欠け満つ巡れし夜半の月







     添月 4








 ぱちんと響く鋏の音。
しかし、その音には覇気がない。


様 ・・・・ 様」

「・・・ えっ? なに?」
「些か、切りすぎかと ・・・・・・」
「 へっ?」

 言い難そうな家老の言葉に、ふっと我に返る。

「きゃっ! どっどうしよう ・・・・・」

 わざわざ取り寄せてもらった桔梗の花。
白哉の出迎えにと活けていたのだが、気づくと一本切り過ぎたようだ。

 慌てるに目を細めると、侍女を呼んで耳打ちした。
少しして、しっとりと落ち着いた濃い山吹の釉薬を垂らした一輪挿しを家老から渡された。

「こちらで、如何でしょうか?」
「可愛い。 ありがとう」

 にっこりと微笑むと、ごめんねと言葉を添えて桔梗を挿し、違い棚にそっと置いた。

「では、こちらは、玄関に運ばせても?」
「ええ、お願いします」

 やはり、答えは上の空で。










 朝から落ち着かない奥方に、家老は付きっきりだ。
何をやっても上の空で、手元が危なくてしょうがない。
 ただ、醸し出す気は柔らかで、失礼だと思いつつも失笑を覚える。

 
「ねえ、白哉ってどんな子供だったの?」
「昔から利発で落ち着きございまして、優秀なご子息でございました」
「今とぜんぜん変わらないんだ ・・・・・・・」

 珍しい質問に、主との距離を推し測る。
 少しつまらなさそうなに、穏やかな微笑を浮かべると。

「最近は、良く微笑まれるようになりました」

 あれで?っと驚く

「ええ、表情も穏やかになられました。
 奥方様を娶られてから、近くなったと家の者も申しております」


「そうなんだ。 ・・・・ でも、私は ・・・・・」

 二度目だからと言葉を閉ざす。
だから、ルキアという可愛い妹が出来たのだ。
 憂いる事など何もない  ・・・・ のだけれど。


 深くなりすぎた白哉への想いを、今更ながら持て余すと。


「かけがえの無いお方でございます」
「?! ・・・・・・・・・」

 はっとした様に、伏せたままの瞳を大きく開く。
そして、ありがとうの言葉とともに、白哉が大好きだと言う笑顔が添えられた。


「白哉様が、お戻りになられました」

 侍女の言葉に立ち上がりへ振り向くと、真っ赤に頬を染めて、固まっている。

「奥方様 ・・・・・・ 様?! ・・・・・・ 」
「はっ、はい! ただいま行きます」


 慌てて立ち上がると、あっと襖とは別の姿見に。
じっと見つめて、角度を変えて、再度見つめて、よしと一言。
 急ぎ玄関へと駆け出した。


 すっかりの頭から消し去られた家老は苦笑を浮かべ後へと続く。
まだ幼いこの夫婦に幸多かれと、祈りながら。











 いつもと同じ夜なのに、如何していいか解からない。
白哉を待つ間、障子を開けて外を見たり、並べられた枕を何度も何度も形を整えてみたり。


 夫婦なのだから当たり前なのに、『二人きり』を強く意識してしまう。




「・・・・・ 好きなんだ 私 ・・・・・ 白哉のこと ・・・・・・・ ?! ・・・」

 ふと呟いた言葉に、胸がキュンとした。
初めて言葉にした自分の想い。もっとずっと前から、そう、出会った時からずっと。
 







―――― この人なら自分を預けられる









 理屈じゃなくて、好きとか愛しているとか、言葉では上手く言えない何かを出合った瞬間に感じた。
その時感じた何かは、抱かれた後の後悔と言う言葉を魔法の様に消してくれた。

 まるで、出会い結ばれる事が運命だと思えるほどに。

「・・・・・ 運命 ・・・・・ だったのかなぁ ・・・・・・」

 ポツリと呟いたとき、静かな音をさせて襖が開いた。
見慣れている夜着姿。でも、鼓動は速まり頬は熱く、緊張で体は強張ってしまう。
二人で居られることが、嬉しくて嬉しくてたまらないのに。


・・・・」

 名を呼ばれてビクリと体が震えた。
はいと上ずった声で答えれば、優しい微笑みと共に右手が目の前に差し出された。


「おいで。 お前に見せたい物がある 」
「見せたい物?」
「ああ。少し寒いが、大丈夫か?」
「うん 平気 ・・・・・」


 重ねられた小さな手を優しく包むと、連れ立って庭へと降りた。
そして、書斎の窓から良く見える位置に植えられた、一本の若木の前で立ち止まる。


「これ ・・・・・ 桜? ・・・」

「ああ。お前が、私に嫁ぐと決まった時に植えたものだ。
 まだ、小さいが、次の春には花をつけるだろう」

「桜、好きなんだ ・・・・」

「嫌いではない。 だが、お前を見ていると桜を思い出すのだ。
 気高く葉を必要とせずに、咲き誇る。だが、秋には忘れず実を結び次の命を繋いでいる」

「私は、そんなに綺麗じゃないわ ・・・・・」


 相変わらず大胆な事を簡単に言う人だと、はにかみながらの物言いだ。
言った当人にしてみれば、勝るとも劣らずと本気で感じているのだが。


「ゆっくりと、若木が大きく育つ様に、私と共に歩んで欲しい。
 俯き歩く事も多いだろう。だが、見上げた時、お前が居れば迷わず歩いて行けるだろう。
 ・・・・・ そして、いつか私たちの命を、新しい命に繋いでゆこう ・・・・・・・」


「・・・・ 白哉 ・・・・・」


 言霊がゆっくりと心に響いてくる。
これから歩む長い道。その傍らには、必ず白哉が居てくれる。


 向き直り白い夜着をぎゅっと掴むと、その胸に額を押し当てて。
でも、聞こえる声はとても穏やかで優しい。


「好きだったの、ずっと ・・・・ あの夜出逢った時から。
 なのに、素直になれなくて ・・・・・・・・・」

「解かっていたよ、初めから ・・・・・」


 優しく抱きしめ柔らかい髪へと唇をよせた。


「年を取って、おばあちゃんになっても、私を好きでいてくれる?」
 
 勿論だと答えた後、ふっと笑顔を浮かべると。


「その頃は、私の方がもっと年を取っているぞ」
「 私なら、大丈夫。 だって ・・・・・ 」

 温かい胸から顔を上げた。でも、恥ずかしくて正面を見つめたままで。


「だって、私は、白哉を ・・・・・・ 白哉を  愛してる ・・・・・ から ・・・・」


 嬉しさと愛しさで胸が痛いほどだ。
は、一番欲しい言葉をいつも与えてくれる。
その言の葉は、自分だけでは決してなれない幸せなひと時を運んでくる。
 もう一人ではないよと、優しく囁きながら。


「そう言う言葉は、ちゃんと目を見て伝えるものだぞ」

 両頬を大きな手で優しく包むと、ゆっくりと上へ。己を映したの瞳が、無性にみたくて。

 恥ずかしくて顔など見られないと思っていたのに、あの夜と同じ優しく包んでくれる微笑に迎えられて、望むままにその瞳は白哉を映す。


「 愛している ・・・・・・ お前を守って生きていくよ、一生 ・・・・。
  ありがとう ・・・・・ 私の妻になってくれた事 礼を言う」


 己を映す瞳から溢れ出した涙は、とても綺麗だった。


「愛しています 白哉 ・・・・・ 白哉 ・・・・ 貴方の妻になれて、本当によかった ・・・・・」

 しっかりと重なり合った二つの影を、ぽっかりと浮かんだ満月が優しく見守るように照らしていた。







 


2006/12/31
『欠け満つ巡れし夜半の月』 完