■The Desert Frog
 

 

 


フリーウェイの休憩所より二時間と少し。やがて車は有刺鉄線に囲まれた地点に行き当たる。
その場所が何を示すか、何のために他者を拒むか。
惑星最大の国の軍隊が数十年もの長きに渡り、管理する場所。
蠍と毒蛇の楽園の中央に、我が友の眠る神聖な、そして緩やかな自殺に向かうこの星の最初の墓がある。

この地は殆ど雨に潤される事がない。
しかし彼を癒す荒野の風は、クレーターと赤茶けた岩肌を撫で、鎮魂の音色を伴って吹き続ける。





彼等の不在に気付いたのは、梅雨空が嘘のように晴れた初夏の夕刻だった。
「クルルがいない?」
ケロロが台所の洗い物の手を休め、振り返る。
「今日久しぶりに晴れたから、どっか出かけたんじゃないの?」
「出かけた? 奴が?」
ギロロは何か急ぎの用があったらしく、苛立たし気にあちこちを見回している。
確かにクルルは一昨日外出したばかりで、その時しこたま怪し気な物を仕入れて来た筈だった。
あの出無精がそんなに頻繁に出歩くとも思えない。
「うーん…… 基地内のどこかにいて、そのうち帰って来るんじゃないの?」
時折クルルは広大な地下基地の奥まった場所で、何が楽しいのか、唐突にコタツを広げて寛いでみたり、カウチを運んで自分スペースを作ったり、よく解らない気紛れを起こす事がある。
おそらく今日もその一環で、忘れた頃にひょっこりと出てくるのではないか。
そう言おうとした矢先だった。

「軍曹さーん、大変ですぅ!」
次に台所に飛び込んできたのはタママ。
まさか不在のクルルに関係する何かが、そう思った瞬間、タママは抱えたノートパソコンのモニターをケロロの目の前に突き出す。
「これは……」
表示されるのはナルトマークと、勢いよく縦横に走る「KULULUS LABO」のロゴ。
間違いない。
「クルル曹長にハッキングされちゃいましたぁ!」
「ハッキング!? 何でまた」
「待てケロロ、何か出た」
覗き込んだケロロのタイミングに合わせるように、画面いっぱいにクルルからのメッセージが流れる。

 ちょっくら野暮用を思い出しちまった、悪イなおっさん
 ドロロ兵長を借りるぜェ
 四、五日留守にするから、その間俺様のバーチャルペットの餌、やっといてくれ
 おっと、土産は期待すんなよ、餞別ももらってねぇからな
 財布もカラカラで干涸びちまうぜェ
 
「野暮用だと!? 何を勝手な事を!」
既に脳天に血が昇ったらしいギロロの言葉にタイミングを合わせるように、クルルのメッセージの続きの行が画面を横切る。

 ちなみにこのメッセージは受信後、あんたのマシンの全データを道連れにしちまうぜェ
 いろいろとヤベェからなぁ、クーックックックッ
 じゃなー、隊長

画面が唐突にブラックアウトし、電源が落ちた。
後に残るのは沈黙のみ。
あまりに一方的な交信だった。
「消えちゃいましたぁ……」
タママが慌てて再起動のボタンを連打し、OSを立ち上げ直したものの、全てはきれいさっぱりと初期化されてしまっている。
「ななな何でありますかコレ! クルル何考えてんの! つか一体ドコ行った訳よ?」
「ドロロを連れて行くと言っていたが…… 奴等の間に何かがあったとも思えんが」
「あーんダメですぅ、データリカバリも効きませんー。全部消えちゃいましたぁ」
「タママ君、そりは気の毒だと思うんだケド、今我輩達はクルルの行方をだネ……」
「え、でもコレ、軍曹さんのノートですけどぉ……」
「ゲェロォオオ、何ですとォ!?」
それぞれの思いとそれぞれの嘆きが交錯する中、更にモアが慌てた様子で日向家の台所へ現れる。
「……格納庫の遠距離用宇宙船がついさっき、無断で発進しました。追跡しようとしたんですけど、妨害がひどくて……っていうか『音信不通』?」
間違いない。
何が起きたのかはわからない。しかし今現在クルルがドロロを伴い、行先不明の旅路にいる事は確かだった。


 

重力から解放されたのは随分久しぶりだと思う。
思えば地球へ降り立ってからというもの、長く忘れていた感覚だった。
クルルはケロロのパソコンに仕掛けた、時限式の一方的なメッセージが作動した事を確認した後、席に着いたまま物思いに沈んでいるドロロを振り返る。
「なァ、先輩。そんな深刻な顔すんなヨ」
「……しかし、拙者には」
「リストアップした落札者候補だがな、先輩の弟だけがライバルって訳じゃねェみたいだぜ」
クルルが正面にあるモニターに映し出した名前の中には、ドロロの危惧した通り、彼の弟の名、そして偽名らしき二名。更に辛うじて読める他所の星系の名の四種類が存在している。
地球暦で言えば年に三度開かれる、準会員制の古式ゆかしい星間オークション。
エントリーは本名、オークション共通ID、偽名問わず。
身分証と宇宙共通のクレジットカードの認証で、誰もが可能となる。
「この偽名のうちのどちらかひとつが、クルル殿でござるか」
どちらだろう、とドロロは二つの綴りを辿る。
『Love & Peace & Justice』と『Trickster』。
両者ともあまりに胡散臭い。
「どっちも俺様らしくて笑っちまうだろ? 先輩はどっちだと思う?」
まさに偶然の産物にしては出来過ぎている。
ドロロの心の中には迷いが生じ始めていた。
他にこの分野で頼るべき相手を持たないドロロは、藁をも掴む思いでこの男に縋った。
しかし、それ自体が間違いでないという保証はどこにもないのだ。
全面的な信頼を寄せるには、この男は余りにも底が知れない。
同じ小隊に籍を置き、共に死線を潜り抜けた戦友とはいえ、幼い頃からの友人であるケロロやギロロに対する気のおけなさとは違う。
そんなドロロの胸の内に気付いての事なのか、クルルは立ち上がり、サイドのポケットから二人分の飲料を取り出す。
「疑り深いのは職業病かい?」
チューブを受け取りながら、ドロロは苦し気にゆっくりと頷く。
信じるべき唯一の相手に、真っ先
に疑いの目を向けてしまった事への後悔と、苦悩が見て取れる横顔だった。
「いいぜ、俺にとっちゃあんたのその顔が血判みたいなもんだ。……これからしばらくの間、同盟を結ぶんだからな。俺を無理に信じろとは言わねェが……」
クルルは唐突に普段使い慣れた万能リモコンを取り出し、ドロロの目の前に浮かせる。
何が起こるか考える間もなく、それはクルルの手で半分にぽっきりと折られた。
「ク、クルル殿」
「これで俺は丸腰だ。手足を奪われたも同然だぜェ。『Love & Peace & Justice』だ。信じてくれるよなァ? パートナー殿」
まるで投降するように両手を上げ、ひらひらとさせるクルルの表情が、態度に反していつになく真剣である事にドロロは気付く。
弟が関わる砂漠の惑星でのオークション。
謎めいた出品物。
そのどこにクルルが思い入れる箇所があるというのか。
「アレは俺様が取り戻すべき厄介なブツなんだ。ま、予想が最悪の結果だった場合に限るがな」
コクピットにクルルの笑いが響き渡る。
相変わらず捕らえ所のない相手だという感想は変わらない。しかし先刻垣間見る事が出来たこの男の真摯を、ドロロは信じてみようと思う。

目的地まであと地球時間にして一日の地点であった。




その頃、地球では。
ただならぬ様子を感じたケロロ以下小隊全員が、クルルとドロロが出向いた先についての手掛りを探していた。
しかしメッセージごと全記録を消去する念の入れ様を見る限りでは、おそらくどこにも痕跡は発見できないのではないか。
ラボの中央にあるクルルの席を片しながら、ギロロは溜息を吐く。
俺は蚊屋の外か。
ここしばらく最も近くにいたという自負があるだけに、今回の裏切りにも近い行動には、いつにも増して腹が立った。
相変わらず何を考えているのか、さっぱり解らん。
そう思いつつ、クルルがわざわざメッセージにして残した、唯一電源が灯されたままのノートパソコンの画面に浮かぶ、奇妙なバーチャルペットを覗き込む。
それは得体の知れない架空生物で、毎日数回疑似餌をやって世話をする事で、様々な特徴を持ったグラフィックの成体へ育つという話だった。
「くだらん」
そう呟きながらも、クルルの頼み事を無視できずにいる自分の律儀さを呪ってやりたい。
これを手に入れた当時の奴の喜び様も知っているだけに。
オークションだとか言っていた。
ギロロは何げなく顔を上げ、画面の右端に表示されたままのカレンダーを目で追う。
やはり今日の日付には何の印もない。
「手掛りなど残していく可愛気など、ある筈ないか……」
そう背を向けようとしてはっとする。
モアは遠距離用宇宙船と言った。
という事は、少なくとも目的地は今日の日付で到着できる範囲にはない。
ギロロは慣れない手つきで次々と近い日付をクリックする。
『conference』『N』『G』『conference』……
無造作に書かれたアルファベット一文字はおそらくクルルにしか判らないメモだろう。
今日の日付の『G』の文字が、明らかに後から横線で消されているのが忌々しい。
そしてギロロは二日目の予定に「auc」という三文字を発見する。
「何だ……『auc』? クソ、俺が横文字に弱いのを知って、奴め!」
頭を掻きむしるギロロの苦悩を他所に、画面ではペットが嘲笑うように縦横無尽に動き回っている。
もう少しで画面に八つ当たりをしてしまう所であった。
しかし、それをせずに済んだのは、ギロロの脳裏に過るものがあったからだ。
―――――オークションだとか言っていた。
バーチャルペットの入手経緯、そして『auc』の三文字。
これは意図的に織り混ぜられた、奴のメッセージだ。
好き勝手に泳ぎ回るクルルの尻尾を押さえた気がした。
直感から行動への俊敏さには定評がある。
ギロロはバーチャルペットに疑似餌を与えるのも忘れ、部屋を飛び出していた。

「ケロロ!」
ケロロは私室で使い物にならならなくなったノートパソコンを放り出し、デスクトップを立ち上げて遠距離宇宙船の行き先になりそうな場所を調べている所だった。
「ギロロ、何かわかったでありますか?」
「近日中に行われるクローズドのオークションを調べてくれないか」
「オークション!? 何でまた!」
「奴の残した手掛りだ!」
ケロロは目を白黒させ、それでもギロロの様子から何かを感じ取り、在地球異星人のためのアンダーグラウンドサイトをあちこち開く。
「どうだ、あったか?」
確かにオークションは開かれる。が、出て来た検索結果は余りにも多い。
「二千件越えてるヨ…… ネ、何かもっと絞り込みできる条件ない?」
「何!? オークションはそんなに開かれているのか?」
「うーん、最近意外なモノまで高値で売れるからさ。どこも盛況みたいだけど……」
虱潰しに調べるにも、ひとつひとつの場所や種類は多岐に渡り過ぎている。
ギロロは顎に手を当てて考える。
「何か、いい方法が……」
「つかさ、ギロロその『オークション』って何でわかったの?」
「それはだな」
クルルに頼まれたバーチャルペットに餌をやろうとした事。
そして同画面に表示されていたカレンダーに気付いた事。
更に宇宙船の飛行距離から近日中のスケジュールを割り出し、その中に『auc』の文字を発見した事。
経緯をかいつまんで話すと、ケロロはしばらく考え込む。
「ギロロ、あのメッセージの内容、憶えてる?」
そう言われてギロロは飛び飛びにキーワードを拾い上げてみる。
「確か、留守にするのは四、五日。土産は期待するな。……餞別はもらっていない。それと、……そうだ、財布がカラ……、とも」
「四、五日か。ソレ、往復にかかる時間と見て、ギリギリ三日以内に開催の分でありますナ。じゃこのうちのある程度はふるい落とせるから……」
ケロロの手がリターンキーを押すと、検索結果は167件とかなり核心に近付いた。
クルルの性格から想像するならば、ここまで解に繋がる道を用意しておきながら、その先を放置する事などありえない。
全くの愉快犯を気取るならば、おそらく数段難解なパズルを提示する気がする。
という事は、まだあのメッセージの中にヒントがあるのだ。

「あのう」
背後からタママとモアが声をかける。
彼等は宇宙船の行動半径を大まかに計算し、指令室から戻ってきた所だった。
「ああ、今ネ、クルルのメッセージを考えてたんだけど……」
ケロロが経緯を説明しようとしたのを遮り、タママが得意満面で挙手する。
「ハイハーイ! 僕今わかっちゃいましたぁ! あのですねぇ軍曹さん、あんまり雨とか降らない、砂漠の星を調べてくださーい!」
「はぁぁ?」
一同がぽかんと口を開けるのを無視し、タママはパソコンの前に進む。
「ほらぁ、早く! 一秒を争うんでしょお?」
「ああ、……ウン……」
半信半疑でケロロが167件の検索結果の中から、タママの言う条件に見合う星を探す。
結果、一件。
「ビンゴ」
口々に感嘆の溜息が漏れるのが聞こえる。
燦然と光り輝く検索結果がそこにあった。
おそらくクルルの出した簡易なパズルの最終解答だった。
「な、なんで解ったのッ!」
一同がタママに注目する。
人の輪の中央で、渦中の本人は本当に嬉しそうだった。
「だってェ、クルル先輩のメッセージに『お財布カラカラで干涸びる』ってあったじゃないですかぁ!」
意外に最後のヒントはベタだったらしい。
いや、単純ななぞなぞを解くには子供の感性が必要という事か。

『I-U378星雲・NO-56星系・2番惑星』

ともかくそれが今回のオークション会場、クルルとドロロが向かった先だった。