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amber and sacrifice-1 ………
 ───そもそも、ヒイラギは僕にとって太陽のような存在だった。




 家々の軒先に魔よけの柊の木が飾られている。もう、数週間もすれば冬の到来を祝い、無事に越冬が出来るように祈願する冬祭りが始まる。一年で一番大きなお祭りを控えて、子供達は誰も彼もが浮かれ顔だ。
 僕も、例外ではない。
 お祭りの日、僕もヒイラギの家の家族の一員としてお祝いに参加できる。そこで、ヒイラギと一緒に皆の前でセロを弾くことになっているのだ。
 僕は、何のとりえも無い。親もいない。
 流浪の民が産み落としていった僕を親切にも拾い、暖かい服を着せ、ミルクを与え、自分の子供と同じように育ててくれたのはヒイラギの両親だ。
 そして、僕の瞳がそれに似ているからと言って「琥珀」と言う名前を与えてくれたのもヒイラギの父。
 僕は、いつでもヒイラギの両親と、そしてヒイラギ自身に感謝をする。
 日曜日に教会でお祈りする時も、食事の前に今日の糧を感謝する時も、心の中では神様の前にヒイラギの両親とヒイラギに感謝する。
 彼らがいなかったら、僕は今こうして生きていないだろう。
 生まれが「まっとう」で無い僕が、こんな風に幸福に暮らせているのは本当に彼らのお陰なのだ。







「コハクが来たよ。その頭はどうしたんだい? 牛の血でも浴びたのかい?」
 朝、いつものようにヒイラギと並んで学校に行く途中だった。後ろからアガットの声が聞こえる。その周りで何人かの生徒が馬鹿にしたように笑うのも聞こえた。アガットはいつも、こんな風にして僕をからかう。僕の髪の色が異常だからだ。
 僕の髪は赤い。オックスブラッドの赤。血の色だ。この村の人で僕と同じ髪の色の人は一人としていない。それもそのはずで、僕は、根無し草の流浪の民が産み捨てて行った子供なので村の人たちとは何の血の繋がりもありはしない。所謂、余所者の血なのだ。
 実はアガットはヒイラギを好いている。だから、時々、こうして僕の事をからかうのだ。僕も同じようにヒイラギを好いているので、アガットの気持ちはとても良く分かる。成り行きとはいえ、僕がヒイラギの家に引き取られ、まるで兄弟のように一緒にいるのが我慢ならないのだろう。
 アガットは僕を根無し草の流浪の民の子供だとバカにする。碌なヤツの血が入っていないとも。あの髪の毛は呪われた血の色だ。いつか、本当に誰かを殺すだろうと。
 僕は、決して誰かを殺したりはしないと思っているけれど、誰の子かも分からないのは事実なので、あまりアガットには反論しない。

 流浪の民が町の人たちに忌み嫌われ、疎まれているのには正当な理由がある。数年に一度、稀に訪れる流浪の民達は、素行が悪く、蛮族のように見える。
 町の人たちは決して入らない禁忌の森にテントを張り、煌々と火を焚き続け、如何わしい踊りを踊りまくる。時には場末の酒場に現れ、大声を上げて喧嘩をしたり、暴力を振るったり、盗みを働いたり、体を売ったりもする。
 当然、日曜日に教会に訪れて祈りを捧げたりもしない。訳の分からない神様を信仰して、怪しげな儀式をしたりもする。
 その存在は奇異で、恐ろしい。しかも、その最たる象徴であるような存在が、町の外れに住んでいる。

 町の外れにあるその森は、町の人たちにとっては禁忌の場所だ。邪悪な精霊がひしめき合い、人々に害をなす。心の暗闇に忍び込み、魂を蝕む。森に入り込んで帰らぬ人となった町人も少なくはない。
 そんな危険な場所に、一人の老婆が住んでいるのだ。いつの間にか、流浪の民がそのままそこに残り住み着いてしまったという噂だったが、本当のところは誰にも分からない。
 ただ、その老婆は怪しげな呪(まじな)いを使い、恐ろしい儀式を行って人の魂を悪魔に売り渡したり、誰かを病気にしたり、死に至らしめる呪いをかけていると信じられていた。
 子供達は、その老婆を半分は面白がり、半分は恐怖をこめて「魔女」だとか呼んだりもする。
 とにかく、そんな風に流浪の民は忌み嫌われていた。僕自身、彼らと同じ血が流れていながら、彼らを快くは思っていない。

 けれども、僕がそんな風に罵られている時、ヒイラギは酷く怒ってアガットを窘める。そうすると、アガットは面白く無さそうな顔をしながらもおとなしくなる。
 ヒイラギはいつだって公正だ。穏やかで、大人びていて、大らかで、優しい。
 冬の夜のような漆黒の髪と、ホーリーグリーンの美しい瞳。僕は、ヒイラギが大好きだった。いつでも、彼の横に並べる事が誇らしかった。

 僕は幸福だ。

 たとえ親を知らなくとも。
 生まれがまっとうでなくとも。
 暖かい家族に暖かい家。
 いつだって、それを与えてくれた神様に感謝しているのだ。







「今日は、とても素晴らしいニュースがあります」
 そう言って、少しでっぷりとしたお腹をゆらしながら、アーチー先生が興奮したように笑った。アーチー先生は僕達の弦楽の先生だ。僕達の通っている学校は音楽を専門に学ぶ学校で、僕も、ヒイラギもセロを主科目として専攻している。

 ヒイラギのお父さんは、ヒイラギと同じに酷く公正な人でヒイラギがセロを手にした小さな頃に、僕にも同じようにセロを与えてくれた。決して安い楽器ではなかったというのに。そして、あろう事か、僕にもセロの才能があると言って、ヒイラギと同じ音楽学校に通わせてくれたのだ。
 もっとも、僕の才能などヒイラギに比べたらたかが知れたもので、アガットなどは僕の演奏を、いつも「眠くなるつまらない演奏」と馬鹿にする。
 確かに、そうだな、と僕も思う。セロを弾くことはたまらなく楽しく、大好きなことだけれど、僕の演奏は確かにつまらないと自分でも思う。
 それに比べてヒイラギの演奏は素晴らしいものだった。
 華やかで、美しくて、胸が躍るような演奏だ。僕はヒイラギのセロが大好きだった。いずれは、ヒイラギはいろんな人にそのセロの才能を認められ、都会に行き、すばらしい音楽家になるだろうと僕は確信していた。

「ヒイラギ。ジャスパー=ジェードという名前を知っていますか?」
 アーチー先生は相変わらず、どこか興奮した様子で(それこそ、まるで子供が欲しかった玩具を手に入れたときのような、少しばかり子供っぽい表情で)ヒイラギを指名した。指名されたヒイラギも、隣でそれを聞いていた僕も、弦楽クラスの他の生徒も、ジャスパー=ジェードという名前を耳にした途端、ザワザワと色めきたった。それもそのはずで、彼は、セロを嗜む人間ならばその名前を知らない人はいないというくらい、すばらしい演奏家だったのだ。「だった」と過去形で話さなくてはならないのが少し寂しいけれど。
 彼はまだ成人もしていない少年の頃から天才ともてはやされ、都会で華々しく活躍していたのだけれど、何を思ったのか二十歳を少し過ぎた所で突然引退してしまったのだ。後続の若い才能を育ててやりたい、というのがその理由だったらしいけれど、真相は未だに謎のままだった。
「はい。もちろん知っています」
 ヒイラギが深く頷きながら応えると、アーチー先生は満足したように深く頷いた。
「そのジャスパー=ジェードが我校に講師として来て下さる事になったのです」
 アーチー先生は、もう、自分が教師だという事を忘れているみたいに頬を紅潮させ興奮した表情で言った。僕は、その態度が何だかおかしくて思わず噴出してしまいそうだったけれど、ヒイラギはそうではなかったらしく、目を大きく開いてその深い神聖な緑の瞳を輝かせた。
「おお!」だとか「まさか!」だとか皆が騒いでいる間、僕はそんなヒイラギの表情に目を奪われていた。そして、訳の分からない不安に急に襲われてしまった。
 一体、何が不安なのか胸の奥を探ってもさっぱり分からない。分からないのに、嫌な胸騒ぎがする。一体何なんだろうかと僕は、少しだけ不快な気持ちになった。

 それから程なくして、ジャスパー=ジェードが僕らの学校にやってきた。
 初めての授業の時は、誰も彼もが緊張して教室は水を打ったように静まり返っていた。普段はおよそ、緊張する事などありえないヒイラギですら緊張しているようだった。
 僕はと言えば、不思議なことにあまり緊張していなかった。案外と冷静で、その天才奏者の事を客観的に観察さえしていた。
 ジャスパー=ジェードの素晴らしい演奏については様々な噂が流れて来ていたが、その容姿については僕らは一切知らなかった。
 真っ赤な髪に緑の瞳。
 そう。彼は凄まじいほどの赤毛の持ち主だった。僕のオックスブラッドの髪などくすんでしまうような、まるで火が燃えているかのような真っ赤な髪。そして、その瞳はヒイラギと同じ緑だったが、どこか色素が薄くヒイラギの神聖なそれとは大分印象が違った。けれども、彼が、天才セロ奏者だということを差し引いても人間的に酷く魅力的であるという事は鈍いといつもからかわれている僕にも分かった。

「初めまして。ジャスパー=ジェードといいます」
 恐ろしく重低音の、セロというよりはコントラバスといった方が正しいような声で彼は第一声を発した。
「僕の事はジャスと呼んでください。これから一緒にセロを演奏していきましょう」
 そう言って、彼はにっこりと笑った。その笑顔を見て、女生徒達はきゃあと黄色い声を上げた。彼女たちはいつもはヒイラギに熱を上げているのだけれど、この時ばかりは違った。一発で彼の・・・ジャスの「大人の男の魅力」というのに参ってしまったらしい。僕にはさっぱり理解できないけれど。
 僕は、ヒイラギのほうが余程魅力的だと思った。どうも、ジャスの雰囲気は落ち着かなくて頂けない。近くにいると胸がザワザワと不安になってしまうような、そんな感じ。まあ、もっとも、僕が彼に近づく事など無いだろうけれど、と、その時の僕は単純に考えていた。
 そう。
 あんな事が起こってしまうなんて、この時は予想だにせず。







「コハクは何を演奏するつもり?」
 学校の帰り道、ヒイラギは思案顔で僕に尋ねてきた。冬祭りの演奏会で演奏する代表者を決める校内コンクールで演奏する曲の話だ。僕は少し首を傾げて、それからヒイラギを見上げた。小さな頃は僕の方が(ほんの少しだけど)背が高かったのに、今ではヒイラギのほうがすっかり大きくなってしまった。僕の頭が叩きやすいので丁度良いとヒイラギは笑うけれど、彼が僕の頭を叩く事なんて決して無い。軽く手を置いて、クシャクシャと僕の赤毛を掻き混ぜるだけだ。
「そうだね。動物の謝肉祭辺りを、と思っているんだけど。ヒイラギはどうするつもり?」
「僕は、バッハかな」
「そう。無伴奏組曲?」
「多分」
「そう。それは良いね。僕はヒイラギのあの曲がとても好きだよ。楽しみだなあ」
 僕が心の底から言って笑うと、ヒイラギはとても優しそうな、けれどもどこか寂しそうな表情で僕を見下ろして、それから小さく笑った。
「君は、いつでもそんな風に欲が無いね。たまには、僕を負かそうと本気になっても良いのに」
「? 何を言っているの? 僕なんてちっともダメだよ? ヒイラギは選ばれた人間だもの。才能がある。そんな君に勝とうなんて思う訳無いじゃないか? 僕は、本当に君のセロが好きだよ」
 ヒイラギが何を言っているか分からずに僕が首を傾げると、ヒイラギはやっぱり少し寂しそうに笑った。
「ありがとう。でも、僕は君の演奏の方が好きだ」
「別にお世辞は良いよ。僕の演奏はつまらないって自分でも分かっているもの」
 ヒイラギに好きだと言われて、僕は急に恥ずかしくなってしまって俯いた。何だか頬が赤くなっているような気がした。
「君の演奏はつまらなくなど無い。本当の才能は・・・・」
 ヒイラギはそんな僕に気がつかずに何かを途中まで言いかけたけれど、軽く首を振って、
「いや、よそう。それよりも、冬祭りの仮装は何をしようか?」
と話を変えた。
「そうだね。去年は二人で海賊の真似をしたんだっけ。今年は何が良いだろう」
「・・・君は、バンシーが良いんじゃないか。緑の服に灰色のマントは君の赤毛に映えるだろう」
 唐突に言い出したヒイラギの言葉に僕は酷く驚いて、目を大きく見開いたまま、まじまじと彼の顔を見上げてしまった。
「・・・そんな瞳で人を見詰めるものじゃないよ」
 困りきったような苦笑いを浮かべてヒイラギは言った。
「バンシーなんて・・・バンシーなんて、そんな不吉な。死の預言者じゃあないか」
 そうだ。バンシーは丘の上の精霊の女王。由緒ある家の人が死んだ時に現れる。そして、この村で一番の由緒ある家はヒイラギの家だ。冗談にしては性質が悪い。
「ただの冗談だよ」
「冗談にしたって・・・!」
「本当にゴメンってば。お願いだからその瞳でそんなに見詰めないでくれよ」
「そんな瞳って・・・ヒイラギは何を言っているのさ?」
「君は本当に無自覚でいけないね。皆が君の瞳を何と言っているか知っているかい?」
「知らないよ、どうせ、流浪の民のロクデナシ、気味の悪い目だと言っているんだろうさ」
 僕が腹を立てた勢いで捨て台詞のように言うと、ヒイラギはその形の良い眉を思い切り顰めた。
「本気でそう思っているなら君はどうしようもない愚か者だね」
 ヒイラギは普段の穏やかな彼らしくも無く、すこし厳しい口調でそう言ったきり口をつぐんでしまった。最近のヒイラギはこういう事が多い。時折、何か含みのある視線を僕に向け、意味深な言葉を話し、そして不意に不機嫌になる。
 僕は、一体、自分の何がヒイラギの気に入らないのか皆目見当もつかず、ただ、黙ってヒイラギの横をとぼとぼと歩くだけだ。僕らが言い争いをしていたのに気がついていたアガットが後ろから僕らを追い越していく。ニヤニヤと嫌な笑い方をして僕を見ていた。



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