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『071:誘蛾灯』 ………………………………

 *『011: 柔らかい殻』の続編です。そちらを先にお読み下さい。




 五十にして天命を知る、とは孔子の論語であるが、長岡栄(ながおかえい)が、自分の天命を知ったのはわずか6歳、テレビで国民的アニメ、かのドラえもんを見ていた時だった。
 『タイムマシン』というすばらしい機械でもってうだつのあがらないダメな主人公が時空を超えるという話を見て、いたく感動した。興奮冷めやらぬ様子でもって栄が、
「僕、大きくなったらタイムマシンを作る!」
 と言えば、栄の両親は愛情のこもった笑顔を栄に向けて、
「まあ、素敵な夢ね。栄ならきっと作れるわ」
「ノーベル賞も取れるかもしれないぞ! そしたら、パパは鼻が高いなあ」
 と言ったものだ。だがしかし、彼らは知らなかった。栄が一度思い込んだら絶対に諦めない、良く言えば意志の強い、悪く言えば偏屈で頑固な少年だったという事を。
 栄は、それ以来、科学系の書物、とりわけ物理だとか数学の要素の強いものを読み漁るようになった。子供向けの『科学』という雑誌は当然ながら栄の愛読誌になった。この時点で、他の子供とは栄は一線を画していた。例えば、普通の子供がゲームに夢中になっている時も、栄が興味を向けたのはゲームそのものではなく、なぜ、この機械であんな風に画面が表示されるのかと言う、ゲーム機の仕組みのほうだった。そんな栄を周りの子供たちは異星人でも見るような目で見ていたが、彼らの両親は実に大鷹揚な人物だったため、
「まあ、栄は個性的な子なのねえ」
 としか思わなかった。そんな風に、一事が万事、あっさりと流されているうちに、気がつけば栄には『変人』という輝かしい渾名がつけられていたのである。



 基本的に栄は、何でもかんでも理詰めで考える。こう言う原因があって、こう言う結果になる。『何となく』という感覚がどうも落ち着かず苦手で、方程式で答えの出ないものが好きではなかった。だから自然と理系科目と文系科目の成績の差が開き始めた。国語などは一番苦手な分野で『この時の主人公の心情を20字以内でまとめよ』などという問題が出るとお手上げだった。
 そんな栄が、どうしようもない事態に直面するようになったのは高校に入って半年ほど経った頃のことだった。
 最初は、さして気にも留めなかったのだが、気がつくとやたらと目に入ってくる人物がいたのだ。その人物の名前は『香村誉(こうむらほまれ)』といった。
 誉は入学当初から有名人だった。悪い意味ではなく良い意味でだ。変人と呼ばれていても、さすがに栄は最低ラインの常識は持ち合わせていたので、それなりに問題なく高校生活を送っていた。友人もきちんといる。世俗に疎いというわけでもないので、誉の噂はきちんと耳に入っていた。
 誉はこの進学校に主席で入学した優等生だった。しかもスポーツ万能で、性格も良い。嘘みたいに完璧な人間だという話だった。一体どんなヤツなんだと栄が何となく興味を持って見たならば、顔も整っていた。ますますもって嘘みたいな少年だ。だがしかし、栄は誉の温和で優しそうで綺麗な笑顔に違和感を持った。確かに感じが良い。癒し系アイドルだなどと影で呼ばれていることだけはあって、その笑顔は人を和ませる。それは認める。けれども、栄にはどうしてもそれが誉の『本当の笑顔』だとは思えなかったのだ。
 笑っているのに、どこか寂しげ。退屈そうにため息を押し殺しているように見える。それに気がつくと同時に、栄は自分が無意識に目で誉を追っていることにも気がついた。しかも、気を引き締めていなければ、なぜだか誉の顔を思い出している。これは一体何なんだ! と、栄は焦った。
 こんなことは今まで一度も無かった。訳が分からない。この訳が分からないという状態が栄は大嫌いだった。このままでは、栄の輝かしい使命にも差支えが出てしまう。そこで、栄は一生懸命自分がそんな状態になった理由を考えた。そして栄が導き出した結論は、
 『アイツが、俺に向けておかしな電波を発しているから」
 だった。
 きっと、アイツは俺に向かって、俺にしかわからない電波を発しているのだ。そして、俺にアイツを見ろと命令しているのだ。もしかしたら、アイツを助けろと信号を送っているのかもしれない。だから、俺はこんな風にアイツを見てしまうし、四六時中アイツのことばかりを考えているんだ。俺がアイツのことが気になるのは蛾が灯りに吸い寄せられるようなもので、仕方が無いのだ。俺は蛾で、アイツは誘蛾灯なんだ!
 栄はそう自分を納得させた。この時点でかなりの変人だが、栄はそれには気がつかない。自分が納得できる理由を見つけられればそれで満足してしまうからだ。それが変人の変人たるゆえんだったが、栄は心の平穏を無事に、取り戻したのでそれで良かった。
 だが、栄の心の平穏は長くは続かなかった。誉が命令するのだから仕方がないと、心の趣くままに栄を追いかけていたのだが(この辺り、すでにストーカーの域だったが、栄にはもちろん自覚は無かった)、どうやら誉がおかしなことを始めたらしいと気がついてしまったのだ。二年に進級した辺りから、どうも雰囲気が怪しい。時々、気だるそうにため息を吐いていたりする。その風情が妙に艶めいている。だが、周りはそんな誉の様子には殆ど気がついていないようだった。
 誉の変化が気になって仕方が無かったので、栄は時々誉の行動を探ってみた。驚いたことに、栄は誉が妙な男とホテルに入っていく現場を何度も目撃する羽目に陥った。幾ら、栄が色事にはとんと疎く縁が無いとは言え、誉が何をしているのかは容易に想像がついた。まさか男と二人でホテルに入って仲良く将棋をさしているはずもあるまい。
 誉がホテルから男と二人で出てきて、金を受け取っているところを見たときには栄は涙がこぼれてしまった。どうして、誉はあんなことをしているのだろうか。
 お前が俺を見ろといっているから俺はずっとお前を見守っていたのに。お前が助けろと信号を送ってくるから、どうやったら助けられるのか一生懸命考えていたのに。そう思ったら、情けなくて、悲しくて、悔しくて仕方が無かった。
 もう一刻も猶予はならぬとばかりに、栄は誉に声をかけた。どうやって誉を止めていいのか分からずに脅迫まがいなことを言ったのに、誉はなぜだか嬉しそうだった。だから、更に、自分の天命である研究の助手をしろと言ったら花が綻ぶ様に綺麗に笑った。その笑顔は決して偽物なんかじゃなかった。これが本当の誉の笑顔だと思った。
 なんだ、やっぱりコイツは俺を待っていたんじゃないか。と栄は自分が正しかったことを悟った。そして、誉がおかしな電波など発していなかったことにも気がついた。なんのことはない。栄は誉が好きだっただけなのだ。なんだなんだ、そんな単純なことだったのかと栄は明快な答えが出てスッキリとした筈だった。
 そこまでは良い。問題は、その後だった。







「ねえねえ。栄。セックスしようよ?」
 今日も今日とて、誉は癒し系といわれている温和で綺麗な笑顔を浮かべながらそんな刺激的な事を言ってくる。栄は、深々と大きなため息を吐いて誉を窘めるように見つめた。
「…誉。お前は、だから、どうしてそうなんだ。良いから、俺のいう事を聞け。ちょっとそこに座れ」
 栄が内心の動揺と葛藤を押さえ込んで、静かな口調で言えば誉は軽く首をかしげて、あどけない可愛らしい表情で何か考えていたようだったが、おもむろに栄に近づくと、その腿を跨ぎストンとその上に座った。
「違う! そこに座れと言ったんじゃない!」
 腿に当たる適度な弾力の感触に激しく焦りながら栄は誉を叱りつけた。叱り付けても、残念ながらこの助手は滅多に言う事を聞かない。助手としては相当有能だが、こういうところが甚だ困る。栄の下半身が己の意思を無視して勝手に反応しそうになるところが一番困る。
「なんで? 別に良いじゃん」
 そう言いながら、栄の首に腕を回して頬にチュッとキスしてくるのもかなり困る。
「だから! 今は実験中だ! !」
 そう言って、後ろの実験装置を指差しながらも栄は誉を突き飛ばさない。突き飛ばせない。しかも耳がほんのり赤く染まっていたりもする。
「えー? まだすんの? もう良いじゃん。明日にしてエッチしよ」
 非常に可愛らしい様子で、甘えたような声で誉は誘うと、栄の顎の辺りにも派手な音を立ててキスをした。普段の優等生らしい誉とはまったく別の顔をしている。この顔を見るのが栄はとても好きだし、こっちの誉の方がずっと好きだ。好きだけれども。




 誉が何の前触れも無く、唐突に、
「何か、俺、栄とセックスしてみたい」
 と言い出したのはもう一ヶ月も前の話だ。その時も、栄は同じ事を言ったはずだ。誉、お前はどうしてそうなんだ。良いから俺の言う事を聞け。ちょっとそこに座れ、と。
 そうしたら誉は『座った』のだ。ポイポイっと洋服を脱ぎ捨てて、ぱぱぱっと栄の洋服を脱がせて、ストンと何の抵抗も無く栄の上に。ぶっちゃけ栄は初めてだったが、それはそれは恐ろしく気持ちの良い思いをさせられてしまった。実に恐ろしい。コイツはやっぱり誘蛾灯だと栄は思った。飛んで火にいる夏の虫、などと折りしも季節に合った言葉が脳裏を過ぎったが。結局その日、栄は5回も誉の中で出してしまった。ヤりたい盛り、出したい盛りの高校生なのだからいたしかたない。だが、栄は納得しているわけではない。




「ダメだ! 俺はお前とはエッチしないんだ! こんなことは間違っている!」
 そう、間違っているのだ。
 誉は「セックスしてみたい」と言った。相手はもしかしたら自分でなくてもいいかもしれない。セックスできれば誰でも良いかもしれないのだ。だが栄は違う。セックスがしたいのではない。『誉と』というポイントが重要なのだ。そもそも性行為というのは生殖が目的であるべきなのだが、まあ、人間はそう言った本能から逸脱してしまっている生物なのだからそこは大目に見るとする。不毛な性行為自体も否定はしない。だがしかし、そこには愛が介在するべきなのだと栄はクソ真面目に考えていた。
「間違ってないってば。俺は栄とエッチしたいもん。それって栄が好きだって事だろ?」
 綺麗な指で誉は栄のシャツのボタンを外し始めたが。
「ちっっがーうっ! ! !」
 栄は声を大にして反論した。『セックスしたいから好き』と『好きだからセックスしたい』は似て非なり。その間には大きな隔たりがある。論理学的にも命題が真だからといって、その逆が真だとは限らない。ちなみにこの場合の命題は当然『好きだからセックスしたい』である。栄は、この命題は真だと思っている。従って栄が誉とセックスしたいと思うのは間違っていない。この辺の思考回路はやはりおかしい。だが、変人とは凡人には理解できないから変人といわれるのだ。誉も、
「どっちもどっちじゃん! 何で俺はダメで、栄は正しいんだよ!」
 と釈然としていないようだが。
 誉がきちんと栄が好きだと思うようになるまではセックスは控えるべきだと栄は真面目に思っていた。思ってはいたが、やっぱり、結局、飛んで火にいる夏の虫。
「違わないよ。栄は俺とセックスしたくないの? 俺のこと嫌いなの?」
 ウルウルと今にも泣きそうな瞳で上目遣いで見上げられると、ついフラフラと栄の手は誉の背中辺りを彷徨ってしまう。更に、耳朶を甘噛みなどされてしまえば呆気なく白旗を揚げてしまうのだ。
 これが、計算してやっているわけではないところが恐ろしい、実に恐ろしい。誉は素のまま、なんの計算も無く、こんなことをしているのだ。






 やっぱりコイツは誘蛾灯だと思いつつも、逆らえずフラフラと吸い寄せられてしまう自分に、果たして俺の天命が全うされる日が来るのだろうか、と些か不安になってしまった青い春まっただなかの栄だった。




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