もう一度名前を呼ぼうとした時、突然重く扉の開く音がした。
誰か来た。そう思った時には体が条件反射のように動いて、濡れた目を必死に拭っていた。
「――クリフト!?」
「……!!」
よりにもよって、響いたのは一番来てほしくなかった人の声。――ユーリルさん。
慌てて立ち上がり入り口に背を向けたが、時すでに遅く、声の主はすぐに私の傍にまで来てしまった。
どうして戻ってきたんだろう。あの人に会いに行くと言っていたのに。
いや、それよりも。
……最悪だ。どこまでみっともないんだろう。自分から送り出しておいて、こんな酷い姿を晒すなんて。
迷惑をかけたくないと思っていたはずなのに、これじゃ本末転倒だ。
「……クリフト」
「…ち、違うんです。…あの、これはっ……そう、本を、本を読んでいて、つい…っ」

――ふわり、と。

咄嗟に思いついた言い訳を並べ振り返ろうとした時、緩やかに空気が動いた。
振り返るよりも先に背に柔らかい温もりを感じ、次の瞬間には彼の腕が私を背後から抱きしめていた。

「……ごめん」
さっきまでの素っ気無い声とは違う、いつものあの声が小さく呟く。
耳元に響く柔らかな声。…もう二度と聞くことはないと思っていた。
「…ユ、…ユーリル…さん?」
「泣かないでよ。…ごめん、僕が悪かった。…まさか泣くとは思わなかったから」
抱きしめられる腕の力が増し、もう一度「ごめん」という言葉が小さく聞こえた。
「…っ、…何で…ユーリルさんが、謝るんですか」
「…嘘だよ」
「え?」
「OKしたなんて嘘だよ。…するわけないだろ。
 そもそもこうして世界中旅して回ってるのに、付き合うって…何をどうするって言うんだよ」
「…あ…」
「…普段のクリフトだったらそういうところすぐ気がつきそうなもんなのに、全く疑いもしないからさ。おかしいと思って戻ってきたんだ」

嘘。……嘘?

嘘、だったと言うのだろうか。
出て行ってしまったあの時の、素っ気無い声も、…彼女と付き合うことにしたと言ったあの言葉も?
「…嘘…?…何で、そんな」
答えを出すのに躊躇したのか、少し間があった。そして、しばらくすると言いにくそうにゆっくりと答え始めた。
「……嫉妬してほしかったんだ」
「…しっ…と…?」
「ヤキモチ妬いてほしかったんだよ。
 …だっていつも僕ばっかヤキモチ妬いてさ、クリフトは何があっても全く…表情すら変えないから悔しくて。
 だからこれくらいすればちょっとくらいは妬いてくれるかなって、引き止めてくれるかなって思ったんだ。…ごめん」
嫉妬してほしかった。
…ということは、彼は、私から離れようとしたわけではない…?
いや、むしろ、…その逆、ということだろうか。
じゃあ、最初から?
部屋を出て行ったあの時から、彼は私を嫉妬させるために行動していたということなんだろうか。
嫉妬してほしいということはつまり、彼はそれだけ自分を想ってくれていた。今までと何ら変わることなく。…そう解釈してもいいんだろうか。
「…あ…あの、クリフト。…怒った?」
小さく尋ねる彼の声に、全てが弾けた。
「――怒りますよ!!」
考えずに発した言葉に、自分でも驚いた。
感情をぶちまけるというのはこういうことなのかもしれない。ありったけの声を張り上げたたった一言は、自分の耳の奥まで突き刺した。
振り返りざま見た彼の姿は今までにないくらい縮こまっていたから、相当酷かったんだろう。
けれど嘘も偽りもない言葉は、考える暇もなく次々に外に流れ出して止まらなかった。
「…どれだけ…!あなたのその嘘にどれだけ…っ!
 …怖かったんですよ!…あなたが離れていくかもしれないと思ったら、胸が潰れそうに苦しくて、どうしていいかわからなくなった。
 本当に怖くて、怖くて仕方なくて…!」
後から後から、言葉が溢れてくる。涙と一緒になって、押し出されるようにして、信じられない勢いで。
考えてみれば理不尽な台詞だ。送り出したのは他でもない自分なのに、彼をなじるような言葉ばかり並べて。そう思っても止められなかった。
「あなたが出て行ってからの時間、私がどんな…どんな気持ちで待っていたかわかってるんですか!
何度もあなたを連れ戻そうと思った、でも…それはあなたに迷惑がかかると思ってっ……んッ!」
突然唇が押し当てられた。止まらなかった言葉をようやく塞き止められ、半ば強引に舌を入れられる。
驚きに一瞬目を見開いた。
緊張に身体が強張ったが、荒っぽい口付けはすぐに優しいキスに変わり、私は目を閉じた。
溜まっていた涙の粒が雫になって頬を伝い落ちる。幾筋も、幾筋も。
「ふ……、ぅん…、ん…」
角度を変えながら何度も口付けられ、ゆっくりと彼に犯される。内側から侵食される心地よさに縋り、彼の背に手を伸ばした。
口を開き、彼の温度を必死で貪る。二度と手にできないと思っていた、自分にだけ与えられる温もり。
――誰にも譲らない。
渡さない。渡したくない。…絶対に、誰にも。


長い口付けの後、唇を離すと、ユーリルさんは再び私を抱きしめてくれた。
「…もう嘘はつかないって約束してください」
「お互いにね」
その言葉に顔を上げると、ユーリルさんは悪戯っぽい笑顔を見せた。
「だって、クリフトだって…あれ、本心じゃないんでしょ?…本当は行ってほしくなかったんだろ?あの子のところに」
「……はい」
「だからお互い様。嘘はもうやめ。
 どうしてほしいのかくらい、正直に言ってよ。…ほら、今も」
「……………」
躊躇いがなかったといえば嘘になる。けれど私は彼の耳に唇を寄せた。
今度こそ偽りない気持ちを言葉にして、静かに彼に耳打ちする。
顔を離すと、一瞬見せた呆気にとられたような表情の後、目の前でユーリルさんの耳が真っ赤に染まった。
「…まいったなぁ。……まさかクリフトの口からそんなこと言われるなんて。そこまで言われると思ってなかった…」
「……正直に言えって言ったのはあなたですよ」
恐らく彼以上に真っ赤になっている顔を俯かせていると、彼は優しく笑いながら私の顔を上向かせた。
そして額にキスを落とすと、柔らかい、唇に触れるだけのキスを一度だけくれた。
「わかってるよ。それじゃ…お望みのままに」
でも多分止められないよ、目を逸らすユーリルさんに向かい、まだ涙で濡れたままの目で微笑んだ。
止めなくていいと言う身体をベッドに沈められ、私は再びゆっくりと目を閉じた。

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「クリフトが嫉妬する話」というお題をリクエストでいただき挑戦したものの…どうもクリフトがうまく嫉妬してくれず、こんな話になりました。
女々しくならないように泣かせたかったんですが、うーん。難しかったです。
リクくださった方、ありがとうございました!

2007/11/07