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love is blind ? - 2 …………


 最近、俺は全く機嫌が悪い。理由は分かっている。俺が氷川との賭に勝った日から、「彼」が全く現れなくなったからだ。あの日、初めて話して、初めてキスをして勝った賭金の半分をこの次に渡す、と約束したのはもう一週間も前の話だ。それまで殆ど毎晩と言って良いほど頻繁に夜の街に現れていたのにまるで、俺を避けているみたいに全く姿を現さなくなってしまった。
 俺は、どちらかというと起伏の少ない性格で滅多に誰かに当たり散らすなんて事はしないのに最近は、グループの連中に文句を言われるほどイライラを表に出してしまう。
 でも、誰だって、興味を持っていた相手に近づけそうになって少し近づけて、期待を持った途端突き放されたら機嫌が悪くなるんじゃないか。そもそも、「お金はこの次でいいよ」と言ったのは彼なのに。
 いい加減、痺れを切らして俺から連絡を取ろうと思っても俺は彼の通う学校も、彼の電話番号も彼の名前すら知らないのだ。
 あんまりイライラしているし、仲間内の評判もすこぶる悪くなってそれならば、しばらく街をふらつくのは止めようかとも思ったけれどもしかしたら、今日は彼が来ているのかもしれない、と思うとつい、いつものように、いつもの街角に来てしまう。
 本当に、不毛だ。
 自分でも馬鹿げていると分かっているのにその行動をやめれないのは、俺が既に彼にハマりかけているせいなんだろうか。
 確かに彼は男だけど、この感覚は恋愛が始まるときの感じにとても似ていた。
 何となく目を引かれたり、興味を引かれたりその人のことをもっと、知りたいと思ったり。
 俺は、今まで男を好きになった事なんて無いけれどでも、彼とキスしたときは全く抵抗なんて無かった。初めてキスするような、新鮮な感覚は味わったけれど。今まで、何人か女の子とつき合ったことはあるけれどキスするときに、あんな風に感じたことは無かったような気がする。
 そこまで考えて、俺は、ふと気が付いた。俺は、今まで、一度たりとも『自分から』好きになって告白して、誰かとつき合ったことが無いことに。
 言い寄られて、何となく雰囲気に流されてつき合うというのがいつものパターンで、仲間内では淡泊だの薄情だのとよく言われる。
 別れる理由も
「有紀って、本当に私のこと好きなのか分からない」
 と、女の子から切り出されると言うのが大半だった。
 そりゃ、つき合っているときはそれなりに情もわくしその子、その子で良いところがあって、可愛いと思うこともあったけれど結局の所、俺はかなり受動的だったような気がする。こんな風に、自分から会いたいとか連絡を取りたいとか思うのは初めてかもしれない。そう気が付いたら、何とも複雑な心境に陥ってしまった。
 何だか、自分がとても冷たい薄情な人間のように思えて過去につき合った女の子達に、何だか罪悪感がわいてしまう。そのツケが今、回ってきて俺は彼と会うことが出来ないんじゃないか、なんて、馬鹿なことを考えたり。そんな風に上の空でまた何日が過ぎて俺の機嫌は、彼に会えない期間に比例して更に悪くなっていきとうとう、仲間内に外出禁止令まで出されてしまった。
「そんな仏頂面されると、こっちまで機嫌が悪くなんのよ! 落ち着くまで、来るのやめなさいよ!」
 と、氷川に凄い剣幕で怒鳴られて、でも事実だから反論することも出来ず結局俺はその謹慎を渋々飲むことになった。
 彼には会えないし、氷川には散々なことを言われるし良いところが一つもない。
 何だか、何もかも調子が悪くて相当、投げやりな気分になっていた時だった。




 やることもないし、つまらないから勉強でもしているかと、参考書を探しに本屋をふらついている時だった。
 そろそろ本屋をふらつくのにも飽きて、いい加減、家に帰ろうと書店の階段を下る。
 書店の中は、帰宅途中の学生や社会人でごった返していてその、どの人の表情も恰好も似たように見えてまるで量産された人形の群のようだった。没個性のこの空間では、誰もが個人としては認識されず俺も例外ではなく所詮、群衆の一人なのだと思うと空しくもあり、自虐的な安堵感も与える。

 俺が、淡泊で薄情だって? こんな世の中で、一体、みんなは何を望むのだろう。
 ドラマや映画の中のような劇的な恋愛?
 そんなものは、勘違いだ。自意識過剰な人間の、思いこみだけの滑稽な一人芝居じゃないか。現に、俺には何一つ激しいことなど起こり得なかった。何一つ。そして、これからも起こらないことは容易に想像できた。
 馬鹿馬鹿しい。俺は何を期待して、街角をふらついていたのだろう。

 不意に冷め切った気分になって、何もかもに嫌気がさした。行き交う人全てに、唾を吐き掛けてやりたいような凶暴な気分になりかけて乱暴な足取りで、一気に階段を駆け下りようとしたときだった。
 周りに気を配っていなかったせいで、誰かと、ドンと肩がぶつかる。多分、俺が不注意だったんだろうけど、気持ちがささくれ立っていたから、きちんと、前を見て歩けよ、とイライラしながら乱暴に
「すみません」
 と、謝った。相手も小さな声で、すみませんと言ってすれ違おうとする。それだけの出来事のはずだった。
 だのに。
 なぜ、俺の耳はその声に反応してしまったのだろう。
 通り過ぎた次の瞬間、俺は弾かれたように振り返って
「待って! !」
 と、大きな声で叫んでいた。
 意識して声を出した訳じゃない。それなのに、その声は自分でも驚いてしまうくらいの大きな声だった。
 驚いたように周りの人が俺に振り返る。そして、俺にぶつかったその人も。
 地味な紺のブレザーを着て、黒縁の眼鏡を掛けていた。

 知らなかった。目が悪かったんだ。だから、あんな風に目が潤んでいるみたいで、きらきらしてるのか。
 ひどく、地味な印象を受ける。街角に佇んでいた時は、その浮いた雰囲気で目立っていたけれどこんな風に雑踏に紛れているとひどく平凡に見える。平凡で、周りに溶け込んでいて恐らく、学校でも目立つ方では無いだろうと言うことが容易に想像できた。想像できたけれど、俺にとっては全く違った。
 驚いたように少しだけ見開かれたその眼鏡の奥の黒い目が俺の気持ちをざわつかせる。
 何だろう、この感情は。複雑に絡まって、解けなくなった紐を解こうとしているのに解けないような、そんなもどかしさに似ている。
「…やあ、久しぶり」
 俺がぼんやりと声を掛けると、彼は少しだけ表情を緩めた。
「久しぶり」
「元気だった? 最近、街には来てないみたいだけど」
「…ああ、うん。ちょっと気分が乗らなくて」
「賭のお金、とってあるんだ」
 俺が心持ち眉を上げて、戯けるように言うと彼はほんの少しだけ頬を染めた。何だろう? 俺とキスしたことでも思い出したんだろうか? けれども、次の瞬間、彼は困ったように苦笑いした。
「ああ、あんなの構わないのに」

 アア、アンナノカマワナイノニ。

 何気ない、悪意のない一言に、どうしようもなく傷つけられることがあるのだと俺はその時初めて知った。言葉を失って、ただ、じっと彼を見つめた俺に何となく居心地の悪さを感じたんだろう。彼は、そのまま
「あの、本当に構わないから…。それじゃ」
 と、立ち去ろうとする。けれども、行かせるわけにはいかなかった。そのまま、行かせたり出来るわけがなかった。俺は、待って、と短く彼を引き留めてその腕を掴む。え? と不思議そうな顔をした彼をそのまま強引に引っ張って店の外に連れ出す。あの? と、戸惑ったように声を掛けくるけれど俺も戸惑っていた。
 こんな自分に。
 近くの公園まで彼を引きずっていくと、俺はようやく立ち止まる。噴水の周りで、学生やカップルが楽しそうに話しているのがちらほら見えた。
 俺は、彼の方に向き直り、じっと彼を見つめる。彼は不思議そうな表情で、首を傾げて俺のことを見上げていた。
 こんな風に強引に引っ張ってこられたのに、何で怒らないんだろう。彼の顔には純粋な疑問しか浮かんでなくて俺は、彼の人の良さと、邪気の無さに何とも言いようのない複雑な心境に陥らされた。
 取りあえず、何かを言おうと口を開き掛けて何を言ったら良いのか分からなくて俺はもう一度口を噤む。
 俺は何を言ったら良いんだろう? 何が言いたいんだろう?
 そもそも、俺達は友達でもなければ、クラスメイトでも知り合いでも無い。俺達の間には、何の関係も成り立ってはいないのだ。

 曖昧で、不安定で足場のない。
 キスまでしたことがあるはずなのにこのわかりにくさは一体何なのだろう。
「…名前…」
 ポツリと俺が漏らした言葉に「え?」と彼が首を傾げる。
「…名前、教えてもらえないかな」
 今時、ナンパする時だってこんなにぎこちなく格好悪くする奴なんていない。第一、こんなこと俺のキャラクターじゃないはずなのに。ぐずぐずと、わだかまりを持ったまま、それでも聞かずにはいられなかった。
 彼は、俺の質問には答えずに、じっと俺の顔を見つめた。
「何で、そんなことを聞くの?」
「…知りたいから…」
「どうして?」
 どうしてって、そう来るか。そんなこと分かっていたら俺だって苦労しない。自分に分かっていないことをどうやったら他人に上手に説明出来るって言うんだ。
「…理由なんて無いよ。ただ知りたいだけだ」
「もう二度と会わないかもしれない人に、名前を教えてもしょうがない」
 彼の、どちらかといえば穏やかそうな印象とはかけ離れた突き放した言い方だった。俺は、それで、今日二度目の最大級の銃弾を撃ち込まれた。同じ人間に、二度もこんなに傷つけられるなんて、今日は厄日だろうか。けれども、そんな風に傷ついた俺にはお構いなしで彼は、そのまま俺に背を向けて立ち去ろうとした。

 本当は、俺は、格好悪いことは好きじゃないし、したくないし普段は絶対にしない。誰かに縋ったり、未練を持ったり、しつこくするのは恰好の悪いことだと思っていたから、一度もしたことは無かった。けれども、その時は形振り構っていられなかった。そんなものはちっとも気にならなかった。
 この焦燥感と激しさは、本当に俺の中で生まれたものなのだろうか。
 俺は慌てて彼の前に立ちふさがり、深々と頭を下げた。
「お願いします。名前を教えて下さい」
 俺は、必死で頼み込む。もし、これで彼が断っていたなら、土下座さえしていたかもしれない。
 本当に、俺はどうしてしまったんだろう。まるで、どこかが壊れてしまったみたいだ。
「ちょ…ちょっと…・わかった…わかったからやめてよ」
 彼は、慌てて俺の腕を掴むとぐいぐいと引っ張って歩き始める。周りの人達が、好奇心の目を向けていて彼は恥ずかしそうに真っ赤になっていた。それから、人気のない場所に移動して、ようやくほっとしたように息を吐いた。
「君、イメージと違うよ?」
 彼は少しだけ、呆れたような表情で肩を竦めてみせる。まだ、顔の赤味が引き切っていないらしく、眦の辺りが微かに赤く染まっていた。
「何か、ああ言う恰好悪いことするタイプじゃないだろ?」
「…と、自分でも思ってたけど」
 君の顔を見ていると形振り構っていられなくなるんだよとは言えなかった。しかも、そんな風に格好悪いことをすることが嫌などころか楽しいとさえ思っているなんて。
「…ミズシマ」
「え?」
「名前。水島涼(みずしまりょう)」
 ぶっきらぼうに彼が答える。怒っているんだか、照れているんだか判断しかねる表情だった。
「何で、名前なんて知りたがるの?」
 何で? 何でって言われても。
「君のことが好きになったから」
 するりと何の抵抗もなく俺の口からこぼれた言葉はそれまで、俺の中で複雑に絡まっていた感情を一瞬にして解きほぐした。
 嗚呼、そうか。そんな簡単なことだったのか、と、自分で言って自分で納得する。
 彼…涼はあんぐりと口を開いて呆けた表情をしている。それから、急に目が覚めたネコみたいにはっとして一瞬にして、その顔に朱を走らせた。
「なっ! …ばっ! …何…何言ってんの! ?」
「何って…。だから、君が好きだって」
「す…好きって…俺、男だよ! ?」
「…見れば分かるけど…」
 俺が、さも当たり前だと言わんばかりに平然として答えると涼は言葉を失って、また、呆けた表情になった。何だか、くるくる変わる表情が可愛くて仕方がなかった。
 何だ。分かってしまえば少しも難しくも、複雑でもない。至極、単純な話だ。
 そうか、俺はホモだったのか。でも、別に涼以外の男に、こんな気持ちになったことは無いからそれも、ちょっと違うような気もしたけど。別に、ホモだろうが何だろうがどっちでも構わなかった。そんな定義付けは何の意味もないんだから。
 涼は呆けた表情のまま暫く硬直していたけれど脱力したように肩をがっくりと落として、大きなため息を一つ吐いた。
「…君、見た目は恰好良くて、もてそうなのにホモなの?」
「…さあ? 男を好きになったのは君が初めてだけど?」
「…何で、俺?」
「…さあ? 理由が分かれば苦労しないんじゃないか?」
 俺は、苦笑いしながら答えた。人を好きになるのに理由なんてありはしない。
 もっとも、昨日までの俺だったら、そんなことは言わなかっただろう。
 可愛い女の子が好き。
 優しい女の子が好き。
 俺の『好き』は、そんな風に、分かりやすく明確に説明できるような冷めた『好き』だった。
 涼は、掛けていた黒縁の眼鏡を外すとブレザーの胸ポケットに仕舞い込んだ。それから、俺の顔をじっと見詰めて、もう一度深々とため息を吐く。
「そんなに、迷惑なこと言ったかな?」
 涼の呆れたような態度に、苦笑して俺がおどけたように言うと涼は、キツい眼差しで俺を睨んだ。
「迷惑に決まってるじゃないか。俺は、ホモじゃ無いんだから」
 あっさりと切り捨てられて、俺は酷くショックを受ける。もちろん、表にはそんな態度は出さなかったけれど。好きだと気が付いた途端に振られるなんて、あんまりだ。これも、今迄の薄情な態度の報いなのだろうか。
 涼は、口元に手を置いて何事かを考えていたようだったけれど不意に顔を上げて、俺の瞳をじっと見詰めた。
 ああ、そうか。涼って、人の目を真っ直ぐ見詰めて来るんだ。だから、なんというか、その黒い目が印象的で、気持ちが良いんだ。やましいことが何も無いからそうできるんだろう。そんなことをぼんやり考えていたら。
「名前」
「え?」
 少し、イライラした口調で何か言われた。
「だから、君の名前。俺も名前教えたんだから」
「あ…ああ。平良有紀(たいらゆき)」
「有紀?」
「うん。有紀」
「ふうん、女の子の名前みたいだ」
 屈託の無い口調で言われて、俺は苦笑する。
「分かった。ちょっとだけ待って。ホモでも良いか、もう少し考える」
「……はい?」
 俺が、涼の言った言葉の意味が掴めずに眉を顰めると涼は、少しだけ、ムッとしたような表情になった。
「? 何だよ? 俺も、君も男なんだから、付合うんだったらホモになるだろ?」
「…って言うか、涼、今、君、迷惑だって言ったじゃないか」
「? 言ったよ? 男に告白されるのなんて、初めてだもん。どうしたら良いか分からなくて、困るんだから、迷惑に決まってる」
「…で、どうして『考える』なワケ?」
「? 君、俺のこと好きなんだろ?」
「好きだよ?」
「好きって、付合いたいとか、そういう『好き』何じゃないの?」
「そう言う『好き』だよ」
「本気なんだろ? それとも、ふざけて言ったの?」
「…ふざけてなんかいない。至って真面目だよ」
「じゃ、ちゃんと考えて答えるのが道理だろ?」
 正直言って、俺は、衝撃と驚きを覚えた。涼の言ってることは正論なんだけど、何というか、今時珍しい、そのまっすぐさと誠実さが、新鮮で、衝撃的でそれに比べて、自分のいい加減さが浮き彫りにされたようで。
 流されるように付合ってきた女の子達に、俺は思わす心の中で謝ってしまった。
 それから、ほんの少しだけ淡い期待を抱く。だって、考えるってことは多少は可能性はあるって事だろ? 本当に駄目だったら、この場で駄目だって断っておしまいなんだから。そう思ったら、はた、とある事に気が付いた。俺とした事が、あっさり、聞き流してしまう所だった。涼は、確かに、「ホモでも良いか考える」って言った。ってことは。
「俺のこと、キライな訳じゃない?」
 俺がそっと尋ねると、涼は、その黒い目をくるくるさせてそれから、悪戯っぽく笑って上目遣いで俺を見上げた。
「キライじゃないよ。君、顔奇麗だし。俺、面食いなんだ」
 臆面も無くそう言うと、涼はちらりと手元の時計に目をやった。
「もう、時間だ。行かなくちゃ」
 そう言うと、軽やかに踵を返してその場を走り去ろうとする。
「待って!」
「何? まだ、なんかあるの?」
「返事! いつまで待てばいいんだ?」
 少し離れた場所から、大き目の声で問い掛ける。
「…また、暫くしたら、『夜遊び』に出かける!」
 涼は、俺の問いかけの答えとは少し違った答をくれた。それから、最後に、置き土産みたいな、とびきりの笑顔を見せて俺を、完全に沈没させて走り去っていった。
 何て言うか、だんだんと、彼のイメージと違うところが見えてきて意外な面もあるんだけど、その意外性がびっくり箱みたいで俺をこれっぽっちも油断させてくれない。それが、俺を、何だか、嬉しくて楽しくて仕方が無い気持ちにさせた。
 まあ、良いさ。今のは、次に会う約束だって思っていいんだろ?
 俺は自分の中で何かが壊れ始めて、新しい何かが見え始めてきたのを自覚する。

 恋は盲目?
 昔の人は良く言ったもんだ。

 俺は、不思議に清々しい気持ちで、暮れ始めた町並みのネオンを見上げた。




 そうだな。
 今夜辺り、街に出かけて氷川に許しを乞ってみようか。




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