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『046:名前』 ………………………………

 *『073:煙』の続編です。そちらを先にお読み下さい。




 一面鏡張りの下品な部屋で、一生懸命に腰を振る。最初は相手の表情やら、仕草やらに注意を払ってなるべく相手にも快感を与えようと思っているのに、最後の方はどうにも余裕が無くなってしまい、結局自分の気持ちよさだけを追いかけてしまう。
「…んっ…ああっ…あ! キョ…キョウヘ…」
 普段は決して呼ばれない自分の名前を、甘ったるい喘ぎの合間に漏らされて、そこでようやく藍屋京平はハッとした。相手の足を抱えたまま、改めてその顔を見下ろせば、いつもはあっけらかんとした明るい表情しか見せない江戸川晃が頬を上気させ、泣き出しそうな切なそうな顔をして自分を見つめていた。
「や…! 途中で、やめるなってば!」
 切羽詰った声で強請られて、京平は思わず止めていた動きを慌てて再開する。慌てたせいで、少しだけ乱雑になって、晃は、
「アアッ!」
 と一際甲高い喘ぎ声を上げた。その声に煽られて、理性と本能が葛藤する。自分本位になってはいけないと、セックスの時にまで真面目に考えて、けれども奥へ奥へと誘い込むような晃の内部の複雑な動きに本能が負けた。
 自分の気持ち良さをひたすら追いかけて、叩きつける様に自分を押し込むと、晃が悲鳴のような声を上げてその直後に自身が締め付けられる。堪らない快感に促されて京平がそのまま射精すると、晃は痙攣するかのように体をビクビクと振るわせた。
 全力疾走した後のように、ハアハアと息を切らせてドサリと晃の体の上に自分の体を重ねる。腹の辺りが湿っている感触がして、晃も射精したことを知り、少しだけ京平は安堵した。
 そのままの姿勢で晃の上に突っ伏していると、サラリと背中を優しくなで上げられ、髪をクシャリと掻き混ぜられる。まるで小さな頃母親に甘やかされていた時のような優しい仕草に、京平は何ともいえない切なくて甘ったるい気持ちになってしまった。
「…ごめん」
 ようやく呼吸が落ち着いてきた頃に、京平はポツリと零す。セックスの後で、京平は大抵晃に謝ってしまうのが常だ。そして、晃が不思議そうな表情でそれを聞き、苦笑するのもいつものことだった。
「なんで、謝んの?」
「…いや。最後の方。あんま晃の事考えてなかった」
 軽い自己嫌悪に陥りながら正直に告白すれば、晃は大して気にした風もなく、おかしそうに噴出した。
「そう? 俺はスゲー気持ち良かったよ? ちゃんとイったし」
 そう言いながら、からかうように京平の乱れた髪の毛を更にグシャグシャとかき回す。
「変なトコまで真面目なんだもんなー。まあ、それが京平の良いトコだけど」
 そう言いながら、ゆっくりと晃は体を起こす。
「それよか、早く支度して出ないと延長料金取られるぜ。あと十分しか無い」
 促されて、京平は自己嫌悪を気持ちの片隅に残したまま支度を済ませた。


 誰にも見つからない人目の少ない場所、高校生でも入れる安い場所、そして男同士でも見咎められないよう受付が無人の場所。
 二人がセックスする所として選べる場所にはこの三つの条件が揃っていないといけない。そうすると必然的に、こんな貧乏臭い、下品なラブホテルしかなくなってしまう。晃などは別に寒くなければ青姦でも構わないと思っている節があるが、真面目な京平にしてみると「外でセックスする」などとんでもないことらしい。場末のラブホテルと青姦とさして代わりが無いようにも思えるが、京平の中では変な線引きがあるらしく、二人が付き合い始めて2年とちょっと、初めてセックスしてからも2年弱が経過した今でも、大抵セックスするのはこんな安っぽいラブホテルでだった。
 晃は
「抱き合えるなら別に場所なんてどうでも良い」
 と笑いながら言ってくれるが、それでもやっぱり京平はその件に関しても微かな罪悪感を感じてしまう。もっと自分が大人で自由になるお金があればマシなホテルにも行けるだろう。そもそも、自分が晃を好きなのだとおおっぴらに言えれば、こんな風にこそこそする必要だってなくなるはずなのだ。



「あーあ。いつまでこんな窮屈な思いしなくちゃならないんだかなー」
 人通りの少ない裏道を二人並んで歩きながら、晃が零した言葉には悲壮感は漂っていない。あっけらかんとした口調だったが、それでも京平は返す言葉も無く黙り込んでしまった。
 京平に比べて晃は確かに楽天的だし、どちらかと言えば鷹揚だ。喜怒哀楽がはっきりしていて、表情をくるくるとかえるし、怒る時は怒るけれど、一度自分の言い分を発散してしまえば後は割合に寛容だったりする。自分の感情を押さえ込んでしまう京平の方が、一見、穏やかで大人びて見えるが、二人きりになって素が出ると子供っぽさを見せる。しかも頑固で、クソがつくほど真面目な性格なので隠し事や嘘に罪悪感を感じてストレスを溜めてしまうのだった。
 だが、それを差し引いても京平は晃に負い目があった。
 第一に、先に好きになったのは自分だという自覚が京平にはある。衝動的に気持ちをぶつけてしまったのも京平の方だし、晃があっさりとそれに応えたからと言って感情の赴くままにセックスに踏み切ってしまったのも京平だった。もちろん最初から、どっちが入れる方か決めていたわけではない。京平は自分が入れられる方になるのは抵抗があって、それを何となく察した晃が気を使って結局こう言うベッドでの上下関係が自然と決まってしまった。晃はその事に関して、一度も何かを言った事は無い。
「二人して気持ちよくなれるなら、どんな方法でも良いよ」
 と、やっぱり屈託の無いあっけらかんとした笑顔を浮かべるだけだ。
 多分、自分よりも晃の方が精神年齢が上なのだろうと京平はいつも思う。でなければ許容範囲が広くて、人間として器が大きいのだろう。だから、晃といるとこんなに居心地が良いのだ。
 ただ、そう思っている人間は京平だけではないらしい。晃の周りにはいつも人が集まっているし、笑いが絶えない。明るい空気が漂っている。それなりに京平も一目置かれているが、真面目すぎて近寄り難いと思っている人間が多いらしく、友人が多いタイプでは無かった。
 自分が晃を好きなのだと自覚する前は、別段その事に苛立ったりはしなかった。晃と相思相愛になって体の関係を結んで、しばらく浮かれていた時期も気にならなかった。一年以上が経過して、ようやく落ち着いて周りを見れるようになってから、それがどうにも京平の癇に障るようになりだしたのだ。
 その感情が一般的に言う「嫉妬」というもので、あまり褒められたものではない醜いものだと京平は分かっていたが止めることは出来なかった。晃に纏わりつく人間が全て気に食わない。他意無くベタベタと晃の体に障る友人達には、本気で殴りつけたいような苛立ちを感じた。
 もともと晃は人懐こい性格で、来るもの拒まず、な所がある。自分に好意を寄せてくれる人間は割合と無防備に可愛がったりもする。それも、京平がやきもきする一因だった。
 だが、二人の仲が秘密である以上、それを表に出すわけには行かない。表面上はそれを押さえつけ、けれども抑えきれない部分は、結局は晃に向ってしまう結果になった。それは、二人きりの時に子供じみた態度で拗ねる事だったり、或いは、周囲を欺く為に時々人前でわざとケンカする時にぶつける罵詈雑言だったりした。
 ある時京平は、
「晃が他のヤツを名前で呼ぶのが気に入らない」
 とむくれて見せた事がある。自分の名前でさえ二人きりの時にしか呼んでくれないのに、と。晃はそれを聞いたとき、最初驚いたような顔をしたが、結局、困ったように笑って、
「分かった」
 と答えた。それ以来、晃は京平以外の誰も名前で呼ばない。親しい同級生だろうが、仲の良い先輩だろうが、可愛がっている後輩だろうが必ず苗字で呼ぶようになった。
 基本的に、晃は京平のわがままをなんでも聞いてくれる。例えそのわがままが子供じみた理不尽なものばかりだったとしても。それが嬉しくもあり、どこか情け無い京平だった。



「そろそろ、新人戦の面子決めないとだなー」
 帰りがけに寄った夜の公園で、二人並んでブランコを揺らしながら他愛の無い会話を晃が振る。表向き、仲の悪い部長と副部長を演じてはいるが、実際は真剣に部活のことを考えている二人だった。
「今年は割と出来るヤツが沢山入ったからな」
「だな。選ぶのが結構大変だけど、嬉しい悲鳴ってヤツ?」
 ギッと音を立て、一旦ブランコを止めてから晃は京平の顔を見て、悪戯っぽく嬉しそうに笑う。こんな表情が京平はとても好きだった。つられて笑いながら、自分もブランコを止める。何とはなしに見詰め合ってしまうと、さっきさんざん抱き合ったにも拘らず、衝動的に晃を抱きしめてキスしたくなった。だが、そんな京平には気がつかなかったらしい。晃は、のんびりとした表情で、更に会話を続けた。
「取りあえず、芝浦は決定だろ。それから、大塚と、剛志…っと宮原も決まりかな」
 晃が何気なく言い直した後輩の名前を聞いた途端、京平は嫌いなものを飲み下したような苦い気持ちになってしまった。宮原剛志は今年の一年で、どうやら晃とウマが合うらしく、最近随分と仲良くしている。だが、晃にだけではなく京平にも懐いていて、尊敬の眼差しを素直に向けてくるような後輩だった。そんな罪の無い後輩にまで嫉妬し、晃にいらぬ気を使わせてしまう自分を京平は嫌悪した。
 罪悪感を感じながら、
「…晃。前に俺が言ったこと、忘れて良いから」
 と小さな声で零す。晃は、
「え?」
 と不思議そうな表情で、京平の顔を見返した。
「だから。別に、他のヤツの事、名前で呼んでも良いから」
 バツの悪い気分で、京平が早口に捲くし立てると晃は目を真ん丸く開いて、それから大きな溜息を吐いた。そのままゆっくりとブランコから立ち上がり、京平の目の前でしゃがみこむ。
「キョーヘー?」
 すぐ目の前で呼びかけられ、京平は一瞬、視線を上げるのを躊躇した。晃が呆れた様な顔をしているのを見るのが怖かったのだ。けれども、仕方無しにノロノロと顔を上げる。視界に入ってきた晃の顔は決して呆れたような表情ではなく、優しそうな柔らかい笑顔の顔だった。思わず、その笑顔に見惚れていると、その顔が近づいてきて、下から軽く唇にキスされる。
 外にいるときは慎重で、こんな場所では自分から滅多にキスなどしてこない晃にしては珍しい行動だった。
「呼ばないよ」
「え?」
「京平以外は、名前でなんか呼ばない」
 小さな、それでいてはっきりとした声で晃は言った。その優しい口調に、京平は泣きたくなってしまう。そんな感傷的な気持ちを誤魔化すように、
「なんで、晃はそんなに俺を甘やかすんだよ」
 と怒ったように言い返して、視線を晃から逸らした。
 耳元で、クスクスと鈴が鳴るように笑う声が聞こえる。
「ホント、京平って純粋だよなあ。俺がわざと京平を甘やかしてるとか疑わないんだもんなー」
「え?」
「俺が京平を甘やかすのは作戦なんだって気がついてる?」
「作戦?」
「そ。グズグズに京平のこと甘やかして、俺無しじゃ駄目な人間にしようとしてるの」
 茶化すような口調で晃は言ったが、その表情はどこか苦笑めいていた。
「俺の方がヤな人間なんだよ。俺の方が嫉妬深いし」
 痛いのを我慢しているような笑顔を浮かべたまま、晃はもう一度、京平に触れるだけのキスをした。
 京平には晃の言葉の真意は分からない。晃が嫌な人間だなどと思ったことは無いし、嫉妬されているとも思った事が無かったからだ。
 けれども。
「俺も京平以外のヤツを名前で呼ばないから、京平も呼ぶなよ?」
 唇を離した後に、悪戯な表情で言われた言葉には、馬鹿みたいに何度も頷いてしまう藍屋京平、17歳だった。



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