March 2,too much Love ◆ 魔法使い見習いチビナス 「いってきます!」 おう、行って来い、というゼフの返事を聞いてから、サンジは外に飛び出した。 石畳の坂道を駆けおりる。めずらしく革靴を履いているから、蹴りつけるたびにことことと硬い音がした。黒い半ズボンを吊ったサスペンダーが肩からずり落ちて、走りながらひっぱって整える。道のずっと先、建物と建物のあいだからは港が見えて、海面がきらきらと陽を跳ねてまぶしかった。 道沿いのパン屋から焼き立ての香ばしい匂いがしている。エプロンをした体格のよいおばさんが、パンをいっぱいに乗せた大きなかごを抱えて店から出て来た。 これから配達に回るのだろう。おばさんにはちょっと心配なくらい小さな、黄色い自転車はいつもぎしぎしと軋んでいる。 「こんにちは!」 すれちがいざま、足を止めることなく、けれど速度を落としてサンジは声をあげた。 おばさんもあいさつを返してくる。 「こんにちは、今日はおめかしねチビナスくん!」 あら、あなたの相棒は? 言われてサンジは急停止し、きょろきょろと見回した。いちばん大切なものを忘れている。よっぽど、慌てていたのだ。 「ありがとう、マダム」 姿勢を正してぺこりとおじぎをすると、いいえ、どういたしまして、とおばさんはくすぐったそうに笑い、おひとつどうぞ、とまだほかほかと温かなパンをてのひらに乗せてくれた。 齧りながら来た道を全速力でのぼる。ドアをばん、と開けると、すぐそばに立てかけていた箒を掴んだ。ゼフは台所にいるのか姿が見えず、サンジはほっとした。忘れ物をしたのをからかわれたくはなかったからだ。 ふたたび歩道に出て、そのまま大聖堂のある広場へと走った。人の少ない場所を選んでサンジは箒にまたがった。 呪文を唱えると、箒は生きてるみたいにぶるぶると震え、ふわり、と宙に浮く。左右にバランスを取った。つま先が地面から離れる、この瞬間がサンジはとても好きだった。 「行くぞ!」 誰にともなく、強いて言えば相棒の箒にだろうか、声をかけてサンジはそのままぐんぐんと高くまであがった。薄い雲が隅っこのほうにだけかかる、青い青い空に近づいていく。風が音を立てて耳のそばを流れていった。空気が冷えてくるところまで来ると、そこから街を見下ろした。 煉瓦造りの赤茶けた街並み、港には船がたくさん浮いている。はずれにある工場のにょきりと伸びた三本の煙突からは、いつものように白い煙があがっている。その向こうの内地には砂漠が広がり、砂丘がまるで小波のように見えていた。 「まったく、今日はどこにいるんだよ。ゾロ……」 ため息まじりでつぶやいて、サンジは少しずつ高度を落としていく。誕生日を一緒に祝うと約束したのに、ゾロが時間になっても来ないから、さきほどサンジはゾロが間借りをしているチョッパーの家まで迎えに行ったのだ。あれ、ゾロならとっくにここを出たよ。そう言われ、もういちど家に戻ってからゾロを探しに出たのだった。 ゾロは大人だけれど、よく迷子になる。そういうときゾロを探すのはサンジの役目だった。フードつきの外套を纏った剣士は、平和なこの街ではよく目立つから、ゾロを探すのは空からならわりと簡単なのだ。 サンジは魔法使い見習いだ。 ゼフのもとで、魔法と料理の勉強をしている。 箒に乗ってぐるぐると街を巡っていると、ちょうど居酒屋に入ろうとしているゾロを見つけた。チョッパーの家とも、もちろんサンジの家ともかけ離れた場所だ。 夕暮れどきになれば荒っぽい漁師たちが集う一角も、昼間はさすがに閑散としていた。 「ゾロ!」 声をあげると、ゾロは迷うことなく上を見た。腕をすっと上げて被っていたフードを脱ぐと、めずらしい緑色の短い髪が現れる。 サンジはさきほどとは違う呪文を唱えた。地面に足がついてから、箒を降りて一目散にゾロに駆け寄った。 「もう、なにしてんだよ! 酒でも飲む気かよ! ……おれとの約束、忘れたの?」 「忘れてねえよ。向かってたら知らねえ場所に出たから、道でも聞こうと思っただけだ」 「向かってたらって、こっち、うちから反対方向だぜ」 「そうなのか?」 そうだよ、と肩をいからせると、悪ィ、迎えに来てくれたんだなとゾロは笑う。いつもは無愛想だけれど、笑うとゾロは急に子供みたいな顔になる。 ぽん、と大きなてのひらがサンジの頭に乗せられて、髪をくしゃくしゃと掻きまわしてきた。 「やめろよ! せっかくセットしたのにー」 「セット……? そういや、いつもと格好も違うな」 胸元の蝶ネクタイを見てゾロは言う。 まーな、特別な日だからな、おしゃれだろ。サンジが胸を張って言うと、おれァそういうのはよくわからねえとゾロは言った。なんとも張り合いがない。 「まあいいや、行こうぜ。おれが連れてってやる」 ゾロの手を握る。 おう、とゾロは返事をした。 剣ダコだらけの力強いてのひらは、サンジのまだ小さな手をすっぽりと包んだ。 街のはずれ、魔物の住む砂漠との境、結界の役目をする森に倒れていたゾロを見つけたのはサンジだった。三ヶ月ほど前の話になる。覚えたての魔法で、箒に乗って街をすみずみまで探検していたときだ。 ひどい怪我をしていたゾロを、サンジはチョッパーのところまで連れて行った。辺りいちばんの名医であるチョッパーの見立てでは、全治二年の重傷だという話だった。 ふつう、この街に来るものは海からやって来る。陸路ではかならず砂漠を通らねばならず、強い魔物だらけのその場所を生きて街に辿りつく者はほとんどいないからだ。ゾロはそのことを知らずに、この街を目指したらしい。なんでも、世界最強の剣士を探していて、その人物をここで見かけたという情報を得たのだそうだ。結果として、それはひと違いだったのだけれど。 傷が完全に癒えたら、また旅に出るのだとゾロは言う。 おれはもっと強くなりてえんだ、と。 はるか遠くをまっすぐに見据える強い眼差しを見て、ずっとここにいてよという言葉をサンジはぐっと飲み込んだ。 飲み屋通りを抜けると、眼下に海が広がる坂道を並んで歩いた。風に乗って潮の匂いがしていた。サンジの頭ごし、ゾロは目を眇めて港のほうを見ていた。帆船が速度を落としながら、ゆっくりと波止場へ入ってくる。航跡に沿って、毛羽立つような白い波が立っていた。 サンジは繋いだままのゾロの手を、引っ張った。 「急ごう。ジジイが待ってる」 言うと、ああ、そうだな、とゾロは頷いた。 足を速めて家路を急ぐ。 海を見るゾロを見ていたら、急に不安な気持ちになってしまった。 「……なあ、ゾロ」 「ん」 「おれさ、またひとつ新しい魔法使えるようになったんだぜ」 「へェ、そうか」 「ジジイがよ、今度から薬草の選びかたも教えてくれるって。頑張って覚えるよ」 ずいぶん熱心だな、とゾロはまた笑う。サンジは、顔がかあっと熱くなるのを感じた。 サンジはいま、回復や治癒に関わる魔法を優先して勉強している。ゼフの魔法は料理に込められる。口に入れるものに魔法をかけて、傷を癒したり、抵抗力をつけたり、体力を回復したりするのだ。 傷を診たチョッパーが、ゾロには他にもたくさんの古傷があると言っていた。 これまでずいぶん無茶をしてきたみたいだね。せめて、応急処置の知識がある奴が一緒だとよかったんだけど。 それを聞いたとき、サンジは決めたのだった。強くなって、できるだけたくさんの魔法を覚えて、いつかゾロと一緒に世界中を旅するのだと。 ゾロにはまだ、内緒にしてある。 道の先の高いところに家が見えてくる。赤く塗られた屋根の上、金色の風見鶏がくるくると回っていて、食べもののよい匂いが辺りに漂っていた。 ゼフが、食事の準備をしてくれているのだ。 「ただいまー」 おせえぞ! というゼフの罵声に二人して耳を塞いだ。 格子柄のクロスのかかったテーブルには、すでにたくさんの料理が並べられていた。サンジの好物ばかりだ。 それぞれ椅子に腰掛ける。ゾロには、隣に座ってもらった。 ゾロは物珍しそうに、皿のひとつひとつを見回している。 「誰かの誕生日祝いなんざ、ひさしぶりだな」 「そうなの?」 「ああ、自分の誕生日も忘れるくれえだからな」 「じゃあ、じゃあさ。ゾロの誕生日は、おれに腕を振るわせてよ」 恐る恐る言うと、そうか、ありがてえとゾロは言う。 サンジはほっとした。 ゾロの誕生日は十一月だと聞いている。少なくともそれまでは、ゾロはこの街にいるということだ。 「そういやお前、いくつになった」 ふいにゾロが尋ねてくる。 知らねえの、と憤慨してみせてから、十歳だよとサンジは答えた。 「おれの半分か。……若ェな」 「ゾロだってまだ若いじゃん」 「ま、そうだがよ」 「おれが十五になったら、ゾロは二十五だろ。そう変わんないよ」 「変わるだろ」 「変わんないって」 「そうか?」 ゾロは首を傾げている。 そうだよ! サンジはむきになって力説した。 →2 |