*夜はこれから、きみと暮らせたら、の続きになります。 ノーベンバー・ブルー そんなの決まってんじゃねえか、とニヤリと笑われ、そうかな、やっぱ、とサンジはため息を吐く。一緒に口から漏れた煙は、もやりと細いすじを作り、空調に沿うように斜めに流れていった。吸い殻の入った灰皿を、そのタイミングでバーテンが、さりげなく取り変える。こういう店を他には知らないが、酒がおもに手段として使われる店にしては、サービスが行きとどいている、と感心することがたまにあった。 オーナーの方針、なのかもしれないし、店員の気が利くだけなのか、それはわからないけれど。 「なにおめえ、ゾロのお初奪っといて自分は拒むの」 そら、ちと愛が足りないんじゃねえ?やたら楽しそうな、赤い髪に隠れたその目を細める。それをチラと見てから、サンジは煙草を唇に近づけた。 「……そういう訳じゃねえけど」 「けど?」 「俺がゾロをよくしてえんだよ」 「タチだって『よく』はなれるぜ。だいたいゾロは元々ソッチなんだからさ。お前と会うまで、はな」 むしろいまだにお前のケツが無事なのが驚きだよ、とシャンクスは、サンジの背中をバン、と一度叩いて高らかに笑った。平日とはいえ、ぱらぱらと散っている客の視線が集まるのを感じる。絡みすぎだ赤髪、と、横から低い声がたしなめた。だってなァ、こいつらおもしれえんだもん、それに訊いてきたのはこいつだし。そう言って、甘えたようにミホークにしなだれかかった。 「おもしれえ、って」 不服を唱えながらも、いいな、と思わず思う。自分たちと同じ時期に、この二人はできあがったはずであるのに、距離感の違いを見せつけられた気がしたからだ。 サンジにはこういうふうに、ゾロに接することはまだできない。年上で先輩だったからか、片思い期間が長すぎたせいか、あまり自分のことを話さない、ゾロが何を考えているかいまひとつわからないせいなのか。この半年ほどを思い返してみても、その辺りはわれながら亀みたいな歩みだ、と感じる。元々は、サンジはそう気の長いほうではない。ただゾロに関してだけは、せっかく築きはじめた関係を壊したくなくて、どうしても慎重にならざるを得なかった。 「本人に訊く、という選択肢は」 ずっと黙って話を聞いていたミホークが口を開き、サンジは肩を竦めた。 「内緒にしてえんだ。俺が誕生日知ってるってことすら、黙ってる」 「なるほどな」 なんで知ってんの、とシャンクスが横槍を入れてくる。高校んときにとっくに調査ずみだ、とサンジが、あたり前、という口調で言えば、なにがおかしいのかシャンクスはぶっと噴きだした。 「いやーやっぱおもしれえよ、おめえら」 ほらとりあえず飲め、とキープしているらしいボトルから、サンジのまだ半分は残ったグラスに注いでいく。首のあたりに腕が伸びて、がっと肩を組んできた。陽気な海賊かなにかの風情だった。そのうち、大声で歌でも歌いだしそうだ。こいつ絡み酒なのか、とミホークに向け問えば、酔ってさえいないからタチが悪い、と表情を変えずにうなずいた。 ゾロとの念願の再会は春で、あれから夏を過ごし、やがて秋に入り、とうとう11月になった。誕生日が近づくにつれ、なにを贈るかずっと考えていたのだけれど、ゾロが一番喜ぶもの、というのに頭を悩ませている。それで、ゾロが遅く帰るバイトの日を狙って、いつものバーを訪れてみたのだ。出会いはサンジのほうが早くても、ゾロとのつきあいが長いのは悔しいがシャンクスのほうで、なにかいいアドバイスが聞けないだろうか、と、思ったのがそもそもの間違いだった。 ゾロと一緒に来ることはあっても、サンジが一人で、というのは、はじめの頃以来なかったことだ。目が合った直後、悩みごとかい青年よ、おじさんになんでも訊いてくれ、と訳知り顔で見透かされてしまったときに、そそくさと帰ってしまえばよかったのかもしれない。 それにしてもとにかく、今夜のシャンクスは機嫌がいい。よすぎて、はっきり言って、うざったいくらいだった。こっちはかなり大事な問題だというのに、特になんの解決もないまま、さきほどからただひたすらおもしろがられている。 「なんでも訊いてくれ、っつっただろ」 「だーかーらー答えたじゃん。俺をあ・げ・る作戦しかねえって」 うはは、と笑い、サンジの髪をわさわさと掻き乱す。ミホークは匙を投げているのか、もう助け船を出してはこなかった。やめろおっさん!と怒鳴って、やたらに近い顔をてのひらでぐいぐい押しのけていると、背けたほうに向かって、お、ゾロ、とシャンクスが声をあげた。 驚いてそちらを見れば、そこにはなぜかゾロが立っていて、子供の喧嘩のような有り様になっている、サンジとシャンクスを不審なものを見るような目つきでじっと見ていた。 慌ててシャンクスの腕から逃れ、サンジは立ちあがった。髪を手櫛で整えてから、どうしたんですか、今日はバイトなんじゃ、そう尋ねた途端、ゾロは、はっとしたような顔をして、それから、みるみる眉間の皺を深めていった。そうすると、まるきりヤクザみたいな、かなり凶悪な人相になる。 「ゾロ?」 「……変わってくれ、ってやつがいたから変わってやった」 「事前に連絡なかったんですか」 「携帯の電源が切れててな」 サンジは納得した。ゾロは自分で気づかないうちに、携帯の充電を切らしていることがよくある。サンジも出かける用がある、と話しておいたから、急に空いた時間を潰しに来たのだろう。 それにしても、ここに来るんだな、と微妙な気持ちになった。酒を飲むのに一番馴染みがあるから、だけなのだろうが、サンジとしては複雑なのだ。言ったことはないけれど、できればもう、一人ではここに来てほしくなかった。いまだって、絡むような視線を注いでいる客がいる。たぶん前にゾロに抱かれたことがあるのだろう。ゾロがサンジを連れてくるようになって、落胆した奴はたくさんいる、とシャンクスは前に言っていた。 誰のものにもならない男。そう、彼らは思っていたわけだ。だがサンジには、ゾロが、自分のもの、である実感などなかった。そこまで思い上がることはできない。好かれていることはさすがにわかっていても、だ。おまけにたぶん、シャンクスとミホーク以外には、サンジが抱かれるほうだと勘違いされている。 「てめえこそ、実家に用なんじゃなかったのか」 ゾロは低く言って、それからシャンクスの隣、サンジが座っていた席に腰を下ろした。サンジもつられるように、一つずれたゾロの隣のスツールに座った。なにも言わなくても、いつも飲む酒がすっと出て来る。ゾロはグラスを掴み、軽く掲げてひょい、と顎を動かすことで、口を開かないままバーテンに礼を言った。 こういうちょっとした所作が、けして気取りはないのに、ひどく格好よくて男くさい。そう実感するたび、俺はこのひとを抱いてんだよなァ、とサンジはしみじみ思う。そしていまだに、どこか、信じられない気持ちになるのだった。 あれだけ散々ヤッといてふざけるな。そう、ゾロには言われそうな話だが、本当のところだ。 「あー……と、俺も、急に行かなくてよくなって」 「へえ」 こちらを見ないまま、ゾロはそう平坦に言った。訊いたくせに、まったく興味がなさそうな口ぶりだ。温度差、みたいなものを感じさせられて、こういうとき、望むところが高くなっている自分を、サンジは思い知る。しかたねえよ、すげえ、好きなんだもんな。自嘲するように思って、汚れのない灰皿に吸いさしを押しつけた。 「俺に会いに来たんだよなァ」 空気を読まない、いや読んだうえであえてなのだろうか、シャンクスのからかいに、サンジはふたたび、黙れ、と声を荒げた。乾いた空気にのどを潤してから、ふと視線を感じて隣を見たけれど、気のせいだったのか、ゾロはあいかわらずの仏頂面で、カウンターの向こう、ボトルの並ぶ棚を睨んでいる。 鋭利な横顔は、あからさまに怒気を孕んでいて、声をかけることをためらうほどだった。サンジに怒っているのは間違いないようだが、なにが原因なのかよくわからない。以前は店に来るな、と言われていたけれど、もうその約束は無効のはずだ。 そこまで考えて、まさか、と嫌な考えがよぎって、慌ててすぐに否定した。男たちの視線とシャンクスの話を思い出すのは、きっと自信のなさの現れなのだろう。自信がないのは自分に、ではなくて、ゾロの気持ちにだ。 好きだと、言葉で聞いたことはない。態度で実感することも、正直ほとんどなかった。はじめのころに、同義のようなことを言われて、それっきり。あのときのゾロの真っ赤な顔を、思い出しては食いつないでいる。唯一、こちらから手を伸ばせばこのゾロが、何も言わず体を開いてくれること、それがサンジの命綱で、だからよけいに求めてしまうのかもしれなかった。 てめえにだけだ、と言ってくれた。それだけで、俺は満足すべきなんだろうけれど。 そのまま見ていると、視線に気がついたのか、ゾロはチ、と舌打ちをして、短い髪を梳くように掻いてから、サンジを見ないまま目の前のグラスを指差した。 「これ、飲んだら帰るぞ」 「……はい」 見ているだけでいい。そう思っていたのが、そう思いたかっただけなのだと、気がついたのは見ることすらできなくなってからだった。それからは、一度だけでも触れられれば、と思い、かなったら、一度きりじゃイヤだ、と思うようになった。 そして体を手に入れたら、心も、と望んで、もっと、もっとと、まったく、呆れるほどキリがない。 稚拙な初恋を、サンジは、見事にこじらせていた。 店を出ると、ビル地下には冷気がわだかまって、歩くたびに足元でゆるりと混ざった。ついこの前まで、今年の秋はいつまでも暑い、なんて言っていたのに、ここ何日かで急に、陽の射さない時間は冬の匂いがしはじめている。 いつものことだが、ゾロは薄着だった。とくに寒そうにはしていないけれど、サンジから見れば十分寒そうな格好だ。通路に人気はなく、靴音は響いて天井を叩いた。同じくらいの歩調で並ぶ、子供一人が入るくらいのいつもの距離が、急に、やけに遠いように感じた。 サンジは自分のてのひらを、ジャケットで軽く拭った。無造作に横に垂らされた手を、握ったりしたら怒るかな、と思う。バカみたいな話なのだ。これだけセックスをしていても、ちっとも、近づけた気がしない。たとえばこんなとき手を繋いだり、行為に結びつかないキスを交わしたり、なにもしないでただ抱き合って眠ったり、そういう、いかにも恋人同士、ということを、望めばくだらねえ、とゾロは笑うだろうか。 いままでは、どんな恋をしてきたんだろう、と思う。サンジは、ゾロしか本気で好きになったことがない。ゾロも他のやつとなら、そういう甘いこともしたことがあるんだろうか、と、思わず考えてしまい、腹に石を詰められたような感覚がした。過去にまで嫉妬するなんて、ひどい、独占欲だ。 「……お前よ」 ふいにゾロが言い、サンジは、そのやはりこちらも見ない、横顔に向けてはい、と返事をした。立ち止まるのに合わせて、足を止める。まっすぐ奥に見えるエレベーターの少し手前には、例のトイレが見えていて、ゾロは、そこを見ているようだった。 「ゾロ」 「お前は、このままでいいのか」 「このままって」 「俺とのことだ」 ゾロとの。そう繰り返すと、そうだ、とゾロは言う。あまりにも急な質問だし、漠然としていて、よく意図がわからなかった。ただ嫌な感じだけが、寒気のように足元から這い上がる。たしかに、もっと近づきたいとサンジは思っているけれど、ゾロとの関係自体に不満があるわけではない。むしろ、このままでなくなったら、離れてしまうとかだったら。 「……もちろん、いいけど」 答えると、ゾロはまた舌を打った。そうかよ、と、吐き捨てるように言った。オムレツに混ざった卵の殻を、間違って噛んだときのような顔で、だ。寒いのに、サンジは、汗が浮くのがわかった。ゾロは、と押し出した声が他人のもののようだった。 「このままじゃ嫌なの」 「……」 「俺と、別れてえの」 言うつもりはなかった言葉が、薄く開いた唇から勝手に出た。ゾロは頬を思いきり叩かれたかのように、勢いよくこっちを向いて、つくづくてめえはアホだな、と言葉どおり顔を歪ませた。 そういうことじゃねえ、と言う。それにはほっとしたが、だからといって、ゾロの言いたいことはわからないし、いきなりのアホ呼ばわりはさすがに腹が立つ。言葉が少ないのには慣れているけれど、これでわかれ、というのはあんまり酷だろう。 「じゃあなんですか、わかるように言ってくださいよ」 「だからアホだってんだ」 「これだけでわかれってほうが無理でしょう。だって俺は、あんたの気持ちだってろくに、」 わからねえ。そう、最後まで言う前に腕を掴まれた。服が破けるかと思うものすごい力で、強引に袖を引っ張っられる。ゾロは大股でのしのしと歩き、そのまま、くだんのトイレまでサンジを連れて行った。 どん、と肩を押されて、横並びの洗面台の一つで足を打つ。存外にきれいに磨かれた、そのつるりとした台になかば尻を乗せる格好になった。握っとけ、と言われ、両手でそこを掴まされる。わずかに水滴がついていて、はじめ、てのひらが痺れるように冷たく感じた。 ゾロはそのまま、なんの躊躇もなく床に膝をつき、サンジの足を開かせて、そのあいだに体を捩じ込んだ。ベルトに手が掛かって、ようやく意図がわかる。 「ゾロ、待って」 「黙ってろ」 鋭くゾロが言う。サンジのほうを、見もしないままだった。かちゃかちゃと外す音がして、切れかけらしい蛍光灯が瞬くのが、ちらちらと白っぽく引っかかってうるさい。あの、はじめの夜と同じくらいの時刻で、他にひとの気配はないし、通路からはさすがに見えないが、ここは、この前と違い個室ですらなかった。 「誰かに見られたら」 「いい」 「どうしたんですか。あんなに隠したがってたのに」 「いいっつってんだろう」 じ、とジッパーの下りる音がする。片方の太腿に、ゾロの指が食い込んで、湿った息が、露出されたものにかかるのがわかった。まだ芯を持たない幹を、ゾロはもう片方の手で掬うようにして、開いた口のなかに導いていく。伸ばされた桃色の舌の上に、自分の性器の先端が乗り、ぬるりと包まれるのをサンジは見下ろした。 顔が、舌がうごめきはじめ、鼻声が漏れる。サンジだけでなく、ゾロからもだった。ゾロが、これをしてくれることはめずらしい。他のやつにすんのと、なんか違うんだよ、と嫌そうに言っていた。たしかそのとき、サンジは、他のやつのこととか言わねえでよ、と思ったはずだ。思っただけで、言わなかった。言えなかったのだ。 考えごとをしていても、ゾロが自分のものを舐めている、その事実だけでそれは簡単に硬く育った。わざと誰かに聞かせるような、はしたないような大きな音をゾロは立てた。すぼめた頬を触りたい、と思う。顎に薄く垂れた水を、拭ってやりたかった。てのひらの温度は、いつのまにかすっかり上がって、ぐ、と洗面台を強く握りしめた。 「も、やべ」 もたねえ、とサンジが言うと、ゾロはようやく視線を上げた。深くサンジを呑んだまま、目尻が薄く光っている。目が合うと、自分がどんな表情をしていたのかはわからないが、ゾロはまた見るからに嫌そうに顔をしかめ、けれど、一瞬でさあっと顔中に朱を刷いた。 それを見たら、思わず手を離していた。ゾロの髪に指を入れて、耳の下あたりを撫でると、しとりと湿って熱く、ゾロはゆっくりととばりを下ろすように目をつむり、ん、ん、と湿った声を漏らした。感じている、らしかった。腰が、かすかに揺れている。ゾロのそこは、見た目にもはっきりと膨らんでいた。 「――ふ、ゥ、ッ」 「は、ァ、ゾロ」 まぶたを閉じたまま、ゾロが片手を、自分のジーンズの前立てに伸ばす。まるで戒めるようにぎゅ、と掴み、それから、当てたてのひらを押しつけるようにして、上からごしごしと激しくこすりはじめた。サンジを愛撫する、口と舌の動きも、執拗になっていく。ひときわ強く吸いつきながら、丸めた背中を大きく震わせて、ゾロは、そのまま達したようだった。それを見ながらサンジも、ゾロのなかに放ってしまう。 慌てて引き抜くと、頬に少しだけ名残りが跳ね跳んだ。ゾロは目を伏せて、荒い息を吐いて、濁ったそれを手の甲でぐいと強く拭った。そうして何も言わないまま、背を向けて個室へと入っていく。たぶん、汚れを処理しているのだろう。カラカラという音と水を流す音がして、それを聞きながらサンジもようやく、着衣の乱れを直した。 なんだか、なし崩しにされてしまった気がした。肝心なところは置いたままで、こうやって流されるのは不本意だった。出てきたゾロは、行くぞ、とだけ言う。その顔はもういつものゾロにしか見えなくて、サンジにはわけがわからない。 「なんで、急にこんなこと」 「そういう気分だっただけだ」 「……もう、バレていいんですか、他のやつらに」 「てめえはそのほうがいいんだろう」 「は?」 「俺が、てめえの『女』だって思われたほうがよ」 低く押しだすように言って、ゾロは歩きだそうとする。あいかわらず頑なにこちらを見ない、その肩を思わず掴んでいた。完全に、頭に血がのぼっていた。 「なんでそうなるんだよ!クソゾロ!」 「……」 「別に俺は、あんたが嫌ならもうしねえよ、そんなにプライドが大事かよ、ヤりてえならヤりゃあいいだろうが!俺はただ、あんたがめちゃくちゃ好きで、触りたくてしかたねえだけだ!アホはてめえだ脳までマリモが!!」 思いきり、大声で罵倒した。わんわんとそこらじゅうに響いた音が消え、しん、と静まった空気が満ちてから、サンジはようやくわれに返った。全身に、バケツで氷水をかけられた心地になった。ゾロは見動きもせずに、まさに驚愕、という顔で、目を見開いてサンジを見ていて、これが怒りの表情に変わったのちに、思いきり殴られるのだろうな、と覚悟した。 やがて目の前で、ゾロの顔が歪んで、胸倉をぐしゃりと勢いよく掴まれた。せめて受け身を取れるようにと、身構えた瞬間、強く抱きしめられる。ぎゅうぎゅうと、肺が軋むくらいの力だった。背中に回ったゾロの手は、やたらに強張っているように思えて、どこか縋るような必死さを伝えてきた。 「ゾ、ロ」 「……悪ィ」 「――え」 「お前の言うとおりだ。アホは、俺のほうなんだよ」 「なあ、ゾ、」 マンションを出る。少し前から考えてた。 そう、ゾロが、はっきりと言う。一瞬で、足裏が床にちゃんとついているかどうか、サンジはわからなくなった。現実感、がないのだ。背中に回ったゾロの腕の、感触だけがやけに鮮明だった。別れたいとか、そういう話じゃないと、さっきゾロは言ったはずなのに。 そうだ、いつだって、俺の世界をたしかで、鮮やかなものにするのは、ゾロの存在だったのだ。本当はもう、一緒にいられるならなんだってよくて、必死で、言いたいこともろくに言えずにいた。 「我慢ばっか、してたろ、てめえ。そうさせる俺が、救えねえアホだ」 その、潰れた声を聞いたときに、サンジは唐突に理解した。ぶっきらぼうな言葉に、わかりにくい態度に隠された、ゾロの思いをちゃんと、汲み取ってやることができなかった。 ああ違う、やっぱり、アホは俺のほうだよゾロ。 (12.11.20) →後編 |