I-U378星雲・NO-56星系・2番惑星。
『乾きの大地』に朝が来る。
モーニングコールは既に無人となった部屋に空しく鳴り響く。
オークションの開催まで三時間を切った所だった。




「『33°40'36.05"N 106°28'24.67"W』 って、アメリカのニューメキシコ州だね。ここに何の用があるの?」
―――――アンチバリアのレベルは最高に設定。
少なくとも目的地は有刺鉄線に守られた軍の管轄下にあるらしい。
何の用かと聞かれたところで答えられる筈もなく、ギロロは溜息を吐く。
クルルが一体何を目的とし、何を企んでいるか、そして自分に何の役目が与えられているのか、全てが謎だらけだった。
思惑通りに動いてやる事はない。
そう思いながらも、手にした紙束に殴り書きされた言葉のひとつひとつに、どこかクルルの内面的なざわつきを感じ取ってしまう。
「クルルに聞け。俺にはさっぱりわからん」
何をどう使うかを悩み、結局空輸ポッドを選んだ。今はその空路である。
日向姉弟を伴うからには、そこにも何らかの理由がある筈だ。しかし夏美を危険に晒す事には大いに抵抗がある。
「そのクルルはどこにいるのよ? ボケガエルやモアちゃんもいないみたいだし、一体どうなってるの」
「そうだよ。こんな所へ出向くなんて、ちゃんとした理由が知りたいよ」
こんな所。
ギロロはその言葉に引っかかりを覚え、何度も口の中で転がす。
勿論「こんな所」は、軍の監視下だから危険というニュアンスではない。
扱い難そうにケロン式のモバイル機器を扱っていた冬樹は、目的地についての情報を探り続けていた。
「おい、日向弟、ここは何だ。俺たちはどこへ向かわせられている?」
冬樹はまだモニタを睨んでいる。
それを夏美が背後からじっと見守る。
嫌な予感がした。

「目的地は『トリニティサイト』。世界で初めて核実験が行われた、グラウンド・ゼロだよ」

地球人類史上初の核実験場。
そしてそこから出土したケロン人のメモリーボール。
オークション、そして陰謀。
おそらくクルルとドロロはそれらのピースに何らかの関連性を見い出したのだ。
ギロロは自分が生唾を飲み込むのを感じていた。




オークション会場は嘘のように静まり返っていた。
外は晴れ。もちろん砂漠に雨など望むべくもない。
スタジアムの一角に作られた会場は炎天下にて、じりじりと気温が上昇する。
カーテンの奥に待つのは四組のエントリー。
『Love & Peace & Justice』そして『Trickster』、そして。
ドロロは四つに仕切られた部屋の前で、弟の入る筈のブースについて思い巡らせる。
纏った雑布の砂の重みが増した気がした。
ふと時間を見ようとスタジアムの入場門に近い事務室跡を伺おうとした時、大柄な人影がこちらへ近付いて来るのが見えた。いや、大柄というのは特に小柄なケロン人の主観だろう。成人した地球人とほぼ体格は同じである。
エントリーした四人のうちの、他星系の異星人か、それとも。
ドロロの身体が俄に緊張し、鋭敏な感覚がその人物の情報を読み取ろうとする。
しかし、人物は身体を覆い隠すようなローブを着用し、更に目深にフードを被っていた。
考えてみれば雑布を纏ったドロロとローブの男、それほど見た目に差はない。
自分の姿を隠したいと願いつつ、隠そうとする他人を暴きたがる事がいかに身勝手な矛盾か。
探る事を諦め、ドロロが背を向けようとした瞬間、ローブの男の足が止まる。
そこは『Trickster』のブースに続くドアの前。
今の謎めいた扮装の人物こそが、昨日クルルと密会した『Trickster』だったのだ。
ドア奥へと消えるローブの裾を見送りながら、ドロロは昨日聞いたばかりの話を思い出す。
クルルと、出品されたメモリーボールとの因縁。
それは地球と地球人の意志について憂うドロロの気持ちより、更に切迫した心痛を伴っているようだった。



昨夜、クルルの告白は唐突に始まった。
あれ程知りたいと望んだクルルとメモリーボールとの関連。
意味ありげに仄めかされ、長い間心の奥に重石のようにわだかまっていた疑問。
しかし解明に至る第一声は嘘のように軽快だった。

「俺がまだ裏方で、ごちゃごちゃ画策だの何だのやってた頃の話だ。……先輩はその頃はもう一丁前のアサシンだったんだろうな。俺様の部署に配属された奴がいて、ケロン人の名では『オルル』」
「ケロン人の名、でござるか?」
「異星人なんだよ。母星での名前はケロン人の舌じゃ発音できねェらしい。それじゃ扱い難いってんで、適当な名前を付けられたって言ってたぜェ」
「では、外部の植民星の出身でござるか? クルル殿の当時の所属と言えば、ケロン軍の中枢も中枢。そんな中に異星人のスタッフがいたとは」
「俺達の仕事は便利屋みたいなモンだからな。その割に満足のいく人材は常に不足してる。本来ココが使える奴なら何だっていいんだヨ」
クルルが自分の頭を指差しながら言う。
「多々ある植民星のひとつで肉体労働に励んでた所を目つけられて、わざわざ直通で連れて来られたんだ。奴がいかに優秀だったかわかるだろ?」
ドロロはケロンの植民地出身の異星人に思いを馳せる。



クルルの部署はよく言えば少数精鋭主義、悪く言えば排他的という空気が漂い、外部から来る者達には風当たりの強い場所だった。
特に相手が異例の『招聘異星人』であった場合には、更にその傾向が顕著になる。
選ばれた者であるというプライドと共に、ケロン人の威信に繋がるという思いが為せる事なのか、異邦の男『オルル』は徹底的に無視され、排除される筈だった。
しかし、長くケロン人に虐げられる事に慣れ、苦境を渡リ歩いてきたオルルにとっては、全く問題にならない程温い「逆境」であった。
そんな奇妙な異分子に興味を引かれ、近付いたのはクルルの方である。
まだ尻尾の残る幼いクルルを不思議そうな顔で見たオルル。それは
見下す風でも卑屈に満ちたものでもなく、当たり前の真っ直ぐな視線だった。
「子供か。なぜ子供がこんな所にいる?」
「俺は使える子供だからな」
「使えるという事は使われているという事か? それなら大した事はないな」
「あと二、三年の間はな。どうせ俺の一生は使う側だからよぉ、珍しい体験しておくのも悪くねェだろ?」
「糞生意気なガキだな」
対話はそうして始まった。
異星人オルル。体長はほぼケロン人と変わらない。ただしケロンの湿った大気に弱く、皮膚を守る特殊繊維の衣服を身に着けていた。
その存在は既に日常に退屈していたクルルにとって、刺激に満ちた遊び道具となった。

最年少で尻尾つきのまま部署に配属されたクルルは、やはり周囲から少し浮いた存在だった。
伝わる筈の情報が回って来ない、ディスカッションの場から弾かれる、雑用を押し付けられる等、嫉妬混じりの嫌がらせは日常的に起こる。しかし、基本的に俗事に捕われる時間を持たないクルルは、それらを行う者達を完璧に無視し続けた。

 
今のうちにいい気になっていればいい。
 加害者達が唇に笑みを浮かべ、勝利の気分に浸っているその水面下で、復讐者がいかに残酷な手段を空想しては愉しんでいるかを、いつかその身で知るといいぜェ。

クルルがその後前例なき出世を遂げる頃には、権限を使って仕掛けてみたかった『残酷=故に間抜けな復讐』どころか、その対象すらが忘却の彼方であったのだが、それはまた別の話である。
ともあれ、何となくはみ出した者同士は意気投合し、奇妙な友情を育む事になった。
例え支配被支配の関係にあり、湿性人と乾星人という正反対の生態系に生きる者達であったとしても。
オルルはケロンが特殊鉱石の採取を目的に侵攻し、手中に収めた砂漠の惑星、俗に言う『乾きの大地』の出身だった。
砂男と呼ばれる『乾きの大地』の原住民達は鉱山労働者となり、ケロンへ運ばれる鉱石を日夜掘り続けている。
オルルもまたそんな鉱夫の一人であったが、ある時その類稀な知能指数を見い出され、ケロン本国へと送られたのであった。
クルルはオルルの身体と精神に施された、前時代的な拘束具に気付いていた。
辛かった鉱山労働からは解放された。しかし彼は更なる束縛を得てしまった。
「俺はケロン人には逆らえん。インプラントの一種でな、ここへ来る時に脳に何か細工をされちまった。例えばこんな風に」
クルルに向かって踏み出し、思い切り腕を振り上げて殴りかかろうとする。しかし、その腕は目標に達する前に別の強い意志によって塞き止められる。何度同じ事を繰り返しても、決して拳はケロン人であるクルルの顔面には届かず、まるで見えない壁があるかのように寸前で力を失った。
「くだらねェ。あんたと殴り合う予定もねェがな、俺は」
「そうか? 殴り合うのは最も相手を知る近道だぞ?」

「千年古いぜ、ジジィ」
「お前には一万年早いな、ガキ」

そんな険悪な対話を交しながらも、彼等の距離は更に近くなっていく。
クルルがやがて国家的プロジェクトの中心人物となった時にも、オルルはその助手として常に傍にいた。
既にクルルに詰まらない嫌がらせを仕組む者はいない。
ただし、異星人趣味の同性愛者という噂は絶えなかったが。

「そりゃ参ったな、俺はそんな趣味はないぞ、クルル」
「クックックッ、いいんじゃね? さぞかし爛れてんだろうな、俺とあんた」
クルルの軽口にオルルは瞬間的に笑みを浮かべ、そして悲し気な表情になった。
「……俺は多分、もう誰かを抱くとか、犯すとか、そういう事のできない男になってしまったんだろうな」
「ハァ?」
「俺の精神は去勢されたも同じだ。お前の知っている俺は本当の俺じゃない」

ケロン人のために生きる、ケロン人のための奴隷。
それがオルルだった。
ありふれた友情がいつまでも『奇妙な』という冠詞を必要とするのも、彼等の立ち位置の違いがあるからだ。
オルルの中に潜む、支配する者としてのケロン人への復讐心は、強引に摘み取られるが故により一層根深くなる。
ケロン人に自分の優れた才能を提供する事が、同胞を裏切る事に等しいと思いつつ、拒否できずにいるオルルの苦悩。
それらが水面下で育っている事に、まだ年若いクルルは気付かない。
そして―――――



「俺は言っちまったんだ。『あんたの拘束具を俺が外してやる』ってな」
乾いた空気の中で長く話し続ける事で喉が乾くらしい。クルルは何度も水を口に含む。
聞いていたドロロは何も言わず、ペットボトルを手に微動だにしない。
「ヒーローのつもりだったんだろうな。青臭すぎて背筋が寒くなるぜェ」



勿論それだけではなかった。
クルルの中には、そうする事によって出現するオルルという人格を確かめたいという気持ち、そして優秀な頭脳を持つこの男がケロンへの復讐心をどう表現するかを見たいという、下世話な興味があった。
「俺はケロンも憎い。だが不甲斐ない母星の奴等も大嫌いだ。長く続いた下らない内戦、その隙に侵略を許し、今は支配される事に甘んじている。あんな星はさっさと滅びてしまえばいい」
時折誰に対するでもなく胸の内を漏らすオルル。
その口調は理性的ではあったが、どこか自暴自棄な狂気のようなものをも感じさせる。
しかしクルルに恐怖心はない。
オルルが時折曝け出すのは、被支配者が抱く当然の感情だ。
それが全く無い方が人として歪んでいる。
年若いクルルの解釈はそんな風に、あまりに教科書的だった。

そしてクルルは与えられた権限の下、オルルを解放するという企てを実行に移す。
それが蜜月の終わりになる事にも気付かず。



「オルルが目覚めた時、俺は言ってやるつもりだったんだ。『これであんたも俺を理解できる』ってな。何しろ殴り合う事が解り合うための早道だ、なんて寝言を言い出したのはジジイの方だからな」
尻尾つきのクルルには『ジジイ』と呼ばれるものの、おそらくオルルはそれ程年を重ねてはいないに違いない。
ドロロは脳裏に精力的で聡明な青年を思い浮かべる。
「だが、奴は俺に奴を理解する機会を与えちゃくれなかった」
そう、クルルがオルルの手術を終え、ベッドサイドでその身体の回復を見守っている間―――――
オルルが取り戻した自分の野蛮と攻撃性を水面下で如何なく発揮し、復讐の機会を伺っていた事。
何日かが経過した時、突然クルルはオルルに手製の銃を突き付けられた。



「俺は母星に未練などない。そして一生をケロンに縛られるつもりもない。クルル、お前には感謝している。俺を解放してくれたお前にこんな事をするのは心苦しいが……」
労働で鍛えられた腕が、クルルの非力な子供の腕を捻り上げ、拘束する。
「俺は裏切られたって事かよ」
「そうだな。お前はいい奴だった。だがまだまだ甘い」
いい奴。
まるでオルルに単純馬鹿呼ばわりされた気がした。
「あんた一体ケロン軍相手に、何をする気なんだ?」
オルルに肩を掴まれ、歩くよう促された時、それでもクルルは少しだけ嬉しかった。
―――――あんたが何か面白い事をやらかす気なら、俺もつきあうぜェ。
しかし、オルルにとって自分が人質に過ぎない事を知った瞬間、クルルの自尊心はようやく裏切られた事を認めた。
それはひどい落胆に繋がった。
長く共に過ごして来た眼鏡に適う希有な存在が、簡単に自分を放り出して手の届かない場所へ逃亡しようとする。
鳥籠の戸を開いてしまったのは、間違いなくクルル自身だった。



「結局オルルはまんまと俺と引き換えに探査用の宇宙船を奪って逃げやがった」
「まさかその逃亡した先が……」
これでミッシング・リンクが繋がった。間違いなくオルルは地球へ向かったのだ。
自暴自棄とも言える心の闇を抱いたまま。
「しかし、軍は追ったでござろう。まさかそれを全部……」
「奴は俺様と楽しく会話ができる『乾きの大地』の天才だぜェ? 軍の追っ手を攪乱する位は朝飯前だろ?」
そしてオルルは単身地球へと逃げおおせた。
目的地が知れたのはクルルの元に、一通の偽装メールが届いたからだった。
「何故地球だったのか、何故地球でなければならなかったか。……俺は長い間ずっと考え続けていたんだ。……ある時、突然その疑問が氷解した」
そこまで言ってクルルは黙り込んだ。
ドロロは答えを既に導き出している。
自分は今の立場で、それをどう解釈すべきなのか。
何しろ地球はその頃、オルルの母星と同じ折り返し地点にあったのだから。
クルルは自分に今後を委ねた。そう思った。
ドロロは導き出された答えをひとつずつ、ゆっくりと紐解いてゆく。

―――――俺はケロンも憎い。だが不甲斐ない母星の奴等も大嫌いだ。長く続いた下らない内戦、その隙に侵略を許し、今は支配される事に甘んじている。あんな星はさっさと滅びてしまえばいい

オルルが地球へ降り立った頃。
地球は長い内戦状態だった。
そう、まるでオルルの母星がそうであったように。

「オルルが乗り逃げしたケロンの探査船にはメモリーボールが積まれていた。それが出土した地点はグラウンド・ゼロだ。この符合を先輩、あんたはどう考える? まだあるぜェ。……非運の天才、そして余りにも幼い種である地球人。更にタチの悪い兵器の実験場」
狂気、そして復讐心。
脳裏にあった温厚そうな青年オルルのイメージが、どこまでも邪悪な亡霊となる。
「まさか、オルル殿が地球に悪しき技術を持ち込んだと…… クルル殿はそう申されるのか?」
「さあな。だが俺は地球へ来てすぐに何度も奴の足跡を追って、奴が接触したらしい学者を数人確認したぜェ。……あんたがどう考えるか、俺にゃ強制できねェ。だが今度の事には俺も間違いなく噛んでるんだ。奴を野放しにし、まんまと逃げられたのは俺の責任だからヨ」
選択するのはあんた自身だ、クルルが言うのはそういう事だった。
「だが、先輩には感謝してるぜ。……あんたがあの雨の日、このオークションの情報を持って来なければ、俺にはメモリーボールの事を知る機会もなかったんだからな」

まるでオルルが自ら導いたかのようだった。
弟宛の手紙の誤配、そしてオークション。意図的に選ばれたであろう開催地。
おそらくひとつひとつのピースが呼び合わなければ、導き出される事はなかったであろう。
ドロロは不思議な因縁と、ケロン星、地球、そしてI-U378星雲・NO-56星系・2番惑星、通称『乾きの大地』に至る大きな輪の中に、脈々と生き続ける一人の男の執念を感じていた。
そして今日、オルルが忌み憎しんだ自身の母星にて、オルルが残したメモリーボールのオークションが開催される。
クルルの話を聞いた事で、ドロロにも全体像がうっすらと見え始めていた。
必ず勝たなければ。
その思いは一層強くなっていた。