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『094:釦(ぼたん)』 ……………

「もう! いくら日曜日だからっていい加減に起きろよ!」
 休みの日だからっていつまでも寝汚くお昼近くまで寝ているヤツの布団を思い切り剥いでやった。布団の中のソイツは、ううん、と寝ぼけながら僕の手にある布団を取り返そうとする。普段は僕の方が力も弱いし反射神経だって鈍いけど、さすがに、こんな寝ぼけ野郎に負けるほど落ちぶれちゃいない。
 すかさず布団を引っ張ってやると、ヤツはベッドから転げ落ちて、無残にもべチョンと床に顔をぶつけた。こんなところを見たら、クラスの女子にケンツク食らうかもしれないけど知ったこっちゃ無い。
「起きないとお昼抜くからな!」
 それだけ言い放って布団を干しに行ったら、後ろの方でムニャムニャと何かを言っているのが聞こえた。
「ユタカー、アイシテルー」
 だとか何だとか。相変わらずワケの分からない事を言うヤツだ。あんまり変な事ばっかり言うから、もう、今じゃすっかり慣れっこになってしまって大して気にもならないけど。咳とかクシャミみたいなもんだ。
 いくら家庭ジジョーってヤツで、あんな変なのと兄弟になってしまったからって、1から10まで世話をしなくちゃならない僕の身にもなれってんだ。ノーテンキな両親は新婚気分なんだかしらないけど、昨日から僕達を置いて旅行になんて行ってしまうし。僕も睦月(むつき)も子供じゃないって言ったって、まだ中学生なのにちょっと非常識じゃないかと思う。睦月も僕も、今年の春かられっきとした受験生だってのに。
 そんなことを思いながら睦月の布団を干して八つ当たりみたいに布団叩きでバンバンと布団を叩く。せっかくいい天気だから、本当は朝から干したかったのにこれじゃ半日しか干せない。そんなこと考えてるなんて、まるで生活に疲れている主婦みたいだって気がついて少しだけ憂鬱になってしまった。
 そもそも、ウチで一番家事能力が高いのが僕だってのが最大の問題なんだ。
 フウと、真っ青な初夏の空を見上げながら思わず僕は小さな溜息をついてしまった。



 睦月が僕の学校に転校してきた初日、そりゃあ、女子の騒ぎようと言ったらすごかった。まるでジャニーズのアイドルにでも遭遇したかのような騒ぎっぷりで僕は半ば呆れて、半ば引いた。
 まあ、確かに初めて睦月に会った時は僕も驚いたもんだけどさ。地毛だって言う髪の毛は色素が薄くてかなり茶色くてサラサラ。目もかなり茶色味がかっていて肌はかなり白い。体格は割と華奢だけど背は結構高くて、何より手足がスラリと長くて凄くスタイルが良いと思った。女子達は睦月の事「王子様みたい!」って目をハートにしながら言うけど、初めて見たときは正直、僕もちょっとだけ思った。「なんだか王子様みたいなヤツだ」って。
 でもって、睦月のお父さんも(今は僕のお父さんでもある)本当に格好良かった。外国映画に出てくる俳優みたいで(なんだか良く分からないけど睦月の家系は三代くらい前にロシア人の血が入っているらしい)、なんでそんなに格好良い人が僕の母さんとなんか結婚する気になったのか本当に不思議だったんだけど、しばらく一緒にいるうちにその理由は簡単に分かった。『割れ鍋にとじ蓋』って言葉があるけど、アレなんだよね。睦月のお父さんって、本当に、びっくりするくらい抜けてるんだ。会社じゃ相当切れ者で、結構偉い人らしいんだけど、いわゆる一芸ナントカってヤツで、他は全部ダメ。生活に関することが本当に一切出来ない。ウチの母さんも家事なんてろくすっぽ出来ないんだけど、一応、看護婦なんてやってるからしっかりしてる。性格はかなりキッツいとは思うんだけどね(お陰で僕は、この歳にして既に女の子に対する憧れとか幻想が全く無い不幸な男だ)。
 で、そんなお父さんの子供だから当然、睦月も似たようなもんだった。

 正直言って、人間の価値は外見じゃないね。断言できる。顔が良かろうが、スタイルが良かろうが、そんなもの、はっきり言って何の役にも立たない。そう。全く役に立たないんだよ!
 学校で幾ら女子達にキャーキャー騒がれてようが、ラブレターを山のように貰って来ようが、僕には何の益にもなりゃしない。
「優(ゆたか)君、良いな〜睦月君と兄弟になれたなんて」
 とかクラスの女の子はうっとりしながら言うけど、ちっとも良いことなんて無い。むしろ代わってくれ! 代われるものなら!
 睦月は家の中じゃ壊滅的なダメ人間だ。自分の着たものを洗濯機に突っ込んだり、ゴミをゴミ箱に入れるなんて幼稚園児でも出来る事すら出来ない。洗面所を使えば床はビショビショになるし、電子レンジで料理を温めればなぜか爆発する。もちろん、家事なんて一切出来やしない。結局、母さんと睦月のお父さんが結婚して僕が得たものと言えば、二倍になった家事労働という救いようの無いものだった。いや、睦月の家事能力が赤ん坊レベルと言う事を考えれば実質的な労働は三倍かもしれない。何の因果で僕はこんな目にあっているのだろうか。
 そう思いつつも、ついつい、出来立てのモノを食べさせてやろうと思ってチャーハンなんて作ってる僕って本当にお人よし。
「わー! すげー良い匂い! ユタカ、アイシテルー!」
 僕の憂鬱なんかよそに、睦月が後ろからノーテンキに僕に圧し掛かってくる。幾ら細身だって言ったって、僕よりも10センチも背が高いんだから、重いんだよ!
「危ないだろ! 料理してる最中に邪魔すんな!」
 僕が肘鉄を食らわしながら怒鳴りつけると、睦月はケラケラ笑いながらテーブルに座った。
「ユタカは怒った顔も可愛いなー。エプロンなんかしてるとムラムラしちゃうよね。新婚さんって感じ?」
 とか、いつもの阿呆な事を言ってくる。本当に睦月って阿呆だと思う。頭がおかしいよね。いっぺん病院に行ってちゃんと見てもらうべきだと思う。
 ムッとしたまま出来たてのチャーハンと暖めたスープを並べてやると、睦月は餌を貰った犬みたいに嬉しそうに笑った。で、スプーンを取って食べようとしたんだけど。僕は『ソレ』に気がついて深々と溜息を吐く。
「待った」
「何? 俺、早く食べたいんだけど?」
 今まで寝汚く寝てたのはオマエだろうが! と叫びたいのを我慢して取り合えず、睦月の腕を引っ張って椅子から立ち上がらせた。
「ボタン」
「え?」
「ぼ・た・ん! ! 何遍言えば分かるんだよ! 一個ずれてンの! 下から順番にはめていけば、ずれないって教えただろう! 何で、何遍言っても出来ないんだよ!」
 シャツのボタンを掛け違えるなんて、本当にお前は幼稚園児か!
 毎朝、毎朝、睦月はこうなんだ。制服のシャツや上着のボタンを僕が直してやらなかった日は1日たりとも無いんじゃないだろうか。
 僕はブツブツ言いながら、睦月のシャツのボタンを一つ一つ直してやる。こんなこと自分でやれと言いたいんだけど、睦月が自分でやり直すと絶対にどこかが掛け違えるから僕がやった方が早い。
 全部ボタンをきちんと直してやると、睦月はニコニコと楽しそうに僕の顔を見下ろしていた。
「何だよ?」
「ユタカって可愛いよなーと思って。でっかい目だよなあ。落ちたりしないの?」
「落ちるわけ無いだろう! お前、バカ?」
 ほとほと呆れてこめかみの辺りを押さえても、睦月はちっとも気にしたりしない。気にしないどころか。
「んー! カワイイカワイイ!」
 そう言いながら、事もあろうか僕の頬にチュッとキスをした。アメリカナイズされてるんだか単にスキンシップが好きなんだかは知らないが、とにかく睦月の感情表現は大袈裟でやりすぎだ。それは、睦月のお父さんにも言えることなんだけど。やっぱり、この親子、変だよ。
 いくらそう言うのはやめてくれって言っても二人とも人の言うことなんて聞きやしないから最近は僕も諦めの境地だ。勝手にやってくれ、と思いながら睦月の向いの椅子に腰を下ろした。
「冷めるから、さっさと食えよ」
「いただきまーす」
 睦月は嬉々とした様子でスプーンを手に取る。他は全くダメなくせに、睦月はなぜか食べるのだけは上手なのだ。「食べてる姿も優雅で王子様みたーい!」とかクラスの女子は騒ぐけど、食べ方はキレイでも食い意地が張ってて意地汚いって知らないから騒げるんだ。
 僕は馬鹿馬鹿しい気持ちで、自分の分のチャーハンにスプーンをつけた。
「大体さ、言いたかないけど何でボタンだけちゃんと留められないんだよ? 制服のネクタイとかはちゃんと結べるのに。変だよ」
 僕が食べながらブツブツ文句を言うと、睦月は含みのあるような不思議な笑顔を浮かべた。
「何でだろうなあ。不思議だよなあ」
 って人事みたいに答える。
「っていうか、何でか分からないユタカの方が俺としては不思議なんだけどなあ」
 とか、更に分からないことを言い続けて楽しそうに笑った。
 その笑顔だけ見てると、ホントにキレイな顔だなあとは思ったんだけど。



 食器の後片付けもろくすっぽできない睦月の現状を考えると、やっぱり顔が良いのなんて何の役にも立たないと思わざるを得ない僕だった。



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