別々に行動し始めてから一時間程経った頃、私はユーリルさんと言い争いになったことを酷く後悔していた。

『何をそんなにむきになっているんですか、子どもじゃあるまいし』
『大体どうして姫様を引き合いに出すんです、そういうところが子どもじみてるって言ってるんです!』

あのとき勢いに任せて言い放った言葉が蘇る。
彼が自分自身のことを「子どもっぽい」と思っていることは知っている。そして、それを気にしていることも。
多分、あの言葉は彼を少なからず傷つけた。
何故あんなにもむきになって言葉を返してしまったんだろう。
思い返してみれば、確かにあの人の言う通り、子ども扱いして見下したような言い方になってしまった私のほうにも非があった。
それに五つも年下の彼に対して、あれではあまりに大人気なさすぎる。

…もう、一時間。

あれからユーリルさんとは一度もすれ違っていない。声すら聞こえてこない。
もう既に、一人で洞窟を脱出してしまったのだろうか。
いや、それならまだいい。…もしも、万が一、そうじゃなかったとしたら。
頭の中をよぎった嫌な予感を、そんなはずはないと言い聞かせ振り払う。
彼は強い。幼さの残る言動からは想像しにくいが、恐らく私たちの中でも一番を争う実力者だろう。
あの時別行動を提案したのは、彼の力をもってすれば、少しの間ここを一人で歩いても大事には至らないと思ったからだ。
…けれど、ここは魔物の巣窟。いくらユーリルさんでも、そう考えてしまったのは浅はかだったかもしれない。
速度を増した胸の鼓動の合間、血を流し横たわったまま動かない彼の姿が頭を過ぎった。
何度呼びかけても微動だにせず、目を閉じたまま。
まさか。……まさか。
「ユーリルさーん!」
急に胸騒ぎがして、叫んだ。
薄暗い洞窟の中、声が何度も反響する。だが、響いたのは自分の声ばかりで、彼の声は返ってこない。
どこかで倒れたりしていないだろうか。それともまだ怒っていて、私の声を無視しているのだろうか。
通ってきた道、通らなかった道、それから、見落としてしまいそうな小さな道。
くまなく探していると、ある角を曲がったところに彼は立っていた。
「…ユーリルさん…!」
私の声に気がついたのか、彼は振り返った。そしてそのまま、ただじっとこちらを見ている。
さっきのように怒鳴ったりはしないことからして、もうそれほど怒ってはいないのかもしれない。
緊張に激しく脈打っていた胸を押さえ、大きく息を吐いた。…とにかく、無事でよかった。
「…大丈夫ですか?怪我はありませんでしたか?」
すぐに彼のほうへ駆け寄った。立ち尽くしたままでいる彼に問いかけたが、彼は何も言わず私をじっと見つめたまま。
何か考えているようにも見えたが、それよりもまず心配なのは身体のことだ。…怪我はなかっただろうか。
傷を作りやすい利き手は?背中は?まさか、毒など受けてはいないだろうか。
手や背中に触れ、傷がないか確かめる。見たところ、負傷している様子はなさそうだった。
「…よかった。大きな怪我はないで…」
そこまで言って、私は言葉を途切れさせた。彼が無言のまま、私に抱きついてきたからだ。
……何だ、これは。
ユーリルさんは何もないのに突然こんなことをしてくる人じゃない。
さっきまで喧嘩腰になっていたのならなおさらだ。何より、さっきから無言なのが気に掛かる。
「ユーリルさん。…何か、怖い目に遭ったんですか?そろそろ洞窟を出ましょうか」
できるだけ柔らかい口調でそう言ったが、やはり言葉は返ってこない。
「…ユーリルさん…?」
そっと身体を離して顔を覗きこもうとしたが、彼は首を横に振るだけで、しがみついたまま離れようとしない。
「違う…?まだ出たくないんですか?」
ユーリルさんはもう一度首を振った。そして身体から力が抜けたかのように、ずるずるとその場に座り込んでしまった。
混乱しているのか?…余程怖い目に遭ったのだろうか。
「…ユーリルさん、ここを出ましょう。リレミト唱えてもらえますか」
そう言ってみても、やはり首を横に振るだけ。…一体何があったというのだろう。
ユーリルさんがこんな状態な以上、下手に動き回るのは得策ではない。
およそ一時間の間一人で敵と戦い、私もかなり疲弊している。今敵と遭遇すれば危険だ。
私は彼の腕を取った。敵の気配を感じず、なおかつ身を隠せそうな岩陰に移動し、身を潜める。
彼が落ち着くまで、先を急ぐよりはここで様子を見ているほうがいいだろう。
地面にしゃがみこむと同時に、彼は再び私に身を寄せてきた。服を掴み、顔を埋めぎゅっとしがみつく。
やはり何かあったに違いない。…例えば敵に襲われ、命を落としそうになった恐怖で声が出なくなってしまったとか。
背を撫でながら抱き締めると、ユーリルさんは胸に埋めていた顔を上げた。
そして私の顔をじっと見つめる。
じっと、ひたすらじっと。
おもむろに彼の手が伸び、私の帽子を外した。そして視線を外すことなく、正面から真っ直ぐに目を覗かれる。
「あの…ユーリルさん?」
気恥ずかしくなって視線を泳がせた瞬間、彼は一瞬、何かを見つけた子どものような表情になった。
そしてもう一度、彼に何があったのか尋ねようとしたとき。

「…!」

視界に影が落ちた。と思った瞬間、唇に柔らかいものが当たった。
馴染んだ感触から、それが何なのかはすぐにわかった。
――唇。触れるだけの口付け。…でもこれは、いくらなんでも唐突すぎる。

HOME       NEXT