不器用なぼくら。
目測も立てず突っ走り、行き過ぎたり途中でへばったり、不意に立ち止まりどうやら道に迷ったことに気づき、グルグル同じ場所を回遊し…途方に暮れる。
まったく、不器用なぼくら。
それを知っているから足りないものを補うように言葉を交わし、空間を共有し、触れ合いを求めるのだろう。

無言の背中はまだぼくを拒絶していないよね?
ラグにさらさらの髪をばら撒いて横になってるけど瞳は閉じてないよね?
ぼくの懺悔をちゃんと聞いてくれたよね?
触れる寸前で握り締めた手を見詰め、ごそごそぼくは移動した。今までぬくめてきた場所を惜しげもなく抜け出しコタツの足をまたいで御剣の隣へ。
拗ねていなければ「何故入ってくる、狭いではないか」と諭されちゃう状況だってわかってても寄り添いたかったから。ぼくは率直な欲求を満たす為なら飛んでくる叱責も振り下ろされる鉄槌も怖くないんだから。
ぎゅーぎゅー詰めな省スペース。ごりっと骨盤に枠があたり加わる重み、このぶんだとコタツの足は宙に浮いてるかもしれない。大の男二人が何やってんだかって感じだけど必然的に密着する御剣の背中とぼくの胸にはあったかい想いが息衝いてる。
今度こそこの手でぎゅっと抱いて。
寂しげなその背中も薄くなりかけた輪郭も命の鼓動もこの腕にぎゅっと抱いて、ひんやり冷たくなってる耳朶を唇の先で摘んだ。腕の中で僅かに緊張した身体。呼吸を飲み込んだ気配。細く流れる前髪に覆われ窺えない表情を瞼の裏側で想像し摘んだソレを軽く吸った。
「…君は…君の言動はいつも予測不可能で、突飛すぎる」
頬にかかる毛先を震わせ困惑の滲む声をラグに転がして唸るから
「うん、ごめん…肝に銘じます」
赦しを強請るみたいに鼻先を摺り寄せた。
胸に宿った蟠りが唇の先に溜まり、触れた先の温度に溶けて、溶けて、やわらかい液状の何かが咥内から喉、食道を通り腹の奥に納まる。脈打つ鼓動と呼吸一つ、揺れる体内。やわらかい液体は体温に馴染み小さく波打ちながらじわじわ、更なる深部へ流動する。
身体の隅々にまで行き渡る熱量。指先に、足先に、鼻先に、唇に小粒な炎が灯り、ぼくは欲情を実感した。
触れたい
触れたい
何処に?そう、唇に。
ムズムズ、くすぐったい欲求は生直で素の衝動。
この想いは純粋だから…ぼくの純精無雑な想いのカタチだから…君にも同じ精一さを求めちゃうんだろうか。同等、同質の感情量を求めるなんて滑稽でしかないのに。それは驕りであって愛念に陶酔するが故の圧状的な思い込みだと分かっていても、一旦湧いてしまった蟠りは簡単に消えやしない。
ぼくって、自分が思っていた以上に粘着質なんだよね。御剣のことに関して、限定で。

ぼくの世界の全ては君だけど
ぼくが君の世界の全てであって欲しいと願うのは傲慢だよ。
もしそれを本気で願ってしまったらぼくの好きな御剣は御剣じゃなくなっちゃう。
法曹界があって、トノサマンがあって、尊敬する父親への思いがあって、色とりどりのヒューマニズムに感化する時間があって、それが君の世界をカタチドルのだからぼくはそれを黙認するべきなんだ。

でも、そこは恋人だから。
でも、そこは心を繋いだ仲だから。
一縷の可能性は求めるわけで…
習慣や日常や交流や生活に『ぼく』という存在を比較認識する有情があれば良いと思う。
だから吐き出したい情動をぐっと、ぐっと堪え
「御剣は、洋画なんかで見るオーバーアクションな挨拶をする…と言うより、されることがあるんだろう?」
まずは、事実確認からかな。
床に転がっていた視線がぼくの問いに持ち上がり、つけっぱなしのテレビ画面に移動した。
洋画は既に終盤を迎えこんがらがった事態の修復を始める。解ける誤解に再生をみせる信頼関係。溢れる笑顔と交わされる良好な会話…伸ばし握り合う手と手。そして、自然に抱き合う‥あるいは腕に、背中に、腰に、軽く手を回し頬に‥‥羽音を思わせるキス。もしくは頬よりももっと唇に近い場所に刻印を刻み込むみたく強めのキス。受ける方も与える方も自然な笑顔で‥そう、自然に、極当たり前に‥。
映像は暴力的に、強制的にまたぼくに実情を告げ、曲線を描き光を反射する御剣の眼球にぼくの感じた懸念を映す。
やや、間が空いて細く吐かれる息に納得の意思を見つけた。そりゃーもう、溜息、そのもの。
「…だから海外での居住暦か」
「うん、そう。日本じゃよっぽどのことがなきゃないことじゃん?」
「それは文化の違いなのだよ」
「でも、ぼくの知る限り冥ちゃんはそうじゃないみたいだけど。彼女、生まれも育ちもアッチだろ?」
「ム、彼女は‥自分から近しい人間以外に親愛を伝えることは少ないが、向けられる親しみを無碍に拒んだりはしない」
「そうなんだ‥それは、習慣だから?」
「うム、まあそうだろうな。一種の確認行為とでも言うのか、親しい者同士には極フツウに見られる光景ではないのだろうか」
「ふ〜ん‥日本人のぼくには躊躇する文化ってことなんだよね」
まあ、な‥私も当初まごついたものだからな。ややなおざりに頷くぼくに御剣は軟調な調子で答えた。御剣の緩んだ焦点の瞳には心すくような映像が映されていても、その奥ではまったく違った場面が再生されているのが分かるから。
ぼくが入り込めない記憶の万華鏡がキラキラ光の形を変えながら回っているのを感じるから。
――ぼくはそれを黙認するべきなんだ。
掲げていた意地が嫉妬とは異なる仄暗い炎に炙られる。
君の世界全部がぼくだけのものであれと願うのは傲慢以外のナニモノでもないはずなのに。
「じゃあ、お前はどうなの?」
そこでようやく御剣は上方に在るぼくの顔に目線を移した。視線を追いかけゆったり、懐古の情に撓った唇と柔和になった眼つきを従え。拳一つ分鼻先に空間を開け顔を突き合わせ、漂う沈黙に今という時間が優位を顕示した。
「御剣もあるでしょ?肩を組まれたり抱擁されたりの挨拶を受けたこと、あるでしょ」
したことじゃなくて、受けたことがだよ。そこんとこ間違えないでね。
「あるな」
「へぇ‥」
「文化なのだよ」
「ふうん、挨拶は握手?」
「礼の代わりに握手なのだ」
「ハグは?」
「まぁ、流れ的にそうなる場合も‥」
「頬へのキスも?」
多分、御剣にしてみれば何故ぼくがそんなことにこだわるのかってのが不思議なんだろう。
ステイ先では息子同様に扱ってもらい我が子にするように頬へのキスが受けたことがあるとか、フランクな学友がノリでしてきたことはあるとかまったく気にした風もなく語ってくれる様子があんまりにも自然で、その自然さが焦燥感を駆り立てる。たとえそれが挨拶やノリでも‥相手が母親世代のご夫人でも親しい学友相手でも、もっと言うなら女でも男でもまったく無害な子供でも‥更に冥ちゃんが飼っている犬相手でも。
「御剣がする側にもなるわけでしょ?フツウに‥」
「しないほうが失礼にあたる場合もあるくらいだ」
訊けば訊くほど胸のモヤモヤは増すばかり。
「アッチはまぁ分かるけど、コッチ‥日本では?せいぜい握手くらい?ハグは無し?」
「ム、大方そうだな‥」
御剣の拠点が日本でよかったと心の底から思うかって?まさか。
「‥‥‥その大方って何だよ。すっごい曖昧」
「ざっくばらんな人はココにも居るものだ」
ざっくばらんな人って誰だよ。
「‥‥御剣、無礼講ってセクハラをあざとく言い換えてるんだってこと知ってる?」
「アレは仕事仲間間の親睦を深める為や年長者の気遣いなのだろう?」
「お前‥それ、本気で言ってるんだったらもう忘年会とか新年会とか打ち上げとか、そういう類の飲み会行くのやめた方がいい」
「なっ、何故文化の話から飲み会参加の規制に飛躍するのだ!」
「そんなの、ぼくの我侭に決まってるだろ!」
こんなに至近距離で見詰めあいながらなんで言い争わなきゃなんないのか
もっと触れたくて余すとこなく触れたくてどうしようもないのに足踏みしてるのか
突っかかった挙句逆ギレしちゃうぼくの幼さと固執。背伸びしても寛容であろうとしてもボロなんて直ぐに出る。
妙な気迫での自白。怒気のこもった御剣の眼差しに困惑が浮かび、瞬きを二回すると
「君は‥ここぞという時に素直だから‥‥可笑しい‥」
フッ、吐き出した息に柔らかな笑みを混ぜた。
君の笑顔は厚い氷をも融かす。永久凍土をも一瞬にして融かし、夏草の茂る大地へと変える。
目も眩む光源、キラメキの源、星の輝き、オーロラの色彩‥その煌びやかな愛らしさを前にぼくの意地と執着なんてあまりにちっぽけだ。
ぐうの音もでないってこういうこと。
石の下で湿気にまみれていた昆虫が白日の下晒される感覚ってこんな感じかも。
お釈迦様の手の平で大の字になって観念する孫悟空に共感したくなる。
これ以上、ぼくを虜にしてどうすんのさ。盲目に成りはててるぼくに追い討ちをかけてどうしようって言うんだい?
全身を廻る血液が沸騰した激流になりゴウゴウと耳鳴りがする。心臓が破裂しそうな感覚って経験したことがあるかい?
人目を憚らずのハグハグちゅーとか勢い任せのハイタッチや親密な関係の誇示なんてささやかな憧れ。
そんなことよりぼくが望むのは‥心の底から望むのは‥君の中でのぼくの存在が完全、別格、特別枠であること。
習慣や文化に括られない確実、固定、別種なものになること。
君はぼくの全てだけど、君の全てにぼくがなりたいんじゃなく、突出した唯一の存在であること。
もしかするとそれこそ強欲なことなのかもしれないけれど‥相当な執着をみせる願いかもしれないけれど‥他者とはっきり区別できるぼくを君の心に存在させて。揺るがない位置にぼくを据えて。

誰かが君の肩を抱く
ほら、でもぼくが君の肩を抱くのとでは篭もった想いが違うだろう?
誰かが君の手を取る
ほら、でもぼくが君の手を取るのとでは伝わる熱が違うだろう?
誰かが君の身体に腕を回す
ほら、でもぼくが君の身体に腕を回すのとでは胸の高鳴り方が違うだろう?
誰かが君に微笑を向ける
ほら、でもぼくが君に向ける微笑に謳いこんだ情念の数は比べ物にならないほどだろう?
誰かが君の頬にキスの音を立てる
嗚呼‥それは、そればっかりは考えただけで気が狂いそう。
このおどろおどろしい感情は紛れもなく嫉妬。狭量で強欲で傲慢だと謗られても荒れ狂う嫉妬の波はぼくを呑み込み理性を攫おうとする。百歩‥千歩‥万歩譲って欧米スタイルの文化を理解したとしても……
柔らかい頬に頬を摺り寄せ軽く押し付ける唇。
呼吸一つ、静止し、浅く離れてまた一つ吐息の残るキス。
誰かのキスは無感のキス。
ぼくのキスは有感のキス。
誰から受ける抱擁にも親愛にもどうか何も感じないで。
「我侭なくらいぼくは君が好きだよ」
見下ろす君の表情は眠りに落ちる時みたいに警戒心が薄く無防備で、キレイとカワイイを半分ずつ混ぜたよう。口角を上げただけの微笑みも粗目を含んだあとみたいに甘く気持ちが解れる。
薄い唇に鼻先を引っ掛けゆっくり重なり合う、唇。
啄ばみに、啄ばみが返され
「我侭なくらいが君らしくて、イイと思うが?」
首を少し傾け意思のある唇がぼくの唇を喰みにきた。
鼻の奥がツンとして粘膜の触れ合う箇所の熱量が上がり、咥内の湿り気がどうしようもないほど気持ち悦い。
舌の裏を掬われ不覚にも喉を鳴らしてしまったから、お返しにと御剣にも同じことをしてやった。ツルツルの舌裏を掬って撫でおまけに吸ったら喉の奥の方に少し高い声にならない声がこもり、ぼくはその声を引き出したくて唇の合わさりを深くする。
隙間なく互いの形に合わせるように唇は重なり密封される咥内にくぐもった水音が響く。
一方的にかき回すのではなくお互いに確認する、形とか感触とか肉感とか熱量とか‥そういう意味で触角みたいだね。お互いを知るための高性能センサー‥もしくは隠れた生殖器、とか?
くぷくぷ、吸い上げては流し込む官能を擽るキス。
こんなキス、多分世界に一つしかない。何処を探しても、ココにしか辿り着かない。
圧し掛かるぼくの身体の重みに御剣は僅かに身じろぎ外れる舌先に、ツ‥細い糸を引く滴り。
ふはっ、吐いた息に声が混じり顔を上げれば一瞬視界が霞んだ。やばい‥うっかり…
「い、息するの、忘れてた」
押し寄せる酸素に肺が軋み、貪ることに夢中になりすぎた自分が可笑しかった。
「がっつくからだ」
上がった息で鼻を鳴らし、余裕の笑みを向けてくるその上等の気位の高さに屈辱感よりも誇らしさを感じるぼくは軽度のM気質なのかもしれない。
「息するの忘れるくらい大好きなんだよ」
「キスがか?」
「あはは、そうだね…大好きな御剣とキスするのが」
ぼくの見え透いた虚勢に床に散らばる微笑が一層色濃くなり浅く染まる目元の紅に胸が鳴った。
君の中にぼくは居るのかなぁ。
君の中にぼくは他と交じらず居れてるのかなぁ。
全てを望んだりしないから、区別されてるだけで充分だから、ほんの少しだけ突出できてれば満足だから。
「君はムコウの文化にフランクな印象を持っているようだが、境界線がないわけではないのだよ」
ぼくの心の声が聞こえたのか‥整いかけた呼吸を紡ぎ
「普通、仕事等かかわる程度の間柄なら挨拶は握手程度が一般的だ。多少の例外はあるだろうが、君の言う抱擁や肩を抱くのはある程度の交流が必要だし、頬へのキスは親族や極限られた交友範囲まで‥そして口へのキスは」
長くしなやかな睫毛が互いを弾く。開かれる瞳の澄み切った色。
止まった唇の濡れた艶はキスの名残。
「口へのキスは肉親と‥恋人、もしくは伴侶にしか許さないのだよ」

脳が音を選ぶ。
聞きたいと思う音しか認識しないように‥聞きたいと願う音を拾い損ねないように‥一つ以外の全ての音を遮断した。
選ぶのは心。
君を想うぼくの心。
ぼくの世界の全ては君だから、それ以外の何もかも無感で無意味な雑音だ。

「ちょ‥‥ま、待って‥き、君は‥‥ずるい‥」
割り切っていたはずだった。
望んだら望んだ分だけ、逃げ水のように君は遠のくからと
一縷の可能性だけ捨てきれず胸の奥抱え、それ以上を望まなかったのに
「‥ずるい?何故だ」
精一とした声で心の奥にかけていた錠前を外した。
「だって‥久々の再会でも抱き合ったりしないって」
「それは‥曖昧な仮定に行動を限定できないからだ」
「すっごく高揚した気持ちの中ばったり会っても抱きつきもちゅーもしないって」
「想像する限り、プライベートな空間以外でそのような行為に及ぶのは一社会人として問題があるからな」
「馬鹿って言った‥」
「あんな仮定でまともな答えを要求する相手に馬鹿と言わずしてなんと言う?」
「愛し合ってないって」
「言っていない」
「恋人同士じゃないって」
「そのようなこと一言も言っていない」
「‥‥じゃあぼくは君の何?!」
「‥っ、それは‥」
ずるい。やっぱり君はずるい。
ココまでぼくに期待を持たせて肝心な言葉をくれない。いつだって、くれたことがない。
教えてなんて言わないから‥僕がそうだと認識できればいいことだからと一縷の望みで君を見続け、ココに来てまた遠のくのだろうか。
かりそめの歓喜に沸いた情動が儚く消える予感に泣きそうになるぼくの脳は、バラエティー番組へと移行したテレビの音を拾い始め‥
グイと引き寄せられぶれる視界。
不意の出来事に詰めた息。
むに、呼吸の吐き出し口にやわらかい感触。
歯列を割って滑り込むよく知ったソレはぼくの舌先をひと舐めし、離れ際軽く可愛らしい音を立てた。
「口へのキスは誰に許されるのか、忘れてはいないだろうね‥成歩堂龍一」
今度こそ、息の根が止まった気がした。
不器用なぼくら。
先行きの不安に恐れ慄き、進めないと地団駄踏み、意気地のなさから横道を探す。逃げたって結局は同じ場所に辿り着くのに結論を先延ばしにし…途方に暮れる。
まったく、不器用なぼくら。
伝える方法も知る方法も一つじゃないのに。言葉を交わし、空間を共有し、見詰め触れ合い、沢山の想いの断片をその都度拾い上げる。それは、望む答えじゃないかもしれない。むしろ、苦い後悔と苦しい結末なのかもしれない。
それでも不器用なぼくらには不器用なりに手段を考え行動に移す勇気を持っていて、灯るささやかな希望の明かりに望みを繋ぐ。
「‥御剣は、ぼくの肉親って訳じゃないよね」
ああ、ぼくってば。何でこういう時に気の利いた台詞を口にできないんだろう。
「?!君は、どうしようもないほど‥っ」
あきらかな憤りに厳しくなる表情。吐き捨てるみたいに口から飛び出る言葉を口付けで飲み込んで
「好きだから、大好きだからっ!君はぼくの世界の全てだよ!」
想いが熱する速度にのぼせ上がるまで浸るんだ。
文化は、地域や国土に居る民の心に根付くものだけど、ぼくは御剣の心にいつの間にか根付いていた。君からのキスでそれを実感できた。
最高に幸せでこの上なく満たされて、至福の境地でぼくはまた君を想う。

口へのキスの意味を擦り切れるまで脳内で再生しながら‥君を想う。




おしまいv

  



2007/11/13
mahiro