惚れたほうが負けなのさ アパート近くでいかにもな外車とすれ違ったとき、嫌な予感はすでにしていたのだった。 ドアの前にわがもの顔で陣取っている、緑頭を見下ろしてサンジはため息をついた。南からのあたたかな風に、新緑のような髪がふわふわと揺れている。あくびでもでそうな晴れの日和、これだけ見ればじつにのどかな春らしい光景だった。 しばらく顔を見ないと思ったら。 どうやって調べたのか、ふいうちでお宅訪問とはずいぶんいい趣味だ。 「……何しに来た」 「同じだ。何度も言わせんな」 「覚えてねえな」 サンジが言い放つとゾロはすっくと立ちあがった。左目に縦に走った傷にはずいぶんと迫力がある。 人を射殺すような鋭い目つき、外見はどうひいき目に見たってチンピラにしか見えなくて、じっさいこいつはとある組の構成員なのらしい。特徴的な外見の暑苦しい二人組に、ゾロのアニキィ!なんて呼ばれているのを聞いたこともあった。 わかってんだろうが、とドスを利かせる肩を軽く押しのけて、サンジはポケットから鍵を取りだした。鍵穴に差し込み回しながら、わからねえな、と負けじと声を低める。 「もう観念しな。俺ンとこに来いや」 「しつけえな、おめえ」 「惚れてんだ、しかたねえだろう」 いつもと同じ台詞をゾロは言う。ちらと視線を向ければ、聞きようによっては甘い言葉とは裏腹の凶悪な表情は真剣そのものだ。 阿呆め。まじで救えねえ。 サンジは頭を振り、もう一度深く息を吐いた。 野郎だらけの世界になど興味がないにしたって、任侠ものの映画やドラマなら見たことがある。男が男に惚れて成り立つ社会、聞いてはいたけれどゾロはまた極端だ。 ひとの気も知らねえで。考えれば考えるほど腹が立ってくる。もう店には来るんじゃねえよと言った、俺があのときどんな気持ちだったか。 「あのよ……、だから何度も言ってるけどなァ、俺はコックなんだよ、コック。将来有望なの、ゆくゆくは一人立ちして店構えんのが夢なの!」 「俺も何度も言ってるが、んなの関係ねえ」 「関係ねえことあるかボケ!」 「ボケたァ聞きずてならねえなグル眉!」 「アァ!?」 胸倉を掴みあって額同士をごりごりとすりあわせていると、隣のドアが開いて不安げな顔がひょこりと覗いた。一人暮らしの妙齢のご婦人、怯えさせるのはサンジのポリシーにもとる。 大丈夫ですよ、とにっこり微笑んで、不本意ながらゾロをそのまま引きずりこんだ。 がちゃりと鍵をかける、少し遅れて隣のドアも閉まる気配がする。狭い玄関で、背後のゾロの気配が近くて息が詰まった。 だから嫌だったのだ、二人きりになるのは。 もう知らねえぞと半ば自棄めいた気持ちでサンジは肩を落とした。ポケットを探る。残り一本になった、潰れた煙草の箱を取りだした。ゾロがそれを肩越し覗きこんでくる。 「おめえ、やっぱ煙草吸うんだな」 「は?……なんで」 「匂いすっからよ、近くに来っと」 すん、と髪の匂いを嗅がれ、それと共に首すじにふわりと息がかかる。 近えよ、馬鹿。 熱い耳たぶを隠すようにてのひらでゾロの頭をはたいた。指先に触れた、髪は想像よりもずっと柔らかい。綿毛みたいだ、こんな男のなかの男のナリをして、けれどゾロをかわいいとサンジはついつい思ってしまう。 自覚してしまった想いには、もう見て見ぬふりも出来ないのだった。叶わなくとも、こうして顔を見て、話をするだけでもほんとうはうれしかった。 だからこそ、超絶に鈍感なゾロの態度はタチが悪い。 「……しかたねえ、上がれよ」 「はじめっからこうしてりゃあいいんだよ」 ふん、とふんぞり返ってさも偉そうに言って、ゾロはわがもの顔でずかずかとサンジの領域を踏み荒らした。 高校を卒業してすぐにゼフのレストランで働きだし、この春でようやく4年目になった。 ベースはフレンチだけれど、敷居を低くというゼフの方針で、箸でも食べられて値段も良心的、この辺りではもっとも人気の良店だ。 ときどき柄の悪そうな連中が来ていたのは知っていた。食いたいやつには食わせてやれと、ゼフは基本的に客を選ばない。人手が足りないときはサンジも接客に回るから、彼らの中にゾロがいたことも知っていた。 よほど料理が口にあったのだろうか、そのうちゾロは一人でも店に来るようになった。目立つのを嫌ってか、たいていはランチの終わりごろ、少し人がはけた時間帯に大型動物のようにのそりと姿を現した。 料理の説明とか、水のおかわりだとか、そういう淡い関わりが何度か続いた。そのうちに短い会話くらいは交わすようになり、ゾロという名前と、自分と年が同じであることを知った。 意外なほどきれいな箸づかいで料理を口に運ぶ。 心配になるくらい頬袋いっぱいに詰めこんでもぐもぐと咀嚼する。 愛想のかけらもない顔がほんのわずかほころび、うめえ、と一言、噛みしめるように、呟くように、サンジの目をしっかりと見据えて言う。 認めたくはないけれど、それを見るのがいつのまにかサンジの密かな楽しみになっていた。ゾロが来ない日は、どこかで無茶をして怪我でもしてるんじゃないかと、強靭そうな肉体を持つ男相手に要らぬ不安で憂えたりした。 興味という範疇を飛び越えた感情。それに自分でも危機感を感じていたけれど、どうすることも出来ないでいた。 そして、ある日決定的な事件が起きた。 ゾロが店で食事をしているときに、ちんぴら風情が絡んで派手な喧嘩が巻き起こったのだ。 騒ぎを聞きつけてサンジは厨房から出た。 何やら因縁でもあるのか、携帯で仲間まで呼んだらしいその男を、冷えた目で見据えゾロが椅子から立ちあがるところだった。他の客は静まりかえり、事の顛末を固唾を呑んで見守っていた。 相手は十人を超えていた。 いくらなんでも多勢に無勢だろう。 「オイオイ、兄ちゃんがた。営業妨害はやめてくれねえかね。だいたいその数はさ、ちょっと卑怯なんじゃねえ?休み時間に群れでトイレ行く女子高生でもあるめえしよ」 サンジの言葉に、なんだと、と男たちがいきり立った。 物騒な客には慣れている。誰より物騒なのはオーナーであるゼフだからだ。日頃から鍛えられているから、喧嘩ではずっと負け知らずだった。 一歩前に出ようとすると、ゾロがそれを片手で制した。ぽん、と手の甲で胸元を叩かれる。目が合った。 はじめて見る鋭い視線には独特の凄みがあった。顰められた細い眉の下、ひどく好戦的な色をにじませた瞳。背筋を悪寒に似た感覚がぶるりと走った。 一瞬、怯えた。それが悔しかった。 お前は違う世界の住人なのだと突き離された気がした。 「悪ィ、俺の喧嘩だ。外でやるからよ」 「……待てよ」 ゾロはランチの代金をテーブルに置いて、その手を肩の辺りでひらりと振った。 「迷惑かけちまったな。今日もうまかった。……おら、行くぜ。まとめて相手してやらァ雑魚どもが」 途中からはサンジでは無く男たちに向かって言い、ゾロはそのまま悠然とした態度で店の外へ出た。呆気に取られていた男たちが罵倒の言葉を吐きながら後を追う。 最後の一人が姿を消すと、みながほっとしたように息をついた。店にはすぐに平穏が戻ったが、サンジの心中はまったく穏やかではなかった。 ゾロがほんとうに一人で大丈夫だとしても、放っておくことなど出来るはずがなかった。 「クソが!」 吐き出すように言って店を飛び出した。近くの路上で叫び声が上がっている。すでに数人の男がのびていたが、残りの男の中には短いナイフを持っているやつがいた。 ゾロの背後から忍び寄って手を振り上げる、男の横っ面にハイキックをお見舞いした。男はアスファルトに見事なスライディングを決めた。顔面は少々変形したかもしれないが、もとが残念だったから整形になっていいだろう。 逃げようとしたやつを捕まえて全員沈めていく。ちょうど同じ頃カタのついたらしい、ゾロと顔を見合わせてにやりと笑った。 ぱんぱん、と服についた土埃を払って、ゾロはサンジのほうへと近づいた。 「手助けは要らねえ。そう言ったつもりだったがな」 「勘違いすんな、やりたくてやっただけだ。店の評判落とすような輩にゃおしおきが要るからな。それによ、俺がいなきゃ刺されそうになってたくせに、格好つけてんじゃねえよ」 「……いなくても刺されてねえ」 むっとした顔で言うのが幼いようで、サンジは思わず声をあげて笑った。笑うな、とますますゾロは憮然として、それがおかしくてなお笑った。つられたように、ゾロもとうとう噴きだした。 昼下がりの空は晴れ渡っていてまぶしかった。気持ちのよい風が、少し汗ばんだ額をさらりと撫でていった。大口を開けたその明るい笑顔に目を奪われていると、ふいに表情を引き締めゾロはサンジの肩に手を置いた。 ぐ、と力を込められる。 「――ゾロ?」 「俺は、どうもおめえに惚れちまったみてえだ」 「……え」 「オヤジに紹介してえんだが、迷惑か?」 「えっ……いやっ……まさか、いや、でも、あ、いやってそっちのいやじゃなくてよ……え、ええ!?」 ゾロは真摯な顔つきで慌てふためくサンジを見ている。頬がぐんぐん熱くなっていくのを感じた。思いもしなかった展開に、頭が混乱しきってしまった。 まさか、想いが通じるなんて。 しかもいきなり親に紹介とは真剣交際だ。 俺もさっそくジジイに、今の部屋は男二人には手狭だから引っ越して、子供は無理だし犬でも飼えるマンションに、とそこまで妄想が進んだときにゾロの重々しい声がした。 「じゃあ、おめえは今日から俺の兄弟だ」 「そう、そうだな、兄弟、……兄弟?」 おうよ、と実にうれしげな顔でうなずかれ、サンジはぽかりと開いた口をなかなか閉じることが出来なかった。 それ以来、ゾロはこうしてサンジを誘うようになった。 店にやって来ては、惚れてんだ、俺んとこに来いと、それは熱烈に同じ台詞を繰り返した。 他の客の好奇の視線に耐えるのも、パティやカルネの含み笑いに罵倒を返すのも我慢の限界だった。何よりも、心から好きな相手に、心の伴わない(ゾロ的には力いっぱい伴っているのだろうけれど)愛の言葉を吐かれ続けるのがつらかった。だからもう来るなと言ったのだ。自分で終止符を打った、馬鹿みたいな失恋にしばらくは泣き暮らした。 なのに、だ。 ゾロはまたのこのこと現れて、こうしてなぜかサンジの部屋でくつろいでいる。不用意にもリビングに入るなりおもむろにジャケットを脱ぎ、薄いシャツの襟元から首すじと鎖骨を露わにして。 「茶ァくれえ出してやっから、飲んだら帰れよ」 なるべくゾロのほうを見ないようにして、サンジはキッチンへと向かった。湯を沸かしカップを用意していると、いつのまにかすぐ近くにゾロが立っていた。 食器棚に伸ばした腕を掴まれる。肩があからさまに震え、サンジは舌打ちをして目を逸らした。 「座ってろ」 「断る」 「手ェ離せ」 「また逃げんだろ、てめえ」 「……逃げて、ねえ」 「わからねえんだよ。はじめんときはその気だったじゃねえか。なんでだ?」 「なんでって、そりゃあ……」 「それがわからねえと、俺は諦めることも出来ねえ。……そのくれえは惚れてる」 ごく近くで掠れた声、胸がぎゅうと潰されるようだった。 お前の気持ちを勘違いしたからに決まってる。 お前の執着が、俺とはまったく種類の違うものだから。 「……そんなに知りてえか」 「知りてえな」 「じゃあ、教えてやるよ」 ゾロがようやく手を離す。痺れたようになった腕を軽く振り、サンジはゾロのほうを見た。 「後悔、すんじゃねえぞ」 「上等だ」 「目ェつぶれ」 「?なんでだ」 「いいから。そしたらわかるから」 ゾロは不審げに眉を顰めたが、言われたとおり馬鹿正直にまぶたを閉じた。 むこうみずで無鉄砲な生きかたをして、ときおり何も知らない子供のように純粋な、この男がやはり泣けるほど好きだとサンジは思った。 でも、これでほんとうに終わりだ。 「――俺だって、惚れてるよ」 言って、サンジはゾロに唇を寄せた。ちゅ、と軽く吸うように重ねてから、すぐに離した。 怒鳴られるか、殴られるか、それとも刺されるか。 ぎゅっと目を瞑ったまま待ったがそのいずれもない。恐る恐る目を開けて、まずは自分の頭を疑った。 ゾロは棒立ちで固まったまま、顔中をみごとに真っ赤に染めていた。 「……え?……ゾロ?……え、ええ?」 頬に手を触れてみればとても熱い。そのまま首へとすうと指先を滑らせると、ゾロは、は、と潤んだ息を吐いた。 もう一度くちづけてみる。今度はさっきより深く。舌先がぬると合わさると、ゾロはん、と鼻から声を漏らした。奥を探ってもまったく抗わない。それどころか、手を這わせはじめれば強ばりがとけてくる。 ふたたび顔を離せば、光る糸が互いの唇を繋いだ。 二人とももう息があがっていて、押しつけあった腰からは隠しようのない熱が伝わった。 「えっと、俺の惚れてるは、こういう意味だけど」 もしかして、おめえのと同じだったりする? 「わ、からねえ。……考えたこともねえよ」 ゾロは途切れがちに言った。たぶんそれは本当なのだろう。 ほんと、救えねえ。 サンジは苦笑いするしかなかった。首元まで朱を履いた肌のほうがよほど素直で饒舌だ。 「俺はな、ゾロ。もっと触りてえくらいだよ」 「……もっと、って、」 「知りてえ?」 教えてあげようか。 耳たぶを舐めながら囁くと、ゾロの体温がまたぐんと上がった。 迎えに来いという電話が無い。 放っておけばどこを放浪するかわからないあのアニキだ。ゾロをサンジのアパートの前で下ろした数時間後、心配になったジョニーはヨサクを引き連れてふたたび車を出した。 二人よりも年はゾロのほうが下だが、この道に入ったのはゾロのほうが数年早い。助けられた恩義があった。その漢気に、桁ちがいの強さに、まっすぐな潔い背中に憧れて、後を追うようにいまの組長に盃をもらったのだった。 アニキこそ、漢のなかの漢。 ジョニーもヨサクもそう思っている。 道の脇に止めて車を降り、とりあえずサンジの部屋へ向かった。ヨサクは車で待機することにする。ここの住所を調べたのはジョニーだった。あのアニキがここまで惚れ込んだ男なのだ、生半可な野郎では無いのだろう。 チャイムを押してみたが応答がない。もう一度押し、しばらく待ってみた。留守か。背を向けようとしたとき、がちゃりとドアが開く音がした。 不機嫌そうな金髪が覗く。銜え煙草で、髪はぼさりと乱れ、シャツは引き締まった上半身に羽織っただけで、ボトムもいま履いたのかボタンがはずれている。それに、独特の甘ったるいような倦怠を感じた。 あからさまに事後だ。 まだ陽も高いうちからお盛んなことだが、こりゃあ悪いことをしたとジョニーは頭を掻いた。 「あー、あんた、たしかゾロの」 「お邪魔してすいませんね。あのー……アニキ、いつごろ帰りましたかね」 「ゾロならまだいるぜ」 「え?……まだ、いるんです?」 「ああ。あれからずっと、な」 にやりと笑い、サンジは横を向いてふうう、と長く煙を吐いた。 「ゾロ!お迎えみてえだぞ!」 廊下に向かってサンジが叫ぶと、ばん、とひとつのドアが勢いよく開いた。どすどすと前のめりで歩いてくる兄貴分を見て、ジョニーは飛びあがるほど驚いた。 サンジと同じく髪が乱れ、怒りのためなのか顔が真っ赤に上気している。しかしもっと驚いたのは、悔しげに眇められた目尻がうっすらと濡れていることだった。 ジョニーはゾロの涙を見たことがなかった。 どんな痛みにも呻き声ひとつあげない、あのアニキが泣くなんて、いったい、ここでどんなことが。 「オイあんた!アニキに、アニキに何をした!」 「何って、……さあなあ?本人に訊いてみたらいんじゃねえの」 な、ゾロ。 サンジはぽん、とゾロの腰の辺りを叩いた。ゾロがそれを赤い顔のままぎろりと睨みつける。よく見ればスーツの襟元を片手で寄せるように握りしめていた。 「……帰るぞ、ジョニー」 「は、はい」 もともと掠れぎみのゾロの声はもっと嗄れていた。その無骨な手の下から見え隠れする鎖骨のあたり、小さな赤いあざに目が釘付けになる。 いろんなことが一気に繋がりジョニーは言葉を失った。これ以上の詮索をしちゃあいけねえと、なけなしの本能が教えてくれる。 靴を履くゾロの腹に後ろから長い腕がそっと巻きつく。ゾロがまた、かっと顔を赤くした。抵抗するわけでもなくただただじっと固まっている。 なんてこった、アニキが可憐に見えてきた。 「また来る、よな?」 ゾロの肩に鼻を埋め、甘い声音でサンジは言った。よく見れば太い首すじにも、いくつもの赤い花が散っている。 二人の周りに、桃色の空気がもわりと漂っているように見えてジョニーは目を擦った。 「来るか!」 「なんで」 「なんで、だと?」 「だってよ、おめえ、俺に惚れてんだろ?」 「そ、れは」 「まーだわかんねえのかよ?……さっき、たっぷり教えてやったじゃねえか」 「ばッ――!」 ゾロはその手をようやく振りほどいて先に部屋を出た。ものすごい勢いで廊下を走り去る音がする。 ジョニーも慌てて、その背中を追いかけた。 「ゾロのアニキィ!」 ジョニーの涙声が響き渡った。 すげえかわいかったぜ、心底惚れてるよ、来ねえなら今度は俺が行くからなァと、後ろから聞こえるサンジの声には耳を塞ぎたい気持ちになった。 (11.05.05) 11.05.04スパコミ無料配布。 朝チュン?を無駄にがんばってみようぜ第二弾、だったんですが、おめえのその朝チュンブーム早く終わらせて続きでえろ補完しやがれ、とすでに数名のおともだちから言われたので(もっとソフトな言い方で)、そのうち書きますね。 続きを書いた→ |