なわけで‥怖いですけど、重くてウザくて暑苦しい表現法ですけどそこまで思い詰めなくても‥!」
きゃー!助けてお姉ちゃん!自業自得とはいえなるほどくんがその若さでそっちに行っちゃうかもな危機に直面し、御剣検事以上にあたしは慌てた。
どうしよう、あたしの手には余ることかもしれない、これはお姉ちゃんに来てもらって冷静に説得してもらったほうが良いかも。首にかかった勾玉をきゅっと握り締め事務所の天井を切迫した状況の中見つめていると
「真宵君っ、お、落ち着きたまえ…誤解を生む態度だったかもしれないが、そのような特殊な感情を持ち合わせているわけではないから‥その‥腰を落ち着けてくれないか?」
困りながらも御剣検事は一生懸命言葉を選びあたしを諌めようとしている。なんか、その様子は新米パパが泣きじゃくる我が子を宥めるみたいでちょっと微笑ましく、ちょっとかわいい。
…って、あたし、自分でも気付かないうちになるほどくんの御剣検事を想う気持ちに感化されてるのかもしれない。常軌を逸した愛情表現を呆れながらも受容してるのかもしれない。恐ろしいことに。
握り締めていた拳を解き、乗り出していた上半身を戻し、あたしは深呼吸をして促されたようにソファへと腰を落ち着け昂った気を静めようと湯飲みに手を伸ばす。まだ湯気の立ち上るそれはぐいっとあおるには相応しくはないけれどちびっと啜れば少しだけ気持ちが落ち着く。
「実は…訊ねたいことがあるのだよ。その…成歩堂のことでなのだが‥」
遠慮がちに御剣検事は話し始め
「あ、安心してもらっていい。真宵君の言ったこととは異なる案件だがら‥‥その…成歩堂が欲しがっているものは何かという…」
まったく予想すらしなかった問いを口にした。

師も走るほど慌しい師走。
行事もいっぱい、イルミネーションも街角にあふれてて、どこからか一つの共通点を持ったメロディーが聞こえてくる。
足早に流れる人波は意味ありげに立ち止まる…季節行事を演出するショーウインドウに、ビル壁面に設置されてる大型画面に、店頭を彩る雑貨商品。肌を刺すような冷気も和らぐほど胸躍らせ、薄く頬を染め、電飾以上に瞳を輝かせその日を待っている。

詳しい説明なんて不要でしょ?
ピンときちゃうんだなぁ…。
「わかった!なるほどくんへのクリスマスプレゼントですね!」
「う、うム…そういうことになるだろうか」
わっと気持ちが高揚する。自分のことじゃないのにすっごく嬉しくて笑顔になるあたしと、背筋をピンと伸ばし決意に身を固める御剣検事は表情こそ違うけど頬は同じように上気してるはず。
もーいいなぁ!これって恋愛の醍醐味じゃない?
相手の喜びそうなものを考えたり選んだり、その日の予定を組んだりするのって楽しいよね!ほら、遠足だっておやつを買いに行ったり支度をしたりする時のほうがわくわくして楽しいって言うし。あーでもないこーでもないって色々悩むけど、気に入ってくれるか不安になったりしちゃうけど、相手のことで頭も胸もいっぱいになるんだもん。幸せなことだよね!
あー、心配して損しちゃった。なるほどくん、良かったねぇ…仕事一貫に思えた御剣検事の生活にちゃんと恋人枠って項目があったんだよ。
『なるほどくんが欲しいものは御剣検事本人しかないじゃないですか!!クリスマスプレゼントは私だ、なんてひらひらの代わりに真っ赤なリボンでも首に巻いてなるほどくんの胸に飛び込めば泣いて喜びますよ!!』‥あたしはのどまででかかった言葉をぐっと堪えた。
それって真実だけど、それ以上なるほどくんが喜ぶものなんて無いと言い切れる真実だけど、御剣検事にはちょっと荷が重いかな。そういうアレなことって冗談でも理解できなさそうだし、真実だからこそ引かれるだろう‥それも涙目で。
男のロマンは世界共通とは言い切れないこともある。いや、世界共通のロマンでも御剣検事はカウント対象外ぽいもん。伏した目元に薄くにじむ恥じらいにあたしは確信を持って頷いちゃう‥失礼なって胸がちくちく痛むけどリアルに納得しちゃう何かがあるんだよね、御剣検事には。
いい大人なんだけど‥いい大人なんだけど、一部一般常識から外れたところがある御剣検事に抱く貞操観念のイメージは申し訳ないけど女子高校生‥いや、女子中学生‥いやいや、もしかするとそれ以下‥‥あたしは、そこまで考えますます口にできなくなった言葉を熱い緑茶と一緒に呑み込み別角度から会話を広げようとする。
「えっと、なるほどくんには内緒でプレゼント選びなんですか?」
完璧を信条とする仕事スタイルの御剣検事は事前調査は徹底して行う。納得できるまで下調べや証拠書類、物証、過去の判例にも目を通し法廷という舞台を監修する。弁護人の言動、裁判官の打ち鳴らす木槌の音ですら台本通り…想定の範囲内で幕を下ろす。
それは実生活でも同じかと思えば肝心要な本人の希望という証言をとらないなんて、意外なところでギャンブラーなんだと感心してみたり…。
「いや、成歩堂には何度か訊いてみているのだが思いつかないと返されるばかりで、ラチがあかない」
「あ、なるほどくんには相談済みなんですね」
そうかぁ、そうだよねぇ…。御剣検事のことだもん、対象人物の調書は取ろうとするよねぇ。
「当日までまだ日はあるのだが品物によっては直ぐに手に入らないかもしれないのだから、早めに分かっているにこしたことはないのに。物欲が無いわけではないと思うのだが」
…御剣検事の財力って凄いんだろうなぁ。あたしが思いつく限りの高級品でもポンと用意できてしまいそう。まあ、思いつく限りでもミラベルのマカロンを豪華って言っちゃうくらいだからあたしの価値基準なんて知れてるんだけど。
「確かになるほどくんて興味のないものにはまったく関心を示さないですからね。う〜ん、事務所の家賃とか光熱費とかの払い込みが近くなると唸ってますけど」
「ム、それは本気で要求されれば考えなくもないが彼のプライドが傷つきはしないだろうか」
「え、なるほどくんにプライドですか?!依頼主がお世話になりましたって菓子折りを持ってきた後、これが今月の水道代金だったら良かったのにって言っちゃう人ですよ?あると思いますか?!」
「そうなのか?!むう…その手の気遣いは無用なのか…」
ではもしそのように要求されたら私も腹を括らねばならないな、なんて、御剣検事は本気で考え込んじゃって。ご、ごめん…なるほどくん、あたしってばうっかりなるほどくんの株を下げちゃったみたい。日々、最安値を更新しちゃってるなるほどくん株がまた下がっちゃう要因を洩らしたことを心の中で詫びた。
「で、でも…御剣検事が訊ねても家賃や光熱費なんて言わなかったんですからそのくらいの理性は残ってると思いますし…えっと…さ、最近なるほどくんが欲しいって言ったもの‥えっと、なんかあったような‥」
名誉挽回とはいかないかもだけど僅かでもなるほどくんの汚名を返上しなきゃ‥あたしはここ最近のなるほどくんとの会話を思い出そうと記憶を遡った。
「…………あ、そういえばなるほどくんサドルが欲しいって言ってたような」
「サ、サドル?それは…」
「自転車のです!ほら、なるほどくんの交通手段て自転車が多いんですよ、お金がかからないし小回りがきくから。外回りもそこそこの距離なら自転車を使うんですけど‥二三日前、区役所の駐輪場に自転車をとめてたらサドルだけを盗まれたって髪の毛を逆立てながら帰ってきたんですよ!」
「髪の毛を‥それはいつもの事のようにに思えるのだが‥しかし自転車のサドルだけを盗んで何の得があるのだろうか」
「さぁ‥あたしもよくわかんないんですけど、結構サドルだけ盗られることってあるみたいなんですよ」
「サドルだけをかね?」
「サドルだけをです!」
理解できないと首を振る御剣検事をあたしは真剣な目で見詰める。だって本当になるほどくんの自転車のサドルは無かったから‥それが収まっている筈のパイプはぽっかり穴が開いていて、見た目も虚しかったしその状態で立ち漕ぎをして帰ってきたなるほどくんの疲れた表情も虚しかった。
「一応盗難届けも出したみたいなんですけど、まだ連絡が無くて‥見つかるまでの応急処置でタオルを丸めて突っ込んで、その上からビニール袋をかぶせて輪ゴムでとめてるんです」
「未だにサドル無しのまま自転車を使っているのか、あいつは?!」
「うぅ‥そうなんです。今もその自転車に乗って出かけてます‥」
「いくら盗難届けを出しているといっても自転車のサドルでは警察も本腰を入れ捜索する筈が無いではないか!悔しいだろうが買ったほうが早い!」
「そう、なんですけど‥そのうち見つかるかもしれないから勿体無いって‥」
肩を竦めしょんぼりしてみるんだけど‥あ、あれ?なるほどくんをフォローするつもりがあたしまた株を下げちゃった、かな?
その場に漂う甘じょっぱい空気に居た堪れない気がする。
クリスマスプレゼントの候補が現ナマか自転車のサドルかなんて、殺伐としてる‥そのどっちにリボンをかけても超現実的過ぎて切ない。
それなら御剣検事のリボン巻きの方が何十倍も夢とロマンに溢れ輝いて見えるんだから哀しいし、虚しい。
「す、すみません、なんだかあんまりお役に立てなくて‥」
あたしは自分の力不足を痛感しながら頭を下げるんだけど、なんだろ、この胸のもやもやは。あたしだけが悪いのかなぁ‥そもそもなるほどくんの大雑把で無頓着な日ごろの行いが招いた結果なような気がして釈然としない。むしろこの場になるほどくんが居たらグーでわき腹を殴っちゃうかもしれない憤りに似た感情がもやもや、胸の内に渦巻く。
「いや、とても参考になったよ。このようなこと真宵君ぐらいにしか相談できなかったから、今日は話せて良かった‥その‥あ、ありがとう」
ああ‥どうしよう。
遠慮がちな御剣検事の言葉がとても嬉しい。穏やかに微笑むその表情が胸の内に渦巻いていた蟠りを一気に取り払ってくれたようで心に沁み、心地よいくすぐったさにあたしはてへへと肩を竦めながら笑った。
「まだクリスマスイブまでに日にちはいっぱいありますから、あたしもなるほどくんにそれとなく欲しいもの訊いておきますね」
「うム、宜しくお願いする。定期的に確認を取ることに気が引けて真宵君を煩わせてしまったが、優良な答えが聞けるまで辛抱強く待ってみようと思う」
ふふっとお互い笑いあってみるけど。
「待つって前日までですか?」
「そう、だな…そこまで確認をとっても欲しいものが無いというなら自転車のサドルを用意しよう」
アレ?
「…定期的に確認取ってるんですか?なるほどくんに?」
「少し前、何か欲しいものはないかと訊ねた際今は思いつかないから明日訊いてくれと言われて、それから毎日連絡しているのだよ」
アレレ??
「毎日、御剣検事はなるほどくんに訊いてるんですか?」
「うム、彼のプライベートな時間に割って入るのは心苦しいのだが明日になれば欲しいものができるかもしれないからと言われれば、その可能性に期待してしまうんだ」
なんだか、ちょっと…。
「もしかして、時間とか決まってます?」
「いや、夜時間のある時としか言われていないが…21時以降自宅に電話をかけるのは気が引けるのでそれまでに済ますようにしているが」
あたし、分かったような。
「毎日、大体同じ時間に、なるほどくんは御剣検事から電話を受けるんですよね?欠かさず?」
「まあ、良い答えが得られるまでそうしようと思うのだが…やはりそれは酷く失礼なことなのかね?」
とっても分かっちゃった気が…。
「でも、なるほどくんが明日も訊いてって言うんですよね?毎回そう言って電話を切るんですよね?」
「う、ム…や、やはり毎日同じ質問をするのは相手に依存しすぎて自己が無さ過ぎるのだろうか。だが私も考え得る限りの提案はしているつもりなのだが中々良い感触を得られないのだよ」
「もし、直接顔をあわせた日も同じ質問をしてもまだ決まってないとか言われて夜に電話してって言われてます?」
「そうだな…最近は仕事が立て込んでいてなかなか落ち着いて会うことはできないが、会っても会わなくても連絡はしている」
「えーと、なるほどくんが欲しいものが決まったといえばその定期的な連絡は…」
「さしたる用も無いのに連絡をする必要はないだろう」
…………。
あ〜…、そういうことなんだ。
わかっちゃったよ、痛いくらいに分かっちゃったよ。
あたしなるほどくんの御剣検事に対しての粘着質な愛情とか執拗なまでの執着とか目の当たりにして結構理解していたはずなのにまだまだ浅かったよ。怖いとかキモイとか負的な印象しか受けなかったけど、存外単純で純粋な乙女的情念もあったんだなぁって。

クリスマスプレゼントにかこつけて
明日には欲しいものができるかもしれないからと引き伸ばして
なるほどくんはただ御剣検事と話しをしたかったんだ。

毎日毎日、人恋しくなる夜の時間、ただ…大好きな人の声を聴きたい。
毎日毎日、目的や思惑がどうであれ欠かさず愛しい人からかかってくる電話を心待ちにして…電波でいいから繋がりたい。
いい大人が、恋愛という文字が古い写真のように色褪せ始めたいい大人が、一通り恋愛における関係を済ませちゃってる‥ほんと、いい大人が純な少年のようにもどかしくも微笑ましい恋の手段に興じてる。
電話の向こう側でなるほどくん、すっごく幸せそうに笑ってるんだろうなぁ。
用件だけで済まそうとする御剣検事をあの手この手で引きとめて、一分でも一秒でも長く話そうって頑張っちゃってるんだろうなぁ。
電話の着信音、ワンコールじゃきっと取らないよね。
一回二回と数えて、待って、留守電に切り替わる寸前にもしもしって言うんでしょ?
「また明日連絡ちょうだいよ、うん、御剣の都合のいい時に」ってお決まりの台詞を口にする時どんな気持ちなのかなぁ。
ごめんね?それとも愛してる?その中間地点で揺れながらも明日を待つんでしょ?ずっとそれを続けるんでしょ?
おやすみって電話を切った後スピ−カー部分にキスしちゃうのかな。それとも電話機まるごと胸にぎゅっと抱きしめるのかな。
通話終了の寂しさと特別な幸せの余韻に浸ってみるのかな。それともガッツポーズで飛び上がりルンルン鼻歌で踊り狂う?
恋って人を変えるんだね。
恋って人を幼くし、大人にもする。
情けなく、いじましく、浅ましく、狂おしく、可愛らしく、呆れるほど素直に、一心不乱盲目に、溺れて、宙を舞い、焦がれ慕う。
ささやかな喜びの為に世界中の総てを偽り、欺き、想いを曝け出し率直な衝動に従うんだね…。
利己的で自己中心的で他を顧みることなく、究極のエゴイズムに愚かなほど誠実で自己満足を極めるんだ。
「素敵な、クリスマスになるといいですね」
「う、うム…そうあればいいとは、思う」
御剣検事と意見が重なったことが嬉しくあたしはにっこり笑い、御剣検事もはにかむように笑った。
その笑顔はとってもキレイで…うっとりするくらいキレイで…御剣検事にこんなきれいな表情をさせるなるほどくんはすごいなぁって。稀代のストーカーで御剣検事以外眼中に無い極端なリアリストでも、普段は重苦しくて鬱陶しい愛情をひたむきに示していても、唯一絶対の人にこんな素敵な笑顔をさせれるんだから見直してもいいかなぁって思う。
まぁ、あたしの中で一時なるほどくん株が最高値を更新しても、直ぐに下落することは目に見えてるんだけどね。

時間だからと席を立った御剣検事はお茶のお礼を言うと颯爽と事務所のドアをくぐって行った。どこかすっきりとした面持ちで足取りも軽やかだったからきっと今日の定期連絡はいい雰囲気なんじゃないかな。良かったね、なるほどくん。
今日の出来事はなるほどくんにはナイショ。純粋に御剣検事との定期連絡を楽しんで欲しいから。なんだかんだ言っても、あたしはなるほどくんの恋路を応援してるからね。
だから、御剣検事にはなるほどくんの欲しいものを訊き出すことできないです、期待させちゃってるけどごめんなさい、かな?
答えなんかあるわけ無いんだもん。訊いても無駄だってわかるんだ。
当日まで御剣検事はやきもきしちゃうんだろうけど…本当に、自転車のサドルを買いに行くことになるかもしれないんだけど、それで十分じゃないかな〜。
だって、なるほどくんの今一番欲しいものちゃんと御剣検事はプレゼントしてるんだもん。本人はまったく気づいてないけど、どこへ行っても、どれだけお金を積んでも買うことのできない最高のプレゼントを毎日毎日渡してるみたいなもんなんだもん。

御剣検事絡みのことになるとほんと、知恵者になるよね。
究極のエゴイストに想われちゃってる御剣検事を気の毒に思いつつ
生暖かい目で二人のやり取りを見守ろうかな。時々、からかいながら。

クリスマスまであと…日、そしてイブ、当日と、素敵に過ごしちゃってくださいな。
二人に一足早い真宵ちゃんの祝福を、なんてね。
あたしは湯飲みを顔の前に掲げにっこり笑うと、ぬるくなったお茶を一気に飲み干した。




  



2007/12/09→26収納
mahiro