常初花 2



 さかのぼる事、数刻。
膨大な資料の中、は唯一つのキーワードを頼りに必死で書き写していた。

 此処は中央四十六室、地下議事堂、大霊書回廊。
尺魂界(ソウルソサエティ)の情報が集約される場所。

 白哉に会って、ルキアの極刑への疑問は深いものとなった。
その疑問を解く鍵は、双極にあるとは考えた。
ならば、かつて極刑に使用された事例を調べるのが手っ取り早いと考えたのだ。
しかし、その中で知った名を見かけ、何気に目を通した。

「・・・・・どうして?・・・・夜一さん・・・」

小さい溜息とともに漏れた言葉に、返るはずのない言葉が聞こえた。

「もう、調べ物は、終わったん?」
「・・・・・!?」

背中越しにかけられた声に、緊張が走る。

「そんなに、緊張せんでもええよ。別に、とって食う訳やあらへんし。
 それより、名前、教えてくれへん?」

 愛想良く話しかけるその男の横を、走りぬけようとして、腕を掴まれる。
白い羽織の後ろには「三」の印。

「三番隊?・・・市丸ギン?・・・護廷が、なぜ此処に・・・」
「なんや、ボクのこと知ってるんや。・・・へぇ〜・・・」

 市丸は、人の良さそうな笑みを浮かべるが、の背中にさらに緊張が走る。
それは、出会ったこの場所の所為ではない。白哉と対峙した時の緊張感とは違う、言いようのない不安。

「変わってんのは、霊圧だけとちゃうんやな。飛び切りの別嬪さんやないか。
 ますます、興味が出てきたわ。・・・返しとうないなぁ。」

言葉の後、市丸の口の端が歪んだと同時に、何かがの体を包んだ。

『くっ?!』

は、ありったけの霊圧を掴まれた腕に集中させ、市丸の腕を振り解くと姿を消した。

「見事な瞬歩やな。・・・・まあ、ええか。ちゃんと掛かったみたやし。」

誰に言うわけではない市丸の言葉が、回廊に響いた。





 市丸を振り切って『西の離れ屋』へと戻ったを、言いようのない感覚が包む。
痛みはない。ただ、気を張っていなくては、持っていかれてしまう、そんな感覚。
堕ちていくような意識を、繋ぎとめたのは付きの侍女の言葉だった。

「白哉様が、先ほど詰所をお立ちになられたそうです。」
「帰ってくるの?」

嬉しそうな笑顔だったのだろう。侍女が返した微笑が、それを教えた。

「ええ、まもなく。様、お仕度を。」
「わかったわ。すぐ行きます。」

先ほど書き留めた資料を机に置くと、ポツリと呟いた。

「好きに・・・なれるかも・・・・・」

優しい微笑を浮かべながら、部屋を後にした。



 二日ぶりに見た白哉は、相変わらず無表情で無愛想だ。
こんな表情を四六時中してるのは大変だろうな、と、いらぬ心配をしてしまう。

顔を見れただけで、先ほど市丸から受けた感覚は今は、薄れている。
調べていくうちに、少しだけ光が射したルキアの件で、が白哉を見る目が少し変わった所為でもある。

しかし、『流れ』は皮肉にも、二人を突き動かした。






『今宵は、西へ渡る』








 もう少し、前でも後でも時間があれば、戸惑いを言葉に出す事はなかったのだろう。
戻っていきなり渡って来るとは、考えていなかった。
それ以上に、白哉が、感情や義務なく、女を欲するとは考えていなかった。

妾を持った事を、義務の一つだと考えているのだろうか?

律儀な白哉の性格ならありうるなと、少し寂しげな微笑で背中を見送った。










――― 背負いすぎだよ・・・白哉












首に纏う朽木の名、その下の「六」の文字が、重たく見えた。

 白哉が、完全に視界から消える事を確認してから、『西の離れ屋』へと戻った。

そして、机に置いた資料を、まとめ始めた。
白哉が渡るまでに全てを片付けたかった為、夕餉を辞さざるを得なかった。

「食べたかったな・・・・ 一緒に・・・ って、何言ってんだろう、私。」

独り言に、一人でツッコミを入れながら、筆を走らせた。















あっという間に時間は過ぎた。

「なんとか、間に合ったわ。」

 まとめあげた資料を手帳に書き写し、こっそり作った隠し戸棚へしまう。
持ってきた資料を、引き出しにしまおうと立ち上がった。
ふと、窓から差し込む月の光に、空を見上げた。


















――― 今夜、彼に抱かれる・・・・













 白哉が、初めてではない。恋愛も経験している。
しかし、恋愛抜きで体をあわせる事は、初めてだった。




挑発したのは自分。





後悔はない。







だた、なぜ今夜なのかと、書類の束を抱きしめた。




















――― 愛してしまったら辛くなるのに・・・・

















 心に迷いが生じた瞬間、の感覚は途切れ、遠くで呼ぶ声が頭にこだまする。
愛想のいい声がこちらに来いと、誘う。その声に包まれながら、は崩れ落ちた。
















 遠くでこだまする声は、少しずつ遠退いていった。
代わりに、柔らかな朝の日が、暖かく包む。まどろみの中、規則的に響く心地よいリズムに気がつく。

「・・・?・・・・」

ゆっくりと目を開けると、白い寝着の腕が視界を遮る。

「?!」

 飛び起きそうになる体を、首に回された腕から伸ばされた大きな手が優しく押さえた。
そうでなければ、危うく、顎と頭をぶつける所だった。

「・・気がついたか?」
「・・・白・・哉?・・」

 視界を塞いでいた腕が解かれ、指先で顎を取ると、声の先へと向けられた。
普段は感情を全く読み取れない白哉だが、これだけの距離で視線を合わせると、多少なりとも読み取れる。

「・・・大事ないようだな・・・」

安堵した様子と、包むような視線。頬に触れる指先も優しい。


――― そんな目で見ないで・・・・


は、心の奥がキュっと締め付けられた。

「起きてたの?」
「・・・・」
「もしかして、一晩中?」

 白哉は、何も答えず腕を解き起き上がると、寝着を直し寝所の襖を開けた。
そして、背中越しに言った

「邸から、出る事、許さぬ。」

 何も聞かない白哉だったが、察しはついているのであろう。
当然の言葉だと、は思った。

「破ったら?」

振り向き、を見た白哉の視線が、言葉以上に語る。

「・・・・・・・・切り捨てる。」
「・・・ご自由に。」

 あわせたの視線は、決して反抗ではないと告げる。
それは、白哉の言葉が自分の身を案じて発せられた言葉だと理解した証だった。
白哉の出方を伺ったが、表情に出すはずもなく、無言のまま視線は外された。

「白哉・・・。」

再び背を向けた白哉は、視線を戻さなかった。

「・・・なんだ・・・」
「・・・ありがとう・・・・・・・」
「・・・・」

 少し間を置いて、後ろ手に閉められた襖は、軽く音を立てた。
その後、布団に倒れる音がした。

――― あの様子では、2〜3日は動けまい

 白哉は、散らばった紙を拾い集めると、渡り廊下を照らす松明へとその紙を投げ入れた。
燃え散る紙片には、こう書かれてあった。

『検索項目:浦原喜助』





2005/5/21