正しいネコの躾け方@ ……………………………… |
彼の第一印象は「いけすかない奴」だった。 入社試験の面接の面接官として目の前に座っていた男。 就職氷河期と言われるこの就職難の時代だ。どの会社を受けても倍率は非常に高い。きっと、その時も、何人も入社希望者の面接をしていて、彼は半分辟易していたのだろう。 だが、その分を引き算しても、彼の面接官としての態度はサイアクだった。 いかにも面倒くさい、と言った様に仏頂面で、気がなさそうに履歴書に目を落としている。こちらの顔も満足に見ない。平気で煙草をスパスパ吸う。上司らしき他の面接官に窘められても態度を変えない。挙句、別の面接官がした質問に答えた奴の返事を聞いて、鼻でフンと笑いやがった。 社会の荒波にまだ揉まれた事の無いぺーぺーの学生が、萎縮するのも当たり前の態度だった。現に、その時笑われた学生は顔を真っ赤にして俯いていた。知っている奴じゃなかったし、単純に言えば、同じ会社を受けたんだから、そいつはライバルだった。同情する理由も、かばう事情も無かったが、俺は、彼の態度にどうしても我慢が出来ずに口を出してしまったのだ。 「その態度は酷すぎるんじゃないですか? アンタ、仮にも面接官だろ? 受験者ビビらせてどうすんの?」 俺は正直言って短気だ。そこを直せと親父にも、お袋にも、友人にも、大学の教授にも、果ては別れた恋人にも言われた事はあった。だが、我慢できないものは我慢できない。たとえそれが、将来を決める就職活動の場であっても同じだった。 面接官に楯突けば落とされることは分かってたが、そもそも、そこは第一希望の会社では無かったし、もし万が一受かったとしても、そんないけすかない奴の下で働くのは御免だと思ったから、もう、その面接は捨てる覚悟で反抗した。 案の定、彼は眉を顰めて顔を上げた。 その時、やっと、初めてまともに顔を上げた。 そして、ジロリと下から睨み上げるように俺を見た。少し釣り目気味のせいで、眼差しがひどくキツそうに見える。何となく猫科の動物を思わせるような目だった。彼は暫くそうして俺を睨みつけていたが、やっぱり、フンっと鼻で笑って、 「無能はいらないんだよ。最近の学生は何も出来ない癖にプライドばっかり高い使えない奴が多すぎてな」 と、いかにも馬鹿にしきった口調で言った。 「使えるか使えないか面接だけで分かるのかよ?」 あまりの腹立たしさに俺が答えると彼は腕を組み、背もたれに深く凭れて今度はゲラゲラと声を出して笑った。 「何? お前? 大澤孝仁(おおさわたかひと)? K大の工学部情報工学科の院生? へえ。エリートだな」 少しもそう思っていない揶揄するような口調だった。 「でもな、お前みたいにプライドばっかり強い奴が一番使えないんだよ」 そう言い捨てたきり、彼はその後一言も言葉を発しなかった。そんな面接だから、俺は当然その会社は落とされたと思っていた。 しかし。 どういう因果か、俺は今、その会社に就職し、「彼」と同じ部署で働く羽目になっている。 彼の名前が鈴木匡(すずきただし)だと知ったのは入社式当日だった。午前中に入社式が終わり、午後からは会社の全ての部署を見学がてら案内された。そして、最後に自分の部署に連れて行かれて、そこで俺は再びあの「いけすかない奴」の顔を見ることになった。 俺が配属になったのは「システム提案第二課」という課で、主に企業や財団からの受注ソフトを開発する部署だった。そして、その課のトップが彼だったのだ。 彼は技術主任だったが、シス提二課は課長も課長代理も置いていない。従って、事実上、彼が課長のようなものだった。本来ならば、課長でもおかしくない能力を持っているが、勤続年数が短く、比較的若いので役職だけは技術主任だが、実質は課長と同じ扱いだと二つ先輩の平山さんに聞いた。 平山さんは俺より二年先輩だが、四大卒だから年齢的には俺と同じ年齢だ。少しぽっちゃりとした可愛いタイプの女の子だったが、かなり出来るらしい。 そもそも、鈴木主任はとにかく能力重視で人を採るらしいので基本的にシス提二課は出来る人間が多い。その代わりに人格的にかなり個性的な人間ばかりがそろっていた。 「でも、ほら。ウチの課は営業じゃないし、お客さんと直接接する機会も少ないから、技術が優れていれば問題ないのよ〜」 と、平山さんはぽわんとした口調で教えてくれたが、協調性がなさそうな人や、オタクっぽい人が多いのは、ちょっと戸惑った。 「でもー、大澤君もあんまり協調性無さそうだしー。鈴木主任に面接のとき喧嘩売ったって有名だけどー?」 課の新入社員歓迎会の時に平山さんに言われて、俺は返す言葉が無かった。 実は、俺はこの会社に入社することが決まった時点で、鈴木主任にいびられるのではないかと内心覚悟していた。自分で言うのも何だが、俺は別段、繊細じゃない。それどころが、心臓に毛が生えていると言われることもあるくらい神経が図太いと自分でも思っている。 向こうがいびるつもりならいびってみろ、俺は負けない、と意気込んでいた俺の予想を裏切って、鈴木主任の態度はひどくあっさりしらものだった。 初日に部署に案内されたときも、 「嗚呼、来たか」 と言って、俺を課の人たちに紹介しただけで、それ以上は何も接触してこなかった。 「しばらく、平山について勉強しとけ」 と言っただけでほったらかしにされた。だがら、俺としては少し拍子抜けしてしまった。 平山さんについて、開発言語や、システム管理の仕方を研修してもらっているうちに、あっという間に最初の一週間が過ぎてしまった。 「大澤君、やっぱり優秀なんだね。あんまり教えること無いもの」 「そうスか? や、でも、まだ全然システム構築のノウハウも分からないっスよ」 「そんなの私も分からないもの。全体を把握できたら、すぐ課長になれちゃうよー。そうじゃなくて、C言語の基礎知識とかしっかりしてるし、ファイル操作も教えなくても分かってるし」 「え? それって普通に知ってるもんじゃないんスか?」 「ううん。大澤君は情報系出身だから普通だと思うかもしれないけど、私なんて、何にも知らないで入ったから最初大変だったの。C言語って何? ここ、外国? って感じだったー」 「・・・でも、何も知らないで入ったのに二年でこれだけ出来るなんて凄いっス」 俺が本気で驚いて言ったら、平山さんは、 「お世辞言っても何も出ないわよー」 って照れ笑いをしていた。でも、実際平山さんは凄い。外見のほんわかした雰囲気に騙されちゃいけない。業務用の受注ソフトの計算ルーチンの部分は殆ど平山さんが担当している。その上、データーベースへのアクセスルーチンも管理しているのだ。 俺も一応、大学で六年間研究してきて、C言語でプログラムを組んだりしたけど、はっきり言って企業で作っているソフトに比べたら子供の落書きみたいなレベルだって最近分かってきた。 ただプログラムを組むだけならある程度出来る。でも、効率が良いだとか、メンテしやすいだとか、誰が見ても分かり易いとか、そう言う観点から見るとまるでなってないのだ。 大学でやった勉強なんて社会に出ると全く通じないって研究室のOBの先輩に聞いた事があったけど、実際にそうなんだと最近肌で感じていた。 「そんな事考えてるなんて、やっぱり大澤君って優秀なんだね」 「え? そうかな?」 「そうだよー。そもそも、シス提って入社試験で成績優秀な人しか入れないんだって。ウチの課の先輩言ってたわよ?」 入社して一ヶ月経った頃に行われた新人だけの飲み会の席でそう言われた。 今年の新人は全員で8人。営業が3人の技術が3人、事務が2人の内訳だ。男女の比率は5対3で男が多い。 「え? そうなの?」 「そうよ。私、総務じゃない? 人事の事とか結構教えてもらうんだけど、大澤君、今年の新入社員の中で点数、ダントツトップだったみたいよ?」 「つっても、院出てるの技術の三人だけだろ?」 「ううん。大澤君、会社受けた人全員の中でも一番だって聞いた。でも・・・」 隣の席で何となくずっと話していた総務の雪村さんが口ごもる。雪村さんはいつもメイクバッチリで、会社には制服があってもきちんとスーツで通勤してくるいかにもOLってカンジの女の子だ。見た目はけっこうレベルが高い方で、今年の新人の間では一番人気。実は、ウチの会社の総務は窓口も兼任していて、お客さんと接する機会が多いから、採用条件には容姿も含まれているって噂が実しやかに囁かれている。実際、雪村さんも含めて総務の女の子は美人が多かった。 「でも?」 「適性検査も受けたでしょ? 入社試験の時」 「ああ。それが?」 「大澤君、適性に問題ありだったの。ホントは」 「え? そうなの?」 「そう。柔軟性と協調性が低くて、団体行動には向かないって出てた。あ、でも、それが悪いって言うんじゃなくて、要するに、集団より個人の方が才能を発揮できるっていうのかな? 人に従うのが苦手だから、上司からしてみれば使いにくいって事なんだけど。創造性とか、積極性は物凄く高い数値が出てたから、個人で事業とか起こした方が上手くいくタイプなんだと思う」 「・・・俺、入社して失敗した?」 「そんな事無いわよー。シス提で上手くやってるじゃない。今年の期待株だし。まあ、でも、鈴木主任が採るって言わなかったら落ちてたとは思う」 「え? 俺が受かったのって、鈴木主任のお陰なの?」 「そうみたい・・・って、アタシしゃべりすぎだね。酔ってきたかな。今の話オフレコだよ? 本当はこういう事情は秘密にしなくちゃいけないの」 そう言いながら、さり気なく雪村さんは俺のほうにしな垂れかかって来た。 あー何となくそうかな、と思っていたらやっぱりだった。俺に気があるっぽい態度。何でだか分からないけど俺はこういうタイプの女の子に良く気に入られる。でも、他の男たちの視線が痛かったのと、俺にはそんな気がなかったのとで、俺のほうもさり気なく雪村さんを避けた。 一旦、トイレと言って席を立ってから、別の席に移動する。向こう側から雪村さんが恨めしそうな視線を送ってきていたけど、それには気がつかない振りをした。 「お前って雪村さん狙い?」 「違うよ」 席に着いた途端、隣の重山に突っ込まれる。苦笑しながら答えると、重山はほっとしたような顔をした。多分、コイツこそ雪村さん狙いなんだろう。 大体、俺は根本的に女の子には興味が無い。自分の性癖に気がついたのは高校生の頃で、大学の頃は結構遊んだりしてたけど、今は完全にフリーの状態。 もちろん、会社でカミングアウトする気なんてさらさら無いから、バラしたりはしないけど、正直言って会社の女の人とかに言い寄られるのは少しウザいなと憂鬱になった。 「ねえねえ、大澤君ってシス提でしょ?」 「あー? うん」 反対側の隣から話しかけて来たのは事業推進部の山岸さん。こっちは雪村さんに比べると平均的な女の子って感じだ。雰囲気は悪くないけど。 「鈴木主任ってどんなカンジ?」 「主任? ・・・・どんなって・・・普通だと思うけど。あんまりしゃべってないよ」 「え? そうなの? 鈴木主任が大澤君の事気に入って採ったって噂聞いたから仲良いのかと思ってた」 「その噂ってマジなの? 俺、面接の時とか凄く印象悪かったと思うんだけど」 「あ、聞いた聞いた。面接官に喧嘩売ったんだって? 武勇伝になってるよ」 「・・・マジ? 何か、俺、問題児?」 おどけて見せると山岸さんは楽しそうにケラケラ笑った。 「鈴木主任が、頭が良くて仕事が出来れば性格悪くても良いって言い張ったらしいわよ?」 性格悪くても、ね。間接的に、俺の性格が悪いって言った訳だ。 「でもシス提良いなあ・・・私も鈴木主任の下で働きたかったなー」 「え? 何で?」 「何でって見れば分かるじゃない。鈴木主任、すっごく格好良いもの。何ていうのかな、男の色気、みたいなのがあるでしょ? 男くさいって訳じゃないのに。見てるとドキドキしちゃうんだもん」 「・・・・そんなもん?」 あんまり、じっくり鈴木主任の顔を観察した事は無かった。向こうから話し掛けてくるって殆どないし、俺も分からない事は基本的に平山さんにしか聞かないし。そりゃ、ぱっと見た感じ、確かに悪い顔だとは思わないけど。なんつーか、あの猫目が意地悪そうに見えるのは俺だけだろうか。 「そーそー、ウチの先輩も言ってた。あの若さで主任だろ? しかも、あの顔だからやっぱ、すっげモテるってよ」 「あの若さって・・・主任って若いの?」 「今年で三十一だってよ。去年主任になったばっかでさ、異例の速さで出世してるらしいぜ」 俺よりも俺の上司に詳しいのは営業の柴田だ。コイツはどうも軽薄な感じがして俺はあんまり好きじゃない。口も軽そうだし、何となく油断が出来ない。 「へえ・・・凄いんだ・・・」 「ああ。一昨年なんか、農水省から来た受注システム殆ど一人で上げて、億単位の売り上げ出したらしいぜ」 「へえ・・・やっぱり凄い人なのね・・・ますます憧れちゃう」 山岸さんは、すっかりアイドルに憧れるミーハーな女の子の顔で遠くを見詰めている。まあ、仕事出来そうな感じは確かにするけど、何かひっかかるんだよな、鈴木主任って・・・。 「・・・でも、なんか鈴木主任って冷たそうじゃねえ?」 「あー。冷たいって言うか・・・。クールっつーか、ドライな感じはするわな。何に対しても絶対に熱くならない人で、難攻不落だって聞いたぜ。総務の五十嵐チーフにも落ちなかったってよ」 「ホントに? じゃ、アタシなんて話にもならないじゃない・・・」 総務の五十嵐チーフは今年で四年目の先輩だ。粒ぞろいの総務の中でもピカイチの美人で、少し常盤貴子に似ている。しかも、仕事も出来るし、責任感もあるし、面倒見が良くて陰口とか愚痴を漏らさないし、非の打ち所が無い。 「・・・や、でも、自分が顔が良いと相手の顔はどうでも良かったりするのかもよ?」 酔ったせいで泣き上戸になりつつある山岸さんに、柴田が焦ってヘタクソなフォローをする。案の定、 「どうせアタシはブスよー・・・」 と、山岸さんは半泣きになった。調子の良いことばっかり言ってるからだよ、バーカと心の中で呟きながら俺はぼんやりと鈴木主任の事を思い出した。 面接の時の印象が余りに悪かったせいで、ついつい身構えてしまったけれど、確かに仕事中に鈴木主任に腹が立った事は無かった。主任は特別に親切だと言う訳じゃ無いが、部下や、別の部署の人に頼られた時の対応は決して悪くなかった。愛想は良いほうじゃないんだけど、絶対に等閑な対応をしていない。他の部署の人なんか(特に技術屋の事情に疎い営業マンとかサポートセンターの子とか)結構、無理難題を言ってきたり、無茶な注文を出したりするけど、それに対して文句の一つも言わずに飄々と対応している。一課の課長なんて、愛想良く適当な事言ってるけど、その実、まともな対応をしてくれないらしい。 クールでドライって、仕事に関しては、実は一番難しくて、一番格好良いのかもしれない。誰だって、自分の仕事は認めてもらいたいだろうし、色んな人間関係や柵で愚痴の一つも言いたくなるのは普通だから。感情で物事を判断しないで、冷静でいられるってのはホント、凄い事なんだよな。まあ、プライベートでそういう人間がいたら、きっと苛々するだろうけど、別に個人的に付き合うわけじゃないしな。 あんまり偏見持って見ないほうが良いんかな。 そんな風に考え始めていた矢先のことだった。 「あれ?」 俺の席の後ろを通ろうとしていた鈴木主任が、急に俺の後ろで立ち止まる。「あれ?」なんて言われたから、ミスでもしたかと思ってあせってディスプレイを確認したけれど、別にプログラムを組んでたわけでもなんでもなくて、平山さんに頼まれていたファイル整理をしているだけだった。 そもそも、まだ、俺はまともにプログラムをいじらせてもらえない。まあ、入社して二ヶ月経ってない新人に商品をいじらせるのなんて普通怖くてしないだろうけど。 何か、文句でも言われるのかと思ったけど、鈴木主任は何も言わない。ただ、じっと黙ったまま俺の後ろに立って俺のディスプレイを見詰めている。何だろう、と思いつつも、俺はファイル整理を続けていた。そしたら。 「・・・お前、コマンドラインでファイル操作してんの?」 「・・・あ、はい。拡張子が同じファイルとか一括整理するの楽なんで・・・マウスも使わないで良いから早いし」 「・・・・ふうん。・・・もしかして、お前ってDOS世代?」 「あー。そうっスね。中学時代からパソコンいじってましたから」 ただ単に、俺がDOSプロンプトを開いてコマンドラインでファイル処理していたのが意外だったらしい。まあ、普通はエクスプローラーとか使うだろうから。でも、情報系出てるんだったらこれくらい普通だと思う。 鈴木主任は、ふうんと何か考えていたみたいだったが、それ以上は何も言わずに自分の席に戻って再び仕事を始めた。それで、その話は終わったのかと思っていたら・・・。 「大澤」 暫くしてから鈴木主任に呼ばれた。 「何スか?」 「これ」 そう言って簡単な構成仕様書を差し出される。 「コンパイルした後のディレクトリから必要なファイルだけ引っ張ってきて、情報ファイル作成して、インストールディスク作るバッチの手順。作れる?」 手渡された仕様書をざっと見て、できそうな気がした。別に難しい処理は殆ど入ってなくて、基本的なコマンドラインが分かってれば組める程度だ。少し、情報ファイルの作成が面倒だけど、出来ないほどじゃない。 「出来ると思います。いつまでですか?」 「急ぎじゃないから、いつでも良い。平山に言われてる仕事の合間に作ってみろ」 「あ、はい」 さらっと命令すると、鈴木主任は軽く、ポンと俺の肩を叩いた。 鈴木主任は急ぎじゃない、って言ってたけど、平山さんから頼まれてたファイル整理も急ぎじゃなかったんで、俺は、鈴木主任から頼まれた方を先に片付けることにした。なんつーか、やっぱり、上の人に頼まれた方を優先するのが普通なのかなとか思ったし。 小一時間程でバッチファイルを作って、動作確認して、鈴木主任に持ってったら、鈴木主任はチラッと俺のほうを見上げて何も言わずにディスクを受け取った。 急ぎじゃないって言われたのに、すぐにやったから気を悪くしたんかな、とも思ったけど別に鈴木主任は特に何も言わなかった。俺が作ったバッチファイルをざっと眺めて、ギッと椅子を回して俺の方を向いた。 じっと見上げてくる目はやっぱり釣り気味で、見ようによっちゃ不機嫌に見えなくも無い。何か、やっぱ、気の荒い猫みたいなイメージがある。猫目の印象が強すぎるんだよな。 でも、以前より敵対心が薄れているせいか、意地悪そうだとは思わなかった。 鈴木主任は、急に口の端を上げて、ニッて笑った。・・・俺、鈴木主任の笑ってる顔、初めて見たかも。何か、印象が若くなる。もともと、どっちかって言うと若く見える人だけど。 それに、笑うと猫目が少し細くなって、釣り目の印象が薄れるせいか雰囲気が和らぐ様な気がした。山岸さんが、鈴木主任の顔が格好良いって言ってたのを思い出して、確かに、こういう表情を見れば悪くないなと思った。 「けっこうやるな。次コレやってみ」 鈴木主任はそう言って、別の仕様書を俺に渡す。予期せぬ出来事に、一瞬、俺の脳はついていかなかったが、少しして、ようやく、自分が褒められたんだと理解した。理解した途端に、驚いてしまった。まさか、鈴木主任に褒められる日が来るなんて思ってなかったからだ。 「今開発中のシステムの一部。データ入力ダイアログの一番単純な奴。分からない所あったら、平山に聞きな」 続けて、鈴木主任はそれだけサラっと言うと、また、自分の仕事に戻った。冷たいとは思わないけど、やっぱり、どこか素っ気無いような気がしてしまう。もう少し踏み込んで、親しくなってみたいとか言ったら笑われるんかな。それとも学生気分が抜けてないとか怒られるか。 それまで鈴木主任に対して良い感情を余り持っていなかったし、別にプライベートで付き合いたいと考えた事も無かったのに、なぜかその時は、いつかこの人にもっと近づいて、深く接してみたいなとぼんやり思った。 それにしても、人間って単純なもんだよな。ちょっと褒められただけで、俺の中で鈴木主任の印象はかなり好感度がアップした。でも一般的にそういうもんじゃないか? 第一印象が悪かった人って、ほんのちょっとした出来事で急に良い人に見えたりする。 最初の印象が悪い分、意外性がプラスされて好感度は普通より底上げされてしまう気がする。その上、雑用しかやらせてもらえなかったのが、急にちゃんとした仕事を与えられて、俺は二重に舞い上がっていたんだと思う。 気が付かないうちに終業時間をとっくに過ぎていて、最初の六ヶ月は残業代が付かないのに、思わず三時間も残業してしまっていた。でも、別に損したとかはちっとも感じなくて、逆に変な充実感とやる気が漲っていた。それで、気が付いたんだけど、ウチの課の人間って殆どが九時近くまで平気で残業しているんだ。しかも、サービス残業。実は、シス提二課って仕事の鬼の集団? 「そんなことも無いと思うけどねえ。でも、割と仕事が好きな人が多いかな? パソコンオタクみたいな人多いしね」 その日、夕飯に誘われて、平山さんと一緒に軽く飲みながら食事をしている時に言われた。 「でも、別に鈴木主任が命令している訳じゃないのよ?」 「あー、それは何となく分かります。主任ってドライっつーか、あっさりしてるっつーか、あんまり押し付けないですよね」 ビールを平山さんのグラスに注ぎながらそう言ったら、平山さんは、おや、という顔をした。俺の顔を見ながら笑って、さりげなく返杯する。おっと。明日も仕事あるんだから、あんまり飲まないようにしないと。 平山さんは、ほわんとした外見に似合わずかなり酒に強い。しかも日本酒党と来ている。新潟出身で、やたらと酒の種類にも詳しかったりする。同じ調子で飲んでると潰されちまうから、気をつけないと。俺もそんな、弱くは無いけど。 「自発性を重視するのよ。主任は。押し付けがましくないし、恩着せがましくないの」 そう言って、平山さんはうふふと可愛らしく笑った。それで、俺は、あれ? とひっかかったのだ。 「・・・あの・・・こういうツッコミ嫌いだったらアレなんスけど・・・平山さんって主任のこと好きなんスか?」 プライベートに踏み込んでしまうのはちょっとどうだろうと思いながらも、酒が回ってきた勢いで思わず尋ねてしまった。でも平山さんは少しも気を悪くした様子も見せないで、 「うん。好き」 とあっさりと答えてくれた。 「でも、恋愛感情じゃないよ? 上司として一緒に仕事をする仲間として好き。尊敬もしてる」 「あ・・・そうなんスか?」 「うん。何より恩人だし」 「恩人?」 「うん。実はね、アタシ、最初は総務の募集で採用されたの」 「え!? そうなんスか!?」 正直、かなり驚いた。普通は事務と技術は完全に分けて新人を募集するし、入社してからも事務と技術の間での移動は全くと言って良いほどあり得ないからだ。 「そうだったんですよー。こっからはオフレコね。アタシが内定決まってから、実は常務の娘さんがコネで総務に入り込んできたの。でもって、総務はもう新人要らないってね、はっきり言ってしまえば私は厄介払いになっちゃったの」 「・・・ひでえ・・・」 「酷いでしょ? でも、会社ってそんなもんよ。で、もともと事務で採ってもらった女なんて、どこの課もいらないわけよ。特別に知識がある訳じゃないから開発もできないし、営業やるには地味だしね。それで、一時期、たらいまわしみたいにされて、あちこちの課を移動させられてたの。それをね、鈴木主任が拾ってくれたんだ」 「・・・・そうなんスか・・・」 「うん。入社試験の小論文を引っ張り出してきてくれてね、『お前は文章を論理立てて書くのが上手い。そういう奴はプログラム組むのに向いてるんだ』って言ってくれて。なーんにも知らないアタシに一から教えてくれたの。だから、アタシは、鈴木主任の為に一生懸命がんばろーって思ってお仕事がんばってるワケです。不純?」 平山さんはおどけた様に首を傾げて俺の顔を覗き込む。 「不純じゃないッス。・・・俺、平山さんのこと尊敬してます。あ、ヨイショとかじゃなくて」 「え? 何で? 大澤君、知識凄いじゃない。今日なんか、鈴木主任にプログラム任されてたし」 「・・・俺なんて、大学と院の六年間で勉強してもあの程度スから。平山さんは、二年足らずであんなにバリバリ仕事して、ホント凄いと思ってます」 入社した途端にそんな嫌な事があったのに、挫けないでここまで来るってのは本当に凄いと思う。技術云々、って言うより、精神的な強さ、みたいなのを感じて素直に尊敬した。それから、鈴木主任への印象も更に変わる。態度があっさりしすぎてるから、一見冷たそうに見えるだけで、本当は全然そんな人じゃないんだと分かってきた。 「そんなに褒められると照れちゃうな。まあまあ、飲んでくださいよー」 そう言いながら、平山さんはさらにビールを勧める。実は、この人飲ませ上手なんだよな・・・柔らかい雰囲気に騙されると痛い目に合いそうだ・・・。 「で? ちょっとは主任への偏見は無くなった?」 「・・・・う・・・知ってたんスか?」 「うん。大澤君分かりやすいんだもん。面接試験の噂もあったし」 俺が、大袈裟に肩を竦めて見せたら平山さんは楽しそうにケラケラ笑った。この人、本当に見た目で判断しちゃダメな人だと思った。周りの事を良く見てて、洞察力にも優れていると思う。 「偏見はなくなりました。実際、凄い人なんだろうなって最近は思ってます」 「そ。良かった。会社は学校と違って、仕事だけちゃんとすれば良いんだって思う人も多いかもしれないけど、せっかく働くんだったら、皆で楽しく気持ちよく働けた方が良いと思うんだ」 「・・・あー・・それは俺も思います」 他の人に言われたなら、奇麗事言ってウザいって思ったかもしれないけど、平山さんに言われると素直に頷けるから不思議だ。 それから、会社の色々な裏事情とか、仕事の話とかしているうちに時間が過ぎてしまって、結局、終電で帰る羽目になった。しかも、その店の払いは全部平山さんに奢ってもらった。女の人に払わせるなんて嫌だったから俺が払うって言い張ったんだけど、平山さんは笑って誤魔化すばっかりで結局お金を受け取ってくれなかった。 すんません、平山さん。ご馳走様です。今度は絶対、俺が奢ります。 二日後、鈴木主任に頼まれていたプログラムを終わらせて持って言った。 実は、結局その後の二日も三時間残業コースになってしまったけど、もちろん残業代は付かない。俺の中の変なプライドみたいなのがあって、なるべく早く終わらせて、認められたいって気持ちがあったんだと思う。 特に平山さんの話を聞いてからは、「使える奴」って鈴木主任に思われたくてムキになっている部分は確かにあった。でも、それは、以前みたいな敵対心とか反抗心から来るんじゃなくて、純粋に、鈴木主任の様な凄い人に認められたいって言う素直な感情から来ていた。 鈴木主任は、「早かったな」とぽそりと漏らしながら、俺のソースをチェックする。 それにしても、俺が三日がかりで仕上げたプログラムをざっと一目見ただけで良し悪しが分かるんだから、やっぱ、鈴木主任って出来るんだろうな。まあ、経験の差ももちろんあるだろうけど。 鈴木主任って31歳って言ってたっけ? 大卒だとしても勤続年数9年か・・・9年って長いよな・・・俺は何年で鈴木主任のレベルまで到達できるんだろう。 入社二ヶ月で焦っても仕方が無いんだけど、何か、途方も無く長い道のりの様に思えて少しだけ不安になってしまった。 「・・・大澤。ここ」 鈴木主任はそう言って、赤ボールペンで二箇所印をつけた。 「分かる?」 「・・・えっと・・・殆ど同じ処理です」 「そう。渡してる値が違うだけで処理は同じ。こういうのは関数化してみな。ソースがすっきりするし、処理速度も上がる。それから、処理ごとにちゃんとコメント入れろ。後でメンテする人間が分かりやすいようにな。 お前が書いたソースをお前がメンテするとは限らないんだから、コメント入れるのは常識。書式は平山に聞いて」 「あ、はい」 指示されて、やっぱり、一発オッケーとは行かなかったか、と頭をかきながら席に戻ろうとしたら。去り際に、 「大澤。お前、センス良いな」 って言われて、凄く驚いてしまった。鈴木主任は、ニって口の端を上げて俺を見上げている。 「あ・・・りがとうございます・・・」 驚きの余り、呆けたままそれでも褒められたんだと思って御礼を言ったら、鈴木主任はおれの間抜け顔がよっぽど面白かったらしく、声を立てて笑った。 「お前、何て顔してんの? 男前が台無しだぜ?」 俺は更に驚いてしまった。鈴木主任が声を立てて笑って、その上、男前! 俺の事、男前って言ったよ、この人。 それで、何でか分からないけど、その時急に俺は鈴木主任の顔が整っているって言うのに改めて気が付いた。 笑顔は悪くないなとは思ってたけど、正直、今までは目が猫目でそこばっかりが印象に残ってて何となくキツそうだとか、意地悪そうだとか思ってた。 でも、この人、顔立ちがあっさりしていて、確かに女受けしそうな顔なんだ。中性的とまでは行かないんだけど、要するに、今流行のキレイ系の顔。いや、キレイって言ったら言い過ぎなんだけど、系統としてはそっちって事で。 山岸さんが言ってた男の色気ってのも、分かるような気がする。男くさいってのとは違って、雰囲気が独特なんだよな。鈴木主任が女受けする理由は、外見よりもその雰囲気のせいなんじゃないかなって思った。 態度が素っ気無いから、ストイックなイメージがあるんだけど、妙なフェロモン発してるんだよ、この人は。 今までは、会社の上司としてしか見てなかったし、しかも『いやな奴』ってフィルターを掛けてたから気が付かなかった。 会社じゃ、普通、あんまり本性とか出さないんだろうけど、この人、プライベートだとどんななんだろうな、って興味が湧いた。プライベートでもやっぱりこんなにあっさりしてるんかな。例えば、恋人に対してとか。 ふと、そんな事を考えていた自分に気が付いて、何でこんな事考えてるんだろ、って思った。所詮、会社の上司でしかないんだから、俺が鈴木主任のプライベートを知る日なんて来ないっつーのに。 それでも、一度囚われてしまった思考はなかなか払拭できずに、もやもやとしたものが、心の片隅に残ってしまったのだった。 そんなすっきりとしない状態で、気が付くと、俺は鈴木主任のパシリにされていた。 |