ため息つかせて





なかばよろけながらゾロは車に乗り込んだ。サンジがそのあとに続き、外側から運転手が静かに、ドアを閉める。
リムジンというほど大げさではないが、通常のセダンよりはかなり大きいこの車の、後部座席は広々としている。革張りのシートにゾロは身を沈めた。要人を乗せることもあるからガラスには黒いフィルムが貼ってあり、外からは、中が見えない。
体はまだ震えていた。
寒さのせいでも、ましてや恐怖のせいでもない。
絡みつくような視線に吸いよせられるように、自分から近づいた。ちょっとした刺激的な遊び、退屈しのぎにでもなればいい、その程度の気持ちだったはずだ。あんなことをされてこんなにも高ぶっている自分が、ゾロは信じられなかった。
「ご自宅でよろしいでしょうか?」
運転手が乗り込み、ミラー越しにゾロに尋ねた。口を開きかけると、サンジがゾロの肩に手を置き、抱くようにする。
「しばらくドライブがしたいんだ。こちらから声をかけるまで、適当に流してくれるか?」
ゾロの代わりにサンジが答え、承知しました、と運転手は言った。なめらかに車が走りだす。ごく小さなボリュームでクラシック音楽が流れはじめた。
サンジの手は、ゾロの背を、あやすように撫でている。服を隔てていてもじかに神経を刺激されているような感じがして、ゾロは熱い息を吐いた。ひどく、敏感になっている。
「こっちを向いて、ゾロ」
サンジがやさしく言い、抗えばいいものを、ぎこちない動きでゾロは従った。どうにも、調子を狂わされていた。命じることには慣れている。そんな俺が、よく知りもしない男の言うことを聞いている。
よく我慢したね、と労わるように言いながら、サンジは、ゾロに着せていたコートのボタンを外しはじめた。上から一つずつ、時間をかけて。サンジの指が動くたび、息づかいが荒くなるのを抑えられない。最後のボタンが外され、サンジがコートの前を開いた。いまだはっきりと形を変えている自分の下半身が目に入り、ゾロは堪えきれず、目を逸らした。
「……パーテーションをあげてくれ」
運転手に向かってゾロは言った。運転席と後部座席のあいだの電動のしきりが音もなく上がっていく。ある程度の防音機能はある。だが大きな声を出せばきっと、聞こえてしまう。
パーテーションが閉まってしまうと、サンジはゾロの首の後ろを支えて、そうっと横たえた。上背のあるゾロが足まで伸ばせるほどのスペースはないから、膝を少し曲げることになる。サンジはちょうどゾロの腰のあたりに接して、斜めに浅く、座っていた。
サンジの顔がゆっくりと近づいてくる。唇に、唇が触れた。小さな音を立てる、あいさつのような淡いキスをなんどか繰り返したあと、舌が入ってきた。ゾロも応える。深く舐め合った。煙草の味がする、唾液が流れ込む。嫌悪感はまったくない。震えは、大きくなるばかりだ。
サンジが指先を、胸から腹、腹から下半身へと、這わせていく。じれったいような動きにゾロは身をよじらせ息を吐いた。着衣のまま達し、それでもまだ硬いままのそこに、サンジがてのひらをやんわりと、あてる。
「すごいな。染みてきてる」
確かめるように下から上へ軽く撫でる。ゾロの手をそこにあてさせ、ね?と言いながら、上から自分の手を重ねてきた。硬く張りつめたそこはなま温かく、漏らしでもしたかのようにぐっしょりと濡れていて、ゾロのてのひらに湿りけが伝わった。頭から足先まで、じんじんと痺れるような感じがして、これが、恥ずかしい、という感情なのだとしばらくしてわかった。
サンジがゾロのカマーベルトの下に手を差し入れる。サスペンダーの留め金を外し、ボトムを下ろしたが、靴を履いているせいで膝下あたりでわだかまった。下着の上からサンジがそこを揉むと、手の動きに合わせて、ぐじゅぐじゅと音がした。顔が、熱くてたまらない。ぶるりと身震いをして、ゾロはまぶたを伏せた。サンジの顔を見ることができなかった。
しばらくじらすように布越しにもてあそんだあと、サンジは粘液で貼りついたゾロの下着をずり下げた。晒されたその部分がすうすうとし、皮膚がぞくりと粟立つのを感じる。
ふいに、湿った熱いものが触れ、ゾロはあっ、と思わず声をあげた。瞼を開けるとサンジが股間に顔をうずめているのが目に入る。形のよい唇からはみだした赤い舌が、卑猥な動きで、白い汚れにまみれたゾロのペニスを舐めている。
「やめっ、汚な、あっ、アッ」
「汚くないよ」
ゾロの匂いだね、とサンジは言い、味わうように音を立てて、啜った。サンジが動くたび、金髪が、そこだけ剥きだしの皮膚にさらさらと触れる。性器を銜えさせたことなど、口に射精したことなどもちろん何度もあって、けれど、こんないたたまれない気持ちになったのははじめてだ。
サンジがゾロの手を、大切なものを扱うような丁重さでそっと取る。ちょうどボトムがひっかかっている膝の裏に両腕を回し、自分で、足を抱え込む格好を取らされる。
「しっかり持ってて」
サンジは言い、品のよい笑顔を作った。目の前が白っぽく霞み視界が歪んだ。
ジュラキュール家の跡取りであるゾロを、多くの者は生まれながらの王のように扱った。そのようにあれという教育を受けて育ちもした。傲慢になるつもりはなかったが、たいていのことは自分の思うとおりにしてきたつもりだった。セックスだってもちろんそうだ。主導権を相手に握らせたことなどない。それが今日はじめて会った、素性も知らないような男にいいようにされ、しかも、逆らうことすらできずにいる。
屈辱的なポーズを取らされたまま、下の膨らみと、その後ろに続く部分も、容赦なくぬるぬると舐められる。とんでもない声をだしそうで、ゾロは唇を噛みしめて耐えた。それでも鼻からは、んっ、んっ、とくぐもった声が漏れつづける。先端から絶え間なくあふれでる液が腹にとろとろと垂れていく。
「そうだ、オリーブをださないと」
ゾロ、自分で出せるか?
サンジが優しい声で尋ね、ゾロは一瞬、耳が塞がれたような感じがした。サンジを見る。サンジはやはり優しげな顔で微笑んでいた。
「無理、だ」
声が掠れた。
「じゃあ俺が出してもいい?」
足を抱きかかえるようにしていまだ震えている、ゾロの手の甲に唇を押しつけながら、サンジが訊いた。頷くことことしか、できなかった。
じゅうぶんに濡れたそこに、ことさらゆっくりと、サンジの指が埋まっていく。膝を抱え込む腕に力が入り、尻が誘うように上がった。
「あった」
うれしそうにサンジは言い、指先でひっかけるようにして、オリーブを出していく。排出される異様な感覚に焼けつくような恥ずかしさを覚える。なのに唇のあいだからは、ああ、ああ、と甘い呻き声が漏れた。ほら、と見せられた、サンジの白く長い指のあいだに挟まれたオリーブはてらてらと濡れて光っている。湿った息を吐きながら、ゾロはぼんやりと、それを見つめた。
サンジはゾロのジャケットの前を肌蹴させ、背中に手を回してカマーベルトを外すと、シャツを下からたくしあげ腹と胸をあらわにした。かしずく従者のような仕草で、足首を持って、革靴を片方ずつ脱がせ、ボトムと下着を足から抜く。サンジのタキシードはぴしりと整ったままほんの少しの乱れもない。
「お前はほんとうにきれいだね」
オリーブを肌の上で、ゾロの出したものを絡めるようにしてすべらせながら、サンジが言う。くちゅり、という音とともに、後ろにまた指がはいってくる。わざと湿った音をさせながら、長い指が中を探り、ゾロの体が跳ねる場所を見つける。サンジの愛撫はゆるやかで繊細だが、執拗で容赦はない。いつのまにかゾロの唇はほどけ喘ぎ声が零れだしている。
「運転手に聞こえてしまうよ?」
「……うァッ!」
そこをひときわ強くこすりながら囁かれ、ゾロは短く叫ぶように声をあげて精液を散らした。いつものセックスで得られるものとはまったく違う、もっと深く、濃くて、体の輪郭がどろりと溶けだしてしまいそうな絶頂だった。射精は長く続き、ゾロの逞しい体をなお汚していく。涙が、目尻からぶわりとあふれてこめかみを伝った。そのあいだもサンジの指は、中を嬲りつづけている。ゾロはもう声を我慢することができない。運転手のことは、頭から消えていた。サンジのこと以外、なにも、考えられない。
「ああっ、ああっ、あッ」
「良家のお坊ちゃまが、そんなはしたない声をあげてはだめだろう?」
低い声で言葉でも煽られて、全身が燃えるように熱くなる。夢中でゾロはサンジの股間に手を伸ばした。硬いそこを、ねだるように、何度も、撫でる。
「欲しいの?ゾロ」
少し息を乱れさせて、サンジが言う。その掠れかたがひどく卑猥で、寄越せ、欲しい、と何度も言った。これを、早く俺の中に挿れてくれ。
「うれしいよ。でも、ダメだ」
ゾロは必死で左右に首を振った。腰が揺れ、ひくついた後ろが、サンジの指にきゅうきゅうと絡みつく。
かわいいね、素敵だよゾロ、とサンジが言った。
「だけど楽しみは、今度会うときに取っておこう。俺も正直……たまらないけどね」
また、イきそうだった。足がぶるぶると痙攣する。それを察したのだろう、サンジが深く挿れていた指を浅くしてしまう。じれったい刺激に、唾液を零しながら、もっと、と大きな声をあげた。ほったらかしにされたままの前にゾロは手を伸ばす。どろどろに濡れている。両手でこすりたてると、サンジがこら、と笑いながらゾロの手を制した。
「ここはお休みだと言ったろ」
ほら、ちゃんと持っていて。そう言って、ふたたび膝の裏を持たせ足を大きく開かせる。
「なんどでもイかせてあげるから――」
ちゃんと口に出すんだよ、とサンジが言う。
「ゾロ」
イきたいイかせてと、ゾロは何度も口にした。指を増やし、深く挿れて中を掻き回し、サンジはオリーブを、尖った乳首の上で戯れのように転がした。また、どこまでも深い絶頂が来る。ああ、と長く息のような声を出しサンジの指を吸いあげながら、シートに爪を立て、背骨の一つ一つを伸ばすように、ゾロの背中が反りかえっていく。
射精しているのかどうかすら定かではなかった。

サンジは服を脱ごうともせずに、ゾロが意識を飛ばすまで、愛撫を続けた。
ゾロは自分で後ろを慰めながら、四つん這いで、布越しにじゅうじゅうと、サンジのものをしゃぶってねだった。ダメだよ、と言われ、欲しい、と泣いた。布を破って、せめて口にでもいいから欲しかった。正気など、とうに失っていた。
「夢中になりそうだ」
サンジが囁くのを、浮遊した意識の中で、ゾロは聞いていた。







ゾロ、と呼ばれ、意識を引き戻した。
ぼやけていた視界も、色を取り戻してくる。ぴんと張られたクロスのまぶしい白、テーブルに飾られた花の鮮やかな赤、向かいに座ったナミのオレンジの髪。ゾロはゆっくりと頭を振った。ナミが、右手に持ったスプーンを宙に浮かせたまま、怒るというよりは怪訝そうな表情で、ゾロを見つめている。
オープンしたての系列ホテルにある、フレンチレストランの個室だった。有名店にいたシェフを、ミホークが気に入り、総料理長として呼び寄せたと聞いている。耳聡いナミに請われて予約を入れた。ゾロの名を知らないわけはなく、直前だったが一番いい個室を融通してくれた。
めずらしくナミが絶賛していたから味は確かなのだろう。残念ながらゾロにはよくわからなかった。いまは、どんなものを食べても、砂を食むようなものだ。料理はもう終盤だった。デザートのソルベは表面が溶けはじめている。
もうすぐ、ひと月だ。このホテルのパーティーでサンジと出会った。あれ以来、よく、こういうことがある。目の前の出来事が自分からほんの少し乖離しているような感覚。すべてが薄っぺらく現実味を欠いている。あの夜から、サンジだけが、ゾロにとっての現実だった。
バカバカしい話だ、と、ゾロは自嘲する。
たった一晩ですべてを攫ったあの男は、あれから姿すら、見せないというのに。
「どうしたのよ。この前からあんた、少し変よ」
もともとぼんやりしたとこはあるけど、それにしてもね。言って、ナミはスプーンを口元に運ぶ。あけすけな物言いがかえってありがたかった。
「すまない。ちょっと考えごとをしていた」
「考えごと?あんたが?」
「……らしくないか?」
「そうね。さいきんのあんたはらしくないわ。まるで、恋でもしてるみたい」
ナミはそう言って美しい顔で笑う。ゾロも、苦く笑った。まったく、この幼馴染にはかなわない、とあらためて、ゾロは思う。
デザートを食べ終えたナミが、深いブルーで塗られたカップに手を伸ばした。ゾロは溶けかけたソルベを平たいスプーンですくった。舌に乗せると、冷たく、ふわりと溶ける。でもそれだけだ。機械的に、同じ動作を繰り返した。
しばらく黙ってゾロの様子を眺めたあと、ナミが、口を開いた。
「話があるんでしょ」
「……ああ」
ゾロが答えると、ちょっと待ってて、とナミは言い、まるで酒を呷るかのように、カップを傾けてごくごくとコーヒーを飲み干した。がしゃんと音を立てて乱暴に置き、ナフキンを掴んで、口元を拭く。投げ捨てるように放った白い布には、口紅の色がくっきりと移っていた。
「あーおいしかった!」
満足げにナミは言って、それから、左手の指輪を外し、テーブルの上に置いた。
「慰謝料は高いわよ?」
「ナミ」
「あんたのことを、男として見たことはないけどね」
「……」
「私以外の人間に恋をしてる男と結婚するほど、悪趣味じゃないの」
目を、少しも逸らすことなくナミは言った。強い口調とは裏腹に、その表情は、どこか楽しげでさえあった。
ほんとうは今日、ゾロのほうから、婚約解消の話を切り出すつもりだったのだ。ごまかせる相手ではないし、なにより、ごまかしたくもなかったからだ。
ナミにはゾロの考えなどとうにわかっていたのだろう。プライドの高い彼女らしい行動だった。やはりとうてい、かなわない。
「その年で初恋なんて、ほんとバカねえゾロは」
「は、バカか。……そうだな」
「そうよ」
ナミは呆れたように言い、初恋の男を忘れられない私もそうとうなバカだけど、と続けた。誰のことかは、ゾロにはすぐにわかった。
「じゃあ、またね」
慰謝料は言い値でよろしく、それで、あいつを追っかけてやるから。
艶やかに笑って、ナミは、席を立った。

 

ゾロは、冷めたコーヒーを口に含んだ。なかば反射的に飲み込むと、苦味のある液体が喉を流れていく。
高層階にあるこの部屋は、窓一面を見事な夜景が埋めつくしている。さまざまな色を帯びた小さな光の集まりを見つめながら、ゾロはサンジのことを、考えた。
お前に夢中だと、また会いたいと、幾度も甘く囁いたあの男を恨む気にはなれなかった。セックスにおいて言葉は媚薬のかわりだ。似たような台詞を戯れで吐いたことなどゾロにもある。ましてや男同士、本気にするほうがどうかしている。
けれどそれでも思い出さずにはいられないのだ。
そのたび、締めつけるように、胸が痛むとしても。
「……バカか。たしかに、そうだ」
一人、苦く笑いながら呟いたとき、背後でドアが開く音がした。落ち着いたリズムの、足音が近づいてくる。給仕の者だろう。そう思い、ゾロは空いた向かいの席をぼんやりと眺めていた。
食後酒をお持ちしました、と男の声が言う。低いその響きに、また、サンジのことを想った。
「注文した覚えはないが」
「総料理長からのサービスだそうです」
言って、男は背後から、ゾロの前にグラスを滑らせた。
優雅にサーブをするその手と、カクテルグラスを見た瞬間、呼吸をすることさえゾロは忘れた。
白く長い形のよい指が、グラスのふちに添えられている。
無色の液体の中、沈んだレモンピールと、そして、オリーブ。
「……総料理長から?」
はい、と落ち着いた口調で男が答えた。
「他にはなにか言っていたか」
「料理にはご満足いただけましたでしょうか、と」
「そうか。では伝えてくれ」
テーブルに乗せられたままの手に、ゾロは右手を重ねた。すぐ後ろに立つ男に、頭を預けるようにして、首の力をゆったりと抜き、目を閉じる。
「こんなものじゃまったく足りない。もっと寄越せ、とな」
「欲張りだね、ゾロは」
聞き覚えのある声が、降ってくる。男が、もう片方の手をゾロの髪のあいだにそっとうずめた。撫でるように梳かれ、ゾロは、ふ、と深く息を吐きながら、左手を後ろに回し、男の体を引き寄せるように抱いた。
「飢えてるんだ」
男の右手を握り、顔に近づけながら、ゾロは言った。鼻先をつけて、肌の匂いを嗅ぎ、唇を押しあてる。
「待たせすぎた?」
「そうだな。もう少しで餓死するところだった」
「それは悪かったね」
ゾロの顎に指先がかかる。瞼を開け、男を見あげた。焦がれてやまなかった青の瞳が、ゾロを映している。
「再会は、ドラマチックなほうがいいだろう?」
覆いかぶさるようにして、唇を塞がれた。金髪を鷲掴み深くくちづける。サンジの指が、首筋を這いおりて、そこからつま先まで、ぞくぞくと甘い疼きが走リ抜ける。
サンジ、とゾロは、愛しい男の名を呼んだ。



いますぐ食わせてくれ、と、ため息まじりでゾロが言う。
サンジは微笑んで、ゾロの体をテーブルに横たえながら、慇懃に答えた。
「いくらでも、お望みのままに」




                                          (09.02.20)



←前編



本気?と思われそうな台詞を考えるのがたいへん楽しかったです。ハーレクインてこんなかんじかなあ、というものすごくアバウトな認識で書きました。なにげにナミ→ルフィ。
運転手はジョニーです。ジュラキュール家おかかえ運転手歴20年、ひそかにゾロに片思いしていた彼の、視界は涙でゆがんでいたという。ほんとにどうでもよい裏設定。