体力の温存を最優先に考えたとしても、精神が冒されてはどうにもなるまい。
とはいえ、この密閉された円柱形の空間は間違いなく心身を滅入らせる。
疲労していく気持ちを逸らすように、ガルルは起こった事を順に思い起こそうとする。
エフ大佐の護衛という任務を与えられたのはほんの数日前だった。
あまりに急な決定に戸惑ったのを覚えている。

エフ大佐自身はそれほど印象深い人物ではなかった。むしろ大佐という軍隊の階級が似つかわしくない、どちらかというと官僚的な空気を纏っていた。
おそらくこのH-238が形式上の独立を果たした時点では、ケロン寄り保守派の一司政官だったのだろう。かつてケロンが与えた大佐の階級を称しているものの、それはスライドされた地位であり、既にケロン軍の指揮下からは離れている。
そんなエフ大佐は、間違いなく現在行政機関を占拠している過激派武装集団と対立する存在だ。
「……拉致は、ケロンへのアピール目的。そしてスケープゴート」
H-238が数年前に独立した経緯をガルルは詳しく知らない。しかし大方の予想はつく。
一時もてはやされたH-238の硫化鉱石は、十年程度前から精製への手間からケロンでの需要が落ち込んだ。H-238のコロニーとしての価値は急落し、不必要なものとして即切り捨てられたのだ。
ケロンにとって植民惑星は利用価値の有無しかない。体よく「独立」という美辞に隠された欺瞞が、真の独立を求めていたリベラル層の神経をいかに逆撫でしたか、想像に難くない。
自分が生かされている事にも意図がある。 しかしケロンにとっては不利益な生だ。
ガルルの中で頭を擡げ始めるのは、 矢も盾もたまらない焦りと苛立ちだった。
―――――何が起きても絶対に諦めぬよう。……ギロロ君のためにも……
ドロロの言葉が脳裏に甦る。
しかし軍人である以上、時には切り捨てる勇気も必要だろう。
そう思い、まるで命が幾つも手中に存在するような言い方だと苦笑する。

いまだ絶え間なく流されているニュース音声は、全く変化のない内容を伝え続けている。
状況はまだ変わらないのか、そう思わせるための小細工なのか。
流暢なアナウンサーの発音は既に耳に慣れ、騒音としてはそれほど煩わしく感じない。
ガルルは事態が動き出す前に少しでも身体を休めるつもりだった。





陽が落ちて間もない夕刻。
ガルルが捉えられている場所を探るために、ドロロは封鎖されたままのエアポートに向かっていた。
ホテルを出ようとした時、例の犯行グループの一部がメインストリートを封鎖しているのが見え、ドロロは逃走の方角を敢えて変えた。思いのほか人数は多いらしい。
裏口の近くでホテルの従業員の子供らしい少年に話しかけられた。
「『ドクリツ』はどうなるの? せっかく『ドクリツ』記念日には歌ったりお祭りをして楽しかったのに、もうなくなっちゃう?」
その頭を撫でながらドロロは確信した。
やはり「彼等」は急ぎすぎている。この子供の目線こそがこの惑星人の生の思いなのだと。
叛乱など人の営みを切り離し、机上の論議だけで成し遂げられるものではない。力での制圧が成し遂げられたとしても、決して長続きはしないだろう。
「安心するでござるよ。大事には至らん」
ドロロは子供の不安気な顔を背に、建物を出た。
既に迷いはどこにもなかった。

『エアポートからは一度右折、ほぼ数メートルでまた右折、それから暫く直進の後の左折、その後はカムフラージュのためか狭い場所を四度周回』というガルルの証言に合わせ、実際の距離を割り出せば光明が見える筈だ。
ただしそれが仮想現実空間でなければ。
「……しかし、一体この火山活動はいつ収まるのであろうな」
低い地響きと振動は常に身体に感じられる。自分の鼓動のリズムと錯覚するほどそれらに慣れてしまった。
独立を志す者達はこの荒ぶる地に何を求めるのか。
半ば感傷的になろうとする気持ちを奮い立たせ、ドロロはエアポートのある広大な土地に出る。
惑星上での行き来に使われる大気圏内用の輸送機関のステーションに隣接し、観光客用のホテルが立ち並ぶ一角。それらはまるでぐるりと囲むような透明なドームの中に存在する。
頻発する大規模な噴火や地震への警戒心がそうさせるのか、この惑星には高層建築物が存在しない。
「一度右折」
距離感については何も聞かなかったが、体感にして長すぎずという所だろう。
エアポートからドームへと伸びる直線道路に目を遣ると、ほんの5メートルほどの地点に交差する箇所がある。
「あそこが最初のポイントという事でござるな」
ドロロは何をも視界を遮らない広々とした道路へと進む。その姿はゆっくりと背景に溶けるように消滅した。





体内時計ではほぼ3時間が過ぎたところだった。
浅い眠りを妨げたのは、絶え間なく流されていたニュース音に割り込んで来た肉声だった。
「ガルル中尉」
「……」
ドロロの『形態伝我』ではない。
円筒状だった独房の形状が変わり、唐突に目の前が開ける。あれほど圧迫感のあった壁面は嘘のように伸び、長い廊下となった。
「……不定形物質か」
その奇妙な構造の突き当たりから、例の犯行グループと思しき二人の男が現れる。
彼等はまるで用意していたようにガルルの前に立ち、手招きした。
「こちらへ」
思いのほか紳士的な物腰と言葉遣い。しかし交渉の結果次第でそんなものはいくらでも覆されるだろう。
「ほう、私を士官として厚遇していただけるのかな?」
「それは貴方次第です」
廊下へと足を踏み出した途端、長く円筒形だった空間はガルルを吐き出すように閉じた。
「私の部下はどうしている?」
「それも貴方次第です」
彼等が導く方向へ廊下は伸びる。この男達は対話を心得ている。
無駄口を叩く事でこちらに余計な情報を漏らすまいとしているのだ。
宇宙艇に乗り込んで来た時の手慣れた戦い方から考えても、彼等は素人ではない。
やがてガルルの目の前が再び開け、鉄の扉が現れた。
「こちらです」
「私一人に仰々しいものだな」
「我々は貴方をよく知っているからです」
開かれた扉の中は数メートル四方の長方形の薄暗い部屋だった。天井が低く、さっきまで閉じ込められていた円筒形の独房の息苦しさが甦る。
中央に置かれたテーブルには既に一人の男が着席してガルルを待っていた。
「ようこそ、ガルル中尉」

まだ年若い男だった。植民地であった数百年を経て、原住人とケロン周辺からの入植者の血は複雑に入り組んでいる。
目の前の男もまたそういう混血らしき顔立ちをしていた。
「挨拶が遅れて失礼した。私は『工巧者』の代表を務めているビイ」
ビイと名乗った男。彼はガルルを丁重に扱っているようで椅子からは決して立ち上がらない。『工巧者』と名乗った犯行グループは殊更に、自らの圧倒的優位を誇示しようとしている。
「単刀直入に言う。ガルル中尉、我々はあなたの協力が欲しい」
拒否される事など端から想像もしていないという口調だった。

「質問をさせてくれ」
「意味がない。あなたに選択肢はない」
「私の協力が欲しいのではなかったのかね?」
瞬間、ビイは黙った。
しかしすぐに思い直した様に顔を上げ、ガルルに向けて口を開く。
「……よろしい。条件が許す限り答えよう。しかし私は『ビイ』。『Be』だ。『工巧者』の代表だが何の権限もない。ただそこに存在するだけだ」
謎めいた台詞だった。
「厚意に感謝する。では『ビイ』。まず第一の質問、私の部下はどこだ」
「回答できない。回答条件にない質問だ」
「では質問を変えよう。我々はケロン軍人だ。承知の上での拉致なのだろうな」
ガルルの一喝。
もはやそれは質問ではなく恫喝だった。

「ガルル中尉、我々はケロンもケロン軍のこともよく理解している。あなたの事も調査済みだ。そしてもうすぐあなたの認識は変わる。あなたは我々を支持するからだ」
部屋の空気は冷え、凍り付くような緊張感に包まれている。
しかしビイは動じなかった。
「支持?」
「我々の起こした行動は間違ってはいない。そのことにあなたも気付くだろう」
「その根拠はどこにある」
「それも質問の一つか? よろしい。あなたをここへ呼んだ以上話すことになっていた」
自信に満ちあふれた口調を崩さぬまま、ビイが顎で促した。
「そこへ」
ガルルはビイとテーブルを挟んで置かれた椅子を引き、ゆっくりとそこに腰を下ろす。
少なくともここは敵の懐だ。全く何の展望も見えなかった先刻までの状況とは異なる。
ここで精一杯情報を引き出し、時間稼ぎをする事だとガルルは考える。





エアポートに降りた宇宙艇に横付けされたリムジンの大きさ、そして速度を見積もり、その条件に併せてドロロは歩を進めてみる。
ガルルの言葉通りに右折し、直進後に左折し、その後カムフラージュのために四度周回。
しかしその場所には何も見つからない。ただの広大な宇宙港の発着地点、そしてぽつぽつと観光客用の宇宙船が待機するのみ。
せめて何らかの人工建造物を見出そうとしたが、どこにも見当たらない。
「一体ガルル中尉を拉致したテロリスト達はどこへ消えたのか……」
ヴァーチャル空間を使おうにも、あまりに範囲が広すぎる。拉致にそこまで大掛かりな仕掛けを用意するだろうか。
目隠しをされていたとはいえ、あのガルルが記憶した道順を間違えるとは思えなかった。
再び地鳴りと共に揺れが走る。思わず腰を低くしながらドロロは考える。
「暗殺兵術・形態伝我」を使うにはこの場所は不向きすぎる。何より自分の身を隠す事に力を割かなければならない。
エアポートリムジンの走行痕跡は既になく、まさに五里霧中だった。
目隠し、そして周回。そこまで念入りに行動し、跡形もなく消滅するに至った謎。しかし暗殺兵術を駆使するドロロには、簡単に到達できそうなからくりでしかない気がする。
周囲にヒントを求め、歩く。取り立てて大規模な仕掛けは発見できない。
「では地中か」
ドロロは時折咆哮するように鳴る地面に耳を付ける。しかし地下が空洞である気配もなかった。
「面妖な」
空は既に群青色だった。あと1時間もすればエアポートに灯された光も半分になる。
しかし時間的な猶予はない。ガルルの置かれた状況が決して楽観視できるものではない事を、ドロロも感じている。
友人の兄という近いようで遠い存在が、この危機に急速に身近な地点に肉薄したような気がしたのは不思議だった。
焦る気持ちを抑えるようにドロロはその場に立ち尽くす。
―――――せめてこの身が闇に溶ける時間まで。
それは切実な祈りだった。





「我々の地球『H-238』はあなたもご存知の通り、過去鉱石採掘のための植民地だった」
ビイの話は唐突に始まった。
「ほんの少数の原住人は新たに齎された文明を歓迎し、甘んじてケロンの支配を受け入れた。また、この惑星に根を下ろすケロン人も多くいた。数百年の間不思議なほどの蜜月が続いた」
淡々とした口調で続く言葉の連なりがガルルの中で像を結ぶ。
ビイの話はガルルもよく知っている話だった。そう、支配被支配の間にも蜜月があった。ケロンの入植によってH-238はこれまでになく豊かになったからだ。
しかし鉱石の採掘が打ち切られた時、H-238は放り出された。
「豊穣は永遠には続かない。だが我々は長い夢を見てきた。ケロンによって齎された繁栄の幻影だ」
「そして『独立』か」
「そうだ。言葉の響きは美しい。しかしその『独立』に何の実質的な意味がある? ケロンにしてみればただの『育児放棄』に近い。まだ親に頼り切っているような未成熟な雛を、巣からたたき落とすような行為だ」
蜜月という名の共依存関係。ケロンとH-238はそもそもそういった不健全な間柄だった。
「ケロン側の庇護からは外され、それでいてケロンに経済的に依存するしかない。これをあなたなら何と呼ぶ?」
ビイの質問に『飼い殺し』という言葉が浮かぶ。
周囲に立っていた『工巧者』達が、ガルルの表情に満足そうな笑みを浮かべた。

「だから我々は蜂起した。H-238は我々の故郷だ」
それはまるで勝利宣言だった。
「我々は自身の手で独立を勝ち取る」
自信に満ちあふれた言葉。しかしガルルは大きく溜息を吐く。実質の伴わない『独立』ならば、彼等が嬉々として語って聞かせる『独立』もそれほど変わらない。
ましてや強大なケロンを敵にする事がH-238のためになるとはどうしても思えなかった。
「それでケロン軍人である私に一体何を求めるというのかね?」
溜息混じりのガルルの返事を待っていたようにビイが言う。
「我々にはあなたが我々に付いたという事実だけでいい。よい返答を待っている」

「残念だがそれは出来ない。私は軍人だ」
ガルルは即答する。
「私は部下について質問した。しかし返答は拒否された。腹の内を見せない相手には付けない」
彼等の出方がどう変わるか。「ビイ」以下『工後者』達の思惑はまだ何も明らかにされていない。しかしガルルは目の前の男達の様子に焦りのような余裕のなさを感じていた。
もしその判断が正しければ、時間稼ぎと共に形成を変えられるかも知れない。

「予想はついていた。ガルル中尉、あなたはそういう方だ」
ビイは少し笑みを浮かべるように言い、テーブルの上に出していた手を組み直す。
「交渉に時間をかけて我々が条件を譲るのを待っている。全く抜け目がない。……わかった。ここは譲ろう。ただしこれも想定のうちだ」
「想定?」
「我々は確信している。あなたが最終的には我々の目的と主旨に賛同することを」
その口調に何か薄ら寒いものを感じ、ガルルはビイが示す方向を見た。そこでは自分を連行してきた二人がモニタを用意している。

「我々にはそれほど余裕がない。あなたの部下二人は釈放した。彼等には役目がある。ケロンへ帰投して我々のメッセンジャーとなる事だ」
「それを簡単に信用しろと?」
「あなたがその目でご覧になればいい」
モニタに映し出されたのは、ガルルがエフ大佐を護衛してきた要人用の公用機だった。
画面に次々と開かれる拡大映像。そして内部にカメラが切り替わると、失神したままシートに拘束された年若い部下がそこにいた。
「私の部下は無事なのか?」
「手荒い真似をしたのはガルル中尉、彼等があなたを救い出すと騒いだからだ。人質としての価値は高かったが、屈強な軍人二人を抑えるために人数を割くのは我々にとっても本意ではない」
宇宙艇は自動操縦になっているらしく、航路を外れずにケロンへと進路を取る。
大きく肩の力が抜けるのがわかった。どうしても巻き込みたくなかった年若い二人は無事ケロンへと帰還するだろう。
―――――何事も起きなければ。

「このまま問題なく進めばあと一時間あまり。それまでにあなたには結論を出していただく」
ビイがまた手を組み替えた。その仕草に何か不吉なものが感じられ、ガルルは身構える。
「ガルル中尉、我々は切り札を離さない。あなたの気がかりが乗船している艇の爆破装置を起動させるかどうかは、あなたの意思次第だ」
組み替えた手が開かれる。
その中から現れたもの。
「我々はこんな物を使って脅迫などしたくない。あなたの気持ちを動かしたい。しかしそれが出来なかった時のための、これは言わば保険に過ぎない」
それは小さなリモコンスイッチだった。





ようやく辺りは闇のとばりに包まれ始めた。
これで身を隠すために集中力を必要とする「暗殺兵術」を使う事はなくなる。
ドロロはその場に座り、手にした丸薬を口にした。
それは地球の友人がドロロに持たせてくれた飢渇丸と呼ばれる非常用食物で、応急の疲労回復に効果がある。
「面目ない、小雪殿」
水で咽を潤すと、それまで休みなく身体を緊張させてきた疲れが急速に取れた気がした。
あれからガルルの状況はどう変わったか。
ドロロはかつて任地である地球で、ガルルの小隊と交えた一戦を鮮明に覚えている。それを指揮したガルル自身の事も。
幼馴染みのギロロの武骨で真っ直ぐな性質の基礎がそこにも存在し、それでいて独自の枝葉は細やかに行き届き、如才がない。
柔であり剛でもある、食えない指揮官という印象だった。
ガルルはまだ無事だ。おそらく何らかの交渉にその立場を利用される。そこに救出のチャンスがある。
しかし彼は人一倍誇り高いケロン軍人でもある。機会を誤れば最悪の選択をも躊躇せずに選ぶだろう。
『暗殺兵術・形態伝我』のために目を閉じ、心を集中させる。
―――――何が起きても絶対に諦めぬよう。ギロロ君のためにも。
前回の対話時に念を押した言葉を反芻する。
何があってもガルルを無事に救出しなければならない。最悪の選択をさせてはならない。
ドロロの意識は深い自身の底へ沈み、張り巡らされた網目を辿るように対象の意識を検索する。
深い闇に包まれたエアポート。
既にドロロは微動だにしなくなった。その姿は石に似て、静かに風景に溶け込んでいた。





起爆装置、そして突き付けられる銃。
ガルルが応戦するための全ての手段は封じられていた。
出来る事は卑劣な手段を用いようとする犯行グループ『工巧者』のメンバーを睨みつける事だけだった。
「私がこんな卑怯な手管に乗ると思うのか?」
「あくまで保険だと言った筈だ。あなたはいずれ我々の目的を理解するだろう」
「その可能性はたった今ゼロになった!」
思わず声を荒げる。おそらくこの周到さが彼等の犯行を成功させてきた。しかしそれは手段を選ばないという点で、評価はし難いと思う。ガルルの生理的な嫌悪感は増す一方だった。
「清廉潔白な軍人、か」
ビイは手の中でリモコンを弄ぶようにして呟く。その声にはどこか嘲笑のようなものが混じっていた。
「あなたは自分を高尚な魂の持ち主だと勘違いしているようだ。そして我々を下衆で卑劣な害虫か何かだと思い込んでいる」
「違うのか? 私には貴様等と害虫の差異など見出せん」
「確かに我々は手段を選ばない。それはケロンというあまりに強大な敵を前にしている故だ。そしてどんな方法を使っても勝たなければH-238は過去から前進できない」
「それで一体私という立場を何に利用する気だ!」
怒りが全身に満ちるのがわかる。ガルルは眠らされたままの二人の部下を思う。彼等はまだ若い。こんな不毛な交渉に利用されるほど軽い命ではない筈だ。
「……勘違いしないでいただきたい、ガルル中尉」
「何?」
ビイの口調が変化する。嘲けるようだった浅い笑いは消えた。
「我々が欲しいのはあなたの『立場』などではない。あなたの『意志』そのものだ」

一体彼等とは何者か。
勝つためには手段を選ばないと言い、形式上の利用ではなく敵に共感を求める。
ここまで折れない彼等の中には、何か信仰に近い共通の夢想が存在するのかも知れない。
倒しても倒しても転生への教義を呟きながら向かって来る、宗教に深く洗脳された「死を恐れない」兵士達を何度も見て来た。
ガルルは椅子に釘付けにされたままビイの次の言葉を待つ。
信念を疑わない純粋さは敵に回すと最も厄介である事は、経験上よく理解していた。

「あなたは我々を卑怯だと言う。だがケロンはどうなのか」
それはビイの中の説得のための切り札だったのだろう。
「……あなたはご存知か?」
ビイの視線がガルルの表情の変化を期待し、時折泳ぐように向けられる。
「このH-238には大勢の戦犯が潜伏している」
「戦犯?」
手応えを確信したか、ビイは流れるようにその先を語り出す。
「惑星間で裁かれた戦争犯罪人を、ケロンが故意に我々の故郷へ逃がしているという事だ」
戦犯の潜伏。
確かに戦乱の続く惑星間にて終戦工作にケロンが乗り出す事は多々ある。そして裁かれなければならない筈の戦犯が忽然と姿を消す事も。
「条約に反した残虐行為を行った者、星間法で禁じられた種族殲滅に乗り出した国家の指導者達。それらがまるでパスポートを手にするような手軽さでケロンに保護を申し出る。ケロンは秘密裏に開発されていた兵器や機密情報、あるいは高額の報酬と引き換えに彼等を辺鄙な惑星へと送り込む。……このH-238の植民惑星としての裏の顔がそこにある」
ビイは力強く言った。
もはや反論は許さないと言わんばかりに。
「あなたは我々を卑怯だと言った。だがケロンはもっと卑怯で老獪だ。……清廉潔白な顔をしたい、見たくないものを断固として見ようとしないあなたのような軍人も、罪状は同じだ」
糾弾するように振り下ろされる人差し指がガルルの目の前にある。
まるでケロンの代表に直訴するようなビイの、どこか恍惚とした表情。
ガルルは悟る。彼等はこの切り札をじっと腹の中に暖め、機会を伺っていたのだった。


―――――ガルル中尉。
更にたたみ掛けようとするビイの声とは違う。
ガルルの頭の奥深くにて呼びかける声がある。
―――――決して声には出さぬよう。状況はどうであろうか?
ドロロの『形態伝我』だった。ようやくこの場が突き止められたという事だろうか。
―――――今まさに犯行グループと接触している。対話は不可能だ。
―――――承知にござる。ガルル中尉の思考から大まかな状況を拾わせてもらうでござるよ。
―――――了解、全任する。
短い交信は終わった。しかしドロロの存在が傍にあるというだけで、部下を無事に帰投させるパーセンテージは格段に上がった気がする。
目の前のビイは気付いていない。
決してこちらの切り札に気付かせてはならないと思う。
「あなたが護衛してきたエフ大佐がどんな人物であったか。素知らぬ顔をして私利私欲のためのパイプを引き、ケロンと通じて来たあの男の話を聞かせてやろう」
そして尚、心の浅い部分を抉るようなビイの言葉に、ガルルは奥歯を噛み締める。
世界が表だけで成り立たない事など百も承知だ。
事実歴史のキーポイントで強大な力を見せつけるのは、平時隠されている裏側である事も。
「エフ大佐が隠匿した戦犯の記録には、条約で禁じられていた無差別人体実験を繰り返した某の名もある」
ビイの暴露が耐え難いのは自身が潔白だからではない。
軍人として生きてきた自分の中にある、底知れぬ闇に繋がるからだ。
「あなたはそんなケロン軍に籍を置き、命令に従い続けるのか?」
話は核心へと辿り着く。「彼等」はここへ到達するために遠回しな対話を続けてきた。
ガルルの反応を上目遣いに確かめながら。

光と闇、善と悪。その片方だけに追い縋ろうとした事もあった。しかし気持ちは間で揺れた。
自身の潔癖な性分と、達観しようとする冷静な目線は、心の内側でしばしば反目し合い混乱した。
頭で嫌というほど理解した筈の模擬実験が、手に触れ鼻につく不快な現実に敗北することもあった。
だがあまりに深い混沌故に、逆にガルルは性急な答えの導出を放棄することができた。
それは蘇生のために必要な、本能的な取捨の選択だった。

「あなたには我々の怒りを理解できる筈だ。ガルル中尉、我々と共に戦ってほしい」
ビイが最後通告のように宣言する。まるで勝利を確信するように。
確かに彼等にとってケロンは憎むべき存在で、戦うための大義も充分に存在する。
こうして『工巧者』は共通の怒りによって同志を募り、その収束力を高め、蜂起したのだ。

しかしガルルの中で答えは既に出ている。
自分は彼等の思い描く「清廉潔白」な像からは大きく乖離している。
目の前のビイ達を落胆させるのは野蛮な「不道」だろうか。それとも世事俗事に長けたような、粗雑な折り合いが信念となってしまった「結果」の方だろうか。
いや、他人にどう見えてもいい。
それが紛う事なき自分の生き方だとも思う。
回答を迫るビイの表情。
高潔であろうとするその真っ直ぐな瞳に、ガルルは衰亡の美を見出してしまう。





2009/07/01
 


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