*こちらの続きです。 生まれてこのかたそっちの気があると思ったことは一度もない。個人の性的嗜好が千差万別であることなど、この稼業をやっていればよく知っているけれど、そういうやつはお仲間同士で勝手にしてくれと思うだけだった。 普通に女を抱く。男に欲情したことなどない。なのにあのとき、肌を滑る指先を、痕を刻む唇を、どうしてだか拒むことが出来なかった。 かわいい、などと日頃もっとも縁遠い言葉を囁かれ、とろんとしたような顔で見下ろされ組み敷かれて、ずいぶんな醜態を晒したうえに最後あたりはよく覚えてすらいない。帰ってから恐る恐る確認すれば、尻の穴まわりがなんとなくぬるついていて、けれど違和感も痛みも無くてゾロはよけいに混乱した。 可能ならばあの日の記憶をすべて消してしまいたい、何度そう思ったかわからなかった。それなのに事あるごとに情景は鮮やかによみがえり、その場にあるものをすべて破壊しつくしたいようないたたまれなさに襲われる。 嫌なら逆らえたはずだろうと、もう一人の自分の声には聞こえないふりをした。そんなことはわかっているのだ。だからこそ、ゾロは混乱している。 「……あの、アニキ」 「――アァ?」 地の底から響くようなゾロの声に、ジョニーがびくりと肩を揺らした。おかわりは、と震える声で訊かれ、ゾロは自分のグラスに目をやった。ウイスキーグラスはいつのまにか空になっている。何杯目なのかは、すでに意識もしていなかった。 組の傘下にある会員制高級クラブに来ていた。若くして幹部候補のゾロは顔が知れている。近ごろ不機嫌のとばっちりをたっぷりと浴びているジョニーとヨサクに、アニキ、ひさびさにぱあっといきましょうぜと誘われたのだった。うまい酒たらふく飲んで、いい女でも抱きゃあ気も晴れますよと。 それも悪かねえかもしれねえ。そう思ったから話に乗りはしたものの、店に入るなり二の腕に絡みついてきた極上のホステス達に、こっちはいいから他の客につけと命じたのは他でもないゾロだった。 きつすぎない上品さを残したはずの、男を喜ばせるたぐいの甘い香水の匂いが、なぜだかひどく不快に感じられたのだ。 そしてその拍子に、あのとき嗅いだサンジの煙草の匂いを思い出して舌打ちが出そうだった。 「いります、か?」 黙っていると、ジョニーがふたたび問うてくる。ソファーにふんぞり返ったままおう、とうなずいたとき、後ろからぱしんと後頭部をはたかれた。 「何偉そうにしてんのよ、ゾロのくせに。その凶悪な顔やめてくれる?」 「――てめえ」 厄介なのが来た、思えばまた舌打ちが出そうになる。振り向かなくても誰かはわかった。ゾロにこんな態度を取れる女は、この世界広しといえど一人しかいない。 ゆるく波を打つ長い髪は昼間に見れば明るいオレンジだ。素肌の美しさを生かしたほどほどの化粧、着ているドレスは完璧な肢体のラインを際立たせ、どちらかというと童顔な顔とのアンバランスさが魅力をひきたてている。 ナミとゾロは長い付き合いだった。ゾロよりも年下だが、経営手腕を買われてこの店を任されている。 ナミのアネキ!と同席のヨサクが腰を浮かせ顔を輝かせた。ジョニーもほっとした表情になる。いらっしゃい、とナミは二人に営業用の笑みを見せた。 「あんたはね、ただでさえいかにもなんだから。お客様が怯えちゃうじゃない」 「……うるせえ」 「うるさくない。私の店よ、言う事聞かないなら出て行きなさい」 片耳を上からぎゅうと引っ張ってから、ナミはゾロの前の席に座った。観察するようにじっと見て、なに荒れてんのよ、と呆れた顔をする。 「私がやるわ」 ジョニーが持っていたボトルをナミは受け取った。美しく手入れされた指先で、ゾロのグラスにアイスペールから氷を入れる。 「氷なんざ要らねえ」 「がばがば水みたいに飲まれると困るのよ」 ウイスキーを注ぎナミはゾロの手元にグラスを置いた。それから、あんたたち、ちょっと別のテーブルに行ってくれる、女の子つけたげるから、とジョニーとヨサクに向かって有無を言わせぬ微笑みを投げかける。 二人はそそくさと席を離れた。ようやく重圧から逃れられた、というような晴れ晴れしい顔だった。あいつらあとでシメる、そう決めてゾロがグラスを掴んだとき、で?とナミが身を乗り出してきた。 大きな瞳がきらきらと光っている。金絡み以外で、ナミがこんな顔をするのはめずらしい。 「どうなってるの?あんたのその不機嫌の原因なんでしょ?」 「……なにがだ」 「サンジ、とかいうコックさんよ」 危うくグラスを落としかけた。気に入りの洋食屋があることくらいは前に話したが、ナミの前でサンジの名を出したことはないはずだった。 な、な、と口をぱくぱくとさせていると、ああ、だって彼の住所調べたのロビンだもの、とナミはゾロの心を読んだように続けた。 「ジョニーから相談されたのよ。いい興信所ご存知ないですかね、って。組のほうにもつてがあるだろうに、私に訊いてくるなんておかしいじゃない。ちょっと脅してみたら、あんたがまだ秘密にしたがってるって」 そのすぐ後から、あんた荒れてるみたいだから、なんかあったのかなあ、って。 にっこりと微笑む顔を、心底恐ろしいとゾロは思った。女というのはたいてい洞察力に優れているものだが、ナミに至っては魔女じみたところがある。 ロビンというのはナミの友人で、組とは関係のないフリーの情報屋をしていることはゾロも知っていた。ロビンに詮索されることは無いだろうが、ナミが嗅ぎつけるに決まってるからあえて頼まなかったのだ。 やっぱあいつらあとでシメる。ゾロは決意を新たにした。 「別に、大したことじゃねえ」 「大したことじゃないなら言いなさいよ」 「組に引き入れてえのを、断られただけだ」 「……そう。じゃあ質問を変えるわ。組絡みなのに、どうして秘密にしときたかったの?」 「公にしちまえば、俺と……あいつだけの問題じゃなくなんだろうが」 放るように言うと、ふうん、とナミはますますにやにやとする。なんだよ、とゾロは唸り、ぐいと荒っぽく酒を呷った。がらん、と氷がグラスにあたる硬い音がする。 「なるほど、あんたはもし断られた場合でも、そのサンジくんに迷惑をかけるのが嫌だったのね?」 他人のことなんかどうでもいいあんたがねえ。 飲み下したウイスキーが、喉元でごくりと音を立てるのがわかった。ふたたびナミを見れば、からかうような笑みをいつのまにか引っ込めて、ただ目元を柔らかく撓めている。 ゾロはとうとう舌打ちをした。 「――かあちゃんみてえな顔すんじゃねえ」 「失礼ね、せめてお姉ちゃんにしてよ。これでもあんたのこと心配してんのよ?」 「だからそれが要らねえっつんだ」 あらそう、とナミはどこかうれしげに言い、客の入ってきた入り口のほうへと目を向けた。軽く頭を下げる。どうやら上客らしかった。 「じゃあ、もう行くわ。ねえゾロ、慣れてないのはわかるけど、イライラしてるだけじゃ始まらないんだからね。せいぜい頑張んなさいよ」 言って、ナミがゾロの肩をぽんぽん、と励ますように叩く。 慣れてない。 頑張る。 ゾロはナミの言葉を反芻する。 「?なんのことだ」 ゾロがほんとうにわからずに言うと、ナミは目を見開いてまじまじとゾロを見て、それからふいにがくりと肩を落とした。 「……そうよね、あんただもんね……」 立ちあがりながら、さっき、あいつ、って言ったときのあんたの顔、鏡で見せてやりたかったわとナミは笑った。 マンションへの帰り道、サンジの店の前を通った。ゾロは地理にいまひとつ疎いのだが、ナミの店から自宅へ向かう途中にこのレストランはあるのらしい。 交差点でタクシーが止まる。ガラス張りになった店は、車道からも客席の一部が見渡せた。 信号の丸く赤い光が映るその下、オーダーを聞いているのだろう、テーブル席の前に立つサンジの姿が目に入り、思わずゾロは息を止めた。 記憶のなかのサンジとその姿はなんの変わりもなかった。座っているのは二人連れの女性客で、サンジはへらりと顔全体を緩ませている。 女に対して、サンジはいつもそうだった。よほどの女好きなのだと、呆れるように思ったことはたびたびある。 そのサンジが、どこからどう見ても男であるゾロにそういう意味で惚れているのだという。あれだけの女好きだ、信じるほうがどうかしているのかもしれないと、今さらながらにゾロは思った。 視線を逸らせずにいると、やがて車がゆっくりと動き始めた。見慣れた金の髪は、視界を後ろへ流れすぐに見えなくなった。 詰めていた息をふっと吐けば、体の力が抜けるのがわかる。らしくもなく緊張していたのだ。握りこんでいた指先がかすかに痺れている。 「……ちきしょう」 なんなんだ、俺は。 シートにぼふりと背を預け、ゾロは呟いた。 お前が来ないなら今度は俺が行くと、あのときサンジはたしかに言ったはずだった。 この苛立ちの何よりの原因が、サンジがあれ以来一度も顔を見せないことなのだと、ようやく、ゾロは気がついた。 いったん気がついてしまえば、ぐちぐちと悩むのはゾロの性に合わない。 サンジに惚れている。 男惚れとかではなくだ。 そして、ゾロが自覚するより先にサンジはそれに気がついて、一度はああして恋人にするように自分に触れ、けれど以後は音信不通になっている。 その理由を考えても仕方ないだろう。憶測はあくまで憶測でしかないからだ。サンジが自分を避けているにしろ、それがほんとうの最後になるにしろ、一度はサンジと面と向かって話がしたいとゾロは思った。 いわゆるケリをつけたいのだった。少なくとも、ゾロのほうはまだ気持ちを伝えてすらいない。 せいぜい頑張んなさい、と言ったナミの言葉の意味がいまさらわかり、やっぱ怖ぇ女だ、と認識を新たにする。 「――うし、行ってくっか」 脱いでいたジャケットを着て、ぱん、と両手で自分の頬を叩いて気合いを入れる。気合いがあればある程度のことはどうにかなるものだとゾロは思っている。 レストランに通っていたとき、行くたび必ずサンジがいるとは限らなかった。勤務時間は何パターンかあるようだったが、ゾロはそれを把握していない。 そしてもちろん、サンジのアパートの場所をゾロは覚えていなかった。ジョニーとヨサクに話すのは、またナミに筒抜けになりそうで面倒だ。とりあえずは以前と同じように客として店へ行って、サンジを捕まえるしかないだろうとゾロは結論づけた。 ソファの寝心地が気に入って個室がわりにしている応接室を出ると、事務机の前に座っていたヨサクが慌てたように立ちあがった。 「ア、 アニキ、どこに行かれるんで?」 「どこって、飯だ」 「なら出前とりますぜ、ラーメンとかどうです?」 近ごろ昼食は出前を頼んでいて、用が無いかぎり事務所を出ることはなかった。周囲にいくつかある店の名を挙げるのを、ゾロは片手を払うようにして制した。 「今日は外で食う」 「えっ」 「ア?なんか文句あんのか」 ドスを効かせると、ヨサクは怯えた顔で出入口のほうにちらと視線を流した。顔一面に大粒の汗が噴き出している。部屋を見渡してから、そういえば、ジョニーの姿が見えないことにゾロは気がついた。 「……おい、ジョニーは」 「えっ、あの、」 あからさまに目を泳がせるヨサクの胸倉をゾロは掴みあげた。なにやら嫌な予感がする。 「どこだ」 宙に浮いた両足をバタバタとさせている、涙目になったヨサクに顔を近づける。ちょうどそのとき、ジョニーが額を腕で拭いながら事務所に入ってきた。 「ふぃーアブねえ!紙一重だったぜ……まったくあのお兄さんときたらよく粘、る、……あ、」 ゾロと目が合うと、あんぐりと口を開けたままジョニーが固まった。ゾロはヨサクをそのままどさりと床に放った。尻もちをついたヨサクが、這うようにして部屋の隅へ移動する。 ジョニーのほうへ向き直り、ゾロは指の骨をボキリと鳴らした。一歩ずつ近づきながら、ゆっくりと唇の端を上げると、同じ速度でジョニーの顔から血の気が引いていく。 「お兄さんたァ、誰のこった」 「あの、……その、アニキ……」 「聞こえねえか?いま来てたやつだ、誰だっつってんだ」 「……コ、コックの、兄さんです」 「――」 アニキ、あのあとずっとひでえ不機嫌だったんで、ツラァ見んのも嫌なんじゃねえかと思いまして、勝手ながら来るたび追い返してたんで。 震える声が言い終えると、ゾロはドアを塞ぐように立っているジョニーを突き飛ばして事務所を飛び出した。阿呆どものことはとりあえず後だ。 歩道を左右に見渡せば、左の方向に小さくサンジの後ろ姿が見えている。ゾロは走った。革靴でコンクリートを思いきり蹴りつける。シャツの背中がだんだんと近づいて、ゾロは後ろから思いきり手を伸ばした。 二の腕を強く掴む。サンジが立ち止まり、こちらを振り向いた。眉を顰めた怪訝そうな表情が、ゾロを認め呆気に取られたものに変わった。 「――ゾロ」 ひさしぶりに聞く声に、のどが急にからからに乾く感じがする。荒い息をつきながら、ゾロはちょっと待て、というふうに軽く手を上げた。すぐ横を、ベビーカーを押した母親が物珍しげに二人を見ながら通り過ぎていった。水色の庇の下で、小さな手足がばたばたと動いている。 「わ、りい、あいつら、勝手に、」 上がった息のままゾロは言った。まだシャツを握りしめているのに気がついて、慌てて指を離した。サンジは皺になった、ゾロが掴んでいたところをじっと見つめている。 光をよく弾く髪が、風を孕んで揺れているのをきれいだと思った。すでに染みついているらしい煙草の匂いが鼻に届いて、腹のなかがじわりと熱くなる。どこかで見たような光景だ、そう考えてから、ゾロは路上で喧嘩をした日のことを思い出した。 あのときたしかに、傍に置きたいと思ったのだ。自分から誰かを組に誘ったのはそういえば初めてだった。まさかこういう感情だとは思いもしなかったけれど、思い返せば馬鹿馬鹿しいくらいの執着だ。 ああ、やっぱこいつ、手に入れてえ。 サンジの横顔を見ながらあらためてそう思った。深呼吸をして息を整えてから、ゾロはふたたび口を開いた。 「すまねえ、……言い訳に聞こえるかもしんねえが、今日まで知らなくてよ。ちょうど、今からおめえんとこ行くとこだった」 サンジがゆっくりとこちらに顔を向ける。まだすこしぼうっとした、幼いような表情が、ゾロと目が合うとはっとしたようにいつものものに戻った。 煙草だろう、胸元を探り、忘れたのかそれとも思い直したのか、結局は両手を自然に垂らした。 「謝る必要ねえよ」 「……」 「ジョニーだっけ、あいつが隠してたんだろ?俺のほうは会えるまで粘るつもりだったしな。それによ、知ってたし、おめえが嫌がってねえの」 にやりとサンジが笑う。からかうような口調とは裏腹に、目尻のきわがほのかに赤らんでいて、なかば強がりなのがゾロにでもわかった。 ハ、とゾロも笑った。 「大した自信だな」 「違うのかよ」 「まあ、違わねえな」 あっさりと言うと、サンジは特徴的な形の眉毛をぴくりとさせ、困ったように視線を逸らしたかと思うと、表情筋をだらりと弛緩させたなにやらおかしな顔になった。照れているのだろうか、表現が豊かでおもしろい男だとゾロは感心する。 「ようやく気づいたか。おせえっつーの鈍感マリモ」 「るせえアホ眉」 何か言い返そうとしたサンジの腕をもう一度掴み、ゾロはぐいとその体を引き寄せた。 「――てめえに惚れてる。そういう、意味でな」 形の良い耳元に唇を寄せて声を低める。サンジの首筋が、間近でふつふつと粟立っていくのがわかった。 こんなとこでキメ声出すんじゃねえと、サンジは耳を押さえ顔を真っ赤にして怒鳴り声をあげた。 「ちょ、待て、お、い、おいって!」 「待たねえ」 「てめっ、コラ、……う、わ」 「あんな煽っといて、いまさら待てはねえだろうよゾロ」 そうじゃなくてよ、と言うあいだにもボトムを脱がされ、黒い布が高く宙を舞って床に落ちた。下着のなかに手を突っ込まれて、指が前にするりと絡みつく感触に、それだけで声が出そうになりゾロはぐっと歯を食いしばった。女との時には考えられないことだ。どうやらこの男相手だと、俺はやたらと過敏になるらしい。 とにかくいますぐ触れたくて、今日は休みだというサンジをマンションまで連れて来た。ベッドに引きずり込んでのしかかったまではよかったのだ。夢中でキスをしているうちに、器用な手が体を這いはじめ、頭がぼうっとなって気がついたときにはゾロのほうが下になっていた。 濡らした指で後ろをなぞられ、体がびくんと大きく跳ねる。自分よりも細いサンジの手首を掴んでぎりぎりで制した。全力でないことは自覚している、サンジにもそれは伝わっているだろう。ゾロが本気になれば、関節を外すことなど造作もないのだ。 なおも弱い抵抗を続けるゾロに、なに、とサンジが唇を尖らせて不服そうな顔をした。 「なに、じゃねえ!」 「だめなのかよ」 「いやおめえ、ふつうよ、はいどうぞ、とは言わねえだろ」 「この前はなんも言わなかったじゃねえか」 「やめろって何度も言っただろうが!」 「いやよいやよも、だと思ったんだけど?」 つ、ともう片方の指先でサンジが、すでに濡れ始めているゾロのものを辿る。ふ、う、と熱い息が漏れてゾロは首を何度か振った。 ここもこんなだし、とふっくらと立ちあがった乳首を舌先でサンジは舐めあげた。髪を掴んで頭をどけようとしても、熱い息を吐きながらなぶられればへなへなと力が抜けてしまう。 あ、あ、と高い声が出て、ゾロは自分の口を塞ぐために、サンジを抑えていた手を離してしまった。つぷりと埋められる指の感触に、背中がきつく反りかえる。いい場所を探りあてられて、だんだんと足が開いていって、腰が揺れるのを止められなくなった。 触れあいたいのはゾロだってもちろん同じだ。ただ、あんな醜態をまた晒すのは嫌だったのだ。ならば自分がリードすればいい、男にいれたことなどもちろんないが、根性でなんとか乗り切れるはずだと思っていた。 「は、――や、めろっ」 「じゃあよ、ゾロ、何がいやなんだよ」 「……みっともねえ、だろうが、あんな、」 「あんな?」 汗の浮いた額にちゅうとくちづけてから、締まりのない顔で笑まれゾロは言葉を失った。 思い出してしまったからだ。 うつぶせで腰の下に枕を入れて、後ろを指でじっくりと慣らされて、ゾロは声を殺すために噛んだシーツを唾液まみれにしてしまった。ちゃんと顔見せてと、甘えるような声で請われ体を返されて、そのあとは声が抑えられなくなってのどが痛むほど泣かされた。 おまけに、肝心なところの記憶がふつりと途切れている。 「お前覚えてんの?この前のことぜんぶ」 「お、ぼえて、ねえ」 「サンジサンジっつって、最後イキまくってさ」 「い、うなッ」 よくしゃべる唇を塞ごうと、伸ばした手を逆に掴まれた。サンジがそっと指を絡めてくる。汗ばんだてのひらはしっとりとして、ゾロよりもすこしだけ温度が低い。 「いれる前に飛んじまって、そんでも俺のこと、ぎゅうぎゅう抱きしめて離さなくてよ。……すげえ、かわいかった」 愛おしげに目を細めて、ゾロを見つめながらサンジは言う。そうして、でもおめえがほんとに嫌なら俺はと、急に気弱な言葉を続けた。 自分のような男を、かわいいなどと形容するサンジの神経はよくわからない。恋は盲目とかいうやつだろうか。ゾロからしてみれば、サンジのほうがよほどかわいいように思うが、これもやはりおかしいのだろうか。 ゾロはふっ、と腹から息を吐いた。うなだれた金髪に指を入れて梳くと、サンジがおずおずと顔をあげる。 「来いよ。俺が下でいい」 「……でもよ」 「いいから、黙ってやれ。俺の気が変わっちまう前にな」 「――ゾロ」 眉を下げた顔を両手で挟んで、ゾロは体の力を抜いた。 このひどい女好きが、こんな硬い体を抱きたいというなら、それほど欲しいと求めるのならば。 男の矜持や意地はとりあえず横に置いてやってもいい、そう思う程度には俺もこいつに盲目だ。 「てめえがしてえようにしろ」 「ゾロ、……おめえ、」 「?なんだよ」 「おめえ、ほんと俺のこと好きな」 へへ、と頬を染めてなんとも幸せそうに笑うサンジは、欲目かもしれないがやっぱりかわいい。 どう考えても俺が下っておかしくねえかとゾロは思ったけれど、ふたたびうごめきだした指にすぐに何も考えられなくなった。 してえようにしろとはたしかに言ったが、これほど好き放題されるとは思わなかった。鈍く痛む腰をさすりながら、いまだベッドにいるゾロはごろんと寝返りを打つ。 助長したのが自分自身だとはよくわかっていて、いたたまれなさやら恥ずかしさやらのもろもろが相まって、だからこれはなかば八つ当たりなのだと自覚している。話しかけられてもむっつりと黙り込んだままでいたら、罪ほろぼしのつもりなのだろうか、腹減ったろ、なんか作るよとサンジは言い、ふて寝しているゾロの頬に軽く唇を押しあてた。 基本的に自炊をしないから、ゾロの家の冷蔵庫にはほとんど食料が入っていない。ここでうつらうつらしているあいだに、サンジは近所のスーパーへ行っていろいろと買い込んできたようだった。 ドアの隙間から、食事の支度をする匂いが漂ってくる。そういえば、サンジの料理を食べるのはかなりひさしぶりだとゾロは気がついた。 「おまたせ、……起きれるか?」 サンジがひょいと顔を覗かせる。ゾロは黙ったままうなずいた。伸ばされた手を掴み起きあがる。尻にじんとあやしい違和感が走り、原因の主を睨みつけるとへへ、とまたサンジは笑った。 リビングのテーブルにつくと、見覚えのある料理が並んでいる。レストランのランチは日がわりでどれもうまかったが、なかでもゾロがいちばん気に入っていたオムライスとサラダと野菜スープをサンジは選んだようだった。 お前それ好きだろ、とサンジがスプーンを渡しながら言う。 「なんでわかった」 「そりゃあ、見てりゃわかるさ」 「そうなのか?」 「いかにもガラの悪そうな男がよ、オムライスなんか食ってんのがおかしくて見てたら、スプーン口に入れたとたん、なんか子供みてえな顔になってよ」 思い出したのか、サンジは目尻を下げてうれしそうな顔をする。しげしげと見ていると、なんだよ、と言われべつに、とゾロは返した。 俺も俺だがこいつもよっぽどだな、とゾロは呆れるように思って、それから、いただきます、と音を立てて両手を合わせる。 柔らかな卵とチキンライスからは、スプーンを入れるとふんわりと白い湯気が立ちのぼった。 (12.12.30) 前の話があんまりだ、と言われてweb再録集にこちらを書き下ろしました。 |