7.職員寮502号室





おそろいの、緑と黄色。
カフェオレボウルを、サンジはテーブルに置く。
「夕飯、なんかリクエストある? 」
「あー……魚、だな」
新聞を読みながらゾロが、緑のほうに手を伸ばした。まだあちいぜ、気をつけろよ、とサンジが言うと、黙ったままでうなずいている。ゾロは、わりあい猫舌だ。
「魚か。煮る、焼く、揚げる、どれ? 」
「焼く」
「じゃあ秋刀魚、どうよ」
脂の乗ったやつを、たっぷりの大根おろしを添えて、味噌汁はさつまいも、きのこの炊き込みご飯で秋らしく。
「秋刀魚なら、飯は炊き込みじゃねえほうがいい」
「了解」
「あとビール」
「それはいつもじゃねえか」
笑いながら、ゾロの唇の隅っこについた、パン屑を指を伸ばして取ってやる。ついでに、油で光ったそこにちゅう、と吸いついた。ぺろりと舐めても、ゾロは、開いた新聞から目を離さない。ほのかにカフェオレと、それから、クロワッサンの甘いようなバターの味がした。いつもの朝だ。外からは鳥の声、ときどきぱさりと、ゾロが新聞をめくる音がする。
レストランの定休日だった。いっぽうゾロは、普通に朝から出勤の日である。
忙しい二人の休みが合うことはなかなかなく、以前と比べれば、一緒にいられる時間も、食事を作ってやれる回数も減ってしまった。だから二人きりのときは、思う存分、うぜえと言われようが暑苦しいと言われようがべたべたとして、ゾロ不足の帳尻を合わせることにしていた。
今日は、ひさびさに夕食をちゃんと作ってやれるのだ。そう思えば、自然、力も入る。
「ゾロ、時間」
サンジの声に、ゾロは新聞から顔を上げた。畳んで、残ったカフェオレを飲みほしてから、席を立つ。
サンジは使った食器類を流しへと運んだ。昼からは焼き菓子を作ろう、と考えながら、汚れを水で軽く流していく。今度、店で出すものの試作品を、ミホークとナミ、それから、当直明けのはずのロビンに食べてもらうのだ。
ミホークはいまや、サンジのよきアドバイザーである。舌は確かだし、少々気を使ってくれる女性陣と違い、かなり率直なことを言ってくれるので、参考になるとてもありがたい存在だ。やや奇抜な服装をしているが、あんがい常識人だし、それがなんでシャンクスなんかと、というのが、サンジの新たな疑問の種であった。
ゼフとは、あいかわらずよく喧嘩をしている。あれからも、口の悪さと乱暴さはまったく衰えておらず、もちろん、それはサンジも同じで、たぶん俺たちはずっとこうなんだろうなと、近ごろサンジは悟り気味だ。
けれど、変わったこともあった。サンジの考案したメニューが、月替わりのランチとディナーに取り入れられることになったのだ。
ゼフがまず試食をするのだが、たまに、本当にごくごくたまにだが、悪くねえ、と苦虫を噛みつぶしたような顔で言ってくれる。ゼフにしては、最大級のほめ言葉だろう。
顔を上げると、ゾロがバッグを肩に掛けるところだった。そのまま、さっさと玄関へと向かうのを、サンジも手を拭いてから慌てて追いかけた。
ゾロはもう、靴を履いている。
「いってらっしゃい」
「おう」
キスをして、送りだす。ゾロがドアを開けると、まぶしい朝の光が、玄関に白く細長く射し込んでくる。いくら見ても見飽きない、その伸びたきれいな背中をいつものように見ていたら、なぜだか、サンジは急に思い出した。
前にシャンクスがミホークにやっていた、いつか、自分もやろうと思っていた、あれだ。靴をひっかけるようにして履き、閉まりかけたドアの隙間から外に出た。
気配に気がついたのだろう、ゾロが、立ち止まる。
「ゾロ!」
振り向いた、怪訝そうな顔をしたゾロの、耳元に唇を寄せて、例の、愛の言葉を囁いた。もちろんこれだって、女の子にすら言ったことはない。
恋は、たくさんしてきた。
けれど、この言葉を捧げたいと、そんなふうに思ったのは、ゾロがはじめてだ。
思っていた以上に恥ずかしく、口に出した瞬間に真っ赤になったサンジを、ゾロは、まじまじと見つめている。
馬鹿か、もしくは阿呆か、はたまた、うぜえ、か。
次に来る言葉はだいたいわかっていたけれど、それでも、一度やってみたかったのだ。ロマンチストと笑うなら笑え、と、ヤケのようにサンジは思っていた。けれど、ゾロの反応は、予想のどれとも違うものだった。
ゾロは、サンジのほうに手を伸ばした。そうして、ぐいと腰を抱き寄せる。その顔が近づいてくるのを、はじめて会ったあの日のように、サンジは身動きひとつできずに、ただ受け入れた。
「――俺もだ」
いつだって、サンジをたまらなくさせる声で、ゾロは囁き返した。
「いってくる」
サンジの顔を見て、ハ、とおかしげに笑い、耳朶をかり、と柔らかく噛んでいく。うめえの、待ってる。そう続けたのが、もはや夕食のことなのかどうか、定かでない。
背を向け、エレベーターのなかへ消えていくその姿を、ドアに背を滑らせながら、サンジはぼんやりと見送った。



顔を覆って、しばらくそのまましゃがみ込んでいると、隣の部屋のドアが開く音がした。ミホークとシャンクスの、いつものやりとりが聞こえてくる。
「うお! びびったあ! 」
共用廊下のど真ん中、丸まったサンジの姿を見て、シャンクスが大きな声をあげる。その声が聞こえたのか、なによー、とナミが、反対の隣から出てきた。どうした、とミホークの声も続くのがわかる。
物珍しげな三人に取り囲まれ、それでも、サンジは顔を上げることすらできなかった。
「なあ、それおもしろいか? なにしてんの? 」
つんつん、と太もも辺りを、たしかめるように靴でつつきながら、シャンクスが尋ねる。
「…………恋してんの」
サンジは、答えた。
いったい、これから何度、俺は恋に落ちるんだろう。







end.



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