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『066:666』A ………………………………

 夕方帰ってきた道を逆にたどり、神社の社に向かう。夕方のあの喧噪が嘘のように、辺りには物々しい空気が漂っていた。
 火事の後始末は粗方ついているのか、予想していたより警察や消防団員の姿は少ない。夜も大分更けていたので、さすがに野次馬の見物客も殆どいなかった。
 灯りのない、薄暗い参道を北斗はゆっくりと上る。焦げ臭い独特の匂いが北斗の鼻をついて、北斗は無意識に眉を顰めた。
 社に続く参道は、一切、街灯がないため、足下がおぼつかないが、幸いなことに今日は満月で、辺りを煌々と照らしてくれているので、石畳に足を取られて転ぶようなこともない。だがしかし、この満月が北斗にとっては吉となるかは甚だ疑問だった。
 満月は潮の満ちを呼ぶ。即ち、血の満ちを意味する。血が満ちれば北斗は自分の能力を最大限に発揮することができるが、その分、自分の存在を敵にありありと誇示してしまうことになる。北斗の血は敵を呼び寄せる。暗闇の中の灯りに虫が群がるように。
 より強い光を照らし示せば、よりたくさんの虫が集まってくるし、より質の悪い敵をも呼び寄せることになるのだ。
 参道を登り切ると、大きな赤い鳥居がある。今は、社を失った意味のない門に成り下がってしまったそれを、北斗は何気なくくぐった。くぐった瞬間にはっとする。ピタリ、と、その気配に気がつき足を止める。それは、北斗が誰かの「結界」に足を踏み入れてしまった瞬間だった。
 もっと警戒しておくべきだった、と後悔したが、後悔先に立たずで、既に事態は深刻な方向へ向かいつつあるようだった。一度踏み込んでしまったからには、この結界を解かないことには北斗はこの鳥居を出ることが出来ないだろう。しかも、結界の中に閉じこめられてしまった以上、自分の能力は本来の力の半分ほどしか発揮できない。どう考えても、北斗には相当分が悪い。
 北斗は立ち止まったまま深々とため息を吐いた。しかし、そうしていても仕方がないと、く、と顔を上げて真正面を見据える。結界の中心は社の焼け跡の辺りだった。これほどの広さで、しかも、この強度で結界を張れると言うことは、敵の力が相当に強いと言うことを示している。だがしかし、勝算が無いわけではない。これほどの結界を維持するためには、ある程度、自分の能力を削り続けなくてはならない。いくら相手が魑魅魍魎の類でも、そう長くは持たないと北斗は踏んだ。
 結界を維持しながら北斗と対峙しなくてはならなければ、力の半分は相手も削られる。耐えきれなくなって、結界を解いたならすぐに逃げれば良い。今は、敵を倒すことではなく、この場から『生きて』逃げ延びるのが先決だった。
 北斗は社の方から激しく放出される圧力に逆らいながら足を進める。生ぬるい水がもの凄い勢いで社の方から鳥居に向かって流れていくような圧力で、その勢いに流されぬよう、北斗は確実に一歩、一歩進んでいった。流れに逆らって進んでいるのだから、敵も、北斗の進入に気がついているに違いなかった。だがしかし、社の焼け跡から敵が出てくる気配は感じられない。社に入ったところで狙い打ちしようと思っているのかもしれないと、北斗は、意識を集中させる。集中させると、敵の居場所がありありと感じられて、北斗はぞっとした。これまでに感じたことのない強い妖気に、北斗は手の平がじんわりと汗ばんで行くのを止められなかった。
 自分の力で、押さえ込むことが出来るか予想する。北斗の力が最大限発揮できたとして、五分の勝算だろう。しかも、今は、敵の手中で、北斗の能力は五割減になっている。
 北斗は社の前で一旦立ち止まり、深く深呼吸をすると、ジャリと音を立てて社の焼け爛れた境内に足を踏み入れた。
 妖気はさらに凄まじく、北斗を戦かせる。酷く動悸が激しくなっており、額にまで冷や汗が滲んできていた。
 社は無惨に焼け爛れていたが、原型は辛うじて留めており、屋根や柱らしきものが残っていたので、中を見通すことは出来ない。奥まで北斗が自分の足で入っていかないことには、敵の元にはたどり着けない。おそらく、そこまで計算して社を全焼させなかったのだろう。その知能の高さに、北斗は改めてぞっとした。
 力も強く、知能も高い。一番、厄介なタイプの敵だった。
 真っ暗な境内の中をゆっくりと進む。本堂の奥に小さな部屋があり、そこから凄まじい妖気が発せられているようだった。
 北斗は、ごくりと唾を飲み込むと、真っ暗なその部屋に足を踏み入れる。あまりに妖気が強い為、その妖気が燐光と化して、敵の姿を闇に浮かび上がらせている。暗闇の中に、青白く浮かんでいるそのあやかしは、北斗の目にもはっきりと捉えることが出来た。
 闇だけの空間に青白く浮かんでいるその姿はいっそ幻想的で、まるで映画の一場面でも眺めているような錯覚に北斗は陥ったが、そのあまりに禍々しい空気は否定できなかった。『それ』は、ヒトカタをしていた。北斗が最も苦手とする形態。殲滅し終わると、酷い罪悪感に駆られ暫く浮上することが出来ない。人殺しをしてしまったような感覚に陥り、自分の手が血塗られているような錯覚に襲われる。なぜに殲滅する必要があるのかという根本に還り、仕事の目的を見失いそうになるのだ。
 その、人に似た、けれども決して人ではない異形の化け物は皆が皆、人間を襲うわけではない。例えば、阿久津未智がそうであるように。
 人間にも色んな人間がいるように、時には心優しい者すらいるというのに、ただ『人で無い』という理由から排除される。北斗には、どう考えてもそれは人間の愚かで傲慢な選民思想にしか見えなかった。
 ゆらりと宙に浮いていたそれは、ズボンのポケットに両の手を入れたまま、ふ、と顔を上げた。顔を上げて、閉じていた瞼をゆっくりと上げた。その顔は、まさに、この社の入り口で、夕暮れ時にばったりと出くわした少年と全く同じものだった。その少年の優雅な仕草に、北斗は自分の立場や置かれている状況を忘れて一瞬見とれる。『彼』は穏やかな、けれどもその禍々しさを隠しきることは出来ない不思議な魅力のある笑顔を浮かべて北斗を見つめた。
「こんばんは。また会ったね。美しい人」

 真っ赤な髪。
 均整のとれた肢体。
 すらりと伸びた手足。
 真っ白な肌。

 そのどれをとっても、何処かしら人間離れをしているのに、なぜに、黄昏時には気が付かなかったのかと北斗は自分自身を心の中で罵倒した。ただ一つ、『彼』の瞳の色だけが黄昏時とは違った。明らかに、異形を告げる赤い瞳。
 今や、北斗の右目は疑いようもなく熱を孕み、はっきりと赤く変色していることが自分でも分かった。目の前にいるのは、間違いなく敵であるとその右目が告げている。
 知能や能力の高い妖魔であれば、外見を惑わすことなど容易い。だがしかし、北斗の目までも誤魔化せるということは、相当に危険な敵であると言うことを意味していた。見抜けなかったと言うことは、すなわち、相手の能力の方が上回ると言うことに他ならない。
 北斗は、背筋にじり、と冷や汗が伝うのを感じながら右手を背中にやり『彼』の目から隠すと、気をゆっくりと手のひらに集め始めた。
 『彼』は、それに気が付いているのか、いないのか、わずかに右の眉を上げて見せそれから面白そうにその赤い瞳を細めた。
「君は、なぜ自分が魑魅魍魎の類に狙われるのか知っているかい?」
 おっとりとした口調で話しかけられて、北斗は眉を顰める。しかし、背中で気を集めることは止めなかった。
「それは、君の姿が美しいからなのさ」
 からかうような口調で『彼』は告げると、おかしそうに、くっ、と口の端を上げて見せた。
「完全左右対称の人間を食らうと妖魔は不老不死を得ることが出来る」
 北斗の右の手のひらには、隠しようも無く大きくなった光の塊が宿っていたが、それでも北斗は気を集めることは止めない。この程度では決して足りないと言うことが本能で分かっていたからだった。
 きっと、殲滅することは不可能だろう。だが、一瞬で良い。ダメージを僅かでも与えて結界が綻びさえすれば。
「もっとも、僕は不老不死になど興味はないが」
 『彼』はそこまで言うと、何かを思いだしたかのように不意にあさっての方向に目線を移した。
「ああ、そう言えば。僕の名前は『櫂(かい)』と言うんだ」
 何の脈絡もなく、不意に自分の名前を告げると櫂はにこやかに笑って北斗の顔をじっと見つめた。
「よろしく。『桜北斗』君」
 櫂が北斗の名前を言い当てた瞬間に、北斗は「え?」と、思わず惚けてしまった。その瞬間だった。
 いままでのおっとりとした態度が嘘のような獣並のスピードで、櫂は北斗に近寄るとその左手を取り、背後に回り、足を払うと、ダン! と北斗の体を床に押さえつけた。北斗は右肩から床に落ち、右半身を強打して、その弾みで、それまで溜めていた気を全て逃してしまう。
 絶体絶命の状況だった。
「卑…怯者…」
 上から押さえ込まれた体勢のまま北斗は櫂を睨み上げる。
「お言葉だけど、術師と妖魔の間の不文律はたった一つだけだ」
 櫂は、北斗の顔を愉快そうに眺めると、北斗の体を床に押さえつけたまま北斗の耳に口を寄せた。
「弱い者は死ぬ。強い者だけが生き残る」
 告げられた言葉は、今の状況の北斗には酷く手厳しい言葉であったが、それが真実であると言うことを、北斗はこれまでの経験で知っていた。
 北斗は悔しそうに、ギリ、と、歯をかみしめる。そんな北斗の姿を眺め、櫂は愛しそうに目を細めた。
「君は、酷く征服欲をそそる存在だね」
 純粋な悦楽の色を称えた声音で櫂は告げると北斗の耳朶をやんわりと噛んだ。それから、
「堕ちておいで」
 と、北斗の耳元に囁く。それは、脳漿をとろけさせる、北斗にとっては抗いがたい誘惑の声だった。
 元々が、北斗の体は妖魔や魑魅魍魎の類に酷く馴染む。北斗にとっては、妖魔と対峙することは、自分の中の誘惑と戦うことに他ならなかった。妖魔に身体を傷つけられて、北斗が痛みを感じることはない。感じるのは心地の良い熱と、倦怠感。時には快感に似た感覚さえ伴う。だがしかし、その心地良さに身を任せることは死に直結する。
 北斗が術師として修行を始めたときに、最初に教えられたのは快楽に流されない自制心をひたすら鍛えることだった。時として例外もあるが、大体において術師が禁欲的に見えるのはそのせいなのだ。力の強い妖魔ほど、強い引力でもって北斗を誘惑する。

 それは、甘い、死への誘惑。

 北斗は櫂の甘言に惑わされつつあった。霞む視界を何とか取り戻そうと必死に体を捩り、自分を押さえ込む体を振り払おうと試みる。櫂は、それには逆らわず、あっさりと北斗の体を一旦解放し、それから、今度は、易々と北斗の両の腕を取った。そのせいで、北斗は無理矢理に体を引き上げられたが、朦朧とする意識のままでは膝が立たず、ガクリと膝を折ったまま櫂に両腕を取られて支えられる格好になった。
 霞む意識を何とか留めようと北斗は激しく首を振った。そんな切羽詰まった姿すら、櫂は楽しそうに眺め続けているのだった。
「ここまで、おいで」
 櫂は重ねて、北斗の耳に甘言をそそぎ込む。まるで、恋人に睦言を囁かれるかのような甘さに、北斗は背筋がゾクリと痺れるような錯覚を起こした。
「…あ…ぅ…い…や…だ…」
 北斗は両腕を取られたまま、再度、首を激しく振り、意識を取り戻そうとする。このまま取り込まれたなら、自分が死ぬのだということすら自覚しないまま、快楽のうちに命を落とすことになるだろう。北斗にとって、それは魂を陵辱されることであり、敗北であり、『終わり』なのだった。
 北斗は、渾身の力を振り絞り、激しく腕を振り払うと櫂の体を突き飛ばした。反動で北斗は反対側に倒れ込む。相変わらず膝には力が入らなかったが、これ以上接触していることは危険だと、這いずるように櫂から離れようと藻掻いた。その姿を眺めながら、櫂は、さも愉快だと言わんばかりにくすくすと笑い、捉えたネズミを嬲る猫のようにゆっくりと這いずる北斗の方に近づいていく。あくまでも優雅な仕草で身を屈めると、北斗の右足首を捉え、力任せに自分の方にたぐり寄せた。
「あうっ!」
 短い悲鳴を上げて、北斗が再び体勢を崩すと、櫂はお遊びは終わりとばかりに北斗の首にその白い手を伸ばした。
「あ…あ…」
 ぎり、と、北斗の細い首筋に白い指が絡まる。櫂は一気にそれを締めることはせずに、やんわりと徐々に力を加えていったが、北斗にはそれは苦痛では無かった。それどころか、櫂の指は、これまでの妖魔とは比べものにならない恍惚感を北斗に与える。もはや、半分、意識を飛ばしかけたまま、北斗は陶然とした眼差しで櫂の顔を見つめていた。
 その瞬間だった。
 キィンという空気をつんざく音と共に、空間が引き裂かれる。青白く張られていた結界はものの見事に破砕された。はっとして、櫂は北斗の首から手を離し、体を起こして、すさまじい妖気が漂ってくる付近に目を移した。櫂とは対照的な仄赤い結界をぶつけて、櫂の張っていた結界を切り裂いて二人に近づいてくる。怒りに満ち満ちているその妖気に、櫂は苦笑を浮かべ、それから、静かに北斗の体から離れた。
「桜君に触らないで」
 その怒りの色とは裏腹な、冷え切った落ち着いた声が暗闇に響き渡る。北斗は、次第に正常に戻りつつある意識を必死で奮い起こし、顔を上げ、気配の近づいてくる方に目を移した。
「あ…く…つ…?」
 見慣れた少女の姿に、北斗は一瞬自分の目を疑う。これほどまでに凄まじい妖気を発している未智を、北斗は未だかつて見たことがなかったからだ。
 未智は、ちらりと北斗に目をやり、すぐに櫂に視線を戻して、きつく睨み付けたまま更に北斗に近づいていく。櫂は、それとは反比例するように、苦笑いを浮かべたまま、じり、と、一歩後ろに退いた。
「こんなことをして、どういうつもりなの? 私を怒らせたいの?」
 静かだが、明らかに怒気を含んだ口調で未智が告げる。告げながら、北斗の体を追い越し、北斗を背に庇うように、櫂と北斗の間に立ちふさがった。
 櫂は、ふざけたような笑いを浮かべると、更に、一歩、後ろに退く。
「そんなつもりは無いさ。ちょっとした余興じゃないか」
 おどけた口調で櫂は告げたが、未智はそれに気を許すことなく、更に険のある眼差しで櫂を睨み続けた。
「今後も一切、桜君には触らないで」
「それは、約束しかねるな」
「人を狩るなんて興味がないと言っていたのはあなたよ」
「彼は別だ。君にも分かっているんだろう」
 櫂は未智を小馬鹿にしたようにフンと鼻で笑うと、両手をポケットに突っ込み、軽く、上体を後ろに反らした。
「まあ、確かに僕もやりすぎた。今日は、これを返そうと思っただけなんだけれど」
 そう言うと、櫂は右手だけをポケットから出し、未智と北斗に見せるように、緩く握った拳を差し出した。手のひらの中に、何かを握っているようだったが、さほど大きくない代物だったので、それが何かは未智にも北斗にも分からなかった。
「言っておくが、祭りの騒ぎに乗じて四人殺したのは僕じゃない。酷く醜くて、低俗な化け物だったよ。あまりに気に入らなかったから、殺してしまったけれどね。そいつが、これを持っていたのさ」
 櫂はそう言うと、その手のひらを開いて見せた。櫂の手の中にあったのは、小さなピンポン玉のようなもので、未智にも北斗にも、一瞬、それが何であるのか判断が付かなかった。
「あんな卑小な輩が持っていて良い代物ではないと思ったからね。取り上げてしまったよ」
 そう言うと、櫂は、その球体を人差し指と親指ではさみ、上の方にかざして愛おしげに眺めた。それで、未智にはそれが何であるのか理解できた。
「返して! それは…」
「そう。彼のものだ」
 だが、北斗には未だそれが何であるのか理解できず、未智のらしくない慌てた様子に訝しげに眉を顰める。それから、じっと、目を凝らして、櫂がかざしている球体を見つめた。周りが白く、中央部が黒い。大きさと、形状が、まるで何かに似ている、と、思った瞬間に北斗は全てを悟り、ぐ、と、吐き気を催して自分の口を押さえた。
 それは、明らかに人間の眼球で、未智と櫂の会話から、恐らく、自分の右目から抉り取られたそれだと言うことが分かったのだ。
「彼の体は完全左右対称だ。だが、惜しいかな、その右目だけが違う。僕は、『完全なもの』が好きなのさ。それを、こんな風に壊すなど許せない。だから、これは彼に返して上げようと思っていた」
 でも。と、櫂は楽しそうに笑った。
「君は、素敵な人間だね。僕は、今まで、こんなに興奮する玩具を見たことがなかった」
 櫂は目を細めて、恋人でも見つめるような熱のこもった視線を北斗に投げかけた。
「この目は僕が預かっておくよ。返して欲しければ、僕を追いかけておいで」
 櫂はからかうような口調で北斗に告げると、それを再び、ポケットの中にしまい込んでしまう。その隙をついて、未智が櫂に攻撃をするために背後に回ろうとしたが、櫂は優雅な仕草で、ひょいと、体を宙に躍らせ、それを避けた。
「まるで天女の羽衣だね。返して欲しくば嫁になれって所かな?」
 くつくつと、鈴が鳴るように櫂は楽しそうに笑うと、ふっと、その気配を消した。慌てて、未智がその後を追おうとしたが、北斗は素早く立ち上がると、未智の腕を掴んでそれを許さなかった。
「危ないよ。彼は危険だ。阿久津は彼に近づかない方が良い。狙われてるのは俺なんだし」
 酷く疲れ切った顔で、北斗は言った。
 未智は、それに反論しようと口を開きかけたが、言うべき言葉が見つからず、結局、口を噤んでしまった。








 二人とも、無言のまま、その焼け爛れたみすぼらしい社を後にする。あれほど、強固に張られていた結界は跡形もなく消え去っており、まるで、何事も無かったかのように、焼けた社だけが満月を背景に佇んでいた。
 二人、並んで、赤い鳥居をくぐる。
「ねえ、阿久津。彼は一体何者なんだい?」
 ふと、北斗が疑問を漏らす。未智は、一瞬、北斗の顔をじっと見つめたが、何か思い悩むところがあるような仕草で、フイと目を逸らしてしまった。
「分からないわ。私は、自分が一体何なのかも分からないもの。ここに存在して良いのかも。桜君の横を歩いて良いのかも。…何もかも分からない」
 未智は、沈んだ表情で、月明かりに影を落とす地面をじっと見つめた。
「ただ、あの人は、私と同じなの。それだけは分かるの」
 北斗は、未智の沈んだ表情に何か慰めの言葉をかけてやりたかったが、何を言って良いのか分からず、ただ、
「そう」
 と相槌を打っただけだった。
 晴れ渡った名月の夜であるというのに、二人には酷く憂鬱な夜だった。

















 空では、満ちた月だけが全てを知り、ひたすらに、沈黙してた。



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