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『079:INSOMNIA(不眠症)』@ ……………

 夢は人間の願望が現われるものだと言われています。
 けれども、その願望が例えば、倫理的に許されない事であるとか、自分の良心を苛むものである場合、一種の検閲が入ってしまうのです。つまりは、本来の願望を抽象的な物体に置き換えたり、比喩、暗喩が入ったりする訳です。
 例えば、剣だとか、ピストルだとかは男性性器の抽象化した形であるとかある研究では言われています。
 これは、言わば人間の自己防衛本能がなせる技なのです。なぜなら人間の深層に沈む願望をそのまま具現化してしまうことは大変危険な事だからです。自分の中の醜い欲求や自覚の無かった憎悪と言ったものを はっきりと見せてしまうのですから。
 そんな醜悪な自分を突きつけられたら、大抵の人間は耐え切れないのでしょう。
 従って、人間は無意識に夢の中で、それを遠回しな表現に変換したりあるいはわかりにくい比喩表現に置き換えたりするのです。
 ですから訳の分からない夢を皆さんが見たことがあるとすれば、訳が分からないほどそれは危険な願望の現われであると言えるのです。





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深層心理における受容
表層意識における拒絶
その矛盾の生ずるところの崩壊









 空と湖がどこまでも続いている。空は乳白色で所々水色や桃をトロリと混ぜ込んだような曖昧な部分がありまるでトバーズの表面のようだった。
 湖面はコバルトブルーだったが、あまりに透明度が高くどこまでもどこまでも底の方まで見下ろすことが出来たので本来の深さを伺い知ることは困難だった。本当は、気の遠くなるほどの深さであったのにまるで青いガラス一枚を隔てたすぐ隣のように湖底の様子がはっきりと見て取れた。つまりは、下界の様子のことである。
 彼は、それを悠長に眺めながら湖の上を浮遊し、散策していた。湖面を歩くことも出来たが何となく今日はそんな気分にならなかったので浮遊していただけだった。

 真っ白な肌。色素の薄い薄茶の瞳と、髪。彫りの深い整った顔立ち。
 どこか現実離れしたような、本の世界から出て来た人物のようなその姿は、いっそこの世界には酷く馴染んでごく当たり前の姿のように映る。
 けれども今は、そんな彼の容貌は、まだ意味を持たない。彼が、この世界に存在するただ一人の人間で、未だ、誰とも出会っていないからだった。
 彼は、この世界のたった一人の住人であり、そして王様だった。だから、この世界では森羅万象が彼の意のままになる。いつから、彼がこの世界に存在するのかもうあまりに遠い昔のことで彼には思い出すことは出来なかった。或いは、彼がここに存在するのは例えば人が瞬きをする一瞬でしかなく、現れてはすぐに消える幻の様な世界であったかもしれない。そこには、刹那と永遠が混在しており、全てを定義づけることは不可能であったので彼は、その不毛な追求をするようなことはしなかった。ただ、自分は与えられた役割を担うだけで良い。
 暫く湖面を突き進んでいくと、ようやく目的のものを発見し彼はその少し大きめの、けれどもそのせいで美しさを損なったりはしない口の端を僅かに上げて微笑んだ。
 その笑顔は、見たものを誰でも魅了するようなそれであったが、今は誰も観客がいないので、その効力が発せられることは無かった。
 だだっ広い湖面を、どこかから流れ着いた木の葉のように、一人の少年が漂っている。
 彼は、浮遊するのを止め、トンと湖面に足をつける。すると、湖面に波紋が広がり外へ外へと波の輪を作った。
 彼は、屈んで少年に手を伸ばしていとも容易く掬い上げる。片手で軽々とその少年を抱え上げている姿は異様なはずであったがその世界では別段、問題とはならなかった。
 彼は、もう一度、トンと水面を蹴ると宙に浮かび上がる。それから、片手で少年を抱えたままもう一度湖面の上を浮遊し始めた。
 よくよく見えると、彼の手は少年の体には触れておらず彼が手をかざしているので、その少年の体が宙に浮かび上がっているに過ぎなかった。
 彼はそのまま浮遊を続け、そうして、彼の住処である小さな館にたどり着いた。彼は、その世界の王であるのだからどんな大きな城に住むことも出来たのだが、形ばかり無闇に大きながらんどうの家に住むのは馬鹿馬鹿しかったので敢えてそうはしなかったのだ。
 彼は、館にたどり着くと少年をごろんと床に放り投げた。寝台やソファーに寝かせなかったのは、恐らく、その少年が丁寧な扱いを快く思わないであろうと考えたからだった。
 彼には、分かっていた。
 これから彼に施すことを考えれば、いっそこんな風に粗雑に床に転がすのがふさわしいと言うことが。
 いささか乱暴に床に放り投げられた衝撃で少年は目を見開いた。
 開かれた大きな瞳は、彼とは対照的な漆黒であったが、どこまでも透き通っていて穢れを知らない、と言う点では彼と共通していた。
 少年は、その黒い瞳でもって、初めてその世界と彼を映した。それで、ようやくその世界は意味を持ち、名前を持つ。少年の目は、彼を映した途端に大きく見開かれ、その口は
「須崎(すざき)…俊哉(としや)…?」
 と言う言葉を形作る。そして、彼は名前を持ち得た。
 そもそも、名前は己と他者を区別するために便宜上使用するものであり他者が存在しない世界では何の意味も持たない代物である。だから、彼は、今まで名前を持たなかった。必要もなかった。
 けれども、たった今、彼は「名前」と言うものを得たのだ。この世界に、彼以外の他者が紛れ込んだからだ。
「君が付けた名前が俺の名前だ。それでは、今日から俺の名前をその名前にしよう」
 歌うように「俊哉」は言った。少年は、自分の来た世界に存在する全く同じ姿をした人間の名前を口にしたに過ぎない。けれども、この世界ではそれが真実となるのだった。
 体に全く力の入らない様子で、ぐったりと床に横たわったまま俊哉を見上げている少年の襟元を、ぐいと乱暴に引き寄せると俊哉は命令するような強い口調で
「君の名は?」
 と尋ねた。
 少年は、未だ夢の中にでもいるかのような虚ろな黒い目を瞬かせる。それから、その力の入らない体でもって必死に反抗するように
「君は、知っているはずだ」
 と言い返して俊哉の薄茶の瞳を睨み付けた。
 俊哉は、怯むことなく少年の黒い瞳を見つめ返しそこから何かを読みとると、ふっと笑った。そして、ようやく、その笑顔の効力が発揮されることとなる。その表情の持つ力に抗うことが出来ず、少年は思考を停止させられる。禍々しいとさえ思えるその表情に、本能的にその黒い瞳を閉じるとその黒い瞳を覆う瞼に、俊哉の唇が降りてきた。
「そうだね。知っているよ」
 言葉と共に、怯えて頑なに閉ざされた瞼に唇が落ちる。俊哉の唇が瞼に触れた途端、少年は瞼を小刻みに震えさせた。微かな風が緑の葉を揺らすように小刻みに繊細に揺れる睫の震えを唇に感じながら俊哉は薄く笑みを浮かべた。
「椿和巳(つばきかずみ)」
 唇を瞼から離し、耳元で囁くようにその名を呼ぶと少年の目が弾かれたように、はっと見開かれ俊哉の目をじっと見つめた。そのまま、俊哉の唇が自分の唇に近づいてきてその意図を察して和巳は、なんとか体を離して逃げようと試みた。けれども、体はまるで石か何かになってしまったかのように脳が命令するようには動いてはくれなかった。
 全身がひどく重たい。まるで、金縛りにでもあったかのように、自分の体がままならない。まるで、体だけ誰かに操られているかのようだった。
 俊哉の唇が和巳の唇に触れ、和巳は逃れるように目を閉じたが触れた唇の感覚に、悲鳴をあげそうになった。まるで、体の中を虫が這い回るかのようなぞわぞわとした感覚が背中を走り、必死に抵抗したがやはり体は思うように動かなかった。
 暫くして唇は離れ、必死で目を閉じて逃れようとしている和巳の耳に
「無駄だよ」
 と言う言葉が吹き込まれる。あまりの悪寒に、額に冷や汗を浮かべながら、和巳は目を開いた。
「わかっているんだろう? 『ここ』では何一つ君の自由になるものは無い」
 冷たくて、残酷な声が聞こえ和巳は頭がくらりとした。
 漠然とした認識が頭の中に流れ込んでいる。嗚呼、そうだったとなぜだか納得できた。この世界では、俊哉が王様で自分は彼に支配されているのだと。指一本ですら、この世界では自分のものではなく自分の意志ではどうにもならないのだ。かろうじて、自分のものであるのは「魂」とでも言うべきものだけでそれも、油断すればあっというまに俊哉に支配されてしまう。現に、今も俊哉は自分を何もかも支配しようと企んでいるのだ。
 魂の支配は、すなわちこの世界における「死」を意味する。魂を支配されると、肉体は緑青に染まり腐敗してしまう。
 ふと、目を逸らして窓の外を見ると がらくたのようにうち捨てられた青銅の銅像が何体も庭に転がっているのが見えた。けれども、それらは決して銅像などではなく、死体の山なのだ。魂を支配されて肉体を腐敗させた「穢らわしい」肉の塊。自分は、あんな風にはなるまい。何があっても、支配などされまい、と和巳は俊哉の薄茶の瞳を睨み付けた。その表情を見て、俊哉はさも楽しそうに笑った。
「面白い。実に面白いね。ヒトとは、君が考えているよりもずっと脆い生き物だよ。その穢れない肉体が一体いつまで保つのだろう。ほら、ごらん。俺と口づけしたせいで君の指先はもうこんなに腐り始めているよ」
 俊哉は和巳の手を取り、ゆっくりと和巳がよく見えるようにその手を和巳の目の前まで持っていく。俊哉が言うように、確かに、和巳の指は既に第一関節のあたりまで緑青に染まっていた。和巳は、それを見てはっと息をのみ、青ざめる。緑青に染まっている辺りの肉が、酷く不快な感触を伝えてきて和巳は「ヒッ」と短い悲鳴を上げた。まるで、指先の中に何匹も小さな虫がいてその狭い指先の肉の間を縦横無尽にうぞうぞと動き回っているような感覚がしたのだ。
 あるいは、その感覚を「快感」と捉えれば腐敗は、加速度的に進む。つまり、腐敗していくことが快楽だと理解することになるからだ。けれども、和巳はそれを「不快」と捉えた。すなわち、それは精神の潔癖さを表す。まるで、無理矢理、指先に汚いものを詰め込まれたような感覚に嫌々をするように激しく首を横に振る。その不快感に生理的な涙を溜め、和巳の眦から一粒の涙がこぼれ落ちた。俊哉は和巳の顎を強引に捕らえ、首を振るのを止めさせるとその眦に真っ赤な舌を這わす。ペロリと涙を舐め取られて、その感覚にすら和巳は過敏に反応した。
「…やめ…さわら・・な・・いで…」
 その不快感から逃れたい一心で和巳は哀願するように俊哉を見上げたがやはり、俊哉は楽しそうに笑っているだけだった。
「無駄だよ。君にはわかっているんだろう? この世界では、俺が君の王様なのだから」
「い…やだ…さ…わる…な…」
 諭すような優しい口調で俊哉が囁くのを、和巳は必死に首を振って拒絶する。けれども、もう一度俊哉に強引に顎を捕まれ、唇で言葉を塞がれた。白い冷たい指が唇を割って、先ほど眦を辿った赤い舌が入り込んで来る。口付けされるのは途方も無い快感だったが、それを快感と捉えると指先の不快感が更に広がる。ぞわぞわと、虫の居場所が範囲を広げていくのを感覚で感じ取って和巳は鳥肌を立てた。透明な糸を引き、淫猥な唇が離れると、俊哉は鮮やかに笑った。
「ほらごらん。もう、君の指は殆ど使い物にならなくなったよ」
 そう言って、和巳の手を取ると目の前に持ってきて和巳に見せる。確かに、和巳の指は、もうすっかりどこもかしこも緑青に染まっていて和巳は、その自分の肉の変化に悲鳴を上げた。
「い…やだ…い…やだ…」
 和巳が子供のように泣きじゃくるのを俊哉は何の憐憫も持たない冷たい薄茶の瞳で見つめ、投げ捨てるように和巳の身体を放り出す。支えを失った身体は、青銅でできた銅像のように引力にしたがってドサリと床に落ちた。
 和巳はしゃくり上げながら緑青に染まった指を自分の胸の辺りに抱き込む。指先にはやはり、ぞわぞわとした感触があっていつまでも和巳を苛むのだった。


 それから、幾晩かがすぎた。
 俊哉は、あれから、特に何かを仕掛けてきたりはしない。ただ、時折、少し離れた場所からじっと和巳を観察している。和巳の緑青の指が、いつもいつも和巳を苛んではいたが、緑青はそれ以上は広がらず、腐敗は止まっているかのように見えた。けれども、和巳は自分のからだを上手に動かすことができないから、ただ、ひたすら床に転がっていることしか出来ない。そのうちに、だんだんと飢餓感が和巳を襲ってきた。この世界では、ものを食べる必要など無いはずなのに確かに、和巳は酷い空腹感を感じて、喉はからからに渇いているのだった。けれども、自分で食べ物を探しに行くことも、水を探しに行くことも出来ない。
 日に日に強まる飢餓感と、不快な指の感覚とに苦しめられのた打ち回るように、床の上を転がる。けれども、和巳がそんな風に苦しんでいても、決して俊哉が手を差し伸べることはなくただ、冷たい薄茶の目で見つめているだけだった。

 七日の晩と八日の昼が過ぎようとしていた頃だ。

 俊哉は、何か赤い塊を和巳に差し出した。ずっと苦しみ続けて、目も虚ろになりかけながら和巳は俊哉の白い指を見つめる。
「これを食べるといい」
 そういって、その赤い塊を和巳の口元に押し付ける。その赤い塊は、一見、李かあるいは石榴の実のように見えた。和巳は、あまりの飢餓感から素直に口を開く。そして、その赤い塊を口に含んだ途端に、ぐ、と詰まり次の瞬間にそれを吐き出した。げほげほと激しく咳き込み、口の中に入ったものを全て吐出そうとする。あらかた吐出してようやく落ち着くと、口元を何とか拭って俊哉を激しく睨み付けた。
「どうして、こんなものを!」
 けれども、俊哉はさして気にしている様子も見せず嘲笑うかのように口の端を上げる。
「君がお腹がすいているだろうと思ったんだけど?」
 悪びれる様子も無い俊哉に、和巳は悔しそうに眉を寄せた。
「これは…これは、ヒトの肉じゃ無いか!」
「そうだよ。君が望んでいるだろうと思ってね」
「俺は、こんなもの望んではいない!」
「おやおや。困ったヤツだな。何も分かっていないんだから」
 俊哉は、からかうように肩を竦めると、すっとその白い指を和巳の額に近づける。瞬間的な恐怖に和巳が身を引こうとするのを許さず、俊哉はそのまま人差し指を和巳の額につけた。ジリ、と音がして俊哉が触れた部分がまるで溶けた鉄のように赤く熱を持つ。
「あぁぅっ!」
 和巳は悲鳴を上げて、逃れようとしたが触れている指は決して離れなかった。煙草の火でも押し付けられたように指が触れている部分が熱かった。それから、指に走っている不快感と少し似た不快感が、じりじりとそこから広がる。けれども、身体の終端ではなく頭を直に刺激しているその感覚はより強烈で和巳に得も言われぬもどかしさと不快感と、その数倍の快感を与えた。
「…やめ……嫌だ、嫌だ、ひっ」
 和巳はがむしゃらに手足をばたつかせて抵抗する。抵抗している「はず」だった。けれども、緑青に腐敗した指先は和巳の意志を裏切って俊哉の手を掴み、その白い指を求めるように自分の額に押し付けている。そうして、しばらく悲鳴を上げながら俊哉の指の洗礼を受けもうすっかり和巳が正気を失った頃にようやく俊哉は指を離した。指が触れていた場所は、すっかり赤くなっていてまるで痣でもできてしまったかのように見えた。
「わかるかい? 従属の印だよ。君は、俺に支配されるんだ」
「…まだ、されていない」
「なぜ? 支配されるのを望んだのは君だろう?」
「そんなこと、望んでなんかいない」
「忘れたのか?」
 俊哉は、じっと和巳の顔を覗き込み艶やかな笑みを浮かべた。和巳は、そうやって見つめられて笑いかけられるだけで額がじりじり熱を持つような気がして、酷くもどかしい気分になる。けれども、俊哉に暗示でもかけられているのかその薄茶の瞳から目を逸らすことはできなかった。
「俺をこの世界の王様に据えたのは君自身だということを」
 俊哉はゆったりと、言い聞かせるような口調で呟いた。和巳はそれは違うと否定したかった。首を左右に振って、それは違うと否定するつもりだった。

 緑青に変化し始めている指先。額から広がる鈍痛とえもいわれぬ甘いしびれのような感覚。

 けれども、それが邪魔をして否定できない。決して、俊哉をこの世界の王様に据えたのは自分ではないはずだった。危険だと、赤いランプが頭の中で点滅する。いけない、それ以上はいけないと声がする。
「わからないの?」
 耳元で囁かれる声は和巳を腐敗させようと睦言のように甘やかに誘う。和巳は額の赤い印から、緑青の指先から広がる甘い痺れを拒絶しようとがむしゃらに首を左右に振る。けれども、緑青の指は俊哉の頭を抱いて引き寄せる。
「この世界の本当の王様は俺ではないだろう?」
 いけない。それに気が付いてはいけない、と声がする。
「君にはもうわかっているはず」
 それはすなわち自己の崩壊を示す。
「俺をこの世界の王様に据えたのは君だろう?」
「…ち…が…う…」

 表層意識における拒絶。

「なぜ、俺を王様に据えたの?」
「ちが…う…」

 深層心理における受容、そして渇望。

「肉(つち)の体(うつわ)を望んだのも、従属を望んだのも君だろう?」
「ちがう!」

 その矛盾の生ずるところの崩壊。
 世界はすべて崩れ去り、何もかもが形を失う。
 そこに残ったのはどこまでも広がるトパーズの空とコバルトブルーの水。
 和巳と俊哉は水面に放り出され、和巳の腕は一気に肘の辺りまで緑青に染まる。
「嫌だ嫌だ!」
 悲鳴のように叫んだ言葉は、世界が崩壊する音にかき消された。
 俊哉は和巳の緑青の腕を掴むと、最後の笑いを浮かべる。
「君を元の世界に帰して上げよう。でも決して忘れてはいけない。君に架した呪縛は消えることは無いと言うことを」
 そう告げると、俊哉はぐいと和巳を水面に押し付けた。和巳は慌ててもがいたが、自分の体はどんどん水の中に浸っていく。恐怖のあまり、必死に手足をばたつかせたが無駄な抵抗だった。
 白い手が自分を押さえつけている。どんどん底の方に向って沈められて、もう、殆ど溺れかけていた。
 どんどん沈んでいく。底の方へ。つまりは下界の方向であり、光の方向でもある。





 底の方に向っているはずなのに、世界はどんどん明るさを増していく。
 急速に覚醒に向った和巳の意識を如実に表していた。
 和巳は、白い手に溺れさせられて手を伸ばし、目を開く。
 そこで世界は完全に崩壊した。








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