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『064:洗濯物日和』 ………………………………

 *『094:釦』の続編です。そちらを先にお読み下さい。




「起きろ! 起きろったら起きろ! 今日はシーツ洗うんだからな!」
 枕元で怒鳴り声が聞こえて、思わず口元が緩んでしまう。本当はとっくに目なんか覚めてたけど、ユタカの怒った顔が見たくてワザと布団の中でグズグズしていた。他の人間にぐだぐだ何か言われたら鬱陶しいかもしれないが、正直言ってユタカの小言は天使の囁きと一緒だ。とか、そんなオトメチックな事を言ったらユタカは鳥肌を立てて怒るかもしれないけど。
「いい加減にしろー!」
 痺れを切らしたユタカが俺の布団を強制的に剥ぎ取って、いつも通りにベッドからゴロンと転がり落ちた。でも大丈夫。受身は完璧だから大して痛くも無い。笑いながら目を開けば頬を赤くして、目元もほんのり赤くしたイロっぽいユタカの怒った顔が見えた。ユタカは笑ってても澄ましてても可愛いんだけど、怒ってる顔が一番イロっぽいと思う。でも泣き顔は見た事がないからどうかな。泣いてる顔もエロそうだけど。俺の下でアンアン泣いてくれないかなあ、とか不埒なことを考えながら、
「ユタカーアイシテルー」
 と、挨拶代わりの言葉を投げてやれば、ユタカは
「ざけんな!」
 って俺の頭を一蹴りしてからシーツを持って部屋を出て行ってしまった。嗚呼、その後姿も可愛い。後頭部の形もキレイで可愛いし、背中もシャンと伸びていて華奢で肩甲骨の形がはっきり分かってやらしい。でもって、尻は締まってて小さくて、すんげー気持ち良さそうなんだけど。
「さっさと起きないと、朝飯抜くぞ!」
 ダイニングキッチンの方からそんな声が聞こえてくる。ユタカは学校じゃ穏やかって言うかイイコちゃんなイメージなんだけど、家では結構乱暴だ。また、それが外見とのギャップがあって良かったりする。で、乱暴で口が悪いくせに、いつだって俺にできたてのご飯を作ってくれたりするんだから、よく出来た奥さんになるだろうなあ。
「睦月! パジャマも洗濯出しとけよ。天気が良いから一緒に洗ってやる」
 ひょいと、小さな顔だけ出してそんな事を言ってまたキッチンに戻っていくユタカに俺は笑いを禁じえない。ホントに良い奥さんだよなあって。


 初めてユタカと会ったのは確か、どっかのホテルの中のレストランだった。普段は、そんな場所で食事をしたりしない。親父も俺も見た目がちょっとアレらしくて、誤解している人間も多いけど二人でよく行く店って言ったらラーメン屋か回転寿司だ。全くの庶民派。でも、その時ばかりは親父も一生懸命だったんだろう。らしくも無く、一張羅のブランドのスーツとか着て、メチャメチャ緊張してた。

 過労で入院した病院で、親父は優子さん(ユタカの母親で今は俺の義母さんでもある)に出会い一目ぼれをしてしまったらしい。
「睦月…俺は天使に出会ってしまった!」
 とかクソ真面目な顔で言い出した時は、とうとう仕事のし過ぎで頭がイカれたのかと思ったが、病院で優子さんに会って親父がそう言ったのも分かった。優子さんは実際の年齢よりもずっと若く見える人で、しかもメチャクチャ可愛らしい人だったのだ。小柄で顔は小さくて、目がクリンとして清潔感があった。それでいて、しっかりしていて、ハキハキとした気持ちの良い女の人で、こんな人が母親になってくれるなら良いなあと素直に思えたから、俺は親父の年甲斐も無い恋に全面的に協力した。で、半年間押しの一手でとうとう親父は優子さんを口説き落としたのだった。
 その半年間の間に、優子さんに俺と同い年の息子がいるってのは聞いてた。もし、親父と優子さんが再婚したら俺とソイツは兄弟って事になる。正直、ちょっとウザイなと最初は思っていた。小さい頃にそういう状況になったのなら、多分自然に兄弟になれただろう。でも、14、5歳ってのは微妙な年齢だ。相性の合う合わないもある。相性が合わなかったら最悪だよなあ、とかその時は考えていたのだが。

 初めてそのレストランでユタカに出会った時、俺は優子さんに出会った時の親父の気持ちがよーく分かってしまった。頭の中で天使がファンファーレを鳴らしながら飛び回っている、そんな感じだった。
 理想のタイプを絵に描いてみなさいと言われて描いたなら、そのままユタカになりました、そう言っても過言じゃないくらいユタカは俺の直球ど真ん中もど真中だったのだ。

 それでも、さすがの俺も最初は多少悩んだ。何と言ってもユタカは男で同性だ。俺は今まで男を好きになったことなんて一度も無いし、自分がホモだなんて思ったことも無かった。一時の気の迷いなんだろうかと暫くは躊躇していたのだが。
 ある日、ユタカが入っていると知らずに入浴中の風呂場に踏み込んでしまったのだ。もちろん、男同士なんだからユタカは気になんかするワケが無い。
「あ、睦月ゴメン。すぐ上がるから待って」
 そう言いながらゴシゴシ頭を洗っていた。ユタカは男なのだ。当然胸はぺったんこだし、股間にはちんちんがぶら下がっていた。俺と何ら代わらない(まあ俺よりは小柄で多少華奢ではあるが)男の体だってのに。事もあろうか、俺はユタカの裸を見て見事に勃起してしまったのだ。
 つくものついてる男の体だとはっきり自分の目で確認しても勃ってしまったものは仕方が無い。俺は潔くユタカへの恋心を(下心込みで)認めたのだった。
 それからは親父じゃないがとにかく押しの一手。事あるごとに「アイシテル」とアプローチしているのだが、ユタカは超が付くほどの鈍感で全く気が付かない。過剰なスキンシップをしても冗談だとしか思っていないようだった。拒絶されるのもかなりつらいが、気が付いてもらえないのもかなりツライ。正直、蛇の生殺しに近い。ユタカは鈍感な上に無防備で、平気でタオル一枚腰に巻いただけの格好でフラフラしたりする。オトシゴロの俺としては半ば拷問のようなものだ。いっそ、強引にヤっちまおうかなあとも思うのだが、ユタカは見た目は可愛くても性格は一本気が通っているので一度怒らせてしまったら後が大変そうで、それも躊躇してしまう。




「んー! 良い天気! 洗濯物日和だね」
 そんな所帯じみたことを言いながらパンパンと音を立ててユタカはシーツを広げている。他の家族がみんな家事が出来ないから、しかたなく自分がやっているんだといつもプンプン怒りながらユタカは文句を言うけど、でも、絶対ユタカは口で言ってるほど家事が嫌いじゃないと思うんだけどなあ。それが証拠に、洗濯物を干してるユタカの顔はどこか楽しそうで、可愛らしい。
 真面目な話、本気で俺の奥さんになってくれないかなあ。でも、そんな事言ったら顔の形が変わるまで殴られることは必至だ。可愛い顔をしてユタカは手が早い。
「…何だよ? 何か言いたいことでもあんの?」
 あんまり、俺がじっとユタカを見詰めていたので居心地が悪くなったらしい。少し不機嫌そうな表情でユタカは俺を睨んでいる。
「…いや、何か手伝おうかと思って」
「イラナイ。睦月が手伝うと却って仕事増えるもん」
 素っ気無く答えられて、苦笑いが零れた。やれば俺もそこそこ家事はこなせるんだけど、ついついユタカの怒った顔が見たくてワザと失敗してるのだが、ユタカは全く気が付いていないらしい。例えば、シャツのボタンとか一回ワザとずらして留めて見せたら、ユタカが留め直してくれて、それ以来病みつきになってずっとわざとボタンをずらしている。ユタカはバカ正直というか、律儀にその度にボタンを直してくれるけど、フツー気が付くっしょ。や、そういう鈍感なところも可愛くて好きなんだけど。
「よしっ! 洗濯完了」
 そう言いながら洗濯物カゴを持ってベランダから部屋の中に戻ってくる。それから、チラリと俺に微妙な視線を送ってきた。
「何?」
「…昼飯、何食いたい?」
 照れ臭さを隠しているせいなのか、ぶっきらぼうな口調でユタカが尋ねてくる。こういうところがなあ、たまんないんだよなあ、と思いつつ苦笑いを浮かべた。
「パスタ」
「…ふうん。トマトソースが良い? クリームソースが良い?」
「トマトかなあ」
「分かった」
 素っ気無く返事をすると、ユタカは洗濯カゴを抱えたまま脱衣所に消えた。何となく気になってその後を追いかける。脱衣所の入り口から中を覗き込むと、ユタカは訝しげな表情で、
「何だよ? 用事?」
 と突っかかってくる。
「いや、別に用事ってワケじゃないんだけど。いつも悪いな、と思って。昼飯、俺の好みに合わせなくてもユタカの食いたいモンでも良いよ」
 そう言ったら、ユタカは少しだけ頬と首筋を赤くして、
「別に。睦月は食べっぷりイイから、作りがいあるし。そんなこと気にされても困る」
 とか何とか答えた。
 そんな言葉の中身も、ユタカの表情もあまりにあまりで、俺は色んなところに直撃を受けてしまう。本当に何だかなあ。
「食べ物よりもさあ、ユタカを食べさせてもらえるのが一番嬉しいんだけどなあ」
 思わずバカ正直に思っていることを口に出してしまったら。




「睦月って、やっぱり正真正銘の『バカ』だね!」
 と、白い目で見られてしまった洗濯物日和の平和なお昼の事だった。



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