■ELECTRIC BLUE

 

 



ケロロがガルルよりの緊急通信を受け取ったのは、日向家での夕食の準備も終え、あと少しでゴールデンタイムの「キャプテン・ゲーロック」が始まるという、忙しい時間帯の事だった。



ガルル小隊に起きた事。
それは隊長であるガルルが解決策を見い出す事のできない、極めて稀な危機であった。
「迷ってる時じゃないっスよ、こういうの得意そうな部署に応援を呼ぶとかしないと」
「プルル看護長、……それで、どうなのだ?」
タルルとゾルルに急かされながらも、あらゆるデータを参照し続けていたプルルは、ひとつの結論を導き出した。
「困った事になったわね。至急隊長にケロロ小隊と連絡を取るように進言して」
それは彼女らしい、きっぱりとした口調だった。


トロロ新兵が帰って来ない。
そう報告があったのは休暇が明けた今朝。
しかしそもそもトロロと最後に対話したのが一日半も前だというタルルの話を信じるならば、彼は今朝より以前からそこに存在しなかったという事になる。
休暇は二日間だった。しかしトロロは入港したままの宇宙船内部の自室にて、モニタに向かい何事かの作業を続けていたらしい。

「では、新兵は結局まる二日、こうしてここに座っていたという事か」
「そうです」
トロロの居座る私室には、あらゆる電子機器が繋がるアミダ籤のようなケーブルが張り巡らされ、更に足の踏み場もないほどのジャンクフードの空き箱やペットボトルが転がり、本来の広さの三分の一程しか居住空間がない。
その中央のモニタ前に、トロロが背を丸めて座っている姿は見慣れた光景だった。
「……あの、話がなんか、見えないんスけど……」
隊員の危機に雁首揃えたメンバーが集う、行方不明の筈のトロロの部屋でタルルは立ち尽くす。なにしろいないと聞いた当の新兵は、普段通りに定位置に居座り続けているのだから。
「エート、ほら、……コイツ、ここにいるんっスけど」
「愚か者!」
即ゾルルの声が飛んだ。




「そりゃ『あっち』へ意識、持っていかれちまったんだな」
「『あっち』?」
ガルルからの通信をそのままクルルに伝えたケロロは首を傾げる。聞いた話の中味はわかったようでよくわからない、ケロロにとって謎めいた事象だった。
「此岸と彼岸って言やわかるかい?」
「いや全然」
解説しょうとするクルルの言葉もまた謎めいている。しかしそういう言葉が返ってくるということは、この男の中では既に吟味と咀嚼が行き届いているのだろう。
「じゃモニタのこっち側と向こうってのは?」
「あー! 急にモリモリわかった! バーチャルゲームにハマるみたいな感じ?」
「ま、そんなトコだ。今の地球の水準でバーチャルっていうと、どうもオモチャみてぇで安っぽいけどな」
「仮想現実世界へ行ったまま帰って来ないって、そういう事でありますか?」
「『世界』なんて大袈裟なもんか? ただの言語の羅列とガキの作ったプログラムだろ。ま、放っておいても飽きたら帰って来るんじゃねぇか? どうせあいつの構築したチャチで薄っぺらなシステムじゃ、子供騙しにもなりゃしねェ」
「いやあの、トロロ新兵はまだお子様なんでありますが……」
「それもそうか」
トロロについてはかつて、ガルル小隊の介入作戦にて対峙して以来だ。
しかしそのモニタ越しに伝わる個性は、クルルの中に覚えのある感覚を呼び覚まし、存在を印象深くしていた。
対話するたびにチリチリと背筋を駆け上がるのは、なんともいえないむず痒さと苛立ち。
そしてそれが極限までの気恥ずかしさである事に気付いた時、クルルは遠い過去の自分を振り返っていた。
コイツ、帳消しにしてぇいつかの俺そのものだ。
傲慢で、自信過剰で、それ故に大人の世界で軽んじられる事を根深く恨んでいる幼い魂。
だからこそ自身で構築した世界は、どこまでも居心地よく感じられる筈だ。
自分の才能を信じて疑わねぇあのガキが、その内面世界がチャチで薄っぺらい事に気付くわけがない。

「隊長、気は乗らねェが、紫野郎に連絡を取ってくれ。クックックッ…… 俺様直々に手を煩わせてやるからよ、謝礼も弾んでもらうぜェ」




トロロは微動だにしない。
時折四肢に走る僅かな痙攣が、彼の存在する内側の世界を想像させるだけであった。
中央のモニタを流れる言語を解読できるのは、創造主であるトロロ自身のみ。
その全身に付けられた医療機器を通じてのみ、身体との対話が叶うという風であった。
「命に別状はないとはいえ、このままでは」
プルルは計器と、依然としてそこに座り続けているオレンジ色の身体を交互に見ながら言う。
「……次の作戦は新兵なしでは難しい。……ガルル、……一体どうするつもりだ……」
ガルルもまた苦い表情を崩さない。トロロ同様に意識を別に持っていかれてしまったようだ。
とはいえ、リアルタイムで内側と外側で起きている事が乖離する状態を、ガルル自身が掴みあぐねている。

 これは俺の分野ではない。

では誰の分野なのか。
おそらくケロン軍の研究施設にも、トロロ新兵を連れ戻せる者はいないのではないか。
原理を理解するのが精一杯のこの危機に、果たして何人が現実問題として取り組めるだろう。
では望みはないのか。
自問したガルルの脳裏に過ったのは、存在自体が面白くない一人の男の顔だった。
こうなってみて改めて、常々意識して無視しようとしている「そいつ」が、いかに軍にとって母星にとっての有益な存在であるか、痛感してしまう事が更に腹立たしい。
入った通信は地球からのものだった。
ケロロ隊長からは即話が通されたらしい。

『よォ、困ってんだってな』
いきなり第一声から不愉快な声が耳に飛び込んで来る。
「挨拶はなしか」
『そこにあるガキの持ってるデータを全部寄越しな。俺様が解析してやるから、あんたが掬い上げるんだ』
「しくじるなよ、作戦が迫っている」
『俺を誰だと思ってんだ?』
通信は早々と切れた。
「あの男」との会話はいつにも増して、恐ろしい速度で流れる。
聞き返す事は敗北と同じであり、ガルルは自身に絶対にそれを許さない。
「タルル上等兵、トロロ新兵のデスクトップにあるデータを全て、これから言うアドレスにプールしてやってくれ」
「ええーっ、全てってそんな、すごい量スよ!?」
「構わん。全部寄越せと言ったのはあの男だ」
無茶を承知で了解し、自信に満ちた返答をしたのは奴だ。ガルルは心でそう主張し、腕を組む。
窮地とはいえ、借りを作る事には抵抗がある。
しかしあの男ならば可能だとも確信できる。
むしろ有能であることは百も承知ながら、意固地にそれを認めたくない自身の狭量さに向き合う事が腹立たしいのかも知れない。
ガルルの葛藤を他所に、大量のデータはさながら方舟のように、宇宙という大河を越え
ていく。
受け取るのは「あの男」。
かつて世紀の昇進を遂げ本部に「尻尾の少佐」として君臨し、その僅か数年後には厳罰と共に降格。
身ぐるみ剥がされるように中央での全ての権利を剥奪され、辺境惑星に飛ばされたという、あまりに多くの伝説を持つクルル曹長その人であった。




言語の羅列と一言に言ってみるものの、それはひとつの世界を構築するための土台であり、柱であり、ネジや蝶番や釘に至るまであらゆる部品で構成されている。
大量のデータから断片を拾い上げながら、クルルはトロロの作り上げた小さな世界を思う。
記号、文字、数字の限りない組合せを並べる過程に、嘘のように詩的な空間や、喧噪に溢れた活気ある幻想を読み取り、クルルはひとり笑った。
電脳世界はその無機的な外面とは裏腹に、触れる者の感傷を引き出そうとするように思えるのは何故なのか。
―――――あのガキの青臭くて水っぽい所が、全部形になってやがる。
それが再び自身の遠い過去を思い出させる一因になったらしく、クルルの笑いは更に高くなる。
むしろ電脳世界が感傷を引き出すというよりは、触れる者の鏡と化すと考えるべきなのかも知れない。
「何笑ってんの、なんか面白い?」
「見えてねェのかよ、クックックッ…… あのガキの可愛げがこのへんに出てるぜェ」
モニタを差し指すものの、やはりケロロは首を傾げるだけだった。
「ま、こっから中味を読むのはシロートにゃ無理だって事で、あの紫野郎にも全体が把握できるツールを作ってやったからよ。こっからはあの糞野郎の仕事だぜ」
「早っ!」
ケロロの驚きを他所に、クルルの指先が実行キーを押す。




『聞いてるか? 終わったぜぇ、モニタを見てみな』
ガルルの元へ恐ろしい速さで通信が入る。
「は、はぇえっス!」
「……もう終えたのか、流石だな」
タルルとゾルルの驚きを他所に、ガルルはゆっくりとトロロの前にあるモニタに歩み寄った。
「見たぞ。何が始まる」
『クックックッ…… 慌てんなヨ。あんたはそのままモニタの前へ座って、ガキを掴まえな』
「掴まえる? 一体どうやって」
そう問いかけた瞬間、画面が変化した。
数字、そして記号や文字が流れるばかりであったモニタ上に、不思議な具象が現れた。

『ガキの作ったシステム、勿論『世界』なんて把握しやすい形を取っちゃいねぇ単なるプログラムの集合体だ。……それを俺様があんたにも解るように『世界』に置換してやったんだ。感謝しな』
ガルルはただその画面に見入る。
トロロの作った幻は、意外なほどに優し気で美しい。
いや、これは置換したとか言うこの男の趣味なのか。
そう思うと急激に気持ちが萎えていくのがわかる。
「感謝せねばならんようだな、クルル曹長」
『礼は弾んでもらわなきゃな、クックックッ……』
忌々しい笑いが再びガルルの耳元に貼り付く。
「……それで、私の役目とは?」
『簡単だ。あんたにもソコへ行ってもらうだけだ。……あとは俺様の指示に従ってガキの首根っこを掴んで戻って来りゃいい』
クルルは事もなげに言う。
まるで詐欺に遭ったかのような気持ちだった。
「それで、私は戻れるのか?」
『二次遭難なんてことになったら、そこに雁首揃えた部下を寄越しな。……手をリターンキーに置いたまま、画面中央の二つの赤いポインタを見て、視点が一致したら押す。……簡単だろ?』
口調は変わらない。という事はクルルにはどこまでも自信があるという事なのだろう。
この男を頼みの綱としたのは自分なのだ。それならば唯一の策に賭けるしかない。
ガルルは不安気に止めようとするような部下を振り返り、宣言する。
「という事だそうだ。ゾルル兵長、タルル上等兵、プルル看護長、後は任せた。私はトロロ新兵を救出に出る」




『んじゃ、始めるぜェ』
怪し気な作戦、そして怪し気な装置、怪し気なマッドサイエンティスト。
しかしそれらを上回って、部下が自ら構築し、呑み込まれた世界は怪し気だった。
ガルルは腹を括り、画面のポインタを凝視したままそこを目指す。
飛び込んだ先が御しやすい場所である事を願いながら。