身体中を撫で回す手に、歯を食い縛ってひたすら耐えて、どれくらい経った頃だっただろうか。
突然、下半身に鈍い痛みを感じた。
「…ッ!?」
脚を広げられ、何かを秘部に突き入れられているらしい。それが指だとわかるまでには少し時間を要した。
固く閉ざされたままのそこに力任せに指を捻じ込まれ、痛みと恐怖で頭の中が真っ白になっていく。
「…痛…っ!やめ……」
挿れた指で中をこじ開けながら、男は怪訝そうな顔つきになる。
けれどそれも一瞬で、すぐにまた欲望に満ちた笑みに変わった。
「何だ?もしかして本当に初めてなのか?
…こりゃいい。初めての奴は締まりがいいんだ」
その言葉にぞくりと寒気がした。
…頭の中が霞む。白んでいく。
無理矢理入れられた指が、身体の中でうねった。入り口を広げるような動きに吐き気がする。
「…く、…ッう…」
脚を深く折られて、強引に奥まで突き入れられた指が、何度も何度も注挿を繰返す。
ぐちゅ、ぐちゅ、と嫌な音だけが鮮明に耳に響いた。
…怖い。震えが止まらない。
「…嫌だ、放せ、…放せ…っ!」
…誰か。
怖い。嫌だ。助けて。…誰か…!
「……ユーリルさん……」
無意識にそう言ったとき中から指が引き抜かれ、両足を抱えあげられた。
「…誰の名前か知らねぇが、こんな森の奥で助け呼んだって、誰も来ねぇぞ」
…名前?
……私は、今、何を…?
咄嗟に口にした言葉を思い起こそうとした瞬間、指の引き抜かれた場所に熱く硬いものが宛がわれる。
「…ひ…っ」
「……痛いのが嫌なら力抜け」
その感触と言葉に思わず固く目を閉じた。
あまりの恐怖に混乱してよくはわからなかったけれど、多分その時だったと思う。
嵐の前兆のような、冷たい空気と黒い雲がそこに現れたのは。
一瞬の轟音と凄まじい光の後、自分の上に覆い被さっていた男が地面に倒れているのが見えた。
「――これでも一応手加減してやったんだからな。感謝しろ」
朦朧とした意識の中でもはっきりと耳に届いた、よく通る聞き慣れた声。
その声のした方向へ顔を向けると少し離れたところに風になびく緑の髪が見える。
選ばれし者のみが使えるという呪文。
―――伝説の、勇者。
「……ユーリルさん」
「――っ…!?」
名前を呼んだ声に、彼の顔が凍りついた。
驚きに目を見開き、何の言葉もなく、ただそこに立ち尽くしている。
「…な…に?……え…?」
震える身体をようやく動かすといった風にふらふらと歩いてくると、彼は縛られたままの腕を解放してくれた。唇を固く結んだまま一言も発することなく。
抱き起こしてくれたその腕は、乱された着衣を手繰り寄せ、私の身体を隠すように包んでくれた。
そして、隣に倒れている男へと視線を移す。
その顔は怒りに満ちていた。静かな、本当に静かな怒り。
彼はそのまま無言で立ち上がると剣を抜き、地面に倒れこんだ男の目の前にその切っ先を向けた。
「……なに、やったんだよ。お前……!」
そして怯えるその男の顔に、更に剣を近づける。
剣を握り締める右手が……いや、全身が震えているのがはっきりとわかる。
初めて見た。こんなにも取り乱す彼の姿を今まで、見たことなんてなかった。
「……言っとくけど、僕はクリフトみたいに優しくないからな。
こんな…仲間をこんな目に遭わされて黙ってられるほど、僕は大人じゃないからな。
……もしこれ以上、何かやるって言うんなら……」
彼の目を見て、一瞬身体がすくんだ。
それはいつも見慣れている彼とはまるで別人だった。
「――この場でお前を真っ二つにしてやる」
ギリ、と歯の擦れる音が聞こえた。
真っ二つ。今の彼なら本当にそうしかねない。
だめだ、そんなこと…!
「…クリフト…!?」
今にも剣を振り下ろそうとする彼の足に、すがるように必死にしがみつく。
突然身体に感じた重みに彼はゆっくりと後ろを振り返った。怒りの中にわずかに戸惑ったような表情が浮かぶ。
「…何するんだよ、放せ!斬ってやる、こんな奴っ!!」
「……ユーリルさん、…やめてください、もう十分です…!」
「――うるさい!!
…何でだよ、何で止めるんだよ。何でこんな奴のこと庇うんだよッ!」
「…ユーリルさんっ…!」
睨み付けるように見下ろしてくる、薄い紫色をした瞳。怒りに満ちたその目が、一瞬驚きに見開かれた。
恐らく気付いたのだろう。私自身が呪文を封じられていることに。
全てを悟ったであろう彼は、無言のまま、怒りを押し留めるように固く目を閉じた。
「…くそ…ッ!」
ガシャン、と重い金属音がして、振りかざしていた剣が振動と共に地に落ちる。
その直後に再び歯の擦れる鋭い音が響いた。剣を握る手にぐっと力がこめられる。
「――行けよ。早く行け!!
斬られたくなかったらさっさと消えろ!」
地面を睨みつけながら怒鳴ると、すぐさま男は逃げ出した。
それを見つめる彼の瞳には、変わらず怒りの色が滲み出ていた。
「クリフト!!」
剣を鞘に納めると、彼は私と視線を合わせるようにしてしゃがみこんだ。
「しっかり…!どこか痛い?何された…!?」
見慣れた顔、聞き慣れた声。いつも見ている、あの表情。
芯から恐怖を焼き付けられた身体に、名付けようのない感情が染み入っていく。
「……ユーリル…さ……」
名前を呼ぼうとした瞬間、それよりも早く彼の腕が私の身体を苦しい程に抱きしめた。
「…怖かっただろ…?大丈夫だから。…もう大丈夫だから」
喉から搾り出すような震えた声が、まだ震えたままの身体に届く。
冷えきった身体に、彼の体温はとても温かかった。
抱きしめられているその確かなぬくもりに、身体を支配していた恐怖が少しずつ溶かされていく。
「…何で…逃げなかったんだよ…。
こんなになっても我慢して……何で、どうして…こんなっ」
抱きしめられたまま背中や頭を何度もさすられるうちに、身体の震えが少しずつおさまっていく。
けれど今度は、自分を抱きしめているその腕が、細かく震えているような気がした。
「…マホトーン。…かけたの、クリフトだよな?」
「………」
「…何で…そんなこと…
……あいつは、…あいつはクリフトをっ…」
彼の声が怒りに震える。同時に自分の身体に回された腕に力がこもった。
「…すみません、ユーリルさん……でも」
彼の肩に手を置き、そっとその身体を離す。小さく息をついて、目の前にある顔を見た。
「でも私は、平気ですから。
…突然のことだったから少し驚いただけなんです。だから」
「平気なわけないだろ!」
突然の怒声。その後、はっとしたような顔をすると下を向き、続けた。
「…ご、ごめん。でも、何が平気なんだよ!自分が何されたかわかってんのか…!?
…クリフトならできたはずだ。どうして使わなかったんだよ。
……使えばよかったんだ。そしたらあんな奴一瞬で…!」
「―――きません」
「……!」
「…できません。…人間を殺めるなんてそんなこと…できません…」
「何で!自分はあんなに酷いことされといて……!
僕がもし気づかなかったら、何されてたかわかんなかったんだ。……どうなってたかわかんなかったんだぞ!?」
怒声にも近い声に、胸を抉られる。
彼の言っていることは正論だ。彼が来てくれなかったら、私は逃げることすら叶わなかった。
それでも、人を殺めるくらいなら、そう思ってしまったのも事実だ。
「…すみませんでした。…ご迷惑を…おかけして…」
それ以上は言葉が続かなかった。自分の非力さに、情けなさに喉が詰まる。
…あなたのような力があったなら、きっとこんなことにはならなかったのに。
どうして自分はこんなにも弱いんだろう。
本当は心のどこかで、いつもそう思ってた。
だから、いつの間にか、あなたに憧れていたんです。
いつも前向きで、強くて…私に絶対真似できないものを持っているあなたに。
…私はあなたのように強くないから、だからただ耐えることしかできなかった。
殺すこともできず、かといって一人じゃ逃げ出すこともできずに、ただただ時の流れるのを待つことしか。
あなたのような力があったら。あなたのように強かったら。
そうだったなら、私は。
…力が欲しい。強くなりたい。あなたのように。
「…ごめん、言い過ぎた。ついかっとなっちゃって。
でも…大事な人が…クリフトがこんな目に遭わされて……黙ってられなかったんだ」
言葉を途切れさせたまま俯いていると、再び彼の静かな声が聞こえてきた。
「…だって、クリフトだってそうだろ?
もし…もしアリーナが…本当に大事な人があんな酷いことされたらきっと…黙ってなんていられないよ」
本当に、大事な人…。
……姫様が、か。…確かにそうかもしれない。姫様のためなら、私は……
「…さ、行こう。身体、あちこち傷できてる。早いとこ手当てしなきゃ。
あ……でもその前に一つ聞くけど。クリフト、そういえば何でこんな森の中にいたわけ?」
「え? …あ。いえ…ユーリルさんが宿にも街の中にもいないのに気づいて。それで……」
ぼんやりと考えているところに尋ねられ、咄嗟にそこまで言って彼の顔を見る。
その顔は明らかに驚いた顔。そしてその後口元を少し緩めて言った。
「…それで?…何で?」
「え、……な、何でって…」
…あれ?本当に……どうしてなんだろう。
いや、それはいつもいるはずの人が急にいなくなれば心配もするわけで。
……だから、それで……。
「ユ、ユーリルさんは今日は村の方へ行かれたんでしょう?」
「…へ? 何?…あっ、もしかして今日があの日だってこと覚えてた!?」
そしてまた驚いた顔をしたと思ったら、今度は嬉しそうな顔になる。
「そうだったのか。ありがと、クリフト。心配してくれてたんだ」
そう。心配して。
……心配、だけ…だった…?本当に…?
――さっきあの男に襲われていたとき。
この苦痛が終わるまで、それまでただ耐え続けようと、そう思った。
でもどうしようもなく怖くなって。
…助けてほしいと思ったとき一番に頭に浮かんだのはユーリルさんだった。
助けてほしかった…?誰よりも、ユーリルさんに?
ユーリルさんにならあんな姿を見られてもいいと思った?それでも自分を助けてほしかった?
どうして……?他の仲間とは違う、一番の友達だから?信頼できる人だから?
じゃあ姫様は、ブライ様は?
私は、二人のことを誰よりも信頼しているんじゃなかったのか?
「立てる?クリフト。…帰ろう」
彼は私に絶対に真似できないところをたくさん持っている。
だからすごく尊敬できるし、憧れる。
そして思う。何があっても側にいよう、と。
ある時は一番の友達で、ある時は弟みたいで。
そして何よりも彼は、私達にとって大切な勇者様なんだから。
――でも、本当にそれだけなんだろうか。
友達だから?弟みたいだから?勇者だから?
――答えを探し始めたのは、この時だったのかもしれない。
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勇クリであって勇クリにあらず、といった微妙な感じですみません;
いろいろ書き換えましたが、一応完結。この後勇者視点の次の話に続きます。
改訂版掲載 2007/3/24