君にとって完全、別格、特別枠になればいい
意識して
戸惑って
拒まれても
いや、むしろそうしてくれるくらい
他との差別化ができればいいと思ってる
君にとって確実、固定、別種のことになればいい

教えてなんて言わないから
僕がそうだと認識できればいいことだから

今日も僕は君から視線を外せない



熱する速度



世界はあらゆる情報に網羅されている。
映像は意識しなくても視覚情報として得ることができ短直に理解を生む。
ストレスの発散、非日常的なロマンスへの倒錯、逃避、アイデンティティの混同や投影、束の間の旅行…視覚から得るモノには其々の概念や思想なんかがついてくるけれど、
映像は時に暴力的に標的を選ばず真実を告げる。

ぼくの住む築数十年のアパートは環境に凄く適応していると思う。
茹だるような暑い日には蒸し風呂状態になるし今にも雪が降り出しそうな日には室内でも吐く息が白い。ちょっと湿度が高ければ布団の下に数日待たずしてカビが生えるだろうし、乾燥が酷ければそこらじゅうで静電気の火花が散り、よく言えば春夏秋冬を室内に居ながら身をもって感じることができちゃう。
環境が人間に合わせるんじゃなく人間が環境にあわせる、二十世紀真ん中ごろの生活はシニカルだけど慣れてしまえば考えていたよりもずっとマシで…多少なりにも夢はあるけどコノ環境は分相応なんだって諦めもつく。
家庭でもあればそうも言ってらんないかもだけど、まあ、独身の気軽さ?横着?背伸びしたい虚栄心も生活スタイルに関して持ち合わせてないっぽいぼくは、窓を叩く北風に時々耳を傾け、この家で一番活躍しているであろう暖房器具、コタツに胸まで突っ込んで暖を取っていた。
足先からじんわりぬくもる極上の感覚にぼんやりと浸りながら無造作につけられているテレビ画面を眺める。活気に溢れた笑い声がスピーカーから噴出してきて、四角いパネルにはどこかで見たけどいまいち名前が思い出せないタレントが数人大袈裟なくらいのリアクションを競っていた。
バラエティーは頭ん中を空っぽにして観れる気安さがあるから、特にすることのない時には結構つけたりしているけれど、今は半分以上聞き流している状態。
テーブルの上にはお約束のみかんが数個とテレビのリモコン。そして…
カタカタ‥カタ、カチ‥
不規則なリズムで軽めの音を鳴らすノートPC。
キーボードを叩く指は僕のものではない。片手はコタツの中で胡坐を掻いている足を掴んでいるし、もう片方の手は卓上のリモコンのボタンを押そうとしているから。
カタカタカタ、カタ‥カタ…
不規則なリズムに合いの手を入れるみたいにチャンネルを替え、番組はバラエティーからニュースへと変わる。
まあ、どのチャンネルにしたって身が入るわけもなく、ぼんやりしながらもタイピングの音に耳を傾けるのは
カタカタカタカタ…カタ、カタカタ‥カタ…
「……ぷっ」
堪らず噴出してしまうくらい面白いからで。
僕の座っている場所から直角に曲がった先で背筋をピンと伸ばしPCを弄る硬い表情の彼をこっそり盗み見て、パチッと合った視線に微笑んでみる。
変に目を逸らしたら含みを持たせたみたいで嫌だったし、正直ちょっとした交流がもてたようで嬉しかったから。でも、僕の微笑を受ける側にしてみれば邪推しちゃうのか、不満げに口をへの字に曲げ眉間に皺を刻む。まあ、その様子も可笑しいと感じちゃう僕は微笑みはそのまま、小さく肩を竦めるんだけれど、それもまた彼の神経を逆なでしたらしく
「視線が邪魔だ」
むっつり、短く、不満を口にした。
「ハイハイ、すみませんでした」
不満を不満とは受け取らず、単にバツが悪かったんだろうと解釈する僕は悪びれる風もなく上っ面の謝罪だけをしまた対して興味の湧かないテレビ画面に視線を戻し、再び不規則なリズムを奏でるタイピング音に耳を傾ける。
彼、御剣はよく仕事を持ち帰っていた。
妥協を許さない完璧で鮮やかな仕事ぶりは迅速で無駄がない。それは彼の処理能力が優れているからだけど、実は秀逸な能力に驕らず地道な鍛錬とも言える下積みがあるからで、それこそ寸暇を惜しまない尽力の賜物だと思う。
持ち帰りの仕事は書類関係が多いらしいけど、ココ、ぼくんちに来る時はノートPCだけしか持ってこない。
当然と言えば当然のことで、持ち帰る書類は重要度が高く外部への漏洩が許されない機密事項や個人情報が満載だから。気安く持ち歩ける代物じゃない。信頼云々と生暖かい私的感情を挟んでいいはずもなく、かと言ってこう頻繁に行き来するようになれば何もしないわけにも行かず、セキュリティの高い情報BOXだけでも僕にしてみれば涙ぐましい勤勉さを披露してくれている。
二人きりの貴重な時間なんだから仕事なんて無粋なことはやめてよなんて言わないよ?
だって、資料も環境も整った自宅で仕事した方が圧倒的に効率がいいし、極秘情報が漏れる危険性も薄い。
イギリス製のアンティークテーブルに向かい同種のチェアーに浅く腰掛け、裏側に刻印のあるクロスした二本の剣のカップに紅茶を淹れがら効率よく作業を進めるのと、コタツに足を突っ込みチカチカ移り変わるテレビ画面や音量を絞っても耳につくだろう騒音にまみれ、邪魔とばっさり切って捨てるぼくの視線を受けながら欠落しがちな仕事をこなすのとどっちが効率的で良環境かなんて訊かないでも解る。
完璧を教えとする彼の師匠がコノ状況を目の当たりにしたら…仮定でも、推測でもとんでもなく恐ろしいことになるんじゃないかってくらい容易く想像でき。
良じゃなく、むしろ悪ともいえるぼくんちを選んだのは御剣本人で。
ぼくが誘ったからなんて体の言い訳をするでもなく、これは自らの意思だからと浅く微笑む様子が脳裏に刻まれているから。
一緒に居れるだけの簡素な時間すら幸せだと感じる。
それにぼくんちに仕事を持ってくるなって言ったら寄り付かなくなってしまいそうで…本当に音沙汰がなくなりそうで…理解のあるフリをしてぼくは御剣にエゴを押し付けてるのかもしれないんだけどね。
ささやかな幸せと芯まであったかくなるコタツとで溶け始めた思考に、タイピングの音が途切れ途切れに挟み込まれ、クギを刺されたにもかかわらず、くつり‥可笑しさに喉を鳴らすぼく。
「成歩堂‥煩い」
あー‥聞こえちゃったかぁ。コタツ布団に隠した笑みを耳聡く指摘され
「ごめん、ごめんて‥悪気はないんだから聞き逃してよ」
くつくつと鳴る喉をコタツ布団に深く埋め細くなった横目で御剣を見れば、意外にも砕けた表情。キツさの取れた視線とかち合う。
「‥‥どうしても、上手く扱えないのだよ」
不機嫌だったのはぼくの茶化すような笑いに苛ついたからじゃなく、己の不甲斐なさの所為?
御剣が存外不器用だって言うのは周知の事実で、頑なに否定してみてもやっぱりそれなりの自覚は本人にもあるわけで。「邪魔」とか「煩い」は単なる八つ当たりだったんだなぁと解ったぼくは彼をカワイイなぁと思わずにはいられない。
「少なくともぼくよりは上手く扱ってると思うよ?」
「ム‥携帯の新機種の多様な機能をなんかの暗号みたいだと言ってのける君に慰められても嬉しくない」
「あ〜‥だってあんな機能、必要ないじゃん。わけわかんないし」
「ほらみろ‥今は定年をはるかに過ぎた老齢な人でも器用に扱いこなしているのに、やっと四半世紀生きたばかりの君が理解する前から不必要だと決め付けるのだから、慰められる私が惨めに思える」
「じゃあ‥ブラインドタッチができるくせに指が言うことを利いてくれず打ち間違えるから、キーボードから目が離せないって言ったほうが良かった?」
「‥‥それはそれで軽く傷つく」
「じゃあやっぱりぼくよりは上手く扱えるってことでおさめとこうよ」
八つ当たりでも何でも、決して良い意味でじゃなくても、ぼくを何気に意識してくれてることに喜びは隠せない。
音量を落としていたとしても遥かに耳障りであろうテレビの音よりもぼくの小さな忍び笑いを聞き拾い不満を零す御剣に必死で抑えているいとおしさは溢れる。
それはそうだが‥と釈然としない様子でまた作業に戻る御剣からぼくは引きずられるみたいに視線を外し、テレビのチャンネルを無造作に替えて行く。
『どうしてNとMは隣通しで並んでいるのだ』いつだったか忍耐も限界に達した御剣が忌々しげに零した愚痴を変わる画面の向こう側にぼくは思い出していた。
感覚でキーボードの位置を覚えていても指先の神経が記憶に追いつかず打ち損じる。それも同じような言葉で。良い意味でも悪い意味でも一度ついた癖は修正し難いらしく、その原因が自分の不器用さではなくキーボードの文字盤の並びだとするところが勝気というか負けん気が強いというか‥まあ、御剣らしく可愛くって可笑しいところ。
困難と打ちたかったものが紺万とでてきたとか旨が滑(ぬめ)と変換されたとか‥ある意味微笑ましいタイプミスを憤りと不甲斐なさの滲む面持ちで語られた時には、叩き落とされると分かっていても頭をナデナデしてしまったほどで‥。
多分、笑う余地のない事故映像に向かってぼくは不謹慎にもくつくつと堪えきれない笑みを漏らした。
「……成歩堂」
低い、地を這うような御剣の声にしまったと緩む口元を噛むけれど、目を合わせたらものすごい勢いで睨まれるだろうから目いっぱい肩を竦めリモコンを弄る。
あーもう、君との思い出は胸が痛くなることもあるけれど楽しいこともいっぱいだ。感慨深くうそぶいてみる。
辿り着いたチャンネルでは洋画が放送されていた。
地上波を行くくらいだからそれなりに有名なんだろうそれはぼくにとっては初見で、なんとなくの雰囲気からして…恋愛モノではないようで。観たことがある俳優が次々と襲い掛かる珍事‥なのかなぁ‥に奮闘している。舞台は海を渡った地のオフィス街と住宅街、それに自宅。
ゆとりのある建物の配置や屋内の空間。手入れのされた芝が青々として庭木なんかもキレイに刈られていて、カントリー調の家具や小物からして米国あたりかな?
途中観だから内容はいまいちわかんないけど彼の浮かべるコミカルな表情は何とはなしに共感できる‥ような気がした。
それは単なる偶然で、意図なんか無論なく、確信のないまま惰性で観続けるだけの洋画なはず。
でも、微妙に心にかかる‥既視感‥違った、危機感に胸の奥がざわめく。
なんだろう。なんだろう。
揺れる茂みの奥に潜む何かへの恐怖心とは違う、ざわめきの正体は。
目を凝らして画面を見ても展開してゆく場面に答えはなくかと言って見過ごせるほど安易な出来事でもなく。内容そっちのけでコノ違和感の原因追求に神経を集中させる。
自慢じゃないけどぼくが直感で何かを感じるのなら9割がた御剣がらみだ。それはもう本能にすりこまれた‥DNAに組み込まれた知覚だと言っても良い。ピリリと背筋に走る電流や皮膚が粟立つ感覚。真空状態、塵も埃ですら入り込む隙間のない無菌空間で研ぎ澄まされる感覚。死ぬまで表面に出されることのない潜在能力の爆発的開放。
真宵ちゃんが言うところの特異能力がぼくには備わっていて、普段はゼンマイの錆ついたブリキのロボットだけどその時だけは超人に成り得るんだそう。ちょっと失礼な話だけど。
洋画は終盤。展開は行き着くところまできましたって感じで、この混沌とした状態をどう締めるかって期待感を擽る。相変わらず内容は把握し切れてないじ登場人物の相対図もあやふや。でも、ぼくの必要としている情報はそれ以外のところにある。直感は確信を持ってぼくに囁く。
他愛もない瞬間の映像。
かの地では極々日常的な‥
友好と親愛を込めた振る舞い。
ああ、でもちょっと待って。
ぼくは日本人なんだ。奥ゆかしく恥じらいを持ち謙虚さを美徳とする日本国に生まれ育った生粋の日本人で、周囲の環境もそれ相応に機能していて。近頃の若者はつつしみがないと苦言を漏らされても諸外国に比べまだまだそういった振る舞いに躊躇する国民で。
ニュースで公然と流される‥洋画では挨拶を交わすみたいに自然と扱われる‥。
ああ、人事だと遠巻きに眺め安心という名の価値観に胡坐をかいていたけれどそれは案外脆く簡単に崩壊する偏狭で、狭量なぼくには苦汁を舐める如き由々しき事態だと。
じわじわ蒼白になる顔色。不規則なタイピング音が鳴り止み、はぁ‥とゆっくり吐き出される少し甘めな御剣の溜め息にギクリと身体が硬直する。
瞬きを忘れ見開いたぼくの目には何が映っているかって‥。
「あ、あのさ‥御剣ってさ‥」
顔の向きを変えず僅かに上擦った声で呼びかける。
「‥‥ム?」
「海外暮らしって長い方?」
「‥そう、だな‥グリーンカードはないが学生査証で数年アメリカに滞在したし‥」
「えっと、それって君の‥その、お師匠さん絡みで?」
「うム、先せ‥いや、彼のところにホームステイしていた時期はあった」
「今でも時々雲隠れしちゃうよね」
「…それは、長期滞在用の査証を有しているからな」
ふーんと、生ぬるい返事をするぼくに何かを察したのか御剣は少しの沈黙の後、PCの電源を落とした。
「あれ、いいの?…まだ途中だったんじゃない?」
御剣が居心地悪くなるような間を作ったぼくが言えることじゃないけれど、悪気はなかったつもりだから作業を中断させた心苦しさがそう口にさせたんだろう。
「いや、一区切りついたからな…それよりも成歩堂、歯切れの悪い物言いの種を聴かせてもらおうか」
まったく君の考えていることなどどうせくだらないことなのだろうが。と、素っ気無い言い方をしてるけれどそれなりに気にかかったんだろう。カチリとノートPCを閉じ机の横に寄せる仕草を見ていると、ぼくたちはそれなりに相手を気遣うことのできる恋人関係なんだって分かって嬉しい…うん、かなり、嬉しい。
「さあ、話せ」
真っ直ぐ見詰める御剣の瞳はどこまでも澄んでいて、どこまでも真摯だ。
「ねえ、もしも‥もしも、ぼくたちが何日も会ってなくて久しぶりに再会したら抱き合って喜ぶ?」
「……仮定とするなら設定が曖昧すぎるがあえて答えるとするならノーだな」
……熟考とは言わないまでも少しぐらい考える余地ってないのかよ。
「じゃあ、ぼくが勝訴して、君が勝訴して、すっごく高揚した気持ちの中ばったり会ったとしたら?」
「また曖昧な仮定を…」
「呆れるのはいいから答えてよ。抱きついてちゅーとかしちゃう?」
「君は馬鹿か?」
「ぼくが馬鹿でもいいから!ほら、ホームランを打った後のハイタッチとかさ、オンゴールの後の抱擁とかさそういう喜びの共感の仕方って…」
「ないだろうな」
……即答かよ。
「じゃあじゃあ…もしぼくが不慮の事故で生死の境を彷徨って奇跡的に意識を取り戻したら?!抱きしめてキスしてくれる?」
「その時は君の病室に花でも送ろう。そうだな、鉢植えの彼岸花などどうだ」
「っ…ぼくたちって愛し合ってるよね?!世界がうらやむ恋人同士なんだよね?!」
「成歩堂‥君はコタツの角で頭でも打ったのか?」
えっと‥仮定を立てた上での返答はまだいいとして、確定された事実に対する答えがそれって軽くショックなんですケド。
隙間風が吹き込むのは築何十年のアパートだけじゃない。
コタツの中で抱える膝。項垂れ埋もれるのは乾いた匂いのするコタツ布団。
「私は‥仮定が万全を期すためには必要なことだと考えている、が‥真に人の心を計る杓子定規ではないと思う」
いじけたぼくの鼓膜を静かな声が叩き、コタツ布団から顔を上げると同時に今度は御剣がころんと床に転がる。
もぞもぞコタツ布団を手繰り寄せふいと横を向いて、ポツリ‥漏らす。
「私は‥」
それは御剣なりのいじけかたなんだろうか。体格のイイ男はどんなにいじけたって90センチ幅のコタツの中に潜れるはずもなく‥だからこそ横を向いてその意思を表す。
「私は‥それが仮定であっても‥大切な人が生死の境を彷徨うなどという恐ろしい事態を想像したくないのだよ、成歩堂龍一‥」
嗚呼‥
ごめん。
ごめん。
ぼくは先を急ぐあまり君にひどいことをした。
答えを求めるあまり、繊細でこの世で最も気をつけて触れなければいけない場所を土足で踏みつけた。
そういうことじゃないんだ。
ごめん。
ごめん‥。
僕の訊ね方が悪かった。
気管支を締め付けられる息苦しさに喘ぎ、何気なく大切な人と言われたことに眼底を熱くさせ
「ごめん、ぼくはただ‥習慣として君がぼく以外の人にキスしたり抱擁したりしてるのかって訊きたかっただけなんだ」
姿勢を低くしながら寂しげな背中にそっと手を伸ばした。




  



2007/11/05
mahiro