■39°8'

 

 



それは、遠く遥かな場所で起こった対岸の火事となる筈だった。
地球という本星から遠隔地にいるケロロ小隊の面々に緊急通信が届いたのは、事件が発覚してから約五十時間。
既に二日が過ぎようとしていた。




久々の息抜きのための休暇となる筈だった数日間は、緊急事態を示すデンジャラスカラーに塗り込められた。
H-238惑星。
全体を覆う縦横無尽の火山帯は休まる間もなく活動期で、毎朝流されるニュースには噴火予報が必ず付け加えられる。
過去数百年間ケロン領の採掘場として栄えた後、数年前独立を果たした。
産業は主に火山帯特有の硫化鉱石採掘と、そこここに存在する温泉観光で、人口はまだ少数でありながら豊かな惑星国家であった。
ドロロはそんなH-238の首都から少し外れた温泉地にあるホテルにて、新興国家に起きた動乱を知る。

同じ頃、H-238からの使節であったエフ大佐をケロンから護送したガルルは、到着するなり数人の部下と共に拘束され、筒状の独房へと拘禁された。

H-238クーデターはこうして、あまりに軽妙に勃発した。
国家歴はわずか四年半。惑星自体の歴史もまだ浅い。
その日も首都近郊では新たな火山の噴火があり、避難した住民は沈痛な表情でTVニュースに見入る事となった。




壁はぐるりと身体を取り囲む形でほぼ円形を成しており、摩擦感を極力押さえた滑らかな材質で出来ている。
開閉式のトイレ、そして薄い毛布が床に直接置かれている他は、全く何も見当たらない。
食事を差し入れるために開く小窓すら無く、天井に小さな通風口が存在するのみ。
成体のケロン人ひとりが床に座るのが精一杯の広さで、長期戦になれば体力消耗は避けられないだろう。
閉所恐怖の気のある者には耐え難いだろうと思いつつ、ガルルはその身に叩き込まれた緊急事態用のマニュアルを、一通り試してみる。
まずは状況の把握。
拘束された時に奪われたのは両腕の自由と、身体に斜めに掛けていたベルト、通信機器、そして次元転送用の認証コードだった。
捕えられた部下は、やはり同じような独房へ放り込まれたのだろうか。
今回の任務はほぼ護送のみであったため、初顔合わせのメンバーが編制されていた。
ガルルは本来の部下である小隊を本星に残し、この惑星を訪れたのだった。
「確かに私のような狙撃手がメンバーの一員に組まれるということは、この惑星国家の政情に何かキナ臭いものを読み取っての事だったのか……」
奇妙な事にこの独房には、本来あってしかるべき「静寂」が欠けている。
盛んに流されているニュースの音声は、懇切丁寧に事件の経過を何度も報告する。
発端の銃声、犯行声明、行政機関の占拠、そして人質。
「これは罠か? ……それとも」
耳に入って来るものが実際の報道であるかどうか、判断する術はない。
しかしガルルはあえて思惑に乗る決心をする。
事態が動かぬ事には逃亡の機会もあるまい。
ガルルはただ流れる情報に耳を傾け続ける。




プライベートな旅にて大事に巻き込まれた事を、ドロロは小隊に伝えようとして思いとどまった。
通信が傍受される可能性がないとは言えない。
ではどうすればいいか。
おそらくこのままでは長期に渡って足止めを食らうだろう。
温泉地は中央の混乱が嘘のようにのどかな風景を見せていたが、それでもホテルを行き交う従業員や観光客の様子は、起こっている事への恐れや迷いを隠せない。
「……それにしても、大胆な犯行でござる」
ホテルのロビーにあるTVはニュ−スを放映し続けていた。
犯人のアピールをそのまま垂れ流した事で、この番組は結果的にアジテーションを広くアピールした事になる。
そんな共犯関係に気付いてか気付かないままか、アナウンサーは深刻な表情で口角から泡を飛ばし、同じ原稿を読み続けていた。
グループは表立った行動を起こしている人数が、ほんの十数名。
占拠されたのは首都の行政の中枢、中央議会の議事堂であった。
そこには議員数名が人質として拘束されているらしい。
「独立を果たしたばかりの新興国家故に、中央権力がまだ弱い状態のところへ……」
貧富の差という太古からの普遍的なフラストレーションが蓄積された。
よくある事だ。
そう流し、部屋へ戻って今後の事を考えるべく踵を返そうとしたドロロは、突如起こった画面の乱れに目を留める。

―――――何か今、……見覚えのある色が……

俄にスタジオに割り込んだ映像。そしてそこに映し出されたもの。
それは三脚の椅子と、その上に座らせられたケロン人達の姿だった。
『我々は中央議会並びに、ケロン人三人を人質にしている。我々の要求は……』
犯行グループのうちの一人がゆっくりと、紙片に書いたらしき声明を読み上げる。
ドロロはその背後の椅子に座らせられた三人の、右側の人物を確認し、思わず声を上げていた。
「あれは……! ガルル中尉!」

確かにこの惑星は長くケロン領であった。
ケロン人の人質が如何に重要な意味を持つかを想像すると、犯行グループがどこまでも本気である事がわかる。
ケロン領を離れ独立したと言いつつ、未だにケロンに経済の一部を押さえられている形のこの惑星を、完全に支配の手から切り離す目的なのだ。
「しかし…… いくら何でも急ぎ過ぎであろう」
理想は理解できる。しかしその手段も、容易に想像できる結末も、決して惑星住民のためになるとは思えない。
「それにしても、ギロロ殿の兄上が巻き込まれているとは……」
ドロロは瞬間的に映し出された映像の中の、印象的な紫色の体色を反芻していた。
恩ある幼馴染みの兄の窮地であるという思いが、どこか他人事であった事件を自身のものへと認識させる。
やはりここは居合わせた自分が動くしかない。
ドロロは改めてロビーを去り、自室へと歩きはじめる。




流れ続けるニュース音声の背後にて、低い地響きのような腹に響く音が絶えまなく続いていた。
近隣にある火山が活動しているらしい。
ドームに守られた首都にまで振動が響いてくるということは、大規模な地震が発生しているのかも知れない。
体力を温存するために、ガルルは毛布に包まったまま独房の床に座っている。

拘束された時、銃を抱えた犯人は二人だった。
政府高官のための公用機のエアポートで待機していた彼等は、出迎えのような素振りで機内へ突入して来た。
彼等の訓練は付け焼き刃ではなかった。まず彼等は爆発物を使い、巧みにエフ大佐と護衛一人、そしてガルル達を分け、互いを盾とするように立たせて拘束した。
彼等がニュースで盛んに報道されている中央議会を占拠した一派とは別だとすると、犯行グループの人数は更に増す事になる。
「……ということは、このまま我々が無事に帰還できる可能性は更に下がる、という事か」
溜息が漏れる。
先刻からそこここを軽く叩き、その向こうにある物を探ってみた。
が、光沢だけが無気味な壁の奇妙な材質は、奥行や厚みを測る事を拒絶する。
そして、どこからも反響してくる音はない。
「傍には誰もいないらしいな」

出口なし。
この独房へ放り込まれてほぼ三時間が経過しようとしていたが、未だに誰とも対話していない。
先刻差し入れられた食事は唐突に次元転送で目の前に現れるという念の入れようだった。
しかしこうして生かされているという事は、何らかの惑星間交渉に使われるという事なのだろう。
自分の存在が母星に害悪を齎すなど、あってはならない。
ガルルはゆっくりと目を閉じ、どうすべきかを考える。
例えば、最悪の事態を想定するならば。
自決という二文字は絶えず脳裏にある。勿論そのものへの躊躇はない。
しかし今回の任務に選抜された、年若い二人の部下を巻き込む事は躊躇われた。
円柱状の部屋の底、ガルルは再び大きく溜息を吐く。

―――――……ルル、……い…… ちら……

「!?」
微かに耳奥を何か、馴染みのある感覚が過った気がした。
周囲を見回すものの、そこは相変わらずつやつやとした無機的な壁に囲まれた、小さな独房だった。
火山活動による空耳かと思い、ずり落ちた毛布を引き上げようとした時、再び耳奥を通過したもの。
それは初回よりずっとクリアに、音声となって響いた。

―――――……ガルル中尉、この声が聞こえるでござるか?

「その声は…… ゼロロ、いやドロロ兵長か?」


特殊部隊という括りで名を馳せる「アサシン」は、多々あるケロン軍の「特殊部隊」の中でも特異な集団であった。
その人智を超えた技や恐るべき身体能力は、育成される過程すらが神秘のベールに包まれている。
育成のために毎年おそるべき額の予算が組まれているとか、機密に触れ全ての記憶を洗い流され廃人になった者がいるとか、「アサシン」を巡っては禍々しい噂も数多く存在した。
小隊には「アサシン」の一員であるゾルル兵長が所属しているが、ガルルも彼の全てを把握しているわけではない。
そんな機密に守られた部隊のトップにまで昇りつめた男が今、自分に呼び掛けている。

―――――盗聴の危険がござる、声帯による発声は控えていただきたい、ガルル中尉。
「しかし、どうすれば」
―――――『暗殺兵術(アサシンマジック)・形態伝我(ケイタイデンワ)』。心の周波数を合わせて直接語りかける技でござる


どのような修行を積めばそんな事が可能なのか。想像もつかない。

―――――暗殺兵術は有事初動の待機技能であるから、拙者も全てを把握している訳ではないが……
―――――そうか、こうして思い浮かべた事を読解するという事か。挨拶が遅れて済まなかった、ドロロ兵長
―――――それよりガルル中尉、一体なぜこんな事に?
―――――この惑星の要人護送の任務を受け、宇宙港で拘束されて今に至る。それよりあなたは一体何故ここに?
―――――私的な休暇でござる。

ドロロの説明は簡潔だった。
休暇に訪れたこの地にて首都の混乱と、ケロン人三名の拘束を知った。
現在は情報収集中だが通信傍受の危険があり、本部や小隊へはまだ何も知らせていない。
今ようやく暗殺兵術にてガルルにコンタクトを取る事に成功した。

―――――必ず拙者が救出するでござる。今おられる場所は果たしてどこであろう?
―――――目隠しされて連れて来られた。しかしエアポートからは一度右折、ほぼ数メートルでまた右折、それから暫く直進の後の左折、その後はカムフラージュのためか狭い場所を四度周回した。
―――――了解仕った。至急目星をつけるでござる。

ようやくこの状況に光明のようなものが見えてきた。
ガルルは心底ドロロの存在を頼もしいと思う。
しかし、ほんの短時間の交信ながら、ドロロの声が鮮明さを欠き始めた事に気付く。

―――――この術は体力を消耗するようだな。休息してくれドロロ兵長。
―――――かたじけない。……しかし、ガルル中尉。

声の調子は淡く、弱々しく変化しつつある。
しかし念を押す言葉、そして口調は力強く、決意が漲っていた。

―――――何が起きても絶対に諦めぬよう。……ギロロ君のためにも……

語尾は殆ど聞こえなかった。
返信を待たぬまま、ドロロの交信はそこで途絶えた。

再び何事もなかったように辺りは火山活動の低い地響きと、絶えまなく流されるニュースの音声に満たされる。
しかしガルルは、ドロロ兵長というひとつの希望を手に入れていた。





2007/12/12