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不確定Q&A@−1 …………………
Q1.五年の歳月は人間を変えてしまう。○か×か。




 天高く馬肥ゆる秋。

 夏の名残もすっかりと消え去り、随分と高くなってしまった秋晴れの空の下、同じ制服を着た学生たちが一様に生徒玄関に向かって歩いていく。
 いつもの朝の風景だ。
 二宮奏はそんな変わり映えのしない風景を二階の教室の窓から眺めていた。

 没個性。

 そんな言葉が頭の隅を掠めたが、ふと奏の視界に入った栗色の頭はその言葉にはどうやら当てはまらないらしい。
 まわりの人間がチラホラと視線をやるのを気にも留めず、その栗色の頭・・・佐宗郁人は悠々と玄関に向かって歩いていた。
 奏はその日本人離れした外見を見下ろしながら憂鬱そうに溜息をひとつこぼす。
 栗色の髪の毛と鳶色の瞳。頭ひとつ飛び出た長身は彼の中に流れる四分の一の血がなせるわざらしい。
 幼いころは、さほど奏と身長差があったわけでもなく、また、外見に然程頓着しなかったせいもあって、こんなふうに憂鬱な気分にさせられることなどなかった。

「ういース。」
 不意に後ろから声をかけられて、奏は気だるそうに振り返り
「はよ。」
 と等閑に返事を返した。振り返った先には磯野貴史が立っていた。奏よりも10センチ以上は高い長身に赤く染めた髪の毛、耳にピアスは校則違反だが、教師たちは成績さえ良ければ鷹揚であるから、取り立てて注意をされたことは無いらしい。
 この外見にあの成績は詐欺だと、奏などはいつも文句をつけているが、貴史本人は頭の悪そうな外見に優秀な頭というのが格好良いのだと言って憚らない。もちろん、奏のように外見も優秀そうで頭も優秀なのも好ましいとも。
「何だよ、カナちゃん不機嫌。生理?」
 奏のぶっきらぼうな返事に拗ねたような口調で、ふざけた事を言うのは貴史のいつものお遊びだ。
 奏が自分の母親似の外見にコンプレックスを持っていてそういった類の冗談を殊に嫌うことを知っていながら態と言う。もっとも、こんな冗談を奏が許すのは貴史を含めた仲の良い幼馴染数人に対してだけである。
 他の人間がそんなことを言おうものならば、外見とは裏腹な手の早い奏の鉄拳が即座に飛んでくることだろう。
 真っ黒なサラサラの髪の毛をこざっぱりとした長さで切りそろえ、当たり障りの無い無難な髪形にまとめているのにどこか垢抜けた印象を受ける。
 髪と同じく真っ黒な目はとりたてて大きいという訳では無かったが、黒目がちでいつも潤んで見えるのが妙に艶っぽいと貴史は評する。
 その目で上目使いに貴史を睨み付けると、奏は地の底を這うような声を出した。
「ざけんな。」
「おーコワ。で?何見てんの?あん?ユキ?」
 奏の横に並び、だらしなく手摺にもたれながら同じように貴史が眼下を見下ろす。
「大勢の中にいても目立つよな、アイツ。」
「そうよね。何ていうの?カリスマ性?だっけ?なんか、オーラが違うよね。」
 横から急に会話に割って入ってきたのは長瀬里佳だ。里佳は鞄を机に放り投げて奏と貴史のいる窓際に近づいてきた。
「ハヨ。カナちゃん、今日も美人ね。」
 全く色を入れていない地毛だというサラサラの茶色い髪を掻きあげながら里佳は奏に声をかける。こんな軽口が許されるのは里佳だけである。
 スラッとスタイルのいい体型に大きなアーモンド形の瞳。どう酷評してもブスとは言い難い外見をしていながら、里佳は奏の外見を羨む。
 自分の外見が些か軽薄に見られるらしく、遊び相手と思われることが多い、というのがその理由だった。もっとも、奏にとっては迷惑千万な羨望であるが。
「うるせえ。」
「ガラ悪〜。何?生理?」
 奏の邪険な態度に気を悪くするでもなく、クスクスと笑いながら里佳も軽口を叩く。
「お前、カツオと同じ発想。」
 ぶっきらぼうに奏が言ってやると里佳はゲっとあからさまに嫌な顔をして、貴史は軽く奏の頭を小突いた。『カツオ』は貴史の小学生時代の不名誉な渾名である。
「それヤメレ。俺の名前は磯野貴史だっつの。」
「良いじゃん。カツオはカツオってカンジだもん。」
「うるせ、ブス。」
 ゲラゲラ笑いながら軽口が叩き合えるのは、二人とも小さなころからの幼馴染で気の置けない仲間だからだ。

「お。王子が呼び止められましたぞよ。臙脂のネクタイは一年生ですな。」
 ふと、眼下の光景に変化が見られた。三人が見下ろしているその中で郁人が一人の女生徒に呼び止められ、人気の少ない建物の陰に呼び出された。
「朝っぱらコクられてるぞ、おいおい。さすが王子でんな・・・って、里佳、王子って何よ?」
「いやーユキのニックネームらしいよ?奈々ちゃんに聞いたー。」
「なんじゃ、そりゃ、ミッチーかっての。」
 貴史はゲラゲラと笑いながら郁人が告白されている(らしい)姿を眺めている。奏はそれを尻目に大きくため息をついた。
「何よー。おっきな溜息ついて。何か悩み事でもあるの?カナちゃんらしくない。」
「だから、うるさいって。俺だって悩みぐらいあるんだよ。」
「何よー悩みって?まあ、憂えてるカナちゃんも何か色っぽくて良いけど?」
「何だよ、それ。」
 奏が訝しげに里佳を睨み付けるとその脇で貴史が面白そうにニヤニヤ笑った。
「言葉のまんまでしょー。奏、自分のニックネームも知らねーだろ?」
「自分のニックネーム?何だよ?それ?」
 奏が眉を顰めたまま問い返すと二人とも答えずに意味深にクスクスと笑いあった。
 目の前では玄関脇に立ち並んでいる銀杏の黄色い葉がサラサラと揺れている。ポカポカと暖かい日差しが差し込む教室の窓辺で、仲の良い幼馴染と戯れている朝の風景。
 何もかもが、今まで奏にとっては当たり前の日常だった。そして、これからも続くはずの。
 溜息など似合わない風景に、それを差し込んできたのは眼下を小走りに玄関に向かって走ってくる男だ。
 建物の影に一人残された少女はどうやら泣いているらしかった。
「振ったみたいね。」
「ま、順当な結果だろ。」
 先ほどより幾分冷めた口調で貴史と里佳が目の前の光景を推理した。奏はもう一つ小さな溜息を落とす。

 五年前に突然目の前から去ってしまった一番の親友が、去ったときと同じく突然に戻ってきたのはほんの一週間前の事だ。
 何の言葉も無く去った親友を思い、傷つき、寂しがり、泣いた日もあった。それをようやく思い出話に出来る頃になって郁人は戻ってきた。そして、奏の隣の位置にスルリと入り込んだ。
 微塵の戸惑いも、遠慮も無しに。
 奏は下手をすれば馴れ馴れしいとも取れる郁人の態度に戸惑い続けているというのに。

 軽快な靴音が後ろから聞こえる。ドサリと鞄を机の上に投げる音が聞こえて、トンと肩に手が置かれた。
「オハヨウ、カナ。」
 慌てて教室まで走ってきたのか、少し息の切れた声で奏の耳元に挨拶の言葉を吹き込む。
 その低く響く声に奏は微かに肩をすくめた。
「オハヨウ。」
 奏が小さめの声で返事をすると郁人は、これ以上は無いと言うくらい嬉しそうな顔をする。その癖、その表情は「無邪気さ」とはかけ離れて見えるのだ。
 耳元にわざわざ口元を寄せて挨拶するのさえ、態となのではないかと奏は穿った見方をしたくなる。五年前とは明らかに違う、とうに声変わりを終えた男の声。初めて聞いたときは別人の声だと奏は愕然としたものだ。
 けれども、郁人は奏の戸惑いなど気がつかぬ振りで当然のように奏の隣に並ぶ。あたかも、最初からそこは自分の場所だと言わんばかりに。
「さっきの一年、なんだったの?」
 意味深な表情を浮かべ里佳が尋ねると、郁人は苦笑いを漏らす。
「あー。なんか、付き合ってくれって。」
「断ったんでしょ?」
「まあな。俺、この学校に来てから、まだ、一週間なのにな。」
「ユキ、顔だけは良いからねえ。」
「何だよ、顔だけって。それを言うなら里佳だろうが。」
「ひっどー。」

 屈託無く郁人と会話を交わす里佳をぼんやりと眺めながら奏は複雑な心境に追いやられる。里佳も貴史も五年のブランクなどなかったかのように郁人と接する。
 五年前と何も変わらない幼馴染のスタンスで郁人と付き合っている。奏だけが、それについていけない。
 奏は自分が五年前と比べて然程変わったとは思えなかった。
 変わったのは郁人だ。
 以前は同じ高さの視線だったのが、今では10センチも差がついてしまった。
 一緒のトーンで笑いあった幼い声は、いつの間にか脳の中に直に響くような低い声になってしまった。
 あどけない光を宿していたはずの鳶色の瞳は、奏には読み取れない何かを潜めているようになった。
 まるで、自分だけが子供のまま取り残されてしまったかのような心細さ。
 里佳や貴史と一緒にいても感じることの無かった感情を郁人は引き出してしまう。それが、どうにも、奏には居心地が悪かった。

「カナ、今日の夜暇?映画見に行かない?」
 郁人に話しかけられて、奏ははっと顔を上げる。鳶色の瞳と真正面から視線が合って、奏は無意識に視線を逸らした。
「・・・今日は駄目。俺、バイト。」
「バイト?カナ、バイトなんてしてたの?」
「あ・・・うん。」
「カナちゃんピアノ弾いてるんだよね。梓さんの店で。」
「何だよ、ユキ。お袋さんに聞いてねぇの?」
「ああ、そう言えばそんなこと言ってたっけ。金曜の夜なんだ。」
「あ、うん。」
「そっか。じゃ、俺も店行くわ。」
 郁人があっさりと言った言葉に奏は焦って顔を上げる。
「いや、店終わるの1時だし。それからじゃ映画も終わってるよ。」
「え?ああ、映画は明日にしようぜ。そうじゃなくて、俺、久しぶりにカナのピアノ聞きたいから。」
「ふふふー。カナちゃん、またピアノ上手になったわよ。今度グレードテスト二級受けるんだってさ。」
「里佳、余計なこと郁人に言うなよ。」
「おい。センセ来たぞ。」
 貴史が告げて、慌てて皆が席に散らばる。奏は自分の席に戻っていく郁人の背中を見つめながら、今朝からいくつ目になったかわからない溜息を吐いた。



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