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scientific essence - 15 …………
「精神感応って言葉を知っているかい?」
「精神感応?」
「そう。例えば、鬱状態の患者を鬱状態の患者と一緒にしてはいけないっていう鉄則があるんだけど。鬱は鬱を併発するっていうのかな。互いに引っ張り合って症状が退行したりする。そういう影響のことを指す言葉なんだけどね」
 ベッドの脇の椅子に腰掛けながら、周防さんが優しそうな表情で説明してくれる。お見舞いに来てくれた周防さんが持ってきてくれたのは高級和菓子の詰め合わせセット。花の形を真似た見た目も楽しいお菓子を僕は遠慮なくパクついて、シイナがそれを呆れたように見ていた。でも、呆れながらもきちんとお茶の用意をしてくれる。シイナの入れるお茶は本当に美味しい。湯飲みはシイナがお気に入りの店から選んできてくれたという九谷焼の一品だった。
 肩を撃たれた傷は弾が貫通していたのが幸いして全治一ヶ月程度だと診断された。入院自体は二週間程度でもいいと言われたけど、僕の入れられた病院ってのが、そもそも研究所の医局だったから同じ建物内の違う部局にいるだけで、あんまり入院しているって感じはしない。ちょくちょくサツキも顔を出しに来るし、周防さんも時間があるときはお見舞いに来てくれる。他の顔見知りの研究員の人もポツポツ遊びに来てくれるから、そう退屈というわけでもない。
 僕達を監禁した連中は、結局神林に全員逮捕された。どっかの大きな会社の技術部がやったことらしいけど、どうも会社ぐるみで以前から犯罪に手を染めていたらしく、シイナの以前の誘拐にも深く関わっていたみたいだった。今は会社ごと本格的に捜査されているという話だったけど、もう、僕にもシイナにも関係ないから正直どうでもよかった。
 僕が撃たれて病院に運び込まれた日以来、シイナは殆ど付きっきりの状態で僕の病室にいてくれる。医局のコネを使って無理に運び込んでもらった簡易ベッドで夜も一緒に寝てくれるから、怪我人だけど少しも退屈しないどころか楽しいくらいだ。もちろん、肩の傷は決して軽くはないからあんまり不埒な真似はできないんだけど。
「それとは逆にね、回復に向かっている患者と患者を触れ合わせることによって回復速度が加速する相乗効果を現す症例もまれにあるんだ。サツキはね、君達にソレを適用しようとしたんだ。ミチヤ君もシイナ君もある程度までは回復しているのに、その先が一向に進まなかったからね。現状を打破するために、あんな大掛かりな芝居を打って君達を接触させた」
 周防さんがお茶をすすりながら説明してくれた内容に、そうだったのか、と僕もシイナも複雑な気持ちを隠せない。確かに僕とシイナの状態は似ていた。症状はかなり回復の兆しを見せていたのにも関わらず、最後の一歩が踏み出せなくて、外部との接触を、僕は無意識的に、シイナは意識的に避けていた。
 soulful dollを演じろだなんて言ったのも、動物を用いた心的外傷患者の治療及びその汎用性の研究の為だなんていうのも全部嘘。それは、サツキが僕とシイナを癒すために用意した、大掛かりな、けれどもとても優しい嘘の計画だったのだ。
「でも、俺はずっと反対していたんだ。下手をすれば二人とも症状が退行しかねない。そんなリスクの高い方法は止めろと言った。それで暫く対立していたんだけどね」
 周防さんが苦笑いを浮かべながら言った言葉で僕は思い出した。一時期二人が険悪なムードになって、周防さんがサツキに向かって『二兎を追うものは一兎も得ず』と忠告していたのはこういうことだったのかと腑に落ちた。
「結局サツキは俺の言うことを聞かなかった。ミチヤ君のことになるとアイツは本当に冷静さを失って困る」
 僕を何とか回復させるために。サツキはそんな無茶な治療計画を立てたのだろう。そしてシイナのことも。その愛情がくすぐったいような嬉しいような、そんなあったかい気持ちになった。
「もっとも、サツキもさすがに、こんな事件に巻き込まれるなんて夢にも思ってなかっただろうけどね。君達が監禁されていた一週間のサツキは本当に大変だったよ」
 普段は滅多に動揺したりしない、どこか人を食ったかのようなサツキが寝食を忘れるほど心配していたらしい。僕らに何かあったら自分のせいだと泣きじゃくっていたというから驚きだ。でも、僕と再会した時にはケロッとした顔をして、
「その程度の傷じゃ死なないわよ」
とか言ってたけど。
「でも、まあ、それも結果オーライというか。皮肉と言えば皮肉だけど、結果的にはあの事件のお陰でシイナ君は大分症状を克服できたわけだからね」
 周防さんがシイナに目をやりながら悪戯な口調でそう言うと、シイナは苦笑を浮かべて肩をすくめて見せる。
 シイナが乗り越えられなかった広場恐怖症や対人恐怖症、それが結局はすっかり治ってしまった。そもそも、ケイジさんに突然触られただけで気を失っていたシイナが監禁されている最中に、ただの一度もそんなパニック症状を起こさなかったのだ。それに気がついたのは結局、何もかもが終わったあとだったんだけど。
 シイナは、
「人間死ぬ気になればなんだって克服できるんだって思った」
とさばさばとした顔で笑った。それと、絶対に守らなくてはならないと思える存在が近くにいれば、パニックなんて起こしていられないとも。それは、僕も全く同じ気持ちだった。僕があんな状態で暴力を受けても、暗闇に引き戻されなかったのは、ひとえにシイナの存在があったからだと思う。そう言ったら周防さんは、
「人間の真理だね。守るべき人ができた時に、人は本当の意味で強くなると言うけれど」
と優しそうな笑顔を浮かべた。



「それで、結局、シイナ君は決めたのかな?」
「はい。こちらの研究所のバイオテクノロジー部門に入れていただくことにしました」
「そう。じゃあ、この書類を渡しておくよ」
 周防さんが差し出した書類を、シイナは少しだけ緊張した顔で、宝物でも受け取るようなこわごわとした仕草で受け取った。
 心の病を克服して、シイナはとても前向きになった。数日間悩んだ後、やっぱりもう一度科学の世界に身を置き、研究をしたいと僕に相談してきたから、僕はそうするのが良いと思う、と背中を押した。僕も研究所の情報部門に正式な職員として登録するつもりだと伝えたら、シイナはとても嬉しそうに笑ってくれた。
「とても嬉しいよ。優秀な職員を一時に二人も獲得できるなんて、研究所にとっては実に幸運なことだと思う。でも、サツキは最後までミチヤ君を自分の部署に入れたかったらしいけど?」
 周防さんがからかうように言うので、僕はげーっと大袈裟にうんざりとした表情をしてやった。
「サツキの下でこきつかわれるなんて冗談じゃない。悪魔に魂を売り渡すようなもんです」
 僕がそう言ったら周防さんは声を立てて笑って、僕は後ろからギューッと悲鳴を上げてしまうくらい強く耳を引っ張られた。
「イッテー!!」
 叫んで振り返れば、件の悪魔が仁王立ちしていた。サツキ、アンタ、今、気配無かったんですけど…。
「ったく、口ばっかりは相変わらず一人前なんだから。ま、所属の件は諦めたけど」
 そう言いながら、サツキは周防さんの隣に腰を下ろす。すかさずシイナがサツキのお茶を入れに行って、僕は感心してしまった。
「シイナ君、ありがとう。シイナ君の入れてくれたお茶、すごく美味しい」
 僕に対する態度とは180度も違う優しげな笑顔でサツキが言うと、シイナは嬉しそうに頬を赤くした。絶対、シイナはサツキに対する認識を間違っている。そうに違いない。
「そうそう、ミチヤにずっと聞きたかったんだけど」
 シイナの入れたお茶を本当に美味しそうに飲みながら、サツキは暢気な口調で僕に話しかけてきた。食べかけの和菓子から僕は顔を上げる。怪我したのは大変だったけど、お見舞いの品としてこんなにたくさん和菓子をもらえたのだけはラッキーだ。
「何?」
 尋ね返してお茶を一口すする。
「シイナ君とセックスした?」
 至極あっさりと、今日の天気を尋ねるように聞かれて、僕は一瞬何を聞かれたのか理解できず、だがしかし、次の瞬間にお茶を噴出していた。シイナも真っ赤になってガチャンと急須を下に落とし、決して安くはないだろう九谷焼のソレが見事に割れた。
「な、な、何!? サツキ、アンタ、何てこと聞くんだよ!?」
 僕があたふたしながら文句を言うと、サツキは何を思ったのか、つまらなそうに、
「ふーん。その様子じゃまだか。甲斐性無しね。未だにエッチもしてないなんて。それじゃ、まだ、検体には不適合だわ」
と言った。そのサツキの言葉には突っ込みどころが満載で、どこを突っ込めばいいのか正直迷ったんだけど、それよりも何よりも、一番最後に言った言葉が引っかかった。
 検体? 検体って言ったか、この女?
 僕は嫌な予感を抑えきれない。聞かないほうがいい、きっと聞かないほうがいいとどこかで警告している自分もいたのに、我慢しきれずに聞いてしまった。
「……検体って何?」
「うん? ミチヤには見せたことなかったっけ?」
 そう言いながら、サツキは一冊の本を取り出した。表紙には『恋愛のメカニズム』とタイトルがピンクの可愛らしいフォントで書いてある。著者名は『片桐サツキ』。
「シイナ君には一冊上げたことあるんだけど、覚えてる?」
「おぼ…えて、ます…けど…」
 シイナは可愛らしく頬を赤く染めたまま、それでも訝しげな表情でサツキを見つめている。
「人が人に惹かれるのは、種の保存の本能で、より強い個体を生み出すために、免疫パターンが違う人間程惹かれあうって研究なんだけど」
 そう言いながら、サツキは僕にその怪しげな本をポンと手渡した。

 嫌な予感がする。
 とてつもなく嫌な予感が。

「それって次世代を残せない同性間でも当てはまるのかどうかを調べたかったのよ。それで、以前に血液検査したときの結果を見たらね、すごいのよ。ミチヤとシイナ君。免疫パターンが見事に違ってて、男女間だったらこれで恋に落ちなきゃ嘘だ! って組み合わせだったの。だからね」
 そう言ってサツキはにっこり笑う。シイナは頭が真っ白になったようで、絶句していた。
「二人が恋に落ちるのは最初から予想の範囲だったんだけど。セックスした後に、免疫パターンに変化があるかどうかが、凄く気になるのよ。だから二人ともセックスしたらもう一度血液検査させてね?
 それにしても、ミチヤもシイナ君も治療した上に、自分の研究の臨床例まで実現するなんて、一石二鳥ならぬ一石三鳥でしょ? やっぱり、私の言うことは間違ってなかったと思わない? ねえ、ユズル?」
 サツキは得意げな表情でそんなことをほざいた。周防さんは気の毒そうな苦笑いを浮かべて僕達を見ている。僕は、最初、思考停止してしまっていたけれど、次第に沸々と怒りが湧いてきた。
「…………………………………………………………サツキ」
 地を這うような声で呼んでもサツキは
「何よ?」
と、いけしゃあしゃあと返事をしただけだ。

 堪忍袋の緒が切れた。仏の顔も三度まで。
 そんな言葉が頭の中を駆け巡る。

 今度という今度は我慢できないと、僕が卓袱台返しをしようとしたその瞬間だった。
「セックスなんかしません!!」
 怒りに顔を真っ赤にしたシイナが大きな声で叫んだのは。
「ミチヤと、セックスなんか、絶対、絶対、絶対にしません!」
 その剣幕に、僕も、サツキも、周防さんも唖然としていたけれど、シイナは尚も続けた。
「絶対にしないから! だから、僕は検体になんかなりません!」
 それからシイナはワーンとマンガみたいに泣き叫びながら病室を飛び出してしまった。僕はしばらく呆然としていたけど、不意にハッとして、その後を追おうとした。でも、肩に重傷を負っているのでそんなことはできなかった。
「サツキッ!! どうしてくれるんだよ!! あんなじゃ、当分、本気でセックスさせてもらえないじゃないかっ!!」
 腹いせ混じりにサツキを怒鳴っても、反省のはの字もしやしない。
「知らないわよ。さっさとヤっとかないミチヤが悪いんでしょ? それに、ミチヤだって言ってたじゃないの。科学で解けないものはないって。恋なんて脳内分泌物質の結果だし、科学で解明できるんだって」
 …言った。確かにシイナと出会う前にはそんなことを言ったこともある。


 あるけど!!!






 Scientific Psychology。
 人のココロの科学的分析。
 ココロの平穏も安息も、ヨロコビもカナシミも全ては科学で解明できる。





 Scientific Essence。
 科学の本質。





 科学で解けないものはない?









 前言撤回。
 世の中には、科学で解けないほうがいいことも往々にして存在する。











--------------end.




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